1969(昭和44)年の今日(12月13日)は獅子文六の(小説家,劇作家,演出家「てんやわんや」)の忌日。
獅子文六は1893(明治26)年7月1日、横浜市に生まれる。本名岩田豊雄。フランスで演劇を研究。戯曲の翻訳や評論等に力を注ぐ。また、久保田万太郎・岸田国士らと文学座の創立者の一人となる。その一方で獅子文六のペンネームでユーモア小説を発表。戦前から活躍し、戦後昭和20年~30年代には文壇をリードする。昭和20~22年にかけて、妻の郷里、北宇和郡岩松町(現宇和島市津島町)に疎開し、この地を舞台にした「てんやわんや」などの作品を発表した。代表作 に「てんやわんや」の他「海軍」「自由学校「娘と私」「大番」などがある。1963(昭和38)年芸術院賞受賞、芸術院会員に推挙され、1969(昭和44)年には文化勲章を受賞したが、一ヵ月後の12月13日、76歳で死去。
「てんやわんや」は、1948(昭和23)年11月から約半年、毎日新聞に連載された。「私は運命にも、人問にも、よく服従する。それが私の性格であり、また処世の道でもあった・・・」犬丸順吉・29歳。そんな主人公(佐野周二)が、戦時中のささいな罪で戦犯に名を連ねることを本気で怖れ、ボスの命じるままに四国に身を隠したはいいが…運命にも女にも翻弄されっ放し、とことん情けなくて、だけど憎めない。てんわやんわの騒動の末に大地震が起こり、犬丸は東京へ戻る決心をする。相生町という地方の田舎町を舞台にして戦後の世相が描かれるが「てんやわんや」は佐野周二、淡島千景主演で映画化された。主演の佐野周二の子供が、今、テレビなどで活躍している俳優、タレントの関口宏だよ。又、宝塚歌劇出身の淡島千景の映画デビュー作でもある。「てんやわんやの大騒ぎ」などと言うが、これは、各自が勝手に、の意味の 「てんでん」と、むちゃくちゃの意味のやや古い語「わや(元来は道理に合わない こと、悪ふざけをすること)」又は「わやく(大勢が声高く騒ぐさま)」が結合し てできた語だそうで、かなり古くから使われていて、二葉亭四迷の作品にも出てくる そうだが、「てんやわんや」が一般的に使用されるようになったには、この獅子文六の「てんやわんや」の影響が大きいのではないか。この小説からネーミングされた”獅子てんや・瀬戸わんや”という漫才コンビも生まれ、一世を風靡した。
獅子文六のペンネームは、百獣の王「獅子」、「文豪」(文五)を上回る「文六」になろうとしたためという説、「四四、十六」というもじりともいわれている。「海軍」は本名の岩田豊雄で書いており、戦争協力姿勢を戦後問われることになったため小説では、獅子文六の方を多用するようになったとか。自伝小説の「娘と私」には、占領軍に詫びを入れた話が出てくるという。
NHK朝の連続テレビ小説は、NHKが1961(昭和36)年から放映を開始し、現在まで続いている朝の人気ドラマであるが、「 娘と私 」は、その最初を飾る記念すべき第1回作品である。この作品の内容は人物よりもナレーターが中心におかれていたそうだ。(物語性と人物性が強く人々の心を掴んでゆく作品は『おはなはん』以後になるそうだ)。
私にとって、獅子 文六の作品で、強烈に残っているのは、やはり「大番」である。
1956(昭和31)年この小説が、週間朝日に連載されるとたちまちベストセラーになり翌年には、加藤大介主演の映画となる。昭和の初め、愛媛の田舎を飛び出した一人の青年は、生き馬の眼を抜く日本橋兜町で、株やの小僧から身を起こし、株の投機で富をつかむ成功物語。 見てくれは、不細工、純情でなまりも抜けない、ギューちゃんは金が好きで、女も好き。モデルは相場師(合同証券社長)・佐藤和三郎をモデルにした物語で、4回映画化されたようだ。日本中を熱狂させた経済小説の皮切りのようなものだね。戦後、主人公のギューちゃんが、敵役の角政(モデルは、山崎種ニ)に挑んだ皇国パルプや旭ガラスの仕手戦は有名で、以下参考の相場師列伝にも載ってるよ・・・。
(画像は松竹ホームビデオ「てんやわんや」)
参考:
証券取引所の起源と由来 ★ 凄腕の場立ち達
http://homepage3.nifty.com/hougyokudou/newpage3.htm
相場師列伝4
http://members.at.infoseek.co.jp/J_Coffee/retsuden4.html
大番 - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD25190/
獅子文六は1893(明治26)年7月1日、横浜市に生まれる。本名岩田豊雄。フランスで演劇を研究。戯曲の翻訳や評論等に力を注ぐ。また、久保田万太郎・岸田国士らと文学座の創立者の一人となる。その一方で獅子文六のペンネームでユーモア小説を発表。戦前から活躍し、戦後昭和20年~30年代には文壇をリードする。昭和20~22年にかけて、妻の郷里、北宇和郡岩松町(現宇和島市津島町)に疎開し、この地を舞台にした「てんやわんや」などの作品を発表した。代表作 に「てんやわんや」の他「海軍」「自由学校「娘と私」「大番」などがある。1963(昭和38)年芸術院賞受賞、芸術院会員に推挙され、1969(昭和44)年には文化勲章を受賞したが、一ヵ月後の12月13日、76歳で死去。
「てんやわんや」は、1948(昭和23)年11月から約半年、毎日新聞に連載された。「私は運命にも、人問にも、よく服従する。それが私の性格であり、また処世の道でもあった・・・」犬丸順吉・29歳。そんな主人公(佐野周二)が、戦時中のささいな罪で戦犯に名を連ねることを本気で怖れ、ボスの命じるままに四国に身を隠したはいいが…運命にも女にも翻弄されっ放し、とことん情けなくて、だけど憎めない。てんわやんわの騒動の末に大地震が起こり、犬丸は東京へ戻る決心をする。相生町という地方の田舎町を舞台にして戦後の世相が描かれるが「てんやわんや」は佐野周二、淡島千景主演で映画化された。主演の佐野周二の子供が、今、テレビなどで活躍している俳優、タレントの関口宏だよ。又、宝塚歌劇出身の淡島千景の映画デビュー作でもある。「てんやわんやの大騒ぎ」などと言うが、これは、各自が勝手に、の意味の 「てんでん」と、むちゃくちゃの意味のやや古い語「わや(元来は道理に合わない こと、悪ふざけをすること)」又は「わやく(大勢が声高く騒ぐさま)」が結合し てできた語だそうで、かなり古くから使われていて、二葉亭四迷の作品にも出てくる そうだが、「てんやわんや」が一般的に使用されるようになったには、この獅子文六の「てんやわんや」の影響が大きいのではないか。この小説からネーミングされた”獅子てんや・瀬戸わんや”という漫才コンビも生まれ、一世を風靡した。
獅子文六のペンネームは、百獣の王「獅子」、「文豪」(文五)を上回る「文六」になろうとしたためという説、「四四、十六」というもじりともいわれている。「海軍」は本名の岩田豊雄で書いており、戦争協力姿勢を戦後問われることになったため小説では、獅子文六の方を多用するようになったとか。自伝小説の「娘と私」には、占領軍に詫びを入れた話が出てくるという。
NHK朝の連続テレビ小説は、NHKが1961(昭和36)年から放映を開始し、現在まで続いている朝の人気ドラマであるが、「 娘と私 」は、その最初を飾る記念すべき第1回作品である。この作品の内容は人物よりもナレーターが中心におかれていたそうだ。(物語性と人物性が強く人々の心を掴んでゆく作品は『おはなはん』以後になるそうだ)。
私にとって、獅子 文六の作品で、強烈に残っているのは、やはり「大番」である。
1956(昭和31)年この小説が、週間朝日に連載されるとたちまちベストセラーになり翌年には、加藤大介主演の映画となる。昭和の初め、愛媛の田舎を飛び出した一人の青年は、生き馬の眼を抜く日本橋兜町で、株やの小僧から身を起こし、株の投機で富をつかむ成功物語。 見てくれは、不細工、純情でなまりも抜けない、ギューちゃんは金が好きで、女も好き。モデルは相場師(合同証券社長)・佐藤和三郎をモデルにした物語で、4回映画化されたようだ。日本中を熱狂させた経済小説の皮切りのようなものだね。戦後、主人公のギューちゃんが、敵役の角政(モデルは、山崎種ニ)に挑んだ皇国パルプや旭ガラスの仕手戦は有名で、以下参考の相場師列伝にも載ってるよ・・・。
(画像は松竹ホームビデオ「てんやわんや」)
参考:
証券取引所の起源と由来 ★ 凄腕の場立ち達
http://homepage3.nifty.com/hougyokudou/newpage3.htm
相場師列伝4
http://members.at.infoseek.co.jp/J_Coffee/retsuden4.html
大番 - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD25190/