今日(12月25日)は、「クリスマス(キリスト降誕祭)」。イエス・キリストの降誕記念日。
西暦336年にイエス・キリストの降誕の日と決定された。キリストがこの日に生まれたという確証はなく、ローマの冬至を祝う「太陽の祝日」と結び附けられたものと言われている。Xmas"とも書かれる。日本では1874年に最初のクリスマスパーティーが開かれ、現在では宗教を越えた年末の国民行事となっている。このクリスマスについては、既に、私のブログ、今日(12月24日)は、「クリスマス・イヴ」
で書いたので省略する。
福音書には、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネ、以上の四つがある。福音書とは、新約聖書の中に「使徒言行録」や多くの手紙、「ヨハネの黙示録」と共に収められているもので、イエスの生(受肉)から死(十字架)、そして復活に至るまでの生涯を纏めた言行録であると同時に、人類に救いをもたらす喜びの知らせ、という意味で、福音の書と呼ばれている。
この中で、イエスの降誕は「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」のみに書かれているそうだが、それによれば、イエスはベツレヘムで生まれたという。マタイ福音書では、ヨセフは初めからベツレヘムに住んでいたように読めるが、ルカ福音書の場合は、住民登録のためにヨセフはマリアと共に先祖の町ベツレヘムへ赴き、そこでイエスが生まれたという形をとる。ベツレヘムはダビデの町であり、メシアはそこから生まれるという預言があった。これはそれにあてはめるための記述で、実際のイエスは恐らくナザレで生まれたと考えられている。
名前の「イエス」というのは、当時のユダヤ人の間ではごく普通の名前で、それに対して、「キリスト」は、「油を注がれた者」という意味のヘブライ語「マーシアハ」(これを日本語では「メシア」と呼んでいる)のギリシア語発音(正確なギリシア語発音では「クリストス」)に由来している。「具体的には、油注がれて「王」となったダビデの子孫から出て、終末の時にイスラエルを解放する政治的救世主として、ユダヤ人によりその来臨を待望されていた存在」を指す尊称。従って、「イエス・キリスト」というのは、イエスはキリスト(=メシア=救い主)である、という告白を圧縮した呼び名と言え、このことはとても重要なことだそうだ。それは、イエス・キリストは、キリスト教にとってのメシア/神/神の子であるが、イスラム教にとっての預言者だという。私は、その点について詳しく知らないので、興味のある人は、こちらを御覧ください。→イエス・キリスト
ルカ福音書では、宿が混んでいたために泊まれず、イエスを飼い葉桶に寝かせる。具体的にどこで産んだかは書かれていないが、伝統的にはこの場所、つまり厩(または牛小屋)ということになっている。その時に、天使が羊飼いに救い主の降誕を告げたため、彼らは幼子イエスを訪れる。
ルカによる福音書によるキリスト降誕の様子はこちらを見れば良くわかる。→La nativite/ キリスト降誕
このイエスの誕生を祝うキリスト降誕祭がクリスマスである。ところで、クリスマスイブは「クリスマスの前日」ではないってことはご存知?。英語で書くと 「Christmas Eveninng」、直訳すれば「クリスマスの夕べ」。実はクリスマスは24日の夜にキャンドルを灯してから始まり、翌25日の礼拝で一区切りするお祭りだったのだ。そして、イエス=キリスト誕生以前から、古代ヨーロッパの人々は冬至の夜(当時の暦で12月25日の前の夜)に「太陽の復活」を祝う冬至祭を行い、姿を隠した太陽神を拝み、酒を酌み交わして来たる年の豊作を祈ったという。つまり、真冬の折り返し点の、緑と太陽の復活を祈り、生命の誕生を祝う意味が昔からあったのだ。そして、この冬至祭の夜にはキャンドルを灯す。キャンドルの灯りに太陽の復活を願い、来年の豊作を祈ったのだ。地方によっては「火起こしの儀式」と言って、大きな薪を燃やし続けることもある。兎に角、冬至祭は炎の祭りでもあったのである。このような思想は、古今東西共通していて、日本の冬至の行事、「柚子湯」や「冬至粥」とも共通しているよね。この日本の冬至については、私のブログ、12月22日の「冬至」でも書いた。
中世ヨーロッパの農村では、11月には収穫を終えるが、この農閑期に結婚する習慣も、古今東西に見られる習俗であり、、ヨーロッパ中世農村での結婚相手探しの、一番のヤマ場がクリスマスにあったというのだが、このことが、現在の「恋人たちのクリスマス」のルーツかも知れないのだとか。その昔、アダムとイブは、楽園にある知恵の木の実(リンゴ)を食べて神の怒りを買い、罪を背負って楽園を追放された。おかげで人間は、神を裏切った罪のために寿命が来たら死ぬように定められた。これに対して、信仰のための「生命の樹」というものがあり、宇宙や神の教えを集約したこの樹は実在のものではないが、美しい三角形に枝をつけ、年中葉が枯れることのないモミの木が、この生命の樹に見立てられて信仰されるようになったという。このモミの木信仰と冬至祭の飾りつけが合体したものが、クリスマスツリーなのだそうだよ・・・。だから、クリスマスは、元々日本の行事ではないけれども、その始まりは、日本の冬至の行事(新嘗祭)と同じ様なものなのだということだけは理解できたかな・・・?。
(画像は、「イエス・キリスト 6世紀の宗教画」以下参考のキリストの降誕-Wikipediaより)
参考:
キリストの降誕-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E9%99%8D%E8%AA%95
La nativite/The Nativity キリスト降誕
http://www.ne.jp/asahi/jun/icons/theme/nativite.htm
クリスマスの日の起源
http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/rkxmas.htm
新約聖書 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8
新約聖書(口語訳)
http://www.wcsnet.or.jp/~m-kato/bible/bible.html
聖書の物語 聖人/キリストの降誕 Nativity of Crist ・・・聖書に関係する色々絵画ヶ見られる。
http://www.ne.jp/asahi/art/dorian/Bible/BYoung/01Mativity/01Nativity.htm
CityDO! クリスマス特集2003:クリスマスコラム
http://www.citydo.com/xmas/column/column02.html
西暦336年にイエス・キリストの降誕の日と決定された。キリストがこの日に生まれたという確証はなく、ローマの冬至を祝う「太陽の祝日」と結び附けられたものと言われている。Xmas"とも書かれる。日本では1874年に最初のクリスマスパーティーが開かれ、現在では宗教を越えた年末の国民行事となっている。このクリスマスについては、既に、私のブログ、今日(12月24日)は、「クリスマス・イヴ」
で書いたので省略する。
福音書には、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネ、以上の四つがある。福音書とは、新約聖書の中に「使徒言行録」や多くの手紙、「ヨハネの黙示録」と共に収められているもので、イエスの生(受肉)から死(十字架)、そして復活に至るまでの生涯を纏めた言行録であると同時に、人類に救いをもたらす喜びの知らせ、という意味で、福音の書と呼ばれている。
この中で、イエスの降誕は「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」のみに書かれているそうだが、それによれば、イエスはベツレヘムで生まれたという。マタイ福音書では、ヨセフは初めからベツレヘムに住んでいたように読めるが、ルカ福音書の場合は、住民登録のためにヨセフはマリアと共に先祖の町ベツレヘムへ赴き、そこでイエスが生まれたという形をとる。ベツレヘムはダビデの町であり、メシアはそこから生まれるという預言があった。これはそれにあてはめるための記述で、実際のイエスは恐らくナザレで生まれたと考えられている。
名前の「イエス」というのは、当時のユダヤ人の間ではごく普通の名前で、それに対して、「キリスト」は、「油を注がれた者」という意味のヘブライ語「マーシアハ」(これを日本語では「メシア」と呼んでいる)のギリシア語発音(正確なギリシア語発音では「クリストス」)に由来している。「具体的には、油注がれて「王」となったダビデの子孫から出て、終末の時にイスラエルを解放する政治的救世主として、ユダヤ人によりその来臨を待望されていた存在」を指す尊称。従って、「イエス・キリスト」というのは、イエスはキリスト(=メシア=救い主)である、という告白を圧縮した呼び名と言え、このことはとても重要なことだそうだ。それは、イエス・キリストは、キリスト教にとってのメシア/神/神の子であるが、イスラム教にとっての預言者だという。私は、その点について詳しく知らないので、興味のある人は、こちらを御覧ください。→イエス・キリスト
ルカ福音書では、宿が混んでいたために泊まれず、イエスを飼い葉桶に寝かせる。具体的にどこで産んだかは書かれていないが、伝統的にはこの場所、つまり厩(または牛小屋)ということになっている。その時に、天使が羊飼いに救い主の降誕を告げたため、彼らは幼子イエスを訪れる。
ルカによる福音書によるキリスト降誕の様子はこちらを見れば良くわかる。→La nativite/ キリスト降誕
このイエスの誕生を祝うキリスト降誕祭がクリスマスである。ところで、クリスマスイブは「クリスマスの前日」ではないってことはご存知?。英語で書くと 「Christmas Eveninng」、直訳すれば「クリスマスの夕べ」。実はクリスマスは24日の夜にキャンドルを灯してから始まり、翌25日の礼拝で一区切りするお祭りだったのだ。そして、イエス=キリスト誕生以前から、古代ヨーロッパの人々は冬至の夜(当時の暦で12月25日の前の夜)に「太陽の復活」を祝う冬至祭を行い、姿を隠した太陽神を拝み、酒を酌み交わして来たる年の豊作を祈ったという。つまり、真冬の折り返し点の、緑と太陽の復活を祈り、生命の誕生を祝う意味が昔からあったのだ。そして、この冬至祭の夜にはキャンドルを灯す。キャンドルの灯りに太陽の復活を願い、来年の豊作を祈ったのだ。地方によっては「火起こしの儀式」と言って、大きな薪を燃やし続けることもある。兎に角、冬至祭は炎の祭りでもあったのである。このような思想は、古今東西共通していて、日本の冬至の行事、「柚子湯」や「冬至粥」とも共通しているよね。この日本の冬至については、私のブログ、12月22日の「冬至」でも書いた。
中世ヨーロッパの農村では、11月には収穫を終えるが、この農閑期に結婚する習慣も、古今東西に見られる習俗であり、、ヨーロッパ中世農村での結婚相手探しの、一番のヤマ場がクリスマスにあったというのだが、このことが、現在の「恋人たちのクリスマス」のルーツかも知れないのだとか。その昔、アダムとイブは、楽園にある知恵の木の実(リンゴ)を食べて神の怒りを買い、罪を背負って楽園を追放された。おかげで人間は、神を裏切った罪のために寿命が来たら死ぬように定められた。これに対して、信仰のための「生命の樹」というものがあり、宇宙や神の教えを集約したこの樹は実在のものではないが、美しい三角形に枝をつけ、年中葉が枯れることのないモミの木が、この生命の樹に見立てられて信仰されるようになったという。このモミの木信仰と冬至祭の飾りつけが合体したものが、クリスマスツリーなのだそうだよ・・・。だから、クリスマスは、元々日本の行事ではないけれども、その始まりは、日本の冬至の行事(新嘗祭)と同じ様なものなのだということだけは理解できたかな・・・?。
(画像は、「イエス・キリスト 6世紀の宗教画」以下参考のキリストの降誕-Wikipediaより)
参考:
キリストの降誕-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E9%99%8D%E8%AA%95
La nativite/The Nativity キリスト降誕
http://www.ne.jp/asahi/jun/icons/theme/nativite.htm
クリスマスの日の起源
http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/rkxmas.htm
新約聖書 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8
新約聖書(口語訳)
http://www.wcsnet.or.jp/~m-kato/bible/bible.html
聖書の物語 聖人/キリストの降誕 Nativity of Crist ・・・聖書に関係する色々絵画ヶ見られる。
http://www.ne.jp/asahi/art/dorian/Bible/BYoung/01Mativity/01Nativity.htm
CityDO! クリスマス特集2003:クリスマスコラム
http://www.citydo.com/xmas/column/column02.html