よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

第24回城下町小田原ツーデーマーチ1日目「石垣山一夜城と箱根湯元温泉街」(神奈川県小田原市)

2024-11-22 06:19:45 | ウォーキング

11/16(土)6年ぶりに「城下町小田原ツーデーマーチ」に参加しました。久しぶりの遠征です。

この大会2012年に初参加し、2018年20回大会で2回目 そして今回3回目の参加です。

本来は2日間の参加を予定していましたが、11/18~11/23まで地元のウォーキングのイベントがありますので1日だけの参加です。

 

集合場所は、小田原城城址公園銅(あか)門広場。皆さんに分かるようにトレードマークの「風車の弥七」でスタート待っていると懐かしい歩友さんの面々が・・・・

地元の協会の役を引き受けていますのでなかなか遠方には出られませんので歩友の皆さんとは久しぶりの再会です。

今日の石垣山一夜城と湯元温泉街のマップ

9:00 北条手作り甲冑隊の「檄」でスタート。JWA畑会長も甲冑隊の衣装で挨拶。

 

 

銅門の所では、「北条太鼓」の勇ましい太鼓の音で応援されています。

 

銅門を潜ると、スタート印を押してもらいます。

 

小田原城を後に、石垣山一夜城へ向かいます。

 

 

 

早川観音を過ぎるといよいよ「石垣山一夜城」に向かう長い(約2km)坂道です。

 

12年前初参加の時は、この坂道そんなに「苦」とは思いませんでしたが、やはり歳のせいか、ペースが落ち、もう休み休み登っていきます。

途中には、この石垣山合戦に参加した武将の紹介看板があります。

昔の人は、この坂なんともなかったのだろうか????

 

 

スタートしてから約1時間半で「石垣山一夜城跡」に着きました。ここがチェックポイントです。

 

石垣山は、本来「笠懸山」と呼ばれていましたが、天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏を水陸15万の大群を率いて包囲し、その本陣として総石垣の城を築いたことから「石垣山」と

呼ばれるようになりました。

この城が、世に石垣山一夜城または太閤一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城中の将兵が驚き士気を失ったためと言われています。しかし、実際にはのべ4万人が動員され、天正18年4月から6月まで約80日間が費やされました。

秀吉は、この城に淀君ら側室や千利休、能役者を呼び茶会を開いたり、天皇の勅使を迎えたりしました。

この城は、関東で最初に造られた総石垣の城で、石積みは近江の穴太衆による野面積みといい、長期戦に備えた本格的な総構えであったといわれ、度重なる大地震にも耐え、今日まで当時の面影が大変よく残されており、平成29年4月6日に日本城郭協会より「続日本100名城」に選定されました。

この地は国立公園区域及び国指定史跡に指定されています。

 

一夜城を過ぎてもまだ坂道が続きます。

 

一夜城から310m地点でやっと下り坂です。

 

 

このあたり「早川石丁場群関白沢志支郡」と称しています。

早川石丁場群は、早川へと注ぐ関白沢の東側を中心とする地域にあり、江戸城の石垣を造るための石を切り出した「石丁場」の跡が残っています。江戸城の築城に際しては、神奈川県西部から

伊豆半島を中心とする地域に所在する箱根火山により生成された安山岩という石材が多数使用されました。各大名家は、自らが命じられた江戸城の石垣普請用の石材を入手するため、各地で石丁場の確保に努めました。
市内では、久野や石橋などにも大名家が確保した石であることを示すために記した刻書を確認することができます。
早川の石丁場は、石垣用の石材の中でも「角石」と呼ばれる石垣の角の部分に使われる大きな石を専用に採取した特別な石丁場であり、御三家(尾張・紀伊・水戸)などの大名家の関与が想定されます。ここで切り出された石は、早川を下り相模湾から海路、遠く江戸まで運ばれました。現在、早川などに残る石は、何らかの理由で江戸城まで運ばれなかった石と言うことができますが、

今でも「矢穴」と呼ぶ、石を割る際に掘られた穴や刻印が確認され、往時を偲ぶことができます。(小田原市HPより)

 

 

案内板には、「石曵道(いしびきみち)から早川の河口に運んで「石船」で江戸城まで運んだと記されていますが、当時はクレーン等がなくどのような手段で河口まで運んだのでしょうか?

丸太を使って転がしていったのかな????

 

地球博物館が見えてきました。ここで休憩します。 

休憩後再スタート。

 

小田急の線路を渡ると速いウォーカーとすれ違います。この後のルートは、湯本駅の先の「石畳」を折返します。

 

箱根町に入りました。

ここは、6年前東海道(京都~日本橋)を歩いた時に通っています。

今日は、紅葉見学でしょうか、車の渋滞が続いています。

 

久しぶりの長距離でまた、石垣山の山登りで疲労困憊の状態です。

マップをみるとアジサイ橋からチェックポイントの箱根町庁舎に抜けれます。ショートカットしてみました。

 

2回目のチェックポイントは、箱根町庁舎です。

 

チェックポイントから三枚橋に向かいます。ここも東海道を歩いた時に通りました。

 

鈴廣かまぼこの里で休憩。

お正月の箱根駅伝では、鈴廣の前が中継点です。

 

 

今日は、ウォーキング参加者には、店内で10%引きですが、観光客などで溢れ、買ってもレジまで約30分かかるそうです。

鈴廣かまぼこは、小田原駅前にもありますのでそちらで買うことにします。

 

 

松永記念館、ここは5kmコースのチェックポイントです。

松永記念館は、戦前・戦後と通じて「電力王」と呼ばれた実業家であり、数寄茶人としても高名であった松永安左ヱ門(耳庵)が、昭和21年に小田原へ居住してから収集した古美術品を一般公開するために、昭和34年に財団法人を創立して自宅の敷地内に建設した施設です。昭和54年に財団が解散し、その敷地と建物が小田原市に寄付されました。(小田原市HPより)

松永安左ヱ門は、九州電力の前身の東邦電力を設立した人で九州の電気事業に大きく貢献した方です。

 

 

三淵邸・甘柑荘

三淵邸・甘柑荘は、板橋地区に所在する歴史的建造物で、初代最高裁判所長官・三淵忠彦が昭和初期に建て、晩年を過ごしました。
NHK連続テレビ小説『虎に翼』ヒロインのモデルとなった三淵嘉子は、忠彦の長男・乾太郎(けんたろう)と再婚した後、この邸宅を別荘として愛用していました。
建物は、茶室を備えた数寄屋建築で、忠彦の意向で玄関と床の間を排するなど、簡単で清楚に作られています。
板橋地区の歴史的風致を構成する優れた意匠が認められることから、令和6年(2024年)5月に本市の歴史的風致形成建造物に指定されました。

 

小田原には薄皮で餡子たっぷりな「あんぱん」があります。ここは、柳屋ベーカリー、駅前には守屋パンがあります。

買ってみたかったのですが、この時間売り切れでした。

 

ゴールの小田原城が見えてきました。

 

13:50 ゴールしました。

 

今日のGPSです。

久しぶりの長距離ウォークでしたので疲れました。

2日目は、地元のウォークの行事がありますのでパスします。

長文をお許しください。

 

 


楽しいウォーク「香椎かもめ大橋を渡り千早へウォーク」(福岡市東区)

2024-11-15 05:09:21 | ふくおかウォーキング協会

11/13(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「香椎かもめ大橋を渡り千早へウォーク」でした。

集合場所は、JR箱崎駅。参加者は、交通の便が良いからか、36人でした。会員の中には、風邪をひかれている方も何人かおられ、その方々が参加されれば40人は超えてたかも?

今日のマップ

 

9:45箱崎駅スタート   九大跡地を通ります。

 

九大跡地は、現在大規模な開発が行われています。JRも新駅を作るそうです。

10年後には、このあたりの光景も変わっているかもしれません。

地下鉄箱崎線の終点は、貝塚駅です。ここから西鉄新宮線に乗り換えられます。一時期地下鉄と西鉄の総合乗り入れという話がありましたが、地下鉄の車両は6両、西鉄は2両、

総合乗り入れする場合は、西鉄沿線のホームの拡張をしなくてはいけません。それがネックになっています。

 

貝塚公園で休憩。70年前には、ここに「福岡競輪場」がありました。市内電車の終点も「貝塚」ではなく「競輪場前」だったと記憶しています。

 

グリーンパーク臨海で休憩

 

休憩後再スタート。 香椎かもめ大橋を通ります。

香椎かもめ大橋は箱崎ふ頭4丁目から香椎浜3丁目までの789mのブリッジです。福岡市内では一番最長です。

このあたり埋め立て地で海に近いこともあり倉庫会社が建ち並んでいます。

 

鳥がエサを見つけたのでしょうか、大群です。

渡り終えると「みなと百年公園」です。

 

みなと百年公園から城浜団地の中を通ります。

 

 

11:57 千早駅にゴールしました。

今日のGPSです。

 

 

 


サタデーウォーク「鎮国寺と宗像大社の西日本菊花大会を訪ねて」(福岡県宗像市)

2024-11-12 05:20:41 | ふくおかウォーキング協会

11/9(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは、「鎮国寺と宗像大社の西日本菊花大会を訪ねて」でした。

集合場所は、JR東郷駅。この日は、加古川・河口湖・高知龍馬など各地でウォーキング大会が開催され、当協会会員の何人かもそれに参加され、参加者はいつもに比べ19人と少ない。

今日のマップ

 

9:40スタート

 

 

約1時間で宗像大社に到着。

 

日本神話に登場する日本最古の神社のひとつ「宗像大社」。天照大神の三柱の娘・三女神が沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮、本土の辺津宮にそれぞれ祀られ、この三宮を総称して

「宗像大社」といいます。三宮の総社である「辺津宮」は市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)が祀られており、本殿と拝殿は国指定の重要文化財。皇室・国家を守護する神、また道の神様として

信仰が篤く、航海安全、交通安全を祈願する参拝者がたくさん訪れます。
境内にある「神宝館」には沖ノ島から出土された鏡、勾玉、金製指輪など国宝に指定された約8万点の神宝を中心に、宗像大社に伝承されてきた重要文化財などを収蔵・展示。

1階は大社に伝わる美術工芸品、2階は沖ノ島の祭祀神宝、3階は宗像文書と郷土資料を展示しています。(クロスロードふくおかより引用)

境内には、宗像みあれ芸術祭のわらアートがあります。タイトルは「宗像の海 わらのくじら」です。

その昔、北部九州は、捕鯨が盛んで人々は、クジラと共に暮らしていたことに着想を得たそうです。

中で寝れそうですね。(笑)

 

また、境内では、西日本最大級を誇る西日本菊花展が行われています。

 

 

 

 

 

 

 

 

心字池には、まるで鶴がいるようなアートがあります。

  

宗像大社から「鎮国寺(ちんこくじ)」に向かいます。鎮国寺の長い階段が堪えます。

 

鎮国寺は弘法大師(空海)が中国より帰朝した大同元年(806年)、日本で最初に創建したと伝えられる真言宗最古のお寺です。七堂伽藍を構えて宗像大社の神宮寺として栄えてきました。

寺には、弘法大師の作と伝えられる「不動明王立像」(国指定重要文化財)、五仏堂(県指定文化財)、護摩堂などがあります。また鎮国寺は「花と祈願の寺」と言われるほど年間を通じて

美しい花々を楽しめる名所としても大変有名で、梅・桜などが楽しめる春には毎年盛大に「花まつり」が行われています。

鎮国寺の紅葉は、少し紅くなったぐらいです。2月には、境内に梅や早咲きの桜が咲きそれはそれは、綺麗です。

 

鎮国寺というと「鎮国饅頭」です。お土産に一つ買いました。

 

鎮国寺からは下りです。

 

釣川沿いに歩き、今日のゴール「道の駅むなかた」を目指します。

 

 

11:50 道の駅むなかたにゴールしました。今日は土曜日ということで道の駅は他県ナンバーなどで混雑していました。

 

道の駅むなかたから12:11のバスで東郷駅に向かい、帰路につきました。(土日祭は、この12:11発のバスが最終便です)

 

 

 

 


やさしいウォーク「元寇防塁と生の松原森林公園を歩こう」(福岡市西区)

2024-11-10 07:32:46 | ふくおかウォーキング協会

11/7(木)ふくおかウォーキング協会やさしいウォークは「元寇防塁と生の松原森林公園を歩こう」でした。

元寇(げんこう)は、日本の鎌倉時代中期の1274年・1281年に、モンゴル帝国(元朝)および属国の高麗によって2度にわたり行われた対日本侵攻です。蒙古襲来とも呼ばれます。1度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、2度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)といいます。

注)「元寇」の「元」は、モンゴル、「寇」は、外敵という意味で「寇」(あだす)つまり侵略者を名詞に表した。(wikipediaより)

今年は、文永の役(1274年)から750年です。「元寇」に所縁のある松浦市・壱岐市・対馬市・福岡市では、「元寇750年スタンプラリー」のイベントが行われています。

「元寇750年」縁の4市で開催!スタンプラリー

蒙古の襲来を受けた鎌倉幕府は、建治2年(1276)に博多湾の海岸線に石築地(いしついじ)を築いて再度の来襲に備えることにしました。これを元寇防塁(げんこうぼうるい)と呼びます。
元寇防塁は、幅2m、高さ2mの石積みで西の今津から東の香椎浜までの約20kmにわたって築かれました。

福岡市内では、まだ防塁跡が残っています。今津や生の松原などがそうです。

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集合場所は、JR下山門駅近くの宇賀公園、参加者28名。今日のリーダーは、姪浜在住のY氏。今日はやさしいウォークですので距離は約7km。

今日のマップ

9:30 スタート

 

十郎川から今津湾の海岸線へ

 

 

生の松原の「元寇防塁」は姪浜側が肥前国(佐賀)、生の松原側が肥後国(熊本)によって築造されました。

『蒙古襲来絵詞』に、肥後の御家人竹崎季長が防塁の前を馬上で進む場面は、この生の松原の情景です。

 

 

元寇防塁跡から生の松原に入ります。

 

市道千代今宿線から斜ヶ浦(ななめがうら)池に進みます。斜ヶ浦池で休憩

 

休憩後再スタート

 

 

 

11:23 姪浜駅にゴール

 

 

 

 


楽しいウォーク「唐津藩と虹ノ松原(田園と松原)を歩く」(佐賀県唐津市)

2024-11-09 06:00:45 | ふくおかウォーキング協会

唐津では、11/2~11/4まで「唐津くんち」が行われました。

「唐津くんち」とは唐津神社の秋季例大祭(しゅうきれいたいさい)の事をいいます。くんちとは「供日(くにち)」が九州の方言で訛ったものとも言われ、九州北部地方では秋祭りの事を「くんち」と呼ぶ地域が多くあります。お供えの日と書くことから、秋の実りを神様にお供えして五穀豊穣に感謝するお祭りであることがわかります。(諸説あります)
 唐津くんちの御神輿の渡御は江戸時代の寛文年間(1661~1673)頃に始まったと伝えられております。曳山は御神輿にお供して神様を警護する目的で造られました。現在伝わる曳山が誕生したのは氏子町の一つである刀町が赤獅子を文政2年(1819)に唐津神社へ奉納したのが始まりで、それ以後明治9年まで57年の間に15台の曳山が製作され、その内一台が明治中期に損滅し、

現在14台が現存しています。
製作には3年前後を費やしたと言われ、木組み・粘土で原形をつくりその上から和紙を数百回張り重ね、麻布を張り、漆を塗り重ね、金銀を施して仕上げたものです。

1台あたりの重さは2~4トンあり、1台あたり曳き子200~400人で曳いています。曳山は昭和33年に佐賀県の重要有形民俗文化財に指定され、唐津くんちの曳山行事として昭和55年に

国指定重要無形民俗文化財に指定されています。(唐津神社HPより引用)   ※下記写真は、唐津神社HPより借用

 

今年の唐津くんちは、3日間で約64万人の方が訪れたそうです。

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11/6(水)  ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、唐津くんちが終わったばかりの唐津市を訪ね「唐津藩と虹ノ松原(田園と松原)を歩く」でした。

今日は、朝の最低気温が15度で風もあり少し寒いです。

集合場所は、JR浜崎駅。参加者は21人。

今日のリーダーは、唐津在住のS氏。

今日のマップ

9:40 浜崎駅スタート

 

浜崎は、以前「唐津虹ノ松原ツーデーウォーク」で歩きました。今年は12月に唐津市相知町で行われます。

 

浜崎諏訪神社の前は、旧唐津街道です。

 

旧唐津街道から田園地帯に入ります。今は稲刈りが終わっている田んぼですが、春先には一面菜の花が咲きます。

おさかな村でトイレ休憩

 

休憩後再スタート。田園地帯を通り、虹ノ松原に向かいます。

 

虹ノ松原から海岸へ。

今日は風が強く海も荒れ気味です。遠くには唐津城が見えます。

 

海岸から再び松原へ

 

虹ノ松原ホテルで休憩。この虹ノ松原付近には、リゾートホテルが建立しています。

 

さかもと食堂は、今年8月将棋の王位戦で「海鮮丼」が昼食に出されました。

 

舞鶴橋を渡ります。

 

唐津城は、初代城主の寺沢志摩守広高は、名護屋城普請や朝鮮進攻において、兵力輸送や食糧補給などの任務を担いました。秀吉からの信頼も厚く、広高は岸岳城主波多三河守

(はたみかわのかみ)の領地を与えられました。また、唐津城築城にあたり、広高は松浦川と神田川の河口部分の大改修を行い、海と河口に囲まれた要害堅固な海域(平山城)として

名護屋城の建材や薩摩藩・肥後藩を中心とした九州各藩の協力や穴太衆(あのうしゅう 滋賀県大津市坂本穴太)の石工技術を持って7カ年の歳月を費やして完成させました

歴代藩主

唐津城の歴史|【公式】唐津城

 

唐津城の近くには、「早稲田佐賀中・高校」があります。早稲田の創立者「大隈重信」は、佐賀の出身です。

 

旧高取邸は、杵島炭鉱などの炭鉱主として知られる高取伊好(たかとりこれよし)の邸宅です。唐津城本丸の西南の海岸沿い、約2,300坪の広大な敷地に大きく2棟の建物が建っています。
平成6年から平成7年にかけて行われた国の近代和風建築総合調査でその重要性が確認され、平成10年12月に国の重要文化財の指定を受けました。

この邸宅は、伊好が自宅兼迎賓(げいひん)のために明治38年(1905年)に建てたものです。大広間棟にある板敷きの能舞台、植物の浮き彫りや型抜きの動物を施した(ほどこした)欄間(らんま)、杉板戸の絵など和風を基調としながらも洋館を設けるなど当時の最新の優れた意匠を見ることができ、近代和風建築のすばらしさが堪能できます。

特に藤、山桜、垂れ桜、菊、松、紅葉が描かれた29種類72枚の杉戸絵は京都四条派の絵師:水野香圃(みずのこうほ)が約半年くらい滞在して描いたと言われています。

自然の豊かさがいっぱいです。

来賓用の玄関と主人用、家族用と3つもある玄関があります。風呂も、家族用と使用人用と別々にありました。外にはワインセラーの建物もあり、当時の豪商の凄さを伺うことができます。

平成13年から17年度にかけて文化庁の指導のもと修復・復原工事を行い、建築規模が最大になった昭和初期の状態に復元しました。(唐津市HPより引用)

旧大島邸は、唐津の近代化に尽力した大島小太郎(おおしまこたろう)の旧宅です。大島小太郎(1859~1947年)は、唐津藩士大島興義(おおしまおきよし)の長男として唐津城内に生まれました。

唐津藩の英語学校耐恒寮(たいこうりょう)において、東京駅を設計した辰野金吾(たつのきんご)や同じく著名な建築家である曽禰達蔵(そねたつぞう)らとともに、後の蔵相、首相を務めた高橋是清(たかはしこれきよ)の薫陶を受け、明治18年には佐賀銀行の前身となる唐津銀行を創立。その後も鉄道や道路の敷設、市街地の電化、唐津港の整備など、唐津の近代化に大きく貢献しました。

本邸はかつて、ここから300mほど西側の地点に建っていましたが、小学校校舎の建設に伴い解体され、現在の地に復元されました。母屋の完成は明治26年(1893)と考えられており、

明治時代中期の大規模かつ極めて上質な住宅で、当時の和風住宅の庭をともなう建物構成や意匠の優秀さ、特徴をよく示している建物といえます。(旧大島邸HPより引用)

 

唐津神社は、其の昔、神功皇后さまが三韓へ御渡海の折、舟路が不明のため、住吉の三神に祈願され無事目的を達成せられて、御帰還の際、松浦の海浜に 鏡を捧げておいのりされたのが起源と

されています。
その後数百年も経って、その社殿さえわからなくなっていたとき、時の領主神田宗次公に、或夜神が夢枕に立たれ「海浜に至り、波の上に宝鏡のあるをとりて祈れ」というお告げをいただき、

早速海浜に至れば波間に一つの箱があり、これ開けば正に宝鏡であった。
宗次公はこれ正しく、昔神功皇后が捧げられし宝鏡ならんと、その神威を畏こみ、このことを時の帝孝謙天皇に奏聞せられたところ朝廷におかれてはその神威を感じ給い詔命を降して

「唐津大明神」と賜ったのであります。
その後幾星霜を経て文治二年その子孫神田広に至り社殿を再建して、祖先宗次公の功を追慕し、その神霊を合祀して二ノ宮としました。
慶長七年寺沢公が築城に際しては領内の守護神として崇敬し、その後大久保、松平、土井、水野、小笠原の各藩主も祈願所と定め、総氏神として崇敬の誠を捧げました。(唐津神社HPより引用)

冒頭に述べました「唐津くんち」は、唐津神社の秋季例大祭です。

 

唐津市役所を通りゴールの唐津駅へ。

 

 

12:37唐津駅にゴールしました。

今日のウォーキングは、リーダーのSさんによる随所の詳しい説明で知らない唐津の事がわかりました。

最近、当ウォーキング協会のウォーキング教室も各リーダーの方が事前に勉強され、そのコースの見どころなどを説明されています。

ウォーキングは「五感」(視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚)をフル活用して脳を活性化し、ストレスを軽減する効果があるといわれています。

やはりウォーキングは、いいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


第68回元気!スマイルウォークin筑後(福岡県筑後市)

2024-11-04 15:55:58 | ウォーキング

11/3(日)

前日は季節外れの大雨で福岡地方約250mmの雨が降りました。その雨も前日の夕方には止み、今日は朝から秋晴れです。

NPO法人福岡県ウォーキング協会主催「元気!スマイルウォークin筑後」に参加しました。今回の担当は「ちくご歩こう会」です。

福岡県ウォーキング協会に所属する6団体+教職員互助会の会員さんが参加します。

会場は、県営筑後広域公園ステージ前。

この公園「筑後船小屋駅」を中心に東西約4kmの公園で総面積は、192,6ヘクタールもあり、福岡市にある大濠公園の約5倍の広さです。

車のナビは、ソフトバンクホークスの2軍球場の方を指していますが、ステージがどこにもありません。10分ぐらい徘徊しますがわかりません。

サッカーの応援に来ている父兄に聞いてみると、「恋ぼたる」の方だとか・・・・・

恋ぼたるの方に行くとやっと見つかりました。できれば会場入り口や駅に案内人を配置し参加者を誘導して欲しかった・・・・

案内人がいなかったら旗か看板を立てるとか何かの策を講じてほしかった。地元の人はわかるかもしれませんが、遠方から来る人にはわかりません。

この日は、3連休の中日でいつもの大会よりも参加者が少なめ、目視でだいたい60~70名ぐらいかな??? 当ふくおかウォーキング協会からは、16名の参加。

 

 

 

10:00 ウォーキングスタート

 

 

途中、公園内に「筑紫石人像」があります。

筑後地区には、古来から多くの古墳がありました。筑紫石人は、八女古墳群に特徴的な造形である石人に因んで造られました。

 

筑後船小屋駅の高架を通り、瀬高町の方に向かいます。駅のすぐ近くには、ソフトバンクホークス二軍球場(タマスタ)があります。

今年もこの二軍球場からたくさんの選手が一軍に合流しました。彼らの力があったからこそパリーグで優勝できたのではないでしょうか。

 

コースは、熊野神社へ。熊野神社というより「中山の大藤」の方が有名です。

 

 

昨年4月20日ごろこの「中山の大藤」を見に行った時の写真です。

 

中山の大藤から先に進みます。矢部川沿いに歩きます。

 

再び公園内に入ります。

 

コース上に紅のそばの花が咲いています。

 

行くときは遠くに見えていた「筑紫石人」です。BMXは、自転車の競技の練習場です。

 

 

船小屋鉱泉場です。

船小屋鉱泉井戸は文政7年(1824年)に掘られました。
そして、この温泉の炭酸の効能の噂が筑後一円に広がり、需要が多くなったことから明治時代に大規模な掘削工事を行いました。
その工事で3名の方が無くなり、鉱泉所内の薬師堂に3体の御薬師様が祭られています。

鉱泉場内では、蛇口を捻ると鉄分の苦味のあるシュワシュワの炭酸泉を無料で楽しむことが出来ます。(温泉の杜より引用)

 

 

 

12:3010kmコースゴールしました。

 

今日のGPSです。

ゴール後、すぐ近くの船小屋温泉「恋ぼたる」に行き、汗を流しました。

 


楽しいウォーク「太宰府のコスモス畑をダブルウォーク」(福岡県太宰府市)

2024-10-25 20:28:42 | ふくおかウォーキング協会

10/23(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは「太宰府のコスモス畑をダブルウォーク」でした。

太宰府の観世音寺コスモス畑と水城跡コスモス畑を廻るコースです。

集合場所は、西鉄五条駅。参加者は33人でした。

今日のマップ

 

9:30 スタート

 

一つ目のコスモス畑は、観世音寺の裏手にあります。

今月に入り何回かコスモスの観賞ウォークを行いましたが、やっと満開のコスモスに出会うことができました。

 

 

 

太宰府学校院跡の所には、「子等を思ふ歌」の歌碑が建っています。山上憶良が筑紫国守として国内を巡行し(728)嘉麻郡で選定した歌の一部です。

 

日菅寺

 

令和の里「坂本八幡宮」に来ました。平安時代この坂本八幡宮近くで梅花の宴が行われました。

梅花の宴とは、『万葉集』におさめられている梅花の歌三十二首が詠まれた宴の席で、この歌の序文から元号「令和」は名づけられました。
梅花の宴は、当時の大宰府の長官であった大伴旅人が自らの邸宅の庭で開催したもので、大宰府や九州諸国の役人など招かれた客人とともに、庭に咲く梅の花を題材に歌を詠み比べました。

当時、梅は中国から渡来した高貴な花でした。

 

 

 

太宰府市文化ふれあい館で休憩

 

休憩後再スタート

水城跡に来ました。

 

水城跡の反対側に水城のコスモス畑があります。

水城跡は、7世紀に国土防衛のために造られた古代の城壁です。全長1.2キロメートル・高さ10メートルの長大な土塁と、博多側・太宰府側の両方に幅50メートル以上の濠がありました。

もともと濠には水が張られていましたが、長い時代のなかで、いまでは農地や宅地になっています。
かつての水城の広大さを感じられるよう、濠として水が張られていた場所の一部に、春は菜の花、秋はコスモスを植えています。種まきは市内の農家団体「太宰府市農業生産組織組合」や

市民ボランティアが行っています。(太宰府市文化財情報より)

 

 

 

  

見事なコスモスでした。

コースは、水城から下大利(しもおおり)へ

 

西鉄下大利で仮ゴール。西鉄電車で帰られる方はここでお別れです。

下大利駅には、ハロウィンのステージが設けられていました。

11:23 JR水城駅にゴールしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


楽しいウォーク「やよいの風公園コスモス観賞ウォーク」(福岡市西区)

2024-10-21 18:34:58 | ふくおかウォーキング協会

10/16(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「やよいの風公園コスモス観賞ウォーク」でした。

彼岸花の時もそうでしたが、今年はコスモスも開花が遅れているみたいです。

集合場所は、地下鉄次郎丸から200mぐらい入った「埴安(はにやす)神社」 参加者30名。

今日のマップ

 

9:30スタート

 

田村中央公園で休憩

 

休憩後再スタート。貞島川を渡る

 

まだねむの花が咲いていた。ここから緩い坂道になります。

 

道路の横には、コスモスが満開です。やよいの風公園も期待できそうですね。

 

室見が丘中央公園で二回目の休憩。公園の木々も少し紅くなり始めました。

 

高台の公園からは、福岡タワー・みずほペイペイドームが見えます。

 

かなたけの里公園を通過します。先日歩いた飯盛神社の流鏑馬の看板が建っています。今年は元寇750年にあたるためモンゴルとの流鏑馬の競演があるそうです。

 

吉武やよいの風公園に着きました。やよいの風公園は、吉武高木遺跡の跡に2017年4月にオープンしました。

吉武高木(よしたけたかぎ)遺跡は、今から2,200~2,000年前の弥生時代の遺跡です。「三種の神器」をイメージさせる鏡・玉・剣を副葬した「最古の王墓」など数々の重要な発見があり、
弥生時代における国の始まりを知るうえで重要な遺跡として平成5(1993)年には国指定史跡となりました。
史跡地を市民の皆さまが見学できるよう整備し、遺跡に親しんで頂けるよう、この度「やよいの風公園」としてグランドオープンします。
「やよいの風公園」には、「特定集団墓」「甕棺ロード」「大型建物」などの展示・解説コーナーのほか、イベントなどにも活用できる芝生広場・多目的広場があります。

 

ここでみんなで記念写真を撮ります。

 

さて、肝心のコスモスですが、全体の2~3分咲きです。

 

コスモスはまだ蕾が多く見頃はあと10日ぐらいかな・・・・・残念です。今年は彼岸花も遅かったけどコスモスもかな????

11月初旬には、やよいの風公園コスモスまつりが行われるそうです。

 

やよいの風公園からゴールの地下鉄橋本駅へ向かいます。

12:00 橋本駅にゴールしました。

 

今日のGPSです。

 

 

 

 

 


10月例会「秋の室見川河畔を歩く」(福岡市西区)

2024-10-15 17:43:30 | ふくおかウォーキング協会

10/5(土)ふくおかウォーキング協会10月例会は、「秋の室見川河畔を歩く」でした。

集合場所は、地下鉄橋本駅。参加者は33人。9:30スタート。

 

今日のコースは、橋本駅スタートし、飯盛神社~西部運動公園~室見川河川道~地下鉄室見駅ゴールの約10km。

今日のマップ

 

飯盛神社へ向かいます。

 

青柳種信は、福岡藩の国学者。先祖は飯盛神社の神官です。

 

飯盛神社は、遠くから眺めると、きれいなおむすび形をした飯盛山の麓にあります。
創建は貞観元年(859年)とされ、古くから旧早良郡の飯盛(いいもり)、吉武(よしたけ)、金武(かなたけ)、戸切(とぎれ)、田村、四箇、羽根戸(はねど)、野方の総社として郡司らの

厚い崇敬を受け、繁栄していました。
社殿は南北朝の戦乱で焼失し、現在の本殿は江戸時代中後期の天明6年(1786)に大改修されたもので、市指定有形文化財です。この他にも南北朝時代の「石造狛犬」(県指定有形文化財)、

「飯盛神社文書」(市指定有形文化財)があります。
また、農作の豊凶を占う2月14日から3月1日にかけての「かゆ占」(県指定無形民俗文化財)、武家社会の勇壮華麗な行事として継承される10月9日の「流鏑馬行事」(市指定無形民俗文化財)は

広く知られています。御祭神は、東王子、天照皇大神主神、 伊弉册大神(いざなみおおかみ)西王子、月読大神

 

飯盛神社から西部運動公園に向かいます。銀杏も少し黄色くなりつつあります。

 

西部運動公園で休憩し、再スタート

室見川河畔を歩きます。

 

河畔を歩いていると面白い看板がありました。

お年寄りの方が、カンナを植え、それを管理されています。

  

大きな木のもとにカメラマンの方がいます。多分、カワセミを映しているのでしょう。

 

室見川下流を歩きます。河口に近い所には、クロダイが泳いでいます。この辺りは、汽水になっています。河口では、アサリも獲れます。

 

12:10 地下鉄室見駅にゴールしました。

 

 

 

 

 

 


ひらどツーデーウォーク1日目「鄭成功生誕400周年記念コース」11km(長崎県平戸市)

2024-10-15 07:12:02 | ウォーキング

10/12(土)ひらどツーデーウォークに参加しました。

今回は、1日だけの参加。

朝6:00に福岡の自宅を出発し、途中朝食を食べ、平戸の会場に着いたのは、9:00。だいたい2時間ぐらいで到着しました。

会場に着くと22kmの出発式が行われていました。

 

11kmコースは、平戸文化センターをスタートし、川内(かわうち)峠を経由して川内港の鄭成功(ていせいこう)記念館までの約11km。

鄭成功記念館からは、バスで平戸文化センターまでマイクロバスで送ってもらいます。

このコースは、今年、鄭成功生誕400年を記念したコースです。

 

9:40 フライングスタート。 

 

市街地を抜けると緩やかな上り坂が続きます。

 

2km地点でFB友達の北九州のNさんご夫妻に追いつきました。

 

約3km地点が給水所

 

少し休憩し再スタート

 

10:45 川内峠に到着

川内峠は、何年か前、オルレ平戸コース(現在このコースは廃止)で歩きました。

 

ここがチェックポイントです。

 

川内峠は、西海国立公園に属し、標高200mに広がる約30haの草原で、頂上からは、絶好のパノラマで九十九島・西九州・壱岐・対馬の島々が見ることができます。

また、秋には、一面ススキの光景が見ることができます。

頂上には、歌人「吉井勇」の歌碑があります。「山きよく 海うるわしとたたえつつ 旅人われや 平戸よくみむ」

 

川内峠の写真です。

 

 

 

 

 

 

ススキが本当にきれいでした。2月には、野焼きが行われるそうです。

 

川内峠から一般道に戻ります。ここから下りになります。

 

 

 

川内港が見えてきました。

川内港は、17世紀初頭のイギリス・オランダなどの海外貿易時代は平戸港の副港として栄え、多くの外国船が帆を休めました。

川内というと、「川内かまぼこ」です。港内には、かまぼこの店舗が数十件ほど建ち並びます。

 

川内港の鄭成功門が11kmのゴールです。

 

ゴールでは、名物「川内かまぼこ簀巻き」が振舞われました。

平戸市川内町の『川内かまぼこ』の歴史は古く、江戸時代に漁師が余った魚をはんぺんにしたのが始りとされ、最盛期には町内に100軒の蒲鉾屋がありましたが現在は16軒に減少しました。

 

川内町には、「鄭成功」の廟や記念館があります。

鄭成功」(ていせいこう)は、中国人海商で平戸を根拠地として活動した鄭芝龍(ていしりゅう)を父に、平戸川内の田川マツを母に1624年7月14日平戸で生まれました。

幼名を福松、中国名を鄭森と言います。 鄭成功は、わずか7歳で単身海を渡り、21歳の時、明の隆武帝より明王朝の国姓「朱」を賜ったことから、人々は彼を「国姓爺」と呼びました。

後に清朝との戦いの中、父芝龍が清に投降しますが、鄭成功は「抗清復明」の旗印を揚げ不利な戦いを続ける中で、台湾に進攻し占拠中のオランダ人を追放しました。その後、政府を設置し

法律を定め、開拓を行い、民を養い大いに時運の挽回を図りますが、ついに病のために1662年39歳で亡くなりました

 

 

 

十数年前台湾台南に旅した時、鄭成功が祀られていました。鄭成功は、今でも台湾の英雄です。

  

ゴール後、川内港からマイクロバスでスタート地点「平戸文化センター」まで移動しました。

平戸ツーデーウォークは、明日も行われますが、明日は使用の為1日だけの参加でした。