2015.9.12 新潟長岡市で行われた「第10回山古志・信濃川ウオーク」に参加しました。
初日は、山古志コース16kmです。
長岡駅からバスで山古志へ移動。約1時間で山古志に着きました。会場では、昔のSNSの仲間「とほ娘さんご夫妻」が迎えてくれました。ご夫妻は、東京から3時間半かけて車でこられたそうです。
とほ娘さんとは、5年前、東京国際3DMでお会いして以来の再会です。今は、ご夫妻と各地の大会に参加されているそうです。
今回、山古志ウオークを選んだのは、7~8年前、中越地震の実話「マリと子犬の物語」という映画を見て、山古志村(当時)の自然の素晴らしさに感動し、いつか機会があれば歩いてみたいと思ってました。
山古志は、平成16年10月23日に発生したM6,8の地震で被害を受けました。もうあれから11年です。山古志も復興し地震の爪痕もあまり見えなくなりました。
来賓で元山古志村村長で現衆議院議員長島清美氏の挨拶のあと、山古志小中学生が「山古志」の紹介をパネルを使って説明されていました。
この子たちの中には、あの地震の年に生まれた子もいます。
そのあと、山古志小中学生が皆で「幸せ運べるように」を歌っていただきました。
この分Youtubeで公開しています。
9:45希望の鐘の音と共にスタート。
山古志は19世紀ごろから錦鯉の養殖がおこなわれるようになりました。冬場の非常食用として休耕田に鯉を養殖したのが始まりだそうです。
養鯉場と棚田の風景は、素晴らしいです。
コースは、上り坂が続きます。汗が噴き出てきますが、空気も澄んでおり、本当に気持ちのいいウオーキングです。
こんな看板もありました。九州では、見れませんね。
遠くに越後三山(越後駒ヶ岳2003m、中ノ岳2085m、八海山1778m)が見えます。八海山というと、お酒の銘柄だと思ってましたが、山の名前だったのですね。
4km地点が、11k(ショートコース)と16k(ロングコース)の分岐点。16kコースは、ここから金倉山を目指します。
分岐点には、薬師堂があります。説明文を見てみると、「薬師堂」は、病気を治し安楽を与える医薬の仏「薬師如来」を祀っています。その昔、冬に峠を越えようとした人が
お堂で一晩過ごした夜、幼子を亡くした女性の幽霊が薬師如来を頼りに子供の蘇生を願って現れたと言われています。
薬師堂の横には、追分地蔵があります。(右ハ やまみち、左ハ こぐりやま)
5kmを過ぎました。スタートしてから約1時間です。ここからの光景も素晴らしいです。
やっとの思いで金倉山駐車場のチェックポイントに到着しました。時間は、11:10。ここで事前に頼んでいたお弁当を受け取りますが、まだお腹がすいていませんので、お接待で出された
豚汁をいただきます。この豚汁具だくさんで美味しいです。 山古志中学の生徒さんも登っていました。
折角ですので、金倉山山頂の展望台に行くことにしました。
ここからは、越後三山、信濃川が見渡せます。信濃川の右側には、天気がいい日には、佐渡島が見えるそうですが、今日は、少し霞んでおり見ることができませんでした。
金倉山を折り返すと急な下り坂です。まるで走るように下りて行きます。
走るように下ったのがいけなかったのか、私の持病の右ひざに痛みが走りました。新潟に来る前にお医者さんで注射を打ってきたのですが、この急な下り坂でまた痛みがぶり返しました。
途中で停まり、ポールを出して歩きますが、膝をかばうように歩いたのがいけなかったのか、今度は足にマメができてしまいました。
すぐ応急処置をしてまた歩き出します。途中、民家の方が糸瓜のお漬物を接待してくれました。美味しかったです。
小千谷というと、縮緬(ちりめん)ですね。水戸黄門で黄門様が自分のことを「越後の縮緬問屋の隠居 光右衛門」と言ってました。越後の縮緬というと、小千谷のことだったのかな
小千谷の縮緬は、市内中央部で作られているそうです。
歩いていると太いフトン篭で土止めしている棚田がありました。フトン篭の径は、8mmぐらいでしょうか?
岩間木という所から、国道291号線に合流します。交差点の角には、闘牛の牛がいました。見ていると強そうな牛です。相撲でいうと「白鵬」クラスかな?
12km地点に来ました。下り坂もこのあたりで終わり。また緩やかな登りに入ってきます。ふと、右側の木を見るとイチゴみたいな実がなっています。ヤマボウシの実かな?自信がありませんが・・・・・・。
変わりメダカというと、色がついているのかな・・・・・・・・
幸福市という産直店では、スイカの差し入れがありました。ちょうど汗をかき、水分を欲していたので有りがたかった。
幸福市は、竹澤小学校の跡で、竹澤小学校は、統合し「山古志小学校」になっています。
幸福市の所には、天皇皇后両陛下の碑が建っています。平成16年の中越地震の時、両陛下が山古志村にお見舞いに来ていただきました。
その時、天皇陛下は、「地震により 谷間の棚田 荒れにしを 痛みつつ見る 山古志の里」という歌をお詠まれました。
あれから11年、山古志は、住民、官と一体になり、見事復旧されました。
13:55 膝の痛みに耐えながらようやくゴールしました。ゴールでは、先にゴールされたとほ娘さんご夫妻からお迎えしていただきました。
とほ娘ご夫妻とは、ここでお別れし、私たちは、接待の豚汁とチェックポイントでもらったお弁当をいただきました。
お弁当は、山古志の食材で作られていました。お米もおかずもすべて美味しかったです。サービスでいただいたキュウリとナスの浅漬けもおいしくてついついお代わりをしてしまいました。
お弁当も食べ落ち着いたところで山古志支所横にある山古志復興館「おらたる」に行きました。あいにく外壁工事中の為足場がかかっていましたが、内部は見ることができます。
「おらたる」は、私達という意味でしょうか、甚大な被害を被ってなお、それを乗り越えて復旧・復興へと歩みを続けている山古志を、写真や映像、プロジェクションマッピングなどで紹介しています。
また、里山の魅力へと誘うフィールドミュージアムの拠点としての機能も合わせ持っているそうです。
映画「マリと子犬の物語」のパンフもありました。 マリは、現在15歳でまだ生きているそうです。また、「おらたる」の職員の方がマリの子供を飼っているそうです。
その子供も今は、11歳になったそうです。
今回の山古志ウオークは、日本でも有数の高低差があるコースということを聞いていましたが、GPSをみるとかなり登って下っています。
9/12山古志ウオークのGPS
高低差と速度(600m近く上っています)
10月23日の大地震の日、私は函館の旅館に居て、急ぎ会津に帰りました。
膝の痛みは大丈夫ですか?しばらく無理をなさらないで治してください。
中越地震からもう11年も経つのですね。
あの時、山古志村の被害が凄かったですね。
あれから復興が急ピッチで行われてずいぶん活気が出てきたように感じられました。
金倉山からは、越後三山を見ることが出来ました。
八海山は、鮭の名前と思っていましたが、山の名前だったのですね。初めて知りました。
山古志ウオークは、上りはなんとか耐えましたが、下りがきつく、膝を痛めてしまいました。
膝をかばって歩いていると、足にマメができてしまいました。
高低差が日本でも有数の大会と聞いていましたが、こんなに高低差があるとは思いませんでした。
然し、山古志の風景は、日本の原風景みたいでとても気持ちのいいウオーキングでした。
映画、私も見ました~。
泣けて泣けて~~、でも皆がとにかく全員避難できたのは
素晴らしいことです。
牛もちゃんと、避難させたと聞きました。
思いがけず、山古志村のことを拝見できて嬉しかったです。
2008年、小3の子ウオーカーも同じコース(当時は逆回りでしたが)を歩いています。
信濃川を見下ろしながら金倉山駐車場で食べた豚汁と(当時はお弁当ではなくおにぎり2個とお新香)が本当においしかったこと
だけど、子ウオーカーにはさすがにきつかった。。。
今でも、一番きつかったウオーキングだったと言います。
逆周りですから、東山郵便局過ぎからずっと登り。
登って登って登って、KKMLに挑戦していたものですから、分岐から当時はIVV9km認定だったショートコースへの変更もためらい、分岐を過ぎてから金倉山までの登りはひとつカーブを折り返すごとに小休止・・・
とても懐かしく、コメントを書かせていただきました。
今年も全国各地、お二人で歩かれることでしょう。
ブログ楽しみにしています。
山古志ウオークは、きつかったです。
金倉山からの下りは、急で走るように下りてきましたら、膝の筋を痛めました。(今でもチクリチクリと痛む時があります)今まで参加した大会でも3本の指に入るくらいのしんどいコースでした。
昨年秋には、はなまりんご夫妻と裏磐梯の紅葉を楽しみました。素晴らしかったです。