よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

楽しいウォーク「神功皇后ゆかりの小戸大神宮を訪ねて」(福岡市西区)

2024-07-05 06:51:49 | ふくおかウォーキング協会

7/3(水)今日は、新札の発行日。今回は、5000円札に津田梅子さんが登場しました。女性が紙幣に登場するのは、3人目。

最初に女性が登場するのは、明治14年(1881年)1円札に「神功皇后(じんぐうこうごう)」です。

 

九州北部地方には、神功皇后伝承地が3000ヶ所以上あるといわれています。

第14代天皇「仲哀天皇」の皇后として知られるのが「神功皇后」。仲哀天皇と共に熊襲(くまそ)討伐の為に筑紫(現在の福岡県東部を除いたほぼ全域)へ赴き、橿日宮(かしいのみや)へと

入ります。そしてそこで住吉神から、熊襲よりも新羅を攻めよとの神託を受けますが、然し、仲哀天皇は熊襲の征伐に向かってしまい、敗北して撤退、翌年には、香椎宮で亡くなって

しまいます。あとに残された神功皇后は、住吉神の神託に従って三韓征伐の軍を起こし、新羅を攻めます。新羅は戦わずして降服し、高句麗・百済をも従わせてしまいます。

そして神功皇后は帰途、筑紫の宇美「宇美八幡宮」で応神天皇を生んだといわれています。

今日(7/3)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「神功皇后ゆかりの小戸大神宮を訪ねて」です。

集合場所は、JR下山門駅から5分の「壱岐神社」です。参加者は37人でした。

マップの裏には、今日の見どころの説明を付けています。

壱岐神社は、日本書紀に登場する「壱岐値真根子(いきのあたいまねこ)を祀る神社です。武内宿禰(たけのうちのすくね)は、都を留守にしている間に反乱の罪を着せられましたが、

応神天皇の刺客に殺されようとした時、その身代わりになったのが、壱岐値真根子でした。やがて無実であることが判り、壱岐値真根子が自分の命を犠牲にしたまで武内宿禰に尽くした

ことから、ここに祭神として祀られました。武内宿禰と壱岐値真根子は、似ていたそうです。武内宿禰は神功皇后の側近で300歳まで生きたそうです。

  

今日福岡地方は最低気温が28度、日中は35度になるとの予報。こまめに休憩し、水分補給を心がけます。

9:30壱岐神社をスタート。生(いき)の松原に入ります。松の木々が木陰を作り少しは暑さが凌げます。

ここ「生の松原」は、神功皇后が、三韓征伐の折、松の小枝を逆さに挿して戦勝を祈った時、その松が不思議なことに生きて栄えたことから名付けられたと伝えられています。

 

 

トイレ休憩の後、今津湾に向かいます。

 

元寇防塁の築造は、鎌倉幕府より九州各地の御家人に所領に応じて割り当てられており、生の松原校区の防塁は、肥後国の御家人によってつくられています。

国宝「蒙古襲来絵詞」は、肥後国の竹崎季長が絵師に書かせたもので舞台は、ここ生の松原です。

 

 

 

小戸公園に向かいます。

 

 

小戸大神宮に来ました。

小戸大神宮は、伝説では、伊邪那岐(いざなぎ)の神が御禊(みそぎ)をした所で天照大神・志賀三神・住吉三神が出現したという由緒の地とされています。

また、付近に神功皇后の三韓征伐(朝鮮出兵)に因む「御膳立(おんぜんた)」の磯があり、海中に配膳の形をした岩盤24個があります。

 

神宮の入口には、「みそぎ」の案内板が掲げてあります。

 

神社の神主さんが神事を行う前に唱える「祝詞(のりと)」があります。

掛けまくも 畏き 伊邪那岐大神 筑紫の 日向の 橘の 小戸の 阿波岐原に禊ぎ 祓へ 給ひし時に 生り坐せる 祓戸の大神たち

諸々の 禍事 罪穢れ あらむをば 祓へ給ひ 清め給へと 白すことを 聞こし召せと 恐み恐みも 白す

※筑紫=福岡、日向(ひなた)=糸島市と福岡市の境界の所、日向峠、小戸=海の狭い所(現在地)、阿波岐原=小戸の海岸

通説では、禊を行った所は、「宮崎」ですが、これを考えると福岡の小戸も満更でもないですね。

階段を上って「社」に行きます。

 

社の横には、「安産石」「願掛け石」があります。子授・安産にご利益があるそうです。この歳で子授はないですよね(笑)

  

小戸大神宮から海岸線を歩きます。今日は気温はどんどん上昇していますが、海からの風が気持ちいいです。

大きなクルーズ船が博多港に向かっています。中国からのクルーズ船かな?

 

 

コースは、マリノアシティへ。

マリノアシティは、建て替えのため来月の18日で閉店します。今後は、三井不動産主導で新しいマリノアシティに生まれ変わるそうです。

マリノアシティは2000年(平成12)10月にオープンしました。もう24年も経つのですね。

 

コースは、旧唐津街道へ

 

姪浜住吉神社は、神功皇后が応神天皇を胎内に宿したまま、新羅に遠征された折、住吉三神は「和魂は王身の命を守り、荒魂は、先鋒として軍船を導くであろう」と申され、

その霊験あらたか新羅軍を破り、無事帰国されました。その時、神功皇后は、当地の小戸付近の浜に上陸し、濡れた衵(あこめ)の※(公家の男女の装束の内着、上の衣と下の単につける)

御衣を乾かされたので衵ヶ浜(あこめはま)といい、(後、転じて姪浜)宇美において応神天皇を出産されたと伝えられています。

また、伊邪那岐の大神が「みそぎ祓い」をされるとき、河童が現れ道案内をのお手伝いをしたことにより、除災招福の神の使いになったという伝承があります。

姪浜住吉神社は、この河童をお祀りしています。

 

  

姪浜住吉神社からゴールの姪浜駅に向かいます。

11:58 姪浜駅にゴールしました。今日は気温が35度近くになり熱中症の心配がありましたが、無事ゴールすることができました。

この時期のウォーキングは、小まめな休憩と水分補給が大事です。

 

今日のGPSです。距離は暑さのため、少しショートカットしました。8,5kmでした。