今日(9月5日)は「国民栄誉賞の日」
1977(昭和52)年、2日前の9月3日に通算ホームラン数の世界最高記録を作った王貞治が、日本初の国民栄誉賞を受賞した。
国民栄誉賞とは福田赳夫内閣時代に新しく設けられた賞で内閣総理大臣表彰のひとつである。「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった方に対して、その栄誉を讃えることを目的とする」としている。
現在までに王貞治・古賀政男・長谷川一夫・植村直己・山下泰裕・衣笠祥雄・美空ひばり・千代の富士・藤山一郎・長谷川町子・服部良一・渥美清・吉田正・黒澤明・高橋尚子の15人が受賞している。
第1号受賞者である王貞治の年齢が、当時37歳という若さであり、当時における標準的な叙勲者の年齢(叙勲は70歳から候補になるのが通例・文化勲章なども同様)を大きく下回るために新たな賞を設けたのではないかと考えられているが、授賞については、国民栄誉賞は内閣総理大臣の判断によるもので、閣議決定を経て正式に授与されるものではあるが、天皇陛下による勲章等と違い、選考の基準がないために、創設当初から「支持率低迷に悩む、時の内閣や総理の人気取りの道具ではないか」との批判もなされていた。
又、没後の追贈者も多いことから、それなら「なぜ生きているうちに授与しないのか」との批判も多いようだ。これは授賞基準が不明瞭で曖昧なことが最大の原因である。
例えば、長谷川町子が授賞されているのに、漫画文化のパイオニア的存在である手塚治(手塚治虫)が授賞されていないまた、俳優でいうと「男はつらいよ」で有名になった渥美清には授与されたが、渥美より数倍は人気もあり、映画界に貢献したと思う石原裕次郎には授与されていないことやシドニーオリンピックのマラソン競技で金メダルを獲得した高橋尚子が授賞したのに、柔道で金メダルを獲得した谷亮子(当時・田村亮子)やアテネオリンピックの同競技で金メダルを獲得した野口みずき、3大会連続で金メダルを獲得した柔道の野村忠宏らも授賞されるべきなのにされていないなど、何を判定基準にしているのか分からない。
私も、高橋の受賞問題では、当時、オリンピックで感動を与えてくれた功績は評価しているものの、金メダルを一回取ったぐらいでの授賞はおかしいと思ったし、できれば、その時、受賞を断ってくれるていると、すごく尊敬したと思うのだが、お髭のおじちゃん(小出監督)が高橋に「貰えるものは貰っちゃえ」とアドバイス。それを素直に受け入れた?高橋の態度については、あまり好感は持てなかった。当時の総理大臣はあの人気のなかった森喜朗。 どうもその時々の総理が人気取りのためにやっているとしか思えなかった。
その点、過去に、2人の人物が、受賞を固辞している。
1人は、プロ野球選手の福本豊。彼は、1983(昭和58)年6月に当時の世界記録となる通算939盗塁を達成。中曽根康弘首相から国民栄誉賞の授与を打診されたが、「そんなのもらったら立ちションもできなくなる」と固辞。 (1988(昭和63)年、41歳で現役を引退。)
身長168cmという野球選手としては小柄な体格ながら、通算1065盗塁(歴代1位)の俊足だけでなく、通算本塁打208本、通算2543安打(衣笠祥雄と並ぶ歴代5位タイ)と打力も兼ね備えていた選手。現在でも「史上最強の1番打者」との呼び声が高い。
2人目は、現在シアトル・マリナーズにいる鈴木一朗(イチロー)選手 。2001(平成13)年10月、小泉内閣ではメジャーリーグで首位打者となったことから授与を打診したが、「まだ若いので、できれば辞退したい」と固辞。その次、2004(平成16)年10月、84年ぶりに米大リーグの年間最多安打記録を塗り替えたことから、再び、首相官邸からの授賞の打診に対し、「まだまだ未熟者ですから」と再度辞退している。彼は、その後、2005年(平成17)には、日本人選手として初めてメジャーリーグ通算1000本安打を達成。今年・2006(平成18)年には、メジャー通算200盗塁を達成(その翌日に日米通算400盗塁も達成)。6月には日米通算2500本安打を達成。また、20試合連続安打を日米通算だが8回達成した。そして、7月26日には戦後最多となるウェイド・ボッグスの連続6シーズン通算1274本安打を抜いた。8月には1901年以降最多となるロジャース・ホーンズビーの連続6シーズン通算1296本安打を抜くなど、次々と記録更新中である。
イチローにとっては、国民栄誉賞などという賞は、その道を極めてから貰うモノだと思っているのだろう。まだまだ、これからの目標を持って努力している最中の自分が貰えるものではないと宣言していると言ってもいいだろう。流石、一郎・・・男だね~。・・・いや、こんな言い方をすると今時の女性からは「何が男よ!」と突っかかれそうだが、シドニーオリンピックのマラソンで一度だけ金メダルを取って、次のアテネオリンピックの選考からも漏れてしまった可愛い女性などは、イチローのことをどのように、受け取っているのだろうね~。「あんた馬鹿よ。あげると言っているものを何故貰わないのよ!」なんて、お髭のおじちゃんと笑っているんだろうね~。王のような偉大な成績を残した人が貰うのならともかく、国民栄誉賞も、最近は安っぽくなっってしまったので、希望者を募り、欲しいと言っている人にあげればいいんじゃないだろうかね~。上げた数だけ、選挙の票は増えるんじゃ~ないかな・・・。王が選ばれているんだから、王より人気のあった私にもくださいよと長島さんも応募する権利は絶対にあるよ。
(画像はイチロー。フリー百科事典Wikipediaよりカット)
参考:
中野文庫 - 国民栄誉賞・内閣総理大臣顕彰
http://www.geocities.jp/nakanolib/giten/eiyo.htm
国民栄誉賞 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E6%A0%84%E8%AA%89%E8%B3%9E
国民栄誉賞受賞者一覧
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kokuminneiyosyou.htm
国民栄誉章は手塚治虫の夢を見たか
http://homepage3.nifty.com/lepi0628/sf/eiyosyo.htm
1977(昭和52)年、2日前の9月3日に通算ホームラン数の世界最高記録を作った王貞治が、日本初の国民栄誉賞を受賞した。
国民栄誉賞とは福田赳夫内閣時代に新しく設けられた賞で内閣総理大臣表彰のひとつである。「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった方に対して、その栄誉を讃えることを目的とする」としている。
現在までに王貞治・古賀政男・長谷川一夫・植村直己・山下泰裕・衣笠祥雄・美空ひばり・千代の富士・藤山一郎・長谷川町子・服部良一・渥美清・吉田正・黒澤明・高橋尚子の15人が受賞している。
第1号受賞者である王貞治の年齢が、当時37歳という若さであり、当時における標準的な叙勲者の年齢(叙勲は70歳から候補になるのが通例・文化勲章なども同様)を大きく下回るために新たな賞を設けたのではないかと考えられているが、授賞については、国民栄誉賞は内閣総理大臣の判断によるもので、閣議決定を経て正式に授与されるものではあるが、天皇陛下による勲章等と違い、選考の基準がないために、創設当初から「支持率低迷に悩む、時の内閣や総理の人気取りの道具ではないか」との批判もなされていた。
又、没後の追贈者も多いことから、それなら「なぜ生きているうちに授与しないのか」との批判も多いようだ。これは授賞基準が不明瞭で曖昧なことが最大の原因である。
例えば、長谷川町子が授賞されているのに、漫画文化のパイオニア的存在である手塚治(手塚治虫)が授賞されていないまた、俳優でいうと「男はつらいよ」で有名になった渥美清には授与されたが、渥美より数倍は人気もあり、映画界に貢献したと思う石原裕次郎には授与されていないことやシドニーオリンピックのマラソン競技で金メダルを獲得した高橋尚子が授賞したのに、柔道で金メダルを獲得した谷亮子(当時・田村亮子)やアテネオリンピックの同競技で金メダルを獲得した野口みずき、3大会連続で金メダルを獲得した柔道の野村忠宏らも授賞されるべきなのにされていないなど、何を判定基準にしているのか分からない。
私も、高橋の受賞問題では、当時、オリンピックで感動を与えてくれた功績は評価しているものの、金メダルを一回取ったぐらいでの授賞はおかしいと思ったし、できれば、その時、受賞を断ってくれるていると、すごく尊敬したと思うのだが、お髭のおじちゃん(小出監督)が高橋に「貰えるものは貰っちゃえ」とアドバイス。それを素直に受け入れた?高橋の態度については、あまり好感は持てなかった。当時の総理大臣はあの人気のなかった森喜朗。 どうもその時々の総理が人気取りのためにやっているとしか思えなかった。
その点、過去に、2人の人物が、受賞を固辞している。
1人は、プロ野球選手の福本豊。彼は、1983(昭和58)年6月に当時の世界記録となる通算939盗塁を達成。中曽根康弘首相から国民栄誉賞の授与を打診されたが、「そんなのもらったら立ちションもできなくなる」と固辞。 (1988(昭和63)年、41歳で現役を引退。)
身長168cmという野球選手としては小柄な体格ながら、通算1065盗塁(歴代1位)の俊足だけでなく、通算本塁打208本、通算2543安打(衣笠祥雄と並ぶ歴代5位タイ)と打力も兼ね備えていた選手。現在でも「史上最強の1番打者」との呼び声が高い。
2人目は、現在シアトル・マリナーズにいる鈴木一朗(イチロー)選手 。2001(平成13)年10月、小泉内閣ではメジャーリーグで首位打者となったことから授与を打診したが、「まだ若いので、できれば辞退したい」と固辞。その次、2004(平成16)年10月、84年ぶりに米大リーグの年間最多安打記録を塗り替えたことから、再び、首相官邸からの授賞の打診に対し、「まだまだ未熟者ですから」と再度辞退している。彼は、その後、2005年(平成17)には、日本人選手として初めてメジャーリーグ通算1000本安打を達成。今年・2006(平成18)年には、メジャー通算200盗塁を達成(その翌日に日米通算400盗塁も達成)。6月には日米通算2500本安打を達成。また、20試合連続安打を日米通算だが8回達成した。そして、7月26日には戦後最多となるウェイド・ボッグスの連続6シーズン通算1274本安打を抜いた。8月には1901年以降最多となるロジャース・ホーンズビーの連続6シーズン通算1296本安打を抜くなど、次々と記録更新中である。
イチローにとっては、国民栄誉賞などという賞は、その道を極めてから貰うモノだと思っているのだろう。まだまだ、これからの目標を持って努力している最中の自分が貰えるものではないと宣言していると言ってもいいだろう。流石、一郎・・・男だね~。・・・いや、こんな言い方をすると今時の女性からは「何が男よ!」と突っかかれそうだが、シドニーオリンピックのマラソンで一度だけ金メダルを取って、次のアテネオリンピックの選考からも漏れてしまった可愛い女性などは、イチローのことをどのように、受け取っているのだろうね~。「あんた馬鹿よ。あげると言っているものを何故貰わないのよ!」なんて、お髭のおじちゃんと笑っているんだろうね~。王のような偉大な成績を残した人が貰うのならともかく、国民栄誉賞も、最近は安っぽくなっってしまったので、希望者を募り、欲しいと言っている人にあげればいいんじゃないだろうかね~。上げた数だけ、選挙の票は増えるんじゃ~ないかな・・・。王が選ばれているんだから、王より人気のあった私にもくださいよと長島さんも応募する権利は絶対にあるよ。
(画像はイチロー。フリー百科事典Wikipediaよりカット)
参考:
中野文庫 - 国民栄誉賞・内閣総理大臣顕彰
http://www.geocities.jp/nakanolib/giten/eiyo.htm
国民栄誉賞 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E6%A0%84%E8%AA%89%E8%B3%9E
国民栄誉賞受賞者一覧
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kokuminneiyosyou.htm
国民栄誉章は手塚治虫の夢を見たか
http://homepage3.nifty.com/lepi0628/sf/eiyosyo.htm