よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

楽しいウォーク「博多三大祭り 放生会(ほうじょうや)ウォーク(福岡市博多区)

2024-09-17 11:58:27 | ふくおかウォーキング協会

9/11(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「博多三大祭り 放生会(ほうじょうや)ウォーク」でした。

残念ながら、筥崎宮放生会は、9/12~9/18までで9/11はまだ始まっていません。

筥崎宮の放生会とは、

年9月12日から18日までの7日間、本殿から海に向かって真っ直ぐのびる約1kmの参道の両脇には500軒を超える露店が立ち並び、圧巻の光景を築く九州随一の秋祭り、放生会(ほうじょうや)。

あらゆる生き物の霊を慰め、感謝の気持ちを捧げるとともに、さらなる商売繁盛、家内安全を祈る筥崎宮の1100年以上続く神事を起源にもち、春の博多どんたく、夏の博多祇園山笠と並ぶ福岡の

三大祭りに数えられます。祭り屋台の定番、りんご飴やイカ焼きなどの食べ物に加え、金魚すくいや射的など娯楽屋台も充実しているのが、放生会の露天の特徴。お化け屋敷や見世物小屋など、

他ではほとんど見られなくなったレトロな雰囲気漂う、もはや名物的存在の露店も出店します。また、昔は近隣に生姜畑が広がっていたことから、筥崎宮を参拝した際には「新生姜」を土産に

持ち帰った名残で、放生会では緑の葉がついたままの新生姜も販売されています。(FUKUOKA NOWより)

他地区では、放生会を「ほうじょうえ」と呼びますが、ここ博多筥崎宮では、「ほうじょうや」と呼んでいます。

集合場所は、千早駅。

 

今日のマップ

 

9:30スタート

 

流通センターへ

 

 

 

宇美川を通り、箱崎へ。箱崎駅で仮ゴール。数名の方がこのあと筥崎宮に向かいましたが、放生会前の為露店も準備中でした。

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9/16(月)改めて個人で放生会に行きました。

 

参道には、露店が約500店出店しています。先ずは、筥崎宮に参拝。

本殿には、お詣りする人の長い行列です。

 

 

放生会は大分県宇佐市にある、八幡宮総本宮の宇佐神宮で720年に初めて行われました。
起源は、同年に起きた「隼人の反乱(はやとのはんらん)」に由来します。朝廷軍と共に八幡神が反乱を鎮圧して以降、宇佐に疫病や凶作などが続き、隼人の霊の祟りだと信じられていました。

その霊を慰めるために、仏教の殺生戒に基づいて、生き物(蜷貝)を放って供養する放生会(ほうじょうえ)がはじまり、全国各地に広まったと言われています。
福岡では、古くから神聖な場所であるとされていた現在の筥崎宮の場所で、919年から行われるようになったとか。

 

さて、博多の人ならこの放生会の時に「梨も柿も放生会」という言葉が浮かんできます。

文字通り、この放生会の頃から梨や柿が出回り美味しくなる意味ですが、明治の頃、子供たちが言い争いになって「なしや なしや」(どうしてどうして)と問い詰められたときに

「ナーシもカーキも放生会」といってスルリと逃げたそうです。また、博多のごりょんさん(商家の奥様)が朝から掃除やら洗濯やらお客さんが来たりして ようやく一息ついた時、

「あ~あ今日は梨も柿も放生会のごとあった」

このように盆と正月が一緒に来るという言い方もあります。(博多に強くなろうより)

 

放生会が終わると、博多に本格的な「秋」が訪れます。

 

 

 

 


9月例会「赤米田んぼアート」観賞ウォーク(福岡県糸島市二丈町吉井)

2024-09-15 18:18:28 | ふくおかウォーキング協会

9/14(土) ふくおかウォーキング協会9月例会は、福岡県糸島市の「赤米田んぼアート」観賞ウォークでした。

当協会の9月の例会は、3年前からこの赤米田んぼアートを行っております。

昨年と違った点は、JR九州が春のダイヤ改正で福吉駅着の電車が9時台は、9時50分着です。昨年は、9時半までに着く電車があったのですが、今年は減便になっています。

集合場所は、JR九州筑肥線の福吉駅。参加者は32名。

今日のマップ

  

スタート前のミーティング

9:30スタート

 

 

白山宮

 

 

円通寺址と吉井岳城

この辺りは、「福吉」という地名です。昔、福井村と吉井村が合併し、それぞれの「福」と「吉」をとって福吉となりました。

昭和の時代だったか、鉄道の切符がブームになったことがあります。福吉駅の一つ前の駅が「大入(だいにゅう)」です。

ここでも「大入→福吉」(おおいり~ふくよし)が縁起のいい切符として有名になりました。

赤米の高台に登ると、「小呂島(おろのしま)」が見えます。この島は、福岡市の一番北の島です。西区姪浜から定期船が運行しています。

 

今年の赤米田んぼアートは、「おむすび食べて めざせ百しょう」です。

今年の福岡ソフトバンクホークスは、田植え頃快進撃を続けており、この状態だったら百勝も夢ではないから「百しょう」、また、農家の「百しょう」をも掛けています。

何せ広い田んぼですのでデジカメのパノラマで撮っても全部入りません。

 

 

直売所では、搗き立ての赤米の餅が販売されていました。餡餅みたいでしたけど普通の餅でした。

 

まむしの湯で休憩。

ここでは、今日のリーダーさんが、まむしの湯天然アルカリイオン水を用意されました。喉が渇いていたので美味しかったです。

休憩後再スタート

 

所々で彼岸花も咲きだしました。

 

コースは、吉井浜へ。

今日は天気も良く、海は波も穏やかでホント気持ちいいです。

以前のブログでも紹介しましたが、大正12年(1917)旧制佐賀高校(現佐賀大学)の水泳部の合宿が吉井町で行われました。

水泳部員の吉原正俊さんが、吉井浜の美しさと福吉の人々の温かさ・優しさに感動して作詞、同じく水泳部員の山口正之さんが作曲しました。

現在の80代以上のお年寄り達にとっては、若き日にみんなで口ずさんだ「青春の歌」。 しかし近年、徐々に歌う機会が減り、その存在が忘れられていきました。 そんななか、平成10年、

歌の存在を知った当時福吉中学校音楽教諭だった坂本美紀子先生が、「地域の歌を大事に歌い継ごう」と発案。 生徒たちは、地域や旧制佐賀高などのゆかりの人々に接して歌のルーツを

調べるなど精力的に活動するなかで、人々の熱い思いに触れ、「自分たちが、この歌を後世に伝えよう」との強い信念と責任感を抱きました。 この若き純粋な思いと情熱的な志に地域が共鳴。

平成16年、生徒たちの活動を地域が支援する「吉井浜思ひ出の歌」愛する会が発足し、歌碑の建立、福吉駅でのメロディ放送など、地元所縁の歌をとおした文化交流が広がりました。(福吉中HP)

 

パノラマで撮りました。

記念写真です。

ボニージャックスの吉井浜思ひ出の歌 (youtube.com) 

 

このしおさい公園の中にも歌碑があります。

二丈コミュニティセンターには、昭和20~30年ごろの吉井町の地図があります。

見てみると、映画館・劇場・旅館などがあり、多くの人が住んでいたみたいです。また、漁港の関係で人の出入りも多かったのかな?

12時 JR福吉駅にゴールしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


第12回大阿蘇元気ウォーク1日目10km(熊本県阿蘇市)

2024-09-10 18:32:46 | ウォーキング

9/7(土)は、熊本県阿蘇市で行われた「第12回大阿蘇元気ウォーク」に参加しました。

福岡の自宅を4時半に出発し、阿蘇市には、7時20分に到着しました。

私、この大会3回目の参加です。

8:10から出発式。佐藤阿蘇市長から、歌とエールをいただきました。(佐藤市長は、成人式で新成人に持ち歌を披露するので有名です)

 

 

8:35 20kmコーススタート。私は、20kmでエントリーしていますが、日ごろ20kmは歩いてなくまたこの暑さ、一応歩けるところまで歩こうとスタートしました。

阿蘇市を歩いていると「水基巡りの道」というのがあり、いろんなところから湧水があります。

「九州の水がめ、阿蘇」。高岳の麓に位置する阿蘇神社、その境内から湧く「神の泉」は不老長寿の水と崇められている。
 門前町商店街では同じ伏流水が湧いており、古くから地元の人はその豊かな水を生活に利用してきた。この美しい水を観光客にも味わってもらいたいと、町づくりの一環として「水基」と呼ぶ水飲み場を設置しその数は現在28箇所になる。観光客はそれぞれの水で喉を潤しながら散策する「水基巡り」を楽しむ。まさに自然と町づくりがうまく融合した姿と言える。(熊本県観光スポットより)

 

阿蘇山は、朝靄に覆われています。

 

 

コースは、馬場八幡宮へ

 

馬場八幡宮は、由緒の正確な記録はないが八幡宮は古来、源家の氏神として尊崇せられていた神であるので源平の争乱の頃源家の流れを汲む鎮西八郎為朝がこの地に城を築き居住した記録が

残されている(肥後国誌)ことを考慮すると、為朝が鎮守社とした(1151)と推察しても不自然ではない。約860年前の事である。
石灯篭の古いものに享保14年(1730)の刻銘が残っている。後世阿蘇三宮より八宮まで六座の神が併祀されている。これは阿蘇開拓の祖神を尊び合祀されたものと思われるが年代は不詳である。
明治6年(1874)白川県(熊本県)より当社を第266区の郷社として指定を受けている。
明治27年(1894)に旧坂梨村の村社となった。

ここで少し休憩します。

 

休憩後再スタート。コースは豊後街道「坂梨宿」へ

 

豊後街道は、熊本市新町1丁目御門前「札の辻」を起点とし、大分市鶴崎に至る全長31里(124km)に及ぶ参勤交代路です。
坂梨町はこの「札の辻」から東へ13里(52km)に位置します。
天正16年(1588)熊本城に入り、のちに肥後一国の藩主となった加藤清正はこの街道を「鶴崎路」と称し豊後の国「鶴崎港」から瀬戸内海を経て、大阪、江戸に参勤しました。
清正は肥後4大街道(豊前、豊後、薩摩、日向)のうちこの鶴崎路を最も重要視して道路の確保、保全に万全を期したといわれています。
寛永9年(1632)加藤氏のあと藩主となった細川忠利もこの道路に大きな関心を寄せ改良整備に力を入れました。
寛永12年、徳川幕府が定めた「武家諸法度」により参勤交代が法制化された為、忠利以降の藩主も更に道路の整備改良維持に意をそそぎ、江戸への参勤、熊本への下国と街道を利用しました。
また、街道のこうした整備保護により庶民の旅の世界が拡大され商取引が盛んになり寺社参詣が流行し、単に参勤路としてでなく産業、信仰の道としても大きく発展していきました。
坂梨の町はこうした時代背景の中で豊後の国境にも近く野尻日向往還、南郷矢部に至る火野尾峠越えの交通の接点となり宿場町として栄えました。
交通の要衝としてだけではなく行政、経済、文化の中心地として、細川藩独特の手永政治の坂梨手永会所(役所)や、女性の出入りには特にきびしかった街道の坂梨番所には女改の部屋があったと伝えられています。
藩主が参勤、下国の時、宿泊休憩をされる坂梨御茶屋を始め、旅人宿、酒造業、呉服、雑貨、問屋、薬屋、医者、諸儲けなど屋号持ちの店が軒を連ね大変な賑わいであったといわれています。
参勤交代制度は藩主を始め多数の共侍、沿道の住民それぞれに大きな労苦と負担をあたえましたが、文化伝達の極めて困難な時代に阿蘇地方の文化発展に多大の貢献と影響をもたらしました。
毎年藩主の参勤、下国は数百千の共侍の上がり下がりの移動により江戸、京都、大阪や瀬戸内の文化、風俗ならびに産業、殖産を伝え中央政治の一緊一緩をも知ることができました。
旅人の往来もさかんで、その中には日本初の実測地図を作成した伊能忠敬、勤王の志士高山彦九郎、儒者で詩人の頼山陽、藩校時習館教授高本紫溟など多くの文人も訪れ歌や漢詩を残しています。
街道には坂梨手永会所跡、霊台橋で有名な石工卯助が架けたアーチ型の天神橋、木喰上人作子安観音像などの文化財、藩主の避難場所円通寺や浄土寺、浄行寺、妙法寺、馬場八幡宮などの

寺社もみられます。「大阪に坂なく、坂梨に坂あり」の里言で名高い滝室坂は街道一の難所として坂梨町の東端から高低差200m、全長3kmの峻坂ですべて石畳でした。頂の坂の上から

笹倉へと通じています。街道の周辺には阿蘇谷の七鼻八石の内、妻子ヶ鼻、卯の鼻、箱石、いぼ石や古閑の滝など自然の景観にも恵まれています。
大政奉還により明治維新となり参勤交代制度が廃止され明治、大正、昭和、平成と時代は移りましたが坂梨の町並みは歴史の道「豊後街道」の宿場町として今も往時の面影とたたずまいを

色こく残しています。(ASO Pediaより引用)

 

坂梨宿には、高山彦九郎・・・尊王思想家 「寛政4年(1792年)7月滞在

      伊能忠敬・・・・「文化7年(1810年)12月内牧から小池野まで測量

      勝海舟・坂本龍馬・・・文久4年(1864年) などの方が宿泊されています。

坂梨公民館がチェックポイント

 

チェックポイントでは、キュウリの醤油漬けや辛子漬けが振舞われました。

 

坂梨公民館の横には、豊後街道の説明板が掲示されています。

私ももう15年ほど前でしょうか、大津宿から内牧まで歩いたことがあります。雨が降っていましたので石畳が滑りやすくゆっくりゆっくり歩いた記憶があります。

いつか、内牧から豊後鶴崎まで歩いてみたいと思っていますが、もう歳のせいかなかなか行動に移すことができません。

歩いていると「めがね橋」があります。近くに天神社があるので「天神橋」とも呼ばれています。1847年種山石工(現東陽町)の夘助が建てたといわれています。

 

歩いているとコスモスが咲きだし、また栗の木には栗の実が熟しています。まだまだ暑いけど秋はそこまで来ているのですね。

 

 

なだらかな坂道を登ると10k、20kの分岐点です。

 

暑いので20kをあきらめ10kmコースの方に行きます。

運動公園で少し休憩し再スタート。

JR宮地駅を通過

 

ゴールまであと少し。

 

 

11:00 ゴールしました。

 

ゴール後の楽しみは、「かき氷」です。

 

今日のGPS

明日の2日目は暑いのでパスします。

帰り道、久しぶりに(20年ぶりかな?)「あそ路」に行って「たかな飯」「だご汁」をいただきました。

 

 

 

 


やさしいウォーク「東福間より千鳥ヶ池を経て千鳥駅へ」(福岡県福津市~古賀市)

2024-09-08 13:39:15 | ふくおかウォーキング協会

9/5(木)ふくおかウォーキング協会やさしいウォークは、「東福間より千鳥ヶ池を経て千鳥駅へ」でした。

集合場所は、JR東福間駅、参加者24名。

今日のコースマップ

 

9:30スタート

 

通堂高架橋を通ります。

3号線高架下で休憩。今日も暑い日になりそうです。日陰はありがたいです。

 

休憩後再スタート

 

水光会ウェルネスセンターでトイレ休憩

 

イオンモール福津を通ります。この辺りは、新しい住宅が建ち並んでいます。

 

このあたりが、福津市と古賀市の市境。コースは古賀市に入ります。

 

千鳥ヶ池公園で休憩

千鳥ヶ池公園は、都市公園として整備されており、池の周囲を遊歩道で散策することができます。公園内には、野球場・テニスコートがあります。

千鳥ヶ池で検索していると、千鳥ヶ池の伝説がありました。(いくつかの伝説がありましたがそのうちの一つ)

昔、この池の畔に一軒のささやかな家を構えて、仲睦まじく暮らす若夫婦が住んでいた。
その妻は、神興村字冠(旧福間町)から嫁いで来た者(今、同所に「千鳥様」という祠がある。)で名前を千鳥という。

弁天様の生まれ替わりかとも思われる程の美人といわれる何に一つ非の打ち処のない千鳥は、夫に対して、外から帰って来る時には、必ず咳払いをして家に入ってくれと熱心に願った。

夫も初めのうちは妻の言うままに「えへん」と咳をして帰宅していたが、月日が経つにつれて、妻が熱心に咳払いを求めることを不審に思うようになった。

ある日、夫は外出先から帰ると、日頃の不審を晴らそうと、足音を偲ばせて家に近づき、戸の隙間から中を覗いてみた。

すると、最愛の妻は蛇身となって、焔のような赤い舌でぺろぺろ髪を舐めながら容姿を整えている最中だった。

この様子を見た夫は、気も動転する程驚いたが、やがて気を取り直し、素知らぬように咳をして家へ入った。

夫の唯ならぬ顔色や素振りに素性を知られた事を悟った妻は、夫の留守中に家を倒し屋根を破って側の池に投身し池の主になった。

それからこの池を「千鳥ケ池」と呼ぶようになり、以来幾百年この池に身投げしても不思議に助かるということである。

また、もしこの池を干すと、池の主は自分の姿を見せまいと、必ず大雨を降らすと言われている。(古賀すたいるより引用)

 

11:35 千鳥駅にゴール。距離は約7kmでした。

 


楽しいウォーク「鞍手路 歴史と特産物を満喫」(福岡県鞍手郡鞍手町)

2024-09-06 19:48:18 | ふくおかウォーキング協会

9/4(水) ふくおかウォーキング協会は、7月中旬から8月末まで長い夏休みが終え、9月4日の楽しいウォークから再開しました。

夏休み期間中の「酷暑」から9月になると幾分朝晩が過ごしやすくなりましたが、日中はまだ33度ぐらいの暑さです。

夏休み明けの楽しいウォークは、「鞍手路 歴史と特産物を満喫」です。

集合場所は、JR鞍手駅。参加者は26名。

 

私、鞍手町は、車で何回か通ったことがありますが、歩くのは初めてです。

くらて」の発祥については諸説がありますが、伊藤常足の太宰管内誌に日本書紀を引用した鞍手の地名考があり、それによりますと欽明天皇の時、百済を救援に行った筑紫国造が強弓の使い手で、敵の騎馬兵の鞍の骨を射抜くほどであった。その働きにより敵の包囲から脱れた百済の威徳王がその功を称えて鞍橋君の尊称をおくった。鞍橋は矩羅膩(くらじ)と読んで鞍骨のことで、この「くらじ」が訛って「くらで」というようになった、と記されています。長谷の飯盛山にその鞍橋君を祀る鞍橋神社があり、土地の人は「くらじさん」と言っています。(鞍手町HPより)

鞍手町には、国指定重要文化財の「木造十一面観音立像」があります。

大和国(奈良県)長谷寺の僧万賀が背負ってこの地へ至り、堂宇を建てたのが始まりと伝承される。像高187cmの樟を材とする一木造の立像。面長な顔は、伏目で切れ上がった彫眼、くの字に

連なる両眉、鼻筋高く小鼻は張って独特の厳しさを感じさせる。肩から流れる条帛は細くしまった腰部をつつみ、天衣はふくらみを持って垂下している。下半身をつつむ裳は、折り返し部に

巻葉渦文・漣波状に流れる衣文等、平安期独特の様式も見られる。樟の一枚板の挙身光背は彩色で八葉花文や雲気文を描く珍しいものである。(福岡県の文化財より)

今日のコース。9時半スタート

 

鞍手駅から遠賀川に向かいます。

 

河川道を通ります。

 

途中が、直方市との市境。

 

新幹線高架沿いに歩きます。野上養鶏場が運営している「縁屋」で休憩。

 

ここには、「味宝卵」(みほうらん)といってブランドの卵があります。ブランド卵だけにお値段も一級品です。

味宝卵|野上養鶏場 (mihouran.jp)

 

高速のガードを通り分岐点に来ました。

左に行くと「中山不動尊」、右に行くとゴールの鞍手駅。

中山不動尊は、正式名称を「木造不動明王及二童子像」といいます。明治36年高村光雲によって認められた本尊の由来は不明ですが、神仏習合の信仰による、八剣神社との関連が考えられます。

平安時代後期の作と思われる本尊は、虫害や損傷などで痛ましく朽ちて歴史の流れを感じさせますが、力強い怒りの形相(ぎょうそう)に堂々とした迫力があります。両脇の二童子は優雅な曲線の

造形で、本尊と三位一体の調和の美しさがあります。(鞍手町HPより)

 

久しぶりのウォークですので私は、鞍手駅の方を選択しました。

 

11:55 鞍手駅にゴール

今日のGPS

 

 

 

 

 


8月例会「伊都国歴史散策」(福岡県糸島市)

2024-08-26 16:28:33 | ふくおかウォーキング協会

8/24(土)

ふくおかウォーキング協会のウォーキング行事は、夏休み期間中ですが、例会だけは毎月行っています。

8/24は、8月例会の日。「伊都国歴史散策」

集合場所は、JR波多江駅から5分の産宮神社。参加者は、42名。あと5~6名の方が参加予定されていましたが、この暑さのため参加を取りやめられました。

今日は曇ってはいますが、蒸し暑くじっとしていても汗が出てきます。

今日のコースマップ

コース説明

集合場所の産宮神社

 

古くから安産・育児の神さまとして、糸島市内だけでなく遠方からも多くの方々が訪れるほど、安産育児の神様として親しまれている産宮(さんのみや)神社

御祭神である奈留多姫命(ナルタヒメノミコト)は、御懐妊の際、胎児教育をとても大切にされ、祖神である豊玉姫命・玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)に産育の吉兆を祈られたそうです。
「わたくしのお腹にいる子が、月が満ちて生まれてきた時、健康であったならば、萬世産婦の守護神となりましょう」と誓いを立てられお産に臨まれました。 産前の誓いを守られ「産婦の守護神」となり、安産育児の神さまとして多くの方々からの崇敬を集めるようになりました。

9:30 ウォーキング開始

 

 

平原遺跡

 

日向(日向)峠は、福岡市西区と糸島市を結ぶ峠で、古代には日の出の位置から暦を知り、稲作などに利用されていました。

平原遺跡は、まっすぐ日向峠を向いており、10月20日には、日向峠から昇る朝日が被葬者を照らします。この遺跡を発掘した原田大六は、遺跡から発掘された直径46.5cmの

白銅製「大鏡」を使って日迎え神事に用いられたと考えています。

 

平原遺跡を出て少し歩くと参加者の一人が気分が悪そうです。少し休憩され、タクシーに乗ってリタイアされました。

先頭は、もうだいぶん先を歩いていますので合流するだろうと思われる地点までショートカットしました。

 

ここから先は、以前歩いた時の写真を掲載します。

ワレ塚古墳                                        狐塚古墳

 

三雲南小路古墳(伊都国の国王の墓と言われている)                   細石(さざれいし)神社

  

染井の井戸

 

染井の井戸あたりでウォーキング一行に合流しました。

歩いていると前方で熱中症気味の方がいます。片方を会員さんに抱えられ、フラフラ状態です。

近づいて片方の肩を貸しました。今日のリーダーが少し先にうどん屋さんがあるからそこで休ませようということでうどん屋「あじ豊」さんに入りました。

熱中症気味だから少し休ませていただけませんかというと、昼食前で店は混んでくる時間なのに親切に水やポカリスエットを差し出してくれました。

店の冷房にあたり10分ぐらいしたらだいぶん回復され、タクシーを呼んで近くの駅まで送りました。

駅からは、自分の足で歩かれ電車に乗る所まで見送りました。

 

真夏のウォーキングは、熱中症と隣り合わせです。特に今年の夏は異常です。

いろいろな意見もありましたが、当協会では、夏休みをとってよかったと思っています。

翌日お昼にこの「あじ豊」さんに出向き、お礼と食事をしました。

あじ豊さんのかつ丼セットとおろしうどんです。

 

あじ豊さんです。近くを通られたらぜひお立ち寄りください。

西区・周船寺の「あじ豊」は無添加にこだわるうどん屋 (meets-itoshima.com)

 

 

 


ちょっと「釜山」へ その2

2024-08-24 05:03:22 | 韓国旅行

8/22 釜山2日目。

今日の14:00のエアーブザンで帰らねばいけないので朝6時からグルメ探しへ。

宿泊した西面には、クッパ通りといってクッパ屋さんが並んでいます。

 

この店に入りました。昔は、店頭に大きな鍋を置き、お客さんを呼んでいましたが、今は、店頭に大きな鍋はありません。

 

この中にご飯を入れます。昔は、具があまりなかったのですが、今回は具沢山でした。

 

食事の後、西面市場周辺を散策します。

 

 

カフェーがありましたので入りました。韓国のカフェーは、入口の機械で注文すると番号が出て、番号が呼ばれたら取りにいきます。

殆どカード使用です。キャッシュレスは日本より進んでいます。

 

お腹もいっぱいになりましたのでホテルに戻ります。

ホテルに戻る途中、黒い大きな桝?みたいなものがあります。何だろうとホテルのスタッフに聞くと、雪の日なんかに滑り止めとして撒くスナが入っているそうです。

日本でいえば、雪道の滑り止め「塩化カリシウム」かな?

韓国の町を歩くと、吸い殻入れがすぐ目の前にあるのにポイ捨てされています。また、ドリンクの容器などがその場に置かれています。(ペットボトルは見かけない)

また、これは、今になってではなく、繁華街やホテルの前には大量のチラシが落ちています。(日本でも夜間、中心部の公園等がゴミで散らかっていることもあります)

じっと見ていると、9時ぐらいから日本でいえばシルバー人材の方でしょうか、箒と塵取りを持ってゴミ集めをされています。

この人たちの仕事をとったらいけないからポイ捨てやチラシの投棄などが行われるのでしょうか?

もう一つ、地下鉄で順番を待っていると平気で割り込んできます。また電車内で大きな声で電話している方もおられます。日本人もあまりマナーがいいとは言えませんが、ここまではありません。

 

帰りの飛行機の集合時間が11時半です。昔の記憶では、ロッテホテルから空港リムジンバスが運行されていたと思い、ロッテホテルに行くとこのリムジンは現在運休中だそうです。

タクシーで行ったら約20000ウォン(現在の日本円で2300円ぐらい)だそうです。

荷物もあるし、タクシーを呼んでもらいました。西面から金海空港までは、16900ウォン(日本円1990円ぐらい)でした。

空港でチェックインし、出発までまだ時間があったので空港内のお店で今回釜山での最後のグルメ「韓国冷麺」をいただきました。

 

14:00 金海空港発エアーブザンで帰国。ホント、駆け足の釜山旅行でした。

次回は、クイーンビートルに乗って2泊3日ぐらいの旅をしたいです。

今回10年ぶりの海外でしたが、びっくりしたのがパスポートに入出国でのスタンプ印がありません。パスポートや指(指紋)を画面にかざすだけです。

昔は、入出国窓口は、大行列でしたが、現在は、スムーズに出られます。10年ひと昔というけど変わりましたね。昔は、入出国のスタンプを見るのが好きでしたが・・・・

 

 

 

 


ちょっと「釜山」へ 1日目

2024-08-23 15:44:43 | 韓国旅行

ウォーキング協会は、夏休みの為、8/21~22 JR九州の「クイーンビートル」に乗って韓国・釜山までの船旅をと計画していましたが、このクイーンビートル浸水を国交省に虚偽報告したため、

8/13から運休になってしまいました。旅行会社に問い合わせると、キャンセルになって全額払い戻しになるとのこと。

久方ぶりの釜山でしたが、どうしても行きたくなり、旅行会社に飛行機でもいいからチケットを取ってくれないかというと、AIRBUSANだったらとれるとのこと。

料金も同じでOKということで、10年ぶりの韓国・釜山に1泊2日の行程で行くことにしました。(料金は、福岡から大阪へ行くよりも安かったです)

本当は、コロナ前の2020年韓国済州島のウォーキング大会・ロシア・ハバロフスクの大会に参加予定でしたが、コロナで全て中止になり今回やっと海外旅行が出来ました。

今回の旅行は、1泊2日の短い旅行ですので出来る限り釜山のグルメを楽しみたいと思います。

 

約55分で釜山金海空港に到着。釜山は、台風9号が去り、雨はもう止んでいましたが、非常に蒸し暑いです。

 

先ずは、空港内で円をウォンに両替。10000円で85000ウォン。

30年前初めて釜山に行ったときは、10000円→135000ウォン(この時は円高でした)。つい1週間前、円がドルに対し141円台の円高になったので期待していましたが、

また、146~7円に戻ってしまいました。

 

金海空港から軽電鉄に乗り、沙上駅(ササン)で地下鉄2号線に乗り換え、今日宿泊する西面(ソミョン)のホテルに荷物を預けます。

それからお昼を食べようと地下鉄西面駅から1号線に乗り、凡一洞(ボミンドン)で下車。

お店の名前は、「ハルメッチッ」おばあさんの店という意味だそうです。

 

ここで「ナッチポクン」をいただきます。ナッチポクンとは、手長タコの炒めという意味だそうです。

  

これをご飯の上にのせていただきます。30年前初めて食べたときは、辛くて舌がしびれましたが、慣れたのかあるいは、味を少しマイルドにしたのか舌がしびれることなくいただきました。

 

     

食事の後、チャガルチ市場に向かいます。チャガルチ市場は、釜山港に近く、釜山最大の魚市場です。毎日夜明け前から約300種の魚介類が露店で販売されます。

「チャガルチ市場」は19世紀後半にできたとされ、名前の由来は河口に小石(韓国語でチャガル)が多かったからという説や、チャガルチ(スズキの仲間)という魚を取り扱っていたからと

いう説があります。その店で実際に食べることができます。

  

チャガルチ市場近くの農協スーパー。ここで少し買い物をします。10年前とは少しレイアウトが変わっていました。売り場が広くなっていました。

2階では、韓国ラーメンが販売されています。韓国ラーメンと言えば、「辛ラーメン」ですが、今では日本でも販売されており、価格も日本とあまり変わらないように思います。

 

南浦洞へ

 

ロッテデパート南浦洞店

 

 

 

朝鮮通信使のオブジェ

 

 

さて、今晩の夕食ですが、確か10年前、西面ロッテホテルの近くにキムチ鍋や海鮮鍋屋さんがあったはずですが・・・・・

キムチ鍋があった所は、コンビニになっていたり、海鮮鍋があった所は、ビジネスホテルになっています。

仕方ないのでホテルに戻り、海鮮鍋屋さんを紹介してもらいました。

 

韓国産のビールをいただきましたが、どうも口にあいません。そこで「真露」を注文します。

海鮮鍋です。豪華に見えますが、魚類は入っていません。

 

ほろ酔い加減でホテルに戻りました。

このホテル地下に大浴場があり、今日の汗を流し就寝しました。

 

 

 

 


クルーズ船MSCベリッシマ船内見学

2024-08-12 16:34:47 | 日記

ふくおかウォーキング協会は、夏休み期間中ですので、久しぶりの投稿です。

8/11(日)は、市役所港湾局の主催「クルーズ船MSCベリッシマ船内見学会」に参加しました。

家内と一緒に申し込んだのですが、私だけの当選でした。参加者は抽選で選ばれた30名です。

MSCベリッシマは、イタリアの国籍で全長315m、デッキ(階)数19階、客室数2217室。日本発着最大級の大きさを誇る船内はプールやレストランもあり、まるで一つの街のよう。
船の中とは思えない開放感あふれる3層吹抜アトリウムは目も心も奪われます。
最上階デッキから眺める海と空と水平線。波の音をBGMに大海原を独り占めいただけます。

 

 

  

ベリッシマは、今朝中国上海から入港しました。定員約5700人中5600人が中国の人でした。

パスポートを持って受付を終え、いよいよ船内へ。近くで見るとかなり大きいです。まるで19階建てのビルがあるようです。

ジャパネットのクルーズもこの船を使っているそうです。

 

いよいよ船内へ

船内では、パスポートと手荷物検査が行われます。

 

 

 

 

 

 

  

デッキに行ってみます。

 

 

螺旋階段を下りてテラスへ

 

 

約1時間で船内見学が終わりましたが、いつか宝くじが当たったならこのクルーズに参加したいです。

年金暮らしだといつのことになるのやら・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 


7月例会「博多山笠飾り山ウォーク2024」(福岡市内)

2024-07-15 18:03:26 | ふくおかウォーキング協会

博多では、7月1日より「博多山笠」が始まりました。

1日からは、市内各地で13本の「飾り山」が立ちます。

そして10日からは、「舁き山」が博多の街を走りだします。フィナーレは、15日早朝の「追い山」。

およそ1トンの舁き山が櫛田神社に奉納し、廻り止めまで約5kmを舁きます。

この山笠が終わると博多の街に本格的な「夏」が訪れます。

 

ふくおかウォーキング協会の7月の例会は、恒例の「博多山笠飾り山ウォーク」です。

コロナ前には、70名ほどの参加者でしたが、コロナで参加者が減り、コロナ禍の影響がほとんど無くなった今年は、55名の参加でした。

スタート前には、山笠グッズの抽選会も行いました。

集合場所は、天神の警固公園。マップの裏には、山笠の事が一目でわかる上記の「博多山笠一口メモ」も印刷しました。

山笠グッズ抽選会後、スタート。

 

先ずは、隣のビルの14番山笠ソラリアへ

 

次に15番山笠新天町

 

次の山笠に向かいます。

 

 

17番山笠天神一丁目

 

九番山笠渡辺通り一丁目

 

十二番山笠キャナルシティ博多

 

キャナルシティから櫛田神社へ向かいます。途中、博多うどんの名店「かろのうどん」は、行列ができています。

山笠の「清道」は、櫛田神社・東長寺・承天寺の3か所あります。

清道(せいどう)」とは、「天子の行幸の道を祓い、清める」「先払い役」などの意味です。

櫛田神社は、山笠を祇園様に奉納するために廻ります。東長寺は、神仏混淆時代に櫛田神社のお寺で櫛田神社に神官はおらず、寺の住職が祝詞をあげていた頃もあり、その恩に

山笠を奉納しています。承天寺は、山笠発祥之地と伝えられているところ。この二つのお寺は、住職が姿を現し、山笠の表敬を受けます。台上がりも目一本(会釈)をします。

 

 

 

櫛田神社の境内にも山笠があります。

番外櫛田神社

 

櫛田神社から川端通に向かいます。川端ぜんざいもこの日は行列ができています。

 

八番山笠「上川端通」 この山笠は、追い山の時、これを舁いて走ります。重さ2トンです。見送りには、「ガンダム」の人形です。

 

十三番山笠「川端中央街」

 

十六番山笠「博多リバレイン」

 

三番山笠中洲流  見送りには、能登震災をモチーフに能登の絵師「長谷川等伯」が描かれています。

 

博多の街を駆け抜けるのが「舁き山」、豪華絢爛なのが「飾り山」です。舁き山が「動の山笠」なら飾り山は「静の山笠」です。

 

二番山笠東流

 

東流から御供所町に入ります

 

最後は、十一番山笠「博多駅商店連合会」です。12:30博多駅にゴールしました。

 

今日のGPSです。

※ふくおかウォーキング協会は、7/14から8/23まで猛暑の為、この期間夏休みにします。

次回は、8/24(土)の8月例会からスタートします。