今日(12月24日)は「納めの地蔵」
地蔵信仰は、苦を代わって受ける身代わり地蔵信仰、子供を守り救う子安地蔵信仰など中世から民間に広まった。
地蔵菩薩の縁日は毎月24日であり、12月24日はその年最後の縁日として「納めの地蔵」と呼ばれる。又、1月24日は1年で最初の地蔵の縁日で「初地蔵」という。 地蔵菩薩は、サンスクリット語で「クシティ・ガルバ(Koitigarbha)」であり、「クシティ(koiti)」が大地を「ガルバ( garbha)」が胎蔵を意味することから「地蔵」になるらしい。地蔵菩薩の元となったインド神話の神が、バラモン教を通して仏教に取り入れられた「地天」だそうである。この「地天」に対して「梵天」があり、こちらは天を司る神で、これに対応するのが虚空蔵菩薩である。このように地蔵菩薩と虚空蔵菩薩は対にして作られたものだそうである。その後の信仰において、虚空蔵菩薩に対して、地蔵菩薩に圧倒的な人気があるのは、「民間信仰」と深く結びついたためではないだろうか。
日本では平安時代後期に末法思想が広まり、浄土信仰が台頭してから、地蔵信仰が貴族のあいだで広まった。死者が冥土に赴いて地獄の閻魔の裁きを受けて、苦しむのを救ってくれる存在と考えられたからである。仏典の「地蔵十王経」によれば、地蔵菩薩は、閻魔大王の化身と言われ、釈迦入滅後、56億7千万年後に弥勒菩薩が現れるまでの間、六道(地獄道・餓鬼道・阿修羅道・畜生道・人間道・天道)の一切衆生を、救うことを主な役目とした菩薩さまだと言うことになっている。本来、地獄の思想と地蔵菩薩とは全く別個のものであるから、両者にはつながりがない。しかし、地蔵がもともと「地」を司る神であることから、日本の農耕民族にとって最大の恵みを齎してくれる「土地」への素朴な信仰と密接に結びつき「地霊・田の神」とも無理なく融合して、民衆の間に地蔵信仰が浸透していったものと思われる。そして、右手に錫杖、左手に宝珠をもつ地蔵の姿も古い形の僧形の地蔵から童子の姿の地蔵に変化してゆき、呼称も「地蔵菩薩」から「お地蔵さま」に変化していくこととなる。地蔵が現実界と異界の境に立って、冥界にいくのを救ってくれるといった性格が強調されるが、それはもともと大地の神であるゆえ、地下世界において地獄に堕ちる衆生の済度にあたると信じられたからである。そして、毎月24日を縁日として地蔵を念じ、その名号を唱えて西方浄土への極楽往生を祈願したのである。よくお地蔵さんが6体並んだ「六地蔵」が見られるが、この六体という数は、先の六道から来ているのである。こうした現実界と冥界の境に立って救ってくれるという性格が,現実世界の境に立って守ってくれるというふうに拡大され、境の神・塞の神、すなわち道祖神としての性格をもつようにもなるのである。
京都では五山の送り火が済み、夏の終わりに催されるのが子供の祭りである”地蔵盆”である。昔は地蔵祭とか地蔵会などと呼ばれていたが、いつしか盂蘭盆になぞらえて地蔵盆と呼ばれるようになった。地蔵盆は子供のための行事であり、この期間子供はいろいろと優遇される。地蔵はよく子供と結びつけられるが、これは賽の河原地蔵和讃において、地蔵菩薩が幼くして死んだ子供を守る仏として描かれていることによると思われる。もともと、地蔵盆も宗教的な行事である以上、お坊さんによる読経などもある仏教的なものもあるのだが、メインは子供向けのイベントであり、この期間は子供にはとっても、楽しい時であり、市内各町内で子供たちが”地蔵盆”を楽しんでいるのとは別に、8月23、24日の両日。市内六つの地蔵を巡る大人たちの姿がある。六つの地蔵がある場所は、山科、伏見、鳥羽、鞍馬口、桂、常盤と、いずれも洛中と洛外を結ぶ街道の出入り口にあたるところに祀られている。所謂結界である。「六地蔵巡り」は、800年もの京の伝統行事と言われている。
(画像は、神戸市須磨区須磨寺の「六地蔵」)
参考:
六地蔵尊
http://www1.odn.ne.jp/hibikinada/rokujizou22.html
地蔵菩薩の部屋
http://www.geocities.jp/jizo_3/
地蔵信仰 じぞうしんこう
http://www.tabiken.com/history/doc/H/H298C100.HTM
お地蔵さまの「正体」を探る
http://www.ten-f.com/ojizousama.htm
地蔵和讃
http://www.ffortune.net/spirit/tera/lib/wasan2.htm
京の六地蔵巡り
http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/rokujizou-meguri.htm
地蔵信仰は、苦を代わって受ける身代わり地蔵信仰、子供を守り救う子安地蔵信仰など中世から民間に広まった。
地蔵菩薩の縁日は毎月24日であり、12月24日はその年最後の縁日として「納めの地蔵」と呼ばれる。又、1月24日は1年で最初の地蔵の縁日で「初地蔵」という。 地蔵菩薩は、サンスクリット語で「クシティ・ガルバ(Koitigarbha)」であり、「クシティ(koiti)」が大地を「ガルバ( garbha)」が胎蔵を意味することから「地蔵」になるらしい。地蔵菩薩の元となったインド神話の神が、バラモン教を通して仏教に取り入れられた「地天」だそうである。この「地天」に対して「梵天」があり、こちらは天を司る神で、これに対応するのが虚空蔵菩薩である。このように地蔵菩薩と虚空蔵菩薩は対にして作られたものだそうである。その後の信仰において、虚空蔵菩薩に対して、地蔵菩薩に圧倒的な人気があるのは、「民間信仰」と深く結びついたためではないだろうか。
日本では平安時代後期に末法思想が広まり、浄土信仰が台頭してから、地蔵信仰が貴族のあいだで広まった。死者が冥土に赴いて地獄の閻魔の裁きを受けて、苦しむのを救ってくれる存在と考えられたからである。仏典の「地蔵十王経」によれば、地蔵菩薩は、閻魔大王の化身と言われ、釈迦入滅後、56億7千万年後に弥勒菩薩が現れるまでの間、六道(地獄道・餓鬼道・阿修羅道・畜生道・人間道・天道)の一切衆生を、救うことを主な役目とした菩薩さまだと言うことになっている。本来、地獄の思想と地蔵菩薩とは全く別個のものであるから、両者にはつながりがない。しかし、地蔵がもともと「地」を司る神であることから、日本の農耕民族にとって最大の恵みを齎してくれる「土地」への素朴な信仰と密接に結びつき「地霊・田の神」とも無理なく融合して、民衆の間に地蔵信仰が浸透していったものと思われる。そして、右手に錫杖、左手に宝珠をもつ地蔵の姿も古い形の僧形の地蔵から童子の姿の地蔵に変化してゆき、呼称も「地蔵菩薩」から「お地蔵さま」に変化していくこととなる。地蔵が現実界と異界の境に立って、冥界にいくのを救ってくれるといった性格が強調されるが、それはもともと大地の神であるゆえ、地下世界において地獄に堕ちる衆生の済度にあたると信じられたからである。そして、毎月24日を縁日として地蔵を念じ、その名号を唱えて西方浄土への極楽往生を祈願したのである。よくお地蔵さんが6体並んだ「六地蔵」が見られるが、この六体という数は、先の六道から来ているのである。こうした現実界と冥界の境に立って救ってくれるという性格が,現実世界の境に立って守ってくれるというふうに拡大され、境の神・塞の神、すなわち道祖神としての性格をもつようにもなるのである。
京都では五山の送り火が済み、夏の終わりに催されるのが子供の祭りである”地蔵盆”である。昔は地蔵祭とか地蔵会などと呼ばれていたが、いつしか盂蘭盆になぞらえて地蔵盆と呼ばれるようになった。地蔵盆は子供のための行事であり、この期間子供はいろいろと優遇される。地蔵はよく子供と結びつけられるが、これは賽の河原地蔵和讃において、地蔵菩薩が幼くして死んだ子供を守る仏として描かれていることによると思われる。もともと、地蔵盆も宗教的な行事である以上、お坊さんによる読経などもある仏教的なものもあるのだが、メインは子供向けのイベントであり、この期間は子供にはとっても、楽しい時であり、市内各町内で子供たちが”地蔵盆”を楽しんでいるのとは別に、8月23、24日の両日。市内六つの地蔵を巡る大人たちの姿がある。六つの地蔵がある場所は、山科、伏見、鳥羽、鞍馬口、桂、常盤と、いずれも洛中と洛外を結ぶ街道の出入り口にあたるところに祀られている。所謂結界である。「六地蔵巡り」は、800年もの京の伝統行事と言われている。
(画像は、神戸市須磨区須磨寺の「六地蔵」)
参考:
六地蔵尊
http://www1.odn.ne.jp/hibikinada/rokujizou22.html
地蔵菩薩の部屋
http://www.geocities.jp/jizo_3/
地蔵信仰 じぞうしんこう
http://www.tabiken.com/history/doc/H/H298C100.HTM
お地蔵さまの「正体」を探る
http://www.ten-f.com/ojizousama.htm
地蔵和讃
http://www.ffortune.net/spirit/tera/lib/wasan2.htm
京の六地蔵巡り
http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/rokujizou-meguri.htm