よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

サタデーウォーク「とこてく糸島(一貴山~加布里)散策(福岡県糸島市)

2024-12-24 15:06:09 | ふくおかウォーキング協会

12/14(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは、「とこてく糸島(一貴山~加布里)散策」でした。

「とこてく糸島」とは、糸島の特色のある地域を”歩いて“めぐるウォーキングコースです。

私、私用のためこのウォーキングには参加していませんが、T村氏、Y田さんの写真や資料を基に又、前回(22.1.19)行った時の写真を使ってブログ作成します。

実は、このコース2022年1月19日に行っており、そのコースを少しアレンジしてコースを作りました。

集合場所は、JR一貴山駅。参加者28名。

一貴山駅は、現在NHK朝ドラ「おむすび」糸島編で何回も出てきています。主人公の橋本環奈さんがこの駅から通学されています。無人駅です。

地下鉄天神駅からだと筑前前原駅で乗り換えて、約40分で着きます。

 

このウォーキングの為にY氏が資料を作ってくれました。

 

銚子塚古墳

JR一貴山駅の北100メートル、二丈田中字大塚に位置する一貴山銚子塚古墳(いきさんちょうしづかこふん)は、墳丘(ふんきゅう)の全長が103メートルで、糸島地方最大の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。4世紀後半に築かれたものと推定されており、国の史跡にも指定されています。発掘調査が、昭和25年(1950年)に福岡県教育委員会と日本考古学協会を中心に行われ、糸島高校の生徒も多数調査に参加しました。
後円部墳頂(こうえんぶふんちょう)のほぼ中央からは、全長3.4メートル、幅1.4メートル、深さ0.8メートルの竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)が発見されました。石室(せきしつ)の中央には木棺(もっかん)が納められており、多くの副葬品(ふくそうひん)が埋葬当時の配列を保ったまま、ほぼ完全な状態で出土しました。

その中でも特に注目を浴びたのは、10枚の青銅製(せいどうせい)の鏡でした。鏡は、棺(ひつぎ)のふちに鏡面を内に向けて立てかけられており、方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)と内行花文鏡(ないこうかもんきょう)が1面(中国製)ずつ頭部付近に置かれ、8枚の三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)(日本製)が左右の側縁(そくえん)に各4枚ずつ置かれていました。方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)には鍍金(ときん)(金メッキ)が施されており、国内でも数面にしか見られない珍しいものです。

現在、銅鏡など出土品の大半は、京都大学総合博物館に収められていますが、木棺材片、棺内から出土した水銀朱(すいぎんしゅ)の一部など資料の一部が糸島高校附属郷土博物館にも収蔵されています。

椛島(かばしま)家住宅は、国の有形文化財に登録されています。

元々は二丈田中の大地主であった「満生(みついき)家」の住宅でした。また、糸島地方最大の前方後円墳「国史跡・一貴山銚子塚古墳とは敷地を接しており、

満生家の方々はこの古墳を先祖の墓という意識をもち、庭の一部として管理してきました。

登録された建造物は、明治30年頃に建てられた主屋や、蔵、門、塀などです。南門に入ると正面に主屋と庭門及び塀、左手に古墳、右手に庫院(旧納屋)があり、納屋の東壁に連続して東門・

北門及び塀があります。区画された中で主屋、庭門及び塀、庫院を見ることができ、南門及び塀とともに上質な景観を創り出しています。主屋は2階建で間口が広く、玄関がなく農家のニワと

共通する前庭など、江戸時代の民家の特徴を残しています。主屋の随所には、当時の建具職人、左官職人、絵師の技術の高さが伺える細工が施されるなど、当時の地主層の民家における前近代と

近代の上質な特徴を併せもち、糸島地方における民家建築の流れを汲んだ近代的な和風建築の好例として、高く評価されています。

近くには、「満生」の姓の家が何軒もあります。

 

 

椛島家から神在(かみあり)神社へ。

もともと牧の天神山の山頂に鎮座していましたが、元禄16年(1700)に現在の地に遷座されました。瓊瓊杵尊(ににぎにのみこと)、伊弉諾命(いざなぎのみこと)、

伊弉冉命(いざなみのみこと)、天常立命(あめのとこたちのみこと)、国常立命(くにのとこたちのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、菅原神が祀られています。

神在の地名は、神功皇后がこの地を訪れた際、紫の雲がたなびく様子を見て、「ここには神あるべし」と語ったと記載されています。

 

足形石

足形石から林の中を歩きます。すると、林の中に大きな石「神石(しんせき)」があります。

  

 

ミカン畑にするため掘り返したら丸い巨石が出てきたそうです。

 

光も指しているし神々しいですね。今年1月神在の宝くじ売り場で「ロト7」キャリアオーバー10億円が当たったそうです。これも神石の力でしょうか?

神石から折り返します。

納富家住宅 (Y氏説明文より)

   

納富家住宅から次に向かいます。福岡で有名な「牧のうどん」の工場です。このあたりの地名が「牧」ですので「牧のうどん」となったそうです。

 

 

千早新田(Y氏説明文より)

 

 

 

千早新田からゴール地のJR加布里駅に向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


楽しいウォーク「三日月山遊歩道から唐津街道を歩く」(福岡市東区)

2024-12-23 18:05:37 | ふくおかウォーキング協会

12/11(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「三日月山遊歩道から唐津街道を歩く」でした。

集合場所は、JR香椎駅、参加者40名

 

今日のマップ

 

自由が丘幼稚園を通ると、ここから上り坂になります。

 

長谷ダム記念広場で休憩

 

休憩後再スタート、三日月山登山口へ

 

三日月山は、福岡市と久山町2市町の町境にある標高272mの山です。自生するクスノキの原生林は、国の天然記念物に指定されています。

三日月~立花山の遊歩道は、都市部に近く道のりが緩やかで登りやすく、健康づくりや遠足などのハイキングコースとして大人気です。

小さなお子さんからお年寄りまで幅広い世代に愛されています。山頂には樹木が殆どなく360度広がる大パノラマは絶景です。天智天皇の時代に大陸からの侵攻を防ぐため防人を置いた

陣屋がここにあったとされ、別名「陣山」とも呼ばれています。博多湾と福岡市内が一望でき、元旦には、初日の出の登山客で賑わいます。(クロスロードふくおかより)

 

 

 

やっと平坦な道に戻りました。

 

九州高校あたりが唐津街道です。

 

11:50 香椎駅にゴールしました。

 

 

 

 

 

 

 


12月例会「春日市の史跡巡りと九大筑紫キャンパス」(福岡県春日市)

2024-12-22 17:17:44 | ふくおかウォーキング協会

12/7(土)ふくおかウォーキング協会12月例会は、「春日市の史跡巡りと九大筑紫キャンパス」でした。

集合場所は、JR南福岡駅、参加者は41名でした。

 

今日のコースです。

9:30スタート、南福岡駅横の踏切は、開かずの踏切ともいわれています。10分ぐらい待ってやっと開きました。  

 

奴国(なこく)の丘歴史公園です。

奴国は、福岡市付近にあった弥生時代の原始国家。「なのくに」ともいう。『日本書紀』に儺県(なのあがた)・那津(なのつ)とみえ、後の那珂(なか)郡に比定される。

『後漢書(ごかんじょ)』倭伝によると、57年(建武中元2)に奴国が後漢に朝貢し、使者自ら大夫と称したとあり、光武帝(こうぶてい)は奴国王に印綬(いんじゅ)を賜ったとある。

1784年(天明4)福岡市志賀島から発見された「漢委奴国王」の金印は、このときに与えられたものとされている。また『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん)によると、伊都国の東南百里にあり、

長官を兕馬觚(しまこ)、副官を卑奴母離(ひなもり)といい、戸数は2万余戸あったと記される。奴国は伊都国とともに紀元前後ころより大陸との交易に従事し大いに発展した。

奴国域内の須玖(すぐ)岡本遺跡からは前漢鏡、銅剣、銅矛など多数の舶載品が発見されている。(ニッポニカより)

このあたりが、奴国の中心部だったそうです。

園内には、弥生時代の青銅器や鉄器、鋳型など多数の遺物を展示したコーナーがあります。

 

 

外に出てみると、「須玖岡本遺跡」があります。

福岡県春日市は福岡平野の南端に位置し、弥生時代中期をとおして巨大な集落が営まれました。福岡平野には「那の津」などの名前がいまにも残ることから、この地は倭の国の1つ奴国の

領域だったと見られ、須玖岡本遺跡は奴国の中枢拠点だったと考えられています。この遺跡の内で、特徴の異なる3つの墓域が発見されました。それぞれ王墓、王族墓、有力者層の墓域に

該当すると想定されます。

 

 

須玖岡本遺跡から再スタート

 

 

春日ふれあい文化センターで休憩

 

ふれあいプラザから春日神社に向かいます

 

 

牛頸(うしくび)川を渡ります。

 

春日公園を通り、九大筑紫キャンパスへ

 

12:00 JR大野城駅にゴールしました。

 

 

 

 

 

 


冬の北海道温泉三昧(定山渓温泉・湯の川温泉・洞爺湖温泉)最終回

2024-12-21 07:45:02 | 旅行

12/15 冬の北海道温泉三昧の旅もいよいよ最終日になりました。

宿泊した洞爺湖の宿は、大浴場もありますが、「昭和の湯」と言って、昔の銭湯をイメージしています。ならば、入らなくては・・・と思い、5時ごろから入りました。

入口には、アイスキャンディ屋さんの自転車、更衣室には、昔の映画のポスターが張られています。

まだ他の人が入っておらず一番風呂です。お風呂には、富士山が描かれています。まさに昔の銭湯です。(撮影禁止の為写真はありません)

宿のロビーは、洞爺湖に面しています。昨晩も雪が降り、あたりは白くなっています。

しばらく外を眺めていると、羊蹄山(ようていざん)が姿を現してきました。

 

私、実は、洞爺湖は2回目です。毎年9月に洞爺湖を中心に「北海道ツーデーマーチ」といって洞爺一周コースやあぶた噴火湾コースなどがあり有珠山・昭和新山などを歩いて

きました。機会があればまた参加したいと思っていましたが、残念ながら今年の大会を以て『中止』になりました。

その時のブログがこれです。 第32回北海道ツーデーマーチ(北海道虻田郡洞爺湖町)1日目20km - よっちゃんのおててつないで

 

8:00 ホテルを出発  白老町のカニ御殿へ

40分ほどで白老町(しらおいちょう)のカニ御殿に到着。

カニ御殿の屋根には、巨大なクマと鮭のオブジェが・・・・

このオブジェ、クマが全長15m、高さ10m、横幅8m、重さ30トン。鮭が全長12m、高さ3m、横幅1,5m、重さ8トン 約1億円かかったそうです。

クマの姿は、迫力があります。

 

また、入口には、クマの剝製でしょうか、これもリアルで怖いです!。こんなクマが襲ってきたらと考えるとホント怖いです。

 

店内に入るとおいしそうなカニなどが並んでいます。

10年ぐらい前でしょうか、韓国機張市場で腹いっぱいカニを食べたことがあります。いまは、歳もとりましたし、もうそんなに食べることができません。

 

 

タラコの詰め放題のサービスがありました。瓶の中にタラコを詰めるだけ詰めていいそうです。但し、瓶のふたが閉まらないとアウトです。

私は、5腹でしたが、多い人は7腹も入れたそうです。

カニ御殿から苫小牧のノーザンホースパークへ。

「馬と大地と人との絆」をテーマにしたパークです。

引退した競走馬などサラブレッド種の地に約80頭の馬が生活しているそうです。

 

ポニーのショーが行われていました。

   

 

ノーザンホースパークから約15分で新千歳空港に到着。

時刻は、12時少しまわっています。これで4日間の冬の北海道温泉三昧の旅が終了しました。4日間のバスの走行距離は、約750kmだそうです。

最初は、4日間なんて長いな~と思ってましたが、あっという間の4日間でした。

新千歳から福岡行の飛行機は、14:20ですので空港内で札幌ラーメンでも食べようかとラーメン道場に行きましたが、御昼どきだったかもしれませんが、どこも満員です。

外国の方も多くおられます。あまり人込みは好きではありませんのでラーメンは諦めました。

ANA290便14:20発で福岡に帰りました。福岡着は17:00

これで冬の北海道温泉三昧の旅を終了します。

 

 


冬の北海道温泉三昧(定山渓温泉・湯の川温泉・洞爺湖温泉)その3

2024-12-19 18:44:52 | 旅行

12/14 湯の川温泉宿の朝食を終え、ロビーに行くと窓から津軽海峡が見えます。

中央の少しぼんやりした所が下北半島です。

   

8:00 函館朝市に向かいます。

見えてきたのは、「青函連絡船記念摩周丸」、1988年(昭和63)3/13青函連絡船最後の日まで運行していた摩周丸を実際の乗り場であった旧函館第2岸壁に係留・保存・公開されています。

現在の青函連絡船フェリーは、ここより少し離れたところにあります。今は、青森~函館間を約5時間で運行するそうです。

そういえば、2016年(平成28)青森のウォーキング大会に参加した時、青森の会場が八甲田丸でした。(写真は平成28年のものです)

 

函館朝市は、戦後間もない1945年(昭和20年)、函館前で農家が野菜の立ち売りをしたのが始まりです。現在は、250店舗、年間来場者数150万人、年間売上高130億円だそうです。

 

歩いていると、何か釜山のチャガルチ市場に雰囲気が似ています。チャガルチ市場も店頭で蟹を選び中で調理してくれます。

お正月に向け、海産物も欲しいですが、値段がちょっと高めです。庶民には、手が出ません。

 

 

函館朝市から、五稜郭タワーへ。五稜郭は、戊辰戦争のいわゆる箱館戦争の中心となった西洋式の城郭です。

五稜郭という名前がついたように,稜堡(りょうほ)と呼ばれる5つの角があり,星形の五角形となっています。この上には土塁が造られ,また石垣も積まれ,五角形となる土塁と石垣の周りには,

水堀があります。さらに,この星形の土塁の南西側には,半月堡(はんげつほ)または馬出塁と呼ばれる三角形状の土塁があり,その周りもまた水堀となっています。
 五稜郭のような珍しい形は,約500年前の16世紀頃のヨーロッパで考えられ,その後,ヨーロッパの各地に造られた「城塞都市(じょうさいとし)」をヒントにしたものです。そこから,

この形を「西洋式土塁」と言っています。また,このような形の五稜郭は,日本では, 函館市の五稜郭と長野県佐久(さく)市の龍岡城の2か所だけとなっています。(函館市HPより)

五稜郭の歴史 | 函館・五稜郭タワー | 公式ウェブサイト - Goryokaku Tower

   

 

1階に下りてみると、当時使われた大砲が展示されています。

 

 

 

五稜郭から七飯(ななえ)町「道の駅なないろ・ななえ」に向かいます。七飯町(ななえちょう)とは、読みにくい地名ですね。

1879年(明治12年)七重村と飯田村が合併して出来た地名です。

「道の駅なないろ・ななえ」に到着します。今までの旅で雪ばっかり見ていましたが、ここは、北海道内でも温暖な地方で雪が少ないです。

道の駅内に入るとトイレが綺麗です。道の駅ランキングでは北海道内で第1位、全国でも第4位だそうです。

 

七飯町(ななえちょう)は、日本で初めて西洋りんごが栽培(さいばい)された場所です。
   道の駅なないろ・ななえにあるモニュメントには、1869年にR・ガルトネルというドイツ人が、この地で西洋りんごの栽培(さいばい)を始めたことが記(しる)されています。

  

道の駅の先には、男爵イモのモニュメントがあり、横にはDannsyaku  Lounge」があります。

 

川田龍吉は江戸時代の終わり、1856年に北海道とは縁もゆかりもない土佐郷士の家に生まれました。
青年期には造船技術を学ぶためにスコットランド・グラスゴーへ留学。
帰国後は学んだ技術を生かして横浜ドックの初代社長に就任、明治期の日本造船工業に貢献しました。
40歳の時には日銀総裁を務めた父・小一郎が爵位「男爵」を授与されますが翌年に急死。長男の龍吉が男爵を受け継ぎます。
その後、渋沢栄一より経営が傾いていた函館ドックの再建を託され、いよいよ北海道の地へと移り住みました。

龍吉は専務取締役として会社の再建に奮闘、同時にかねてから興味があった農業を本格的に始めます。
留学先のスコットランドで先進の農業技術を目の当たりにし、日本との差を痛感した龍吉は、積極的に海外の技術を取り入れました。
その際、特に進んで栽培したじゃがいもが後の「男爵いも」となります。
また、男爵という高い地位にも関わらず、農場では積極的に農民と交わろうとした姿勢も後世に伝わっています。

函館ドックの経営も軌道に乗り勇退した龍吉は、晩年まで北海道農業の近代化に努めました。
92歳の時にはトラピスト修道院で洗礼を受けカトリック教徒となり、3年後にその生涯を終えます。(男爵倶楽部より引用)

今まで何気なく食べていた「男爵イモ」、男爵って誰だろうと思ってましたが、やっとわかりました。

 

大沼国定公園に来ました。

大沼国定公園は渡島半島の中央部、七飯町、鹿部町、森町の3町にまたがって広がる、面積およそ9,000haの自然公園です。
公園区域は、活火山である駒ヶ岳(1,131m)と、その山麓に点在する大沼、小沼、蓴菜(じゅんさい)沼の大沼三湖に代表される湖沼群の地域で、山と水の変化に富んだ景観を一体的に

含んでいます。
公園の中心である南大沼地区は、道南の玄関口である函館市の中心部から北へ20km程のところにあります。(北海道HPより)

記念写真を撮りますが、バックに駒ケ岳が見えません。

大沼は、少し氷が張りだしました。最高は、厚さが40~50cmぐらいになるそうです。

  

 

さきいかが売られていました。試食するとおいしいです。お酒のお供に一袋買いました。@1500です。

 

昼食は、大沼プリンスホテルのハンバーグランチです。

 

窓側の席に座り、じっと駒ケ岳の方を見ていると、駒ケ岳の槍が峯が見えてきました。

大沼国定公園には、千の風になって 誕生の地だそうです。

新井満さんは、友人の勧めで大沼公園に別荘を購入、夏・秋には家族で大沼を訪れ、大沼は静かだから気に入っている「大沼の森の中を自由自在に吹き渡る風を思い出して

作者不詳の英詩『A THOUSAND WINDS』を作詞作曲の新井満氏が日本語訳し曲をつけたもの。

新井氏は平成15年(2003) に写真詩集『千の風になって』を発表し、自らが歌った同名のCDを発表したのがこの曲の世に出た最初で、その後数人の歌手が カバー曲として歌った。

特に平成18年(2006) のNHK紅白歌合戦で秋川雅史氏が歌ったことで俄然注目され、CDの売り上げは100万枚を超えたといわれています。

新井満 千の風になって Bing 動画

 

大沼から約30分で洞爺湖サイロ展望台へ

 

 

段々と視界が良くなってきました。

  

今日の宿は、洞爺湖温泉です。

 

(つづく)

 

 


冬の北海道温泉三昧(定山渓温泉・湯の川温泉・洞爺湖温泉)その2

2024-12-17 17:58:16 | 旅行

その1からの続きです。

12/12、今夜のお宿は、定山渓温泉。実は、私、2015年6月にここ定山渓温泉に来ています。

その時のブログがこちらです。初めての北海道「定山渓温泉編」(札幌市) - よっちゃんのおててつないで

あの時は、札幌中島公園からレンタカーを借り、定山渓温泉に向かいました。今回は、日没後でまた、雪でしたのでどこを走っているのかまったくわかりません。

札幌から約40分で定山渓温泉へ到着。すぐお風呂に入ります。やっぱり温泉っていいですね。長く浸かっていたかったのですが、夕食の時間が迫っていますのでカラスの行水とはいきませんが、

夕食の時間に間に合いました。

 12/13 起きてみると、定山渓温泉も一面雪景色です。9年前泊った宿も部屋から見れました。

 

 

朝食を終え、8:00 小樽へ出発。約1時間で小樽に到着しました。

小樽も雪です。

 

 

記念写真

 

小樽の地名は、アイヌ語の「オタルナイ」(砂の中の川という意味)が由来です。運河の近くには、「小樽のひとよ」「小樽運河」「おれの小樽」など小樽がタイトルになった歌碑が

あったのですが、雪道に慣れてないので探そうという気が起こりません。ただ皆さんの近くを歩くだけです。

小樽は、

 

旧北海道拓殖銀行小樽支店には、「似鳥美術館」がありますが、開館が10:00からです。※家具大手ニトリホールディング

 

 

  

小樽から虻田郡留寿都(るすつ)村の「わかさいも」で昼食。留寿都とは、アイヌ語で道が山の麓にあるという意味だそうです。

昼食後、京極町へ。このあたりは、豪雪地帯で廻りは大雪です。

 

京極町は、羊蹄山(ようていざん)の麓にある町で、本来なら羊蹄山が近くに見えるのですが、この大雪で山は隠れています。

「名水の郷きょうごく」は、蝦夷富士「羊蹄山」に降った雨や雪解け水が濾過され、地中のミネラルを加えながら数十年の長い時間を経て流れ出る恵みの湧水。「

京極のふきだし湧水」は国内最大級のもので、1日の湧水量は8万トン、30万人の生活水に匹敵する。1985年、環境庁の「名水百選」にも選ばれ、この自然が与えてくれた、おいしい水を

求めて訪れる人が絶えません。

 

京極町から函館市に向かいます。

まだ5時を少し過ぎた頃ですが、函館は、夕やみに包まれています。

函館山ロープウェイは、インバウンドの方が多く、乗るのに30分以上かかっています。

30分待ちやっと頂上へ。函館の夜景は、初めてでしたけど綺麗ですね。

この夜景のどこかにハートマークがあるらしいのですが、見つけられませんでした。

 

花火も上がっていました。

 

函館山から市内中心部に向かいます。函館でも「はこだてクリスマスファンタジー」が開催されています。

 

 

 

 

 

19:00 今日の宿湯の川温泉に到着。 (つづく)

 

 

 

 


冬の北海道温泉三昧「定山渓温泉・湯の川温泉・洞爺湖温泉)その1

2024-12-16 17:35:23 | 旅行

私、北海道には、ウォーキングで過去5回ほど訪れていますが、冬の北海道を旅したことがありません。

たまたま新聞に「北海道温泉三昧」旅行会社のツアーがありましたので申込し、12/12~12/15まで冬の北海道を旅してきました。

12/12福岡空港10:10発新千歳空港着12:30。

到着後、団体のバスで日本ハムファイターズの本拠地「北海道ボールパークエスコンフィールド」へ。

一面雪景色です。こんな雪景色をみたのは、15年前雲仙に行った時ぐらいです。

エスコンフィールドは、昨年(2023年)春、福岡ドームに次ぎ、日本2番目の開閉式ドーム球場として開業しました。

 

約40分でエスコンフィールドに到着しました。シューズに滑り止めを付け雪道を歩きます。

北海道の雪は、パウダー状ですのでサラサラしています。それでも雪道は慣れていないのでゆっくりゆっくり歩きます。

 

コカ・コーラゲートより中へ

今日は平日で野球もなく、空いている店舗も少なかったが、なかなか面白い店もありました。また、通路が広く造られておりゆっくり歩けます。

  

「しゃけまる」は、球団のマスコットキャラクター。鮭は、母川に帰る習性があるので、鮭のように選手が塁に出たらホームに還ってくることを祈って誕生したそうです。

日ハムがチャンスの時にこれを振って応援するそうです。

  

いつか、エスコンフィールドで福岡ソフトバンクホークスが対戦するときに応援に来たいですね。(勿論ホークスの応援です)

エスコンフィールドから札幌市中心部へ。北海道は、夕暮れが早いです。まだ4時過ぎなのにもう薄暗くなっていました。福岡と比べ1時間半ぐらい違うかな?

大通りでは、さっぽろホワイトイルミネーションが午後4時半から行われます。

 

 

気温を見ると、-3度です。あわててフードを被り、手袋をします。ここ数十年マイナスの気温を感じたことがありませんので寒いです。

4時半になりました。イルミネーションの点灯です。

 

大通りのイルミネーションは、1981年(昭和56年)から始まり、今年で44回目だそうです。

福岡でも博多駅・舞鶴公園などでイルミがありますが、私、もう歳なので夜間はめったに外出しません。

イルミ見学も久しぶりです。ホント綺麗です。

 

 

 

 

 

無料で写真を撮ってもらいました。

 

このあと、今日の宿、定山渓温泉に向かいました。 (つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 


やさしいウォーク「師走の遠賀川河川と飯塚市内をウォーク」(福岡県飯塚市)

2024-12-10 05:35:35 | ふくおかウォーキング協会

12/5(木)ふくおかウォーキング協会やさしいウォークは、「師走の遠賀川河川と飯塚市内をウォーク」でした。

昨日に続き、筑豊地区をウォーキングです。

集合場所は、JR鯰田駅。参加者23人。鯰田駅は、無人駅でトイレもありません。

 

9:30スタート。鯰田大橋を渡ります。

 

しばらく歩くと「幸袋地区」に入ります。幸袋には、炭鉱主「旧伊藤伝衛門邸」があります。伊藤伝衛門は、歌人柳原白蓮と結婚した人でもあります。

「茅葺の家」が見えてきました。築200年の古民家を新しく茅葺に改修されたそうです。

この家は、「黒田藩三孝子」の一人畠中好平の家です。

 

犬小屋も茅葺です。残念ながら犬はいませんでした。

 

スーパーALZOで休憩、休憩後遠賀川河川敷を歩きます。

 

途中、柳原白蓮(伊藤伝衛門の奥様)の歌碑があります。

おもひきや 月も流転の かけてかし わがこしかたに 何をなげかむ

意味は、晩年に我が身を振り返り、月の満ち欠けと自分の一生を思い合せて「わがこしかたに何をなげかむ」と強く生きる覚悟を表した歌です。※こしかた→過ぎてきた時、過去

 

 

飯塚市街地に入ります。

 

クリスマスモードですね。

 

長崎街道上にある曩祖(のうそ)八幡宮です。

神功皇后が三韓征伐からの帰途、納祖の森に祭壇を設けて天神地祇を祀り、長年つき従った九州の臣たちと別れを惜しんだと伝えられています。このとき、人々が「またいつか尊顔を拝し奉らん」と

口々に言い、この「いつか」が「飯塚」の名の由来であるといわれています。

社伝では、その跡に作られたのが当社であるといいます。創建年代は不詳ですが、延文4年(1359年)には社殿が建立されてました。大正13年に県社に昇格しました。

 

 

 

11:30 新飯塚駅にゴールしました。

今日のGPSです。

 

 

 

 


楽しいウォーク「田川市内散策ウォーク」(福岡県田川市)

2024-12-06 21:16:17 | ふくおかウォーキング協会

12/4(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは「田川市内散策ウォーク」でした。

田川と言えば、やはり五木寛之さんの「青春の門」ですね。本嫌いの私が唯一自立編から風雪編まで全部読みました。

映画にもなりましたね。観に行きました。吉永小百合さん、大竹しのぶさん・・・・映画の挿入歌山崎ハコさんの「織江の歌」も良かったです。

 織江の歌    Bing 動画

私、いろんなところを歩いていますが、田川はもう何年ぶりかな・・・・30年、40年前  確かJRウォークで歩いた時以来かな???

今回、電車で行こうと計画しましたが、乗換、乗換で結構時間がかかるので車で行くことにしました。

田川後藤寺駅に車を置き、日田彦山線で集合場所の田川伊田駅へ。

スタート前まで少し時間がありましたので伊田商店街を散策します。9時になるのにまだオープンしているお店はありません。

 

風治八幡宮は、毎年5月に行われる福岡五大祭りの一つ「川渡り神幸祭」の舞台です。

 

今日のウォーク、参加者26名、やはり遠方だったから少ないのでしょうか?

今日のコースです。9:35スタート

 

先ずは、「石炭記念公園」へ

田川の石炭の歴史と文化を残そうと、旧三井田川鉱業所跡地に整備された公園です。
国登録有形文化財の伊田竪坑第一・第二煙突と伊田竪坑櫓のほか、炭坑節発祥の地の碑などの記念碑やモニュメント、炭坑夫之像が建てられています。
敷地内に「田川市石炭・歴史博物館」もあり、石炭採掘の歴史資料や昭和初期の炭坑住宅の再現、運搬に使用されたSLなどが展示されています。

 

 

盆踊りなどで歌われる「炭坑節」の発祥の地は、田川・伊田です。

田川市HPによると 

昭和7年(1932)、後藤寺町検番の長尾イノさんら3人が日東レコードに「炭坑唄」を収録したのが炭坑節レコード化の初めである。その前年、隣接する伊田町でも選炭唄をレコード化しようとする動きがあったが、実現しなかった。

炭坑節は、炭都田川の発展に伴い、労働の中で生まれた仕事唄が宴席に持ち込まれ、やがて花柳界で洗練されつつ歌われるようになったものである。大正から昭和初期にかけて、筑豊の炭鉱主たちが博多・小倉などの料亭で豪遊したこともあって、宴席では欠かせぬ唄となり、やがてラジオを通じて全国的にも知られるようになった。
盆踊りの定番 その発祥は炭坑節が爆発的に広まったのは、「戦後の復興は石炭から」という国策に沿って、この唄が毎日のようにラジオで放送されたことによる。その軽快なメロディは一般に親しまれ、やがては盆踊りの定番となった。

炭坑節が広まるにつれ、そのルーツをめぐって本家争いが起こった時期もあった。幸いなことに伊田尋常高等小学校(現鎮西小学校)の小野芳香氏が田川郡内の民謡・童謡調査の際、採集した膨大な数にのぼる歌詞の中に「伊田場打撰炭節」があった。明治43年(1910)には一部改曲したものを補習科の生徒に試唱させている。また、大正14年(1925)に編纂した『福岡県田川郡民謡・童謡の研究』の中にも「炭坑節(伊田町三井炭坑唄)」として収録されている。炭坑節の元唄はまがうことなく田川の炭坑で選炭作業に従事する選炭婦が歌った選炭唄であった。

 

「月が出た出た月が出た三池炭鉱の上に出た♪♪」→→もともとは、「月が出た出た月が出た三井炭鉱の上に出た♪♪」だったそうです。

三池炭鉱(大牟田)も三井伊田炭鉱(田川)もどちらも「三井」の炭鉱でした。

  

 

 

 

石炭記念公園から再スタート

 

国道201号線沿いに相撲茶屋「貴ノ花」があります。貴ノ花が師匠の時は、九州場所の宿舎でした。

 

「10円あったらチロルチョコ」のキャッチフレーズで有名な「チロルチョコ」は、田川が発祥の地です。

本社工場の近くには、直売店があり、ここにも立ち寄ります。

 

ディスカウントストアで有名な「Mr.MAX」も田川が創立地です。

田川市役所で休憩。

 

休憩後再スタート。三井寺(みついでら平等寺)へ

 

地元では「風鈴寺」とも呼ばれる真言宗御室派平等寺、通称「三井寺」。4月下旬~9月頃、本堂横の庭には夏の風物詩、風鈴のトンネルがお目見えします。幅約2.5m、長さ約50mのトンネルには約10,000個の風鈴がチリンチリンと揺れ、参拝客の目と耳を楽しませます。1時間に2回のしゃぼん玉タイムには、境内にたくさんのしゃぼん玉が舞い、風に揺れる色とりどりの短冊や、きらきらと輝く風鈴とのコラボレーションは幻想的。風鈴を購入し、短冊に願いを書いて吊るすこともできます。
風鈴以外にもユニークなポーズのお地蔵さまが見どころ。ガッツポーズ地蔵や手抜き地蔵、ほほえみ地蔵や親子地蔵などが、訪れる人の心を癒やしてくれます。個性豊かな八本地蔵、八方ふさがりの人千手観世音菩薩などもありますので、境内をゆっくり散策してみてください。(クロスロード福岡より)

ちょうど紅葉の真っ最中でした。

 

 

 

 

 

 

帰りには、皆で記念写真を。

 

12:35 田川後藤寺駅へゴール

追記

田川は、1943年(昭和18年)伊田町と後藤寺町が合併してできた市です。

田川についての言い伝えはいくつかある。そのうち今でもよく見聞きするのが、現在の鷹ノ巣山(添田町)に光り輝く鷹が降り立ったというもの。鷹ノ巣山の名の由来であるとともに、

「鷹羽」→「高羽」→「田河」→「田川」と時代とともに移り変わって、現在にいたるという。(筑豊百景より引用)

伊田」の地名の由来は、井田、飯田から転訛したものです。

後藤寺」には、後藤寺というお寺はありません。江戸初期の1600年代には宮尾弓削田(みやおゆげた)村新町として記録に表れ、1700年代には後藤寺(ごとうじ)町村として記録に表れます。

中世の弓削田荘の鎮守春日神社の門前町として香春(かわら)道(秋月街道)に沿って発達したのでしょう。後藤寺の地名は「藤寺」があったという説、『応永戦乱記』にある「五塔寺」から

転訛したという説、『豊前村誌』に出てくる「牛頭寺」から転訛したという説があります。明治15(1882)年の小名調では、大字池尻に「牛頭寺原」「牛藤寺」「後藤寺原」、大字宮ノ尾に

「後藤寺原」とあります。

 

 

 


楽しいウォーク「大野城山麓散策と印刷工場見学」(福岡県大野城市)

2024-11-29 18:22:19 | ふくおかウォーキング協会

11/27(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは「大野城山麓散策と印刷工場見学」でした。

この日福岡地方は暴風警報が出されていました。会の規則は、朝6時時点で「警報」が出ていると中止ですが、よく天気予報を調べてみると、暴風警報は、沿岸沿いそれもお昼頃ということで

ウォーキングを決行することにしました。(印刷工場見学が予定に入っていましたので)会員の皆さんには、Lineやメールで「決行」を連絡しました。

集合場所は、JR春日駅、参加者31名。雨も降っておらず、風もそんなに強くありません。

 

今日のマップ

9:30 スタート

 

大野城北コミセンで休憩

 

休憩後再スタート

 

今日の印刷工場見学は、12:00~。イオン乙金店で30分の時間調整します。

ここで早いけど昼食にします。

 

11:15 店舗の外で集合を掛けますが、1人いません。店内放送を依頼し待っていますが、10分経っても来られません。

別の人がその方の携帯に電話しますが、一向につながりません。5~6人で探しますが見つかりません。

どうしようかと思っているとその方から電話が・・・・それによると、今日は雨が降りそうなので大野城総合公園にはパスすると言ったのにそちらに行かれていました。

大城3丁目の交差点で待ち合わせし、やっと合流しました。先発隊はもう印刷工場の方に行ってます。

 

何とか、全員揃い、印刷工場の中へ。

 

 

機械に巻かれているロール紙(新聞紙)は重さ1トンあるそうです。

工場内は、ほとんど撮影禁止です。新聞を印刷する輪転機は、早いときは時速50km/hだそうです。印刷し裁断、梱包まですべて自動化されています。

私の子供の頃、NHKTVで「事件記者」という番組がありました。その時この輪転機が映し出されフェードインで字幕が出て居ました。

懐かしくてしばらく見ていました。

 

 

案内していただいた女子社員の方です。

工場を出ると雨が本降りになっていました。

 

帰りには、今日の新聞に私たちの集合写真が載った新聞をいただきました。

  

西鉄白木原駅を通りJR大野城駅でゴールしました。