上久堅が早かったので他は回る事を諦め下久堅の古木を探そうと下るも・・・この日はミスの連発で
目的地から思いっきり遠回りしてしまいました・・・(泣)故に回れるはずの箇所も回れずです
文永年間に創建された文永寺の歴代住職は、いずれも醍醐寺理性院や禁裏の小御所での大元帥法の
伴僧を勤めていたと云われ、醍醐寺との関わりが大変深かったという文永寺さん
その醍醐寺の桜が当文永寺にもたらされたと伝えられています。と、すればこの枝垂桜も樹齢180年位?
勅使門 その醍醐寺の桜が当文永寺にもたらされたと伝えられている 勅使門というのは、勅使
(天皇が派遣する使者)の通行に使われる門のことです。
開かずの門ともいわれ、型態彫刻などが県下唯一の貴重なものとのことです。長い月日の
流れによる経年劣化も見られますが、その彫刻は見事なものです 門前案内板より
勅使門を覆うように咲きほこる枝垂桜 皇室とのつながりも深く、室町時代に数代に渡り勅願寺
となった例は全国的にはないようです。指定はされて居ない物の素晴らしく厳かな雰囲気の桜でした
戦国時代に武田信玄が下伊那に乱入した際の兵火により焼失しましたが、江戸時代に天皇の命に
よって再興しています。国の重要文化財・重要美術品等多くの品がある貴重なお寺さんです
2022年4月6日撮影