今日(12月2日)は「原子炉の日」
原始炉(原子炉)とは、核反応を持続的に発生させるシステムで、主に核反応によるエネルギー生産、核変換による物質生産などの目的で使用されるが、中性子源として用いられる炉も存在する。使用される核反応の種類から、核分裂炉と核融合炉とに分けられるが、一般には前者を指す。核分裂炉はその使用目的からも分類することが出来、軍事目的にプルトニウム生産のみを目的とした原子炉をプルトニウム生産炉といい、熱を取りだし発電等に用いられる原子炉を動力炉という。
1942(昭和17)年の今日(12月2日)、アメリカのシカゴ大学に設置された実験用小型原子炉でウランの核分裂の持続的な連鎖反応に世界で初めて成功したのが、イタリアからアメリカに亡命した物理学者エンリコ・フェルミであった。
エンリコ・フェルミ(Enrico Fermi、1901年9月29日 - 1954年11月28日)は、1938年にノーベル物理学賞を受賞した。ノーベル賞授賞式出席のため、ムッソリーニ政権下のイタリアを出国し、ストックホルムで賞を受け取ったが、妻のローラがユダヤ人であったため、ユダヤ迫害を避けてそのままアメリカに亡命。アメリカでは、核分裂反応の研究に従事し、マンハッタン計画に携わり、1942(昭和17)年、世界初の原子炉を完成させ、原子核分裂の連鎖反応の制御に史上初めて成功した。その後、米国政府と原子物理学者、産業界、軍当局が一体になった秘密開発計画(この原子エネルギーを使った新兵器開発)が着々と進み、1944(昭和19)年秋には航空機による原爆投下を任務とする部隊が編成された。しかし、1945(昭和20)年 5月にドイツは降伏、日本も原子兵器の早期開発を断念していたというが、米国は原子爆弾を完成させ、戦後世界での米国の主導権を決定づけるために使おうと考え、三発の原子爆弾が作られ、 7月16日に最初の一発をニューメキシコ州アラモゴードの砂漠で実験に使い、残る二発を8月に日本で、広島と長崎の実戦に使用したというのである。毎年8月になると原爆を投下された広島、長崎では原爆死没者慰霊式・平和祈念式がおこなわれている。
原子爆弾開発プロジェクトであるマンハッタン計画の中心的な役割を演じたといわれているエンリコ・フェルミは、その後の水素爆弾の開発には、倫理的な観点から反対をしていたとも・・。
しかし、マンハッタン計画後、アメリカでエドワード・テラー、スタニスラフ・ウラムらによって水素爆弾の開発が進められ、1952(昭和27)年11月エニウェトク環礁で人類初の水爆実験に成功した。ところが、翌1953年、ソヴィエト連邦がアメリカの水爆の欠点、大掛かりな付属装置の不要なため小型軽量化した水爆の実験に成功。その後アメリカも熱核材料をリチウムで固体化した水爆を完成、1954(昭和29)年のキャッスルブラボー(Castle Bravo) 実験の成功により大幅な小型化が実現、更に米ソ両国で核実験が続けられ1955年から1956年には爆撃機にも搭載可能になる核兵器、威力重量比が格段に増大するいわゆるメガトン級核兵器が登場することになった。このように、第二次世界大戦後、世界各地で大規模な核実験(水爆実験)が数多く行われ、偶発的に遭遇した第三者や環境への被害が広がった。その代表的な事件に、1954(昭和29)年3月1日、ビキニ環礁で行なわれた前述のキャッスルブラボー実験の際に、日本の第五福竜丸を含む漁船数百隻が被曝するという事件があった。第五福竜丸の船員23名は実験による放射性降下物の降灰を受け全員被爆した。後に、第五福竜丸以外にも危険区域内で多くの漁船が操業していたことが明らかとなった。このときの水爆実験で放射性降下物を浴びた漁船は、数百隻にのぼるとみられ、被爆者は2万人を越えたといわれている。
第五福竜丸の水爆災害では、乗組員の被爆だけでなく、築地などで同船から水揚げされたマグロから強度の放射能も検出され、実験が行われた同年3月以降相次いで放射能汚染魚が見つかる。さらに、日本各地の雨から放射能が検出され、飲料水・農作物・加工食品などの汚染問題に注目が集まる。そして、日本の全国各地で、強烈な反核運動を起こる結果となった。この反核運動が反米運動へ移ることを恐れたアメリカは日本政府との間で被爆者補償の交渉を急ぎ、総計200万ドルの補償金と「米国の責任を追及しないこと」の確約を日本政府から受け、事件の決着を図ったといわれている。この年(1954年)に怪獣映画「ゴジラ」第1作が製作された。夜の闇の中、ようやく敗戦の傷も癒え復興に向かいつつあった東京を破壊するゴジラ。モノクロの映像がその恐怖を引き立てる。原水爆実験によって生まれた、あらゆる武器をものともしない巨大生物ゴジラを撃退する手だてはあるのか。映像の迫力、演出も最高の傑作であるが、この映画は、単なるSFX技術を駆使した怪獣映画ではなく、「第五福竜丸」被爆事件をヒントに、水爆実験反対という強烈なメッセッセイジがの含まれていた映画である。1963年に調印された部分的核実験禁止条約 (PTBT) によって、水爆を含め大気圏・宇宙空間・水中での核実験は禁止されたが、その後も、核の実験が行われ、核保有国は増えているのが現実である。そして、日本にとって、当面もっとも脅威となっているのが、日本人を拉致した国、北朝鮮である。そして、北朝鮮の核の脅威から、守ってもらおうとしているのが、日米安保条約の締結をしているアメリカである。日本は、戦後、自分で自分の国を守れない国になってしまった。そのため、広島、長崎に原爆を投下し、水爆実験で、第五福竜丸を被爆させた国の「核の傘」の元に、安全が保障されている形となっているのである。考えてみれば、なんと、情けないことなのだろうか。
原爆の話はさておき、日本では、平和利用として熱を取りだし発電等に用いられる原子炉・動力炉が導入されている。わが国で、原子力発電が開始されたのは、1965年の東海発電所であるが、2004年(平成16年)4月1日現在、52基の原子力発電所にて4,574万kWの発電設備容量、2001年度の総発電電力量は約2,389億kWhに達しているという。
2004年現在、日本における定格最大出力電力の約30%、電力量の約50%を担っている。一次エネルギーとしての原子力エネルギーは電力事業のみであり、日本での一次エネルギーに対する割合は15%程度となっている。原子力エネルギーにおいて、世界で最も高いウェートを示している国はフランスであり、国の一次エネルギーとしては40%、発電電力量としては75%を超えているという。また、原子力発電の燃料はウランであるが、ウラン濃縮を行えば必然的に劣化ウランが生じ、使用済み核燃料にはプルトニウム核廃棄物が含まれる。プルトニウムは核弾道ミサイルなどに転用することが技術的に可能であり、劣化ウランは劣化ウラン弾として、また核廃棄物をそのまま汚い爆弾として軍事転用が可能である。したがって、戦時下では攻撃目標になるという。
原子力発電には、・安定した電力供給が可能。 ・地球温暖化の原因とされる二酸化炭素の排出が少ない 。・使用する燃料が極端に少なくて済む 。・燃料の中東依存度を減らすことが出来る 等々の利点があり、高エネルギーを消費している日本にとっては、今やなくては困る物となっている。しかし、原子力発電の利用には、・重大事故は周辺環境に多大な被害を与え、その影響は地球規模に及ぶ。 ・毒性が強く、放射性物質である核廃棄物を作り出す 。・貯蔵中核廃棄物の最終処分ちが選定されていない等々多くの問題点が指摘されている。
そして、日本では、広島・長崎等が原爆を投下されたなどの過去の歴史的なこともあり、放射能や放射線と言う言葉にたいしてのアレルギーもあり、建設時に地域住民の反対運動が起こることが多い。その上、近年、その原子炉の安全管理上の不備が色々指摘されており、地域住民に不安を与えている。このブログを書いていて、ふと、昔読んだ推理小説を思い出した。1981(昭和56)年に出版された、乱歩賞受賞の社会派推理小説「原子炉の蟹」(作家:長井彬)である。現代科学の最先端の原子力発電所で起こる連続密室殺人と、「サルカニ合戦」の見たて殺人とをうまく絡み合わせた作品である。推理小説でありながら、奥行きの深い話で、原子力発電の必要性と弊害、さらには電力と政治との関係図まで説明してくれるところはまさに社会派推理である。中央新聞整理部新聞記者の曾我は、千葉支社の原田から原発の下請け企業の高瀬社長の不自然な失踪事件を追っていくうちに彼は青函連絡船から飛び込み自殺を図っていた。又、九十九里浜原発において人間が一人高度の放射能被爆にて死亡したという噂を原田はキャッチ、この事件を明らかにしたくない関東電力の総務部長からその死亡した人間こそ高瀬社長であるという告白を取り付けた。特ダネとして報道されたこの事件だったが、実は物的証拠は一つもなく面子を重視する警察の協力も得られなかったことから、関東電力他から中央新聞は大きな圧力にさらされてしまう・・・・。この本には、原子力発電という存在に対する情報が豊富に込められている。いかなる存在なのか、どのように管理されているのか、どのような人がどのような状態にて働いているのか。主人公の飛び込み取材をはじめ、リアルに原発の現場が描かれている。推理小説としては当然面白いが、社会的テーマを含んだ情報小説として読んでも面白いだろう。なんか、原子力発電の裏側は、この小説が書かれたときと今も余り変らないのではないかと言う気がする。世界的にエネルギー不足となってきた時代、原子力発電の是非は今でこそある程度認知はされているものの、事故なども多くいまだに不安な要素がたくさんある。出来ればない方がいいが、しかし原子力抜きではもはや成り立たない日本の電力事情を思うとき本当に複雑な気持ちになる。
(画像は長崎におとされた原爆。以下参考の原子爆弾-Wikipediaより借用)
参考:
原子力百科事典 ATOMICA
http://mext-atm.jst.go.jp/atomica/dic_1052_01.html
原子炉 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%82%89
原子爆弾-(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE
アラモゴードで生れた原子爆弾(中国新聞)
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/97abom/peace/04/aramo.htm
原始炉(原子炉)とは、核反応を持続的に発生させるシステムで、主に核反応によるエネルギー生産、核変換による物質生産などの目的で使用されるが、中性子源として用いられる炉も存在する。使用される核反応の種類から、核分裂炉と核融合炉とに分けられるが、一般には前者を指す。核分裂炉はその使用目的からも分類することが出来、軍事目的にプルトニウム生産のみを目的とした原子炉をプルトニウム生産炉といい、熱を取りだし発電等に用いられる原子炉を動力炉という。
1942(昭和17)年の今日(12月2日)、アメリカのシカゴ大学に設置された実験用小型原子炉でウランの核分裂の持続的な連鎖反応に世界で初めて成功したのが、イタリアからアメリカに亡命した物理学者エンリコ・フェルミであった。
エンリコ・フェルミ(Enrico Fermi、1901年9月29日 - 1954年11月28日)は、1938年にノーベル物理学賞を受賞した。ノーベル賞授賞式出席のため、ムッソリーニ政権下のイタリアを出国し、ストックホルムで賞を受け取ったが、妻のローラがユダヤ人であったため、ユダヤ迫害を避けてそのままアメリカに亡命。アメリカでは、核分裂反応の研究に従事し、マンハッタン計画に携わり、1942(昭和17)年、世界初の原子炉を完成させ、原子核分裂の連鎖反応の制御に史上初めて成功した。その後、米国政府と原子物理学者、産業界、軍当局が一体になった秘密開発計画(この原子エネルギーを使った新兵器開発)が着々と進み、1944(昭和19)年秋には航空機による原爆投下を任務とする部隊が編成された。しかし、1945(昭和20)年 5月にドイツは降伏、日本も原子兵器の早期開発を断念していたというが、米国は原子爆弾を完成させ、戦後世界での米国の主導権を決定づけるために使おうと考え、三発の原子爆弾が作られ、 7月16日に最初の一発をニューメキシコ州アラモゴードの砂漠で実験に使い、残る二発を8月に日本で、広島と長崎の実戦に使用したというのである。毎年8月になると原爆を投下された広島、長崎では原爆死没者慰霊式・平和祈念式がおこなわれている。
原子爆弾開発プロジェクトであるマンハッタン計画の中心的な役割を演じたといわれているエンリコ・フェルミは、その後の水素爆弾の開発には、倫理的な観点から反対をしていたとも・・。
しかし、マンハッタン計画後、アメリカでエドワード・テラー、スタニスラフ・ウラムらによって水素爆弾の開発が進められ、1952(昭和27)年11月エニウェトク環礁で人類初の水爆実験に成功した。ところが、翌1953年、ソヴィエト連邦がアメリカの水爆の欠点、大掛かりな付属装置の不要なため小型軽量化した水爆の実験に成功。その後アメリカも熱核材料をリチウムで固体化した水爆を完成、1954(昭和29)年のキャッスルブラボー(Castle Bravo) 実験の成功により大幅な小型化が実現、更に米ソ両国で核実験が続けられ1955年から1956年には爆撃機にも搭載可能になる核兵器、威力重量比が格段に増大するいわゆるメガトン級核兵器が登場することになった。このように、第二次世界大戦後、世界各地で大規模な核実験(水爆実験)が数多く行われ、偶発的に遭遇した第三者や環境への被害が広がった。その代表的な事件に、1954(昭和29)年3月1日、ビキニ環礁で行なわれた前述のキャッスルブラボー実験の際に、日本の第五福竜丸を含む漁船数百隻が被曝するという事件があった。第五福竜丸の船員23名は実験による放射性降下物の降灰を受け全員被爆した。後に、第五福竜丸以外にも危険区域内で多くの漁船が操業していたことが明らかとなった。このときの水爆実験で放射性降下物を浴びた漁船は、数百隻にのぼるとみられ、被爆者は2万人を越えたといわれている。
第五福竜丸の水爆災害では、乗組員の被爆だけでなく、築地などで同船から水揚げされたマグロから強度の放射能も検出され、実験が行われた同年3月以降相次いで放射能汚染魚が見つかる。さらに、日本各地の雨から放射能が検出され、飲料水・農作物・加工食品などの汚染問題に注目が集まる。そして、日本の全国各地で、強烈な反核運動を起こる結果となった。この反核運動が反米運動へ移ることを恐れたアメリカは日本政府との間で被爆者補償の交渉を急ぎ、総計200万ドルの補償金と「米国の責任を追及しないこと」の確約を日本政府から受け、事件の決着を図ったといわれている。この年(1954年)に怪獣映画「ゴジラ」第1作が製作された。夜の闇の中、ようやく敗戦の傷も癒え復興に向かいつつあった東京を破壊するゴジラ。モノクロの映像がその恐怖を引き立てる。原水爆実験によって生まれた、あらゆる武器をものともしない巨大生物ゴジラを撃退する手だてはあるのか。映像の迫力、演出も最高の傑作であるが、この映画は、単なるSFX技術を駆使した怪獣映画ではなく、「第五福竜丸」被爆事件をヒントに、水爆実験反対という強烈なメッセッセイジがの含まれていた映画である。1963年に調印された部分的核実験禁止条約 (PTBT) によって、水爆を含め大気圏・宇宙空間・水中での核実験は禁止されたが、その後も、核の実験が行われ、核保有国は増えているのが現実である。そして、日本にとって、当面もっとも脅威となっているのが、日本人を拉致した国、北朝鮮である。そして、北朝鮮の核の脅威から、守ってもらおうとしているのが、日米安保条約の締結をしているアメリカである。日本は、戦後、自分で自分の国を守れない国になってしまった。そのため、広島、長崎に原爆を投下し、水爆実験で、第五福竜丸を被爆させた国の「核の傘」の元に、安全が保障されている形となっているのである。考えてみれば、なんと、情けないことなのだろうか。
原爆の話はさておき、日本では、平和利用として熱を取りだし発電等に用いられる原子炉・動力炉が導入されている。わが国で、原子力発電が開始されたのは、1965年の東海発電所であるが、2004年(平成16年)4月1日現在、52基の原子力発電所にて4,574万kWの発電設備容量、2001年度の総発電電力量は約2,389億kWhに達しているという。
2004年現在、日本における定格最大出力電力の約30%、電力量の約50%を担っている。一次エネルギーとしての原子力エネルギーは電力事業のみであり、日本での一次エネルギーに対する割合は15%程度となっている。原子力エネルギーにおいて、世界で最も高いウェートを示している国はフランスであり、国の一次エネルギーとしては40%、発電電力量としては75%を超えているという。また、原子力発電の燃料はウランであるが、ウラン濃縮を行えば必然的に劣化ウランが生じ、使用済み核燃料にはプルトニウム核廃棄物が含まれる。プルトニウムは核弾道ミサイルなどに転用することが技術的に可能であり、劣化ウランは劣化ウラン弾として、また核廃棄物をそのまま汚い爆弾として軍事転用が可能である。したがって、戦時下では攻撃目標になるという。
原子力発電には、・安定した電力供給が可能。 ・地球温暖化の原因とされる二酸化炭素の排出が少ない 。・使用する燃料が極端に少なくて済む 。・燃料の中東依存度を減らすことが出来る 等々の利点があり、高エネルギーを消費している日本にとっては、今やなくては困る物となっている。しかし、原子力発電の利用には、・重大事故は周辺環境に多大な被害を与え、その影響は地球規模に及ぶ。 ・毒性が強く、放射性物質である核廃棄物を作り出す 。・貯蔵中核廃棄物の最終処分ちが選定されていない等々多くの問題点が指摘されている。
そして、日本では、広島・長崎等が原爆を投下されたなどの過去の歴史的なこともあり、放射能や放射線と言う言葉にたいしてのアレルギーもあり、建設時に地域住民の反対運動が起こることが多い。その上、近年、その原子炉の安全管理上の不備が色々指摘されており、地域住民に不安を与えている。このブログを書いていて、ふと、昔読んだ推理小説を思い出した。1981(昭和56)年に出版された、乱歩賞受賞の社会派推理小説「原子炉の蟹」(作家:長井彬)である。現代科学の最先端の原子力発電所で起こる連続密室殺人と、「サルカニ合戦」の見たて殺人とをうまく絡み合わせた作品である。推理小説でありながら、奥行きの深い話で、原子力発電の必要性と弊害、さらには電力と政治との関係図まで説明してくれるところはまさに社会派推理である。中央新聞整理部新聞記者の曾我は、千葉支社の原田から原発の下請け企業の高瀬社長の不自然な失踪事件を追っていくうちに彼は青函連絡船から飛び込み自殺を図っていた。又、九十九里浜原発において人間が一人高度の放射能被爆にて死亡したという噂を原田はキャッチ、この事件を明らかにしたくない関東電力の総務部長からその死亡した人間こそ高瀬社長であるという告白を取り付けた。特ダネとして報道されたこの事件だったが、実は物的証拠は一つもなく面子を重視する警察の協力も得られなかったことから、関東電力他から中央新聞は大きな圧力にさらされてしまう・・・・。この本には、原子力発電という存在に対する情報が豊富に込められている。いかなる存在なのか、どのように管理されているのか、どのような人がどのような状態にて働いているのか。主人公の飛び込み取材をはじめ、リアルに原発の現場が描かれている。推理小説としては当然面白いが、社会的テーマを含んだ情報小説として読んでも面白いだろう。なんか、原子力発電の裏側は、この小説が書かれたときと今も余り変らないのではないかと言う気がする。世界的にエネルギー不足となってきた時代、原子力発電の是非は今でこそある程度認知はされているものの、事故なども多くいまだに不安な要素がたくさんある。出来ればない方がいいが、しかし原子力抜きではもはや成り立たない日本の電力事情を思うとき本当に複雑な気持ちになる。
(画像は長崎におとされた原爆。以下参考の原子爆弾-Wikipediaより借用)
参考:
原子力百科事典 ATOMICA
http://mext-atm.jst.go.jp/atomica/dic_1052_01.html
原子炉 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%82%89
原子爆弾-(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE
アラモゴードで生れた原子爆弾(中国新聞)
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/97abom/peace/04/aramo.htm