6/6(木)ふくおかウォーキング協会やさしいウォークは、「戒壇院の菩提樹と天満宮の菖蒲観賞」でした。
集合場所は、西鉄都府楼前駅、参加者は28名でした。
都府楼がある大宰府は、和名では(おほみこともちのつかさ)といい、太宰帥(だざいそち)が司る所です。また、「大宰府」と「太宰府」は、一般に言って古代の役所を「大宰府」
中世以降は「太宰府」と呼んでいます。
9:30スタート 関屋へ、ここは、日田街道。コロナの時にこの道を通って日田まで歩きました。
筑前国分寺跡
聖武天皇は741年、日本全国に国分寺・国分尼寺を建て、七重塔に経典を収めると詔しました。こうして造られたのが、国分寺です。国分寺の総本山は、奈良の東大寺です。筑前国分寺は、
大宰府が管轄した西海道(九州)の中では最も早く、756年までに完成したとみられています。これまで金堂、講堂、七重塔、回廊など堂塔跡の遺跡調査が行われ、その成果に基づき整備されています。また、寺を囲む塀が残るところがあり、寺の範囲は192m四方とみられています。
太宰府文化ふれあい館で休憩。ここには、国分寺の七重塔の模型があります。
休憩後再スタート。
坂本八幡宮 もとは戦国時代の勧進と伝えられている神社で、祭神は応神天皇。坂本地区の守り神として、地元の方々によって大切に祀られてきました。
また、新元号「令和」の起源となった「梅花の宴」が行われた大伴旅人邸跡の候補地の1つとしても注目を集めています。
令和になったころは、参拝客が多かったのですが、最近は参拝者も少なく落ち着きを見せています。
お詣りして次へ進みます。
都府楼跡
戒壇院 奈良時代、観世音寺に戒壇院が置かれました。戒壇とは僧侶として守るべき戒律を授けるところで、ここで戒を受けなければ正式の僧侶とは認められませんでした。
戒壇はここ大宰府の他に、奈良の東大寺、下野(栃木県)の薬師寺に置かれ、天下三戒壇と言われました。本尊の廬舎那仏は平安時代の作で、重要文化財に指定されています。
江戸時代に観世音寺を離れ、現在は禅寺となっています。(ふらっと大宰府より)
戒壇院の横に植樹されているのは中国原産のシナノキ科シナノキ属の落葉高木菩提樹(ボダイジュ)です。 この菩提樹は例年6月の上旬より香りの良い綺麗な花を咲かせます。
戒壇院にある菩提樹は奈良時代中期に来日した高僧鑑真和上が唐より請い受けて持ってきたといわれており、大宰府市指定の文化財となっています。
戒壇院から次へ進もうとしたら、木の上に「フクロウ」がいました。
白川橋の先の方に山上憶良が詠んだ「日本挽歌」があります。太宰の帥として赴任した大伴旅人の奥方が亡くなり、その心情を詠んだ歌です。
「妹が見し棟の花は散りぬべし わが泣く涙いまだ干なくに」(妻が生前に見たセンダンの花はもうすぐ散ろうとしている 私の泣く涙はいまだ乾かないというのに)
連歌屋とは、太宰府天満宮の連歌会所「連歌屋」があったことから地名としています。
今日のゴール太宰府天満宮へ
太宰府天満宮では、御祭神 菅原道真公(天神さま)に御縁の深い25という数に因み、25年毎に式年大祭を執り行い、御神威の甦りと天神信仰のさらなる発揚を繰り返してきました。
令和9年(2027)に、道真公が薨去(こうきょ)なされてから1,125年という大きな節目を迎えます。この節目となる式年大祭を前に、令和5年5月より約3年をかけ、124年ぶりに
重要文化財「御本殿」の大改修が行われています。
参拝を終え菖蒲園へ
園児が菖蒲の絵を書いていました。
今日のGPSです。
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