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江戸小石川の薬草園に小石川養生所が設けられた。

2005-12-04 | 歴史
1722(享保7)年の今日(12月4日)、江戸小石川の薬草園に小石川養生所が設けられた。
3 代将軍家光の4 男松平徳松(5代将軍)は、1652(承応元)年この地に別邸を与えられた。そこは、白山台地と千川の低地の2段からなり、周囲に堀と土手、石垣を築き、白壁の塀に囲まれ、楼門と櫓があった。千川上水の水を引き込み、坂の途中に5段の滝を造り、下段の低地に庭園を造った。その御殿地には白山神社が鎮座していたことから「白山御殿」と呼ばれていたそうだ。
1684(貞享元)年、高田御薬園が白山御殿内に移転され、御殿の敷地内に移された薬園は、小石川薬園とか白山官園と呼ばれた。8代将軍吉宗は徳川幕府中興の祖と呼ばれているが、新しい産業の振興にも躍起となっていたらしく、熱帯が原産のサツマイモとサトウキビを日本に導入して栽培を広めたことでもしられている。医薬にも強い関心のあった彼は朝鮮人参にも注目し、当時、対馬藩が一手に朝鮮から輸入していた朝鮮人参の国産化を国策として実施したのも吉宗なのだそうである。この朝鮮人参の生品は最初吹上庭と小石川薬園に移植し、栽培したがこの地にはあわず活着しなかったそうだ。この吉宗の時代には、薬園の拡張がされ大部分が御薬園となり、その一角に小石川養生所が作られた。これは、享保の改革の一つとして設置された目安箱に、小石川伝通院の町医者小川笙船が投書し、その意見が採用されてできた貧困者のための診療所である。小石川養生所は,町奉行が支配し,与力2名と同心6名を配置し,取り締まり以下,いっさいのことを取り扱わさせ,小川笙船・林良適・岡丈庵・木下道圓・八尾伴庵・堀長慶の各医師に医務を主宰させた。その病室は,初めは40人づめだったが,翌1723年に増築して100人づめとし,1729年に150人,1733年には117人づめに改めた。その医員はたいてい小石川付近に住んでいた寄合医師と小普請医師から任命され、御番医師または藩医や町医から任ぜられたものもあったそうだ。
初めは本道(漢方医の用語で「内科」)と、外科と眼科をあわせて,8~9名の医員を置いたが、1733年以降は5名に減らした。小石川養成所の経費は,初めは年額700両だったが、のちには増額して840両とされ、付属町屋敷の借料(年額750両の収入)をもってあてていたという。小石川養生所は、賢君といわれた徳川吉宗の優れた功績の一つといえる。
この診療所の様子は山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』でも知られている。この小説は 1965年 、黒澤明監督により「赤ひげ」と題して映画化された。幕府の御番医になるつもりで長崎に遊学した青年保本登はどういうわけか小石川養生所“赤ひげ”のもとにに呼び出され、医員見習として住み込むことになる。不本意な成り行きから、当初こそ赤ひげに反抗しつづけていた登だが、赤ひげの一見手荒な治療、乱暴な言動の底に秘められた人間的優しさ、芯の通った考え方。医者として人間としてたぐい稀なものを持つ赤ひげに徐々に心を開いていく。言葉に出さずに信頼しあう師弟の心のふれあいに、そして青年の成長していく姿に胸打たれる映画であった。出演の赤ひげは三船敏郎が演じ、ヴェネチア映画祭主演男優賞を受賞。加山雄三は若き医師を見事に演じ、この映画で俳優としての評価を高めた。
テレビドラマなどでも、小石川養生所はよく登場し、そこでは、献身的に患者と向き合う医師の姿が描かれる。
ところが、約150年にわたる小石川養生所の活動記録を丹念にたどると、それとは程遠い実態が浮かび上がるのだという説がある。(「江戸の養生所 」著者:安藤優一郎、出版社:PHP新書)。貧困者のための診療所であるのに、養生所への入所希望者は次第に減っていったそう。それは、養生所の医師の大半が治療に熱心でなく、いい加減な治療しかしないという定評があり、投薬をしぶる医師、患者からあの手この手で金を巻き上げる看病人など、入所者にとっては、なにかと物入りで、ある程度の金銭的余裕がないと、養生所に入ることはできなかったそうだ。また、管理する人間が物品を横領するのは珍しくなく、入所者への虐待行為もあり、病室では酒盛りや博打の開帳もあり、衛生状態が最悪のうえに、所内の風気は頽廃していたというのである。今の、日本の厚生省の役人がやっていることを見ていれば、さもありなんと思うよね。昔も今も、最初の発案者は、庶民のためのことを考えて良かれと始めたものであっても、時が経つと腐敗が始まり、特殊な権益を得た特権階級は、自分の私利私欲の為にいい加減なことをするようになるものだね~。
1877(明治10)年、小石川御薬園は東京大学付属の植物園となっている。
(画像は黒澤明監督映画のポスター画絵葉書の1枚「赤ひげ」1965年製作)
参考:
日本植物研究の歴史
小石川植物園300年の歩み
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1996Koishikawa300/index.html
江戸の養生所
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9979088834