今日(9月13日)は、「世界の法の日」
1965(昭和40)年、9月13日から20日までワシントンで開催された「法による世界平和第2回世界会議」で、9月13日を「世界の法の日」とすることが宣言された。
1961(昭和36)年、東京で開催された「法による世界平和に関するアジア会議」で「世界の法の日」の制定が提唱され、2年後の1963(昭和38)年アテネで開かれた「法による世界平和第1回世界会議」で可決され、第2回世界会議で「何人も正式な法律以外に支配されることはないという『法の支配』を国際間で徹底させることで世界平和を確立しよう」(国際間に法の支配を徹底させる)という宣言が採択された。この日とは別に、日本では1960(昭和35)年から10月1日を「法の日」としている。
法の支配とは16世紀から17世紀にかけてイギリスで発展した考えであり、何人も法以外のものには支配されないという原理で、「人の支配」に対置する概念である。ただし、ここでいう「法」とは、国民の人権の保障を主たる目的に、国王などの専制的、恣意的権力が社会を支配(人の支配=封建的専政政治)するのではなく、法が支配すべきであるとする思想ないし原則である。つまり、社会の規律を、権力者や組織の思惑によってではなく、ルールの公正な運用に求めようという考え方であり、自由を維持し拡大する「正しい法」でなければならない。
類似した概念として19世紀にドイツを中心に展開された法治主義があるが、法の支配との相違点として、法治主義は法律の内容の正当性を問わないということが挙げられ、このような考え方を特に形式的法治主義と呼ぶ。ただしこの考え方では国民の権利・自由が法律の根拠という名の下に制限される危険性が強いため、現在では法律の内容の正当性が要求される実質的法治主義の考え方が主流となっている。この場合の実質的法治主義は、法の支配と同義と言ってよい。
世界の歴史は戦争の歴史とも言え、戦争は人類の歴史と共にあった。しかし人類が全て好んで戦争を望んでいたというわけでは決してなく、昔から、心ある者は、戦争よりも平和を欲していた。少なくとも平和な状態を望んでいたはずだ。そして、その時代時代に応じた平和思想というものは、存在していたのである。そして、時代が進むと共に、平和論も、だんだん進歩していくが、こうした武力や政治力の支配を背景とした平和論は、次々と唱えられたが、みな間もなく立ち消えとなり、これに代わって、17世紀の初め頃から新たに登場したものが「法」によって戦争を緩和し、防止しようという国際法律学者の平和論であった。そして、このような思想が発展し、ヨーロッパを中心としたキリスト教諸国の連合へ、そして、今日の国際連合へと進展してきた。
戦後、冷戦構造の崩壊以降における世界は、グローバル化のもとで、世界の法の調和と融合が進むとともに、 それに対する反発や抵抗も現れ、法の普遍的な価値とされたものや、法的関係、諸制度に揺らぎや転換が生まれつつある。中でも、市場経済に於けるグローバエル化は国家間の経済面での格差を広げ、これが、民族対立意識をを掘り起こし、これが、宗教的なものともからみ、法の理念や目的をめぐる対抗を鮮明にしつつあるともいえるだろう。このような状況において欧州統合の加速化とともに欧米と一括された「西側」諸国の間にも亀裂が進む一方、アジアにおける法の多元化など、法による世界平和の確立には 多くの課題が存在している。
そのような中で、テロリズムは無防備な都市の中で予告もなく起こっている。ロンドンの地下鉄爆破テロや、わが国の11年前の地下鉄サリン事件などが市民の平和な生活を脅かしている。中でも2001年9月11日、、世界の警察国家といわれるアメリカ同時多発テロ事件では、世界一の巨大ビル・世界貿易センタービルが、イスラム過激派によってハイジャックされた4機の内の一機の大型ジェット旅客機の激突によってあっけなく崩壊し行く様は今でも目に焼きついている。
この後、アメリカは対テロ戦争として、アメリカのアフガニスタン侵攻、イラク戦争を行うこととなる。
このイラク攻撃にはフランス、ドイツ、ロシア、中国などが強硬に反対を表明し、国連の武器査察団による査察を継続すべきとする声もあったが、それを押し切った形での開戦となった。このようなブッシュ大統領のとった強引なイラクへの武力介入に対して、アメリカ国内の世論は、一般的に高い支持を得ているものの、国連の支持なしの攻撃に必ずしも国論は一致しているわけではない。
イラク戦争後の2004年にブッシュ大統領は、中東首脳を招いて会談を開き、サウジアラビアやシリアの様に王制や独裁が色濃い中東各国がテロの温床になっているとして、これらの国々を民主化すると宣言し、中東各国は"それぞれの国情を無視しアメリカ式を押し付けるもの"と強く反発。アメリカは中東民主化を今後の外交の方針に掲げるとしているが、この様な強権的なやり方には中東諸国のみならず、多くの国から批判が集中している。
イラク戦争のおかげで世界はより安全になった・・・などと、信じている人はアメリカ人の一部だけだけ。
2004年の第59回国連総会の一般演説で「法の支配はいま、世界中で危機に直面している」・・と訴え、イラクで続く民間人の殺害などを例に挙げて、弱者を守るための法の支配が無視されていると警告した。同氏は、2003年の総会演説で、米が明確な安保理決議なしにイラク戦争に踏み切ったことを厳しく批判し、「法を逸脱した武力行使が拡散するのではないか」と懸念を表明していたが、2004年の演説では、法の支配が各地で崩壊しているとの認識を表明したことになり、名指しこそしなかったものの、アナン国連事務総長の言葉は、危機をもたらした国・米国とブッシュ大統領を非難している事は誰にでも分かる。
asahi.com : ニュース特集 : イラク情勢:「法の支配」の重要性強調 国連総会でアナン氏演説↓
http://www2.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200409210353.html
2003年(平成15)年国連の場における日本の原口大使演説では以下のよう発言している。
”国連憲章の第1条は、国連の目的の一つが、国際的紛争の解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現することである旨規定している。58年経った今も、正義及び国際法の原則に従った紛争の解決が、国連の重要な役割であることに変化は全くありません。むしろ、グローバリゼーションの進展により国境を越える多様な国際的問題を解決する必要性がより一層高まっている現在、国連に課されたこの分野での任務はより一層重要なものになってきていると言えます。
しかし、環境・人権・貿易・投資など、各国の重大な国益が複雑に交錯する多くの問題について、諸国家は自らの行動の幅を狭める法的拘束力のある合意や決定に服することに躊躇しがちであります。 このような国際社会において法の支配を確立することは、重要ではあるが容易なことではありません。先ずできるだけ多くの国が参加する合意の枠組みの創設に努めることが必要となります。理想のみを追っても、受け入れる国が極く少数であれば実効性はありません。その意味で、最も普遍的なメンバーシップを持つ国連及びその関連機関において、十分な検討を行いメンバーの理解を得ながら進める法形成機能は非常に重要です。また安保理は国連憲章25条により、国際の平和と安全の維持の分野で加盟国を拘束する法的決定を行う権限を与えられており、特に冷戦後、ますます多くの重要な決定を行うようになってきています。 ”・・・・と。
本当に、平和を唱えるのは、簡単な事である。国ごとの文化、宗教、歴史、そして、経済的な利害の不一致もある。そのような中で、卑劣なテロリズムを根絶するため、世界が武力ではなく「法」を尊守して連携し、人として人の道を説く、国際的な安全を確保することが“地球人”としての最大のつとめと言え、現実の世界は、ますます、怪しく成っているのが実情ではないだろか。もうどうしようもない・・・確実に破滅の道へ進んでいる北朝鮮のような国もあるのだから・・・。
(画像は、炎上する世界貿易センタービル。Wikipediaより部分)
参考:
法の支配 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E3%81%AE%E6%94%AF%E9%85%8D
用語解説「法律編」NO4
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yogo-horitu4.htm
法治主義とは何か
http://www.nurs.or.jp/~academy/hogaku/c17.htm
「法の支配」と法治主義との異同
http://www.wat.co.jp/law/1-3a.htm
アメリカ同時多発テロ事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%8C%E6%99%82%E5%A4%9A%E7%99%BA%E3%83%86%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6
国連の場における演説 /外務省
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/e_un.html
1965(昭和40)年、9月13日から20日までワシントンで開催された「法による世界平和第2回世界会議」で、9月13日を「世界の法の日」とすることが宣言された。
1961(昭和36)年、東京で開催された「法による世界平和に関するアジア会議」で「世界の法の日」の制定が提唱され、2年後の1963(昭和38)年アテネで開かれた「法による世界平和第1回世界会議」で可決され、第2回世界会議で「何人も正式な法律以外に支配されることはないという『法の支配』を国際間で徹底させることで世界平和を確立しよう」(国際間に法の支配を徹底させる)という宣言が採択された。この日とは別に、日本では1960(昭和35)年から10月1日を「法の日」としている。
法の支配とは16世紀から17世紀にかけてイギリスで発展した考えであり、何人も法以外のものには支配されないという原理で、「人の支配」に対置する概念である。ただし、ここでいう「法」とは、国民の人権の保障を主たる目的に、国王などの専制的、恣意的権力が社会を支配(人の支配=封建的専政政治)するのではなく、法が支配すべきであるとする思想ないし原則である。つまり、社会の規律を、権力者や組織の思惑によってではなく、ルールの公正な運用に求めようという考え方であり、自由を維持し拡大する「正しい法」でなければならない。
類似した概念として19世紀にドイツを中心に展開された法治主義があるが、法の支配との相違点として、法治主義は法律の内容の正当性を問わないということが挙げられ、このような考え方を特に形式的法治主義と呼ぶ。ただしこの考え方では国民の権利・自由が法律の根拠という名の下に制限される危険性が強いため、現在では法律の内容の正当性が要求される実質的法治主義の考え方が主流となっている。この場合の実質的法治主義は、法の支配と同義と言ってよい。
世界の歴史は戦争の歴史とも言え、戦争は人類の歴史と共にあった。しかし人類が全て好んで戦争を望んでいたというわけでは決してなく、昔から、心ある者は、戦争よりも平和を欲していた。少なくとも平和な状態を望んでいたはずだ。そして、その時代時代に応じた平和思想というものは、存在していたのである。そして、時代が進むと共に、平和論も、だんだん進歩していくが、こうした武力や政治力の支配を背景とした平和論は、次々と唱えられたが、みな間もなく立ち消えとなり、これに代わって、17世紀の初め頃から新たに登場したものが「法」によって戦争を緩和し、防止しようという国際法律学者の平和論であった。そして、このような思想が発展し、ヨーロッパを中心としたキリスト教諸国の連合へ、そして、今日の国際連合へと進展してきた。
戦後、冷戦構造の崩壊以降における世界は、グローバル化のもとで、世界の法の調和と融合が進むとともに、 それに対する反発や抵抗も現れ、法の普遍的な価値とされたものや、法的関係、諸制度に揺らぎや転換が生まれつつある。中でも、市場経済に於けるグローバエル化は国家間の経済面での格差を広げ、これが、民族対立意識をを掘り起こし、これが、宗教的なものともからみ、法の理念や目的をめぐる対抗を鮮明にしつつあるともいえるだろう。このような状況において欧州統合の加速化とともに欧米と一括された「西側」諸国の間にも亀裂が進む一方、アジアにおける法の多元化など、法による世界平和の確立には 多くの課題が存在している。
そのような中で、テロリズムは無防備な都市の中で予告もなく起こっている。ロンドンの地下鉄爆破テロや、わが国の11年前の地下鉄サリン事件などが市民の平和な生活を脅かしている。中でも2001年9月11日、、世界の警察国家といわれるアメリカ同時多発テロ事件では、世界一の巨大ビル・世界貿易センタービルが、イスラム過激派によってハイジャックされた4機の内の一機の大型ジェット旅客機の激突によってあっけなく崩壊し行く様は今でも目に焼きついている。
この後、アメリカは対テロ戦争として、アメリカのアフガニスタン侵攻、イラク戦争を行うこととなる。
このイラク攻撃にはフランス、ドイツ、ロシア、中国などが強硬に反対を表明し、国連の武器査察団による査察を継続すべきとする声もあったが、それを押し切った形での開戦となった。このようなブッシュ大統領のとった強引なイラクへの武力介入に対して、アメリカ国内の世論は、一般的に高い支持を得ているものの、国連の支持なしの攻撃に必ずしも国論は一致しているわけではない。
イラク戦争後の2004年にブッシュ大統領は、中東首脳を招いて会談を開き、サウジアラビアやシリアの様に王制や独裁が色濃い中東各国がテロの温床になっているとして、これらの国々を民主化すると宣言し、中東各国は"それぞれの国情を無視しアメリカ式を押し付けるもの"と強く反発。アメリカは中東民主化を今後の外交の方針に掲げるとしているが、この様な強権的なやり方には中東諸国のみならず、多くの国から批判が集中している。
イラク戦争のおかげで世界はより安全になった・・・などと、信じている人はアメリカ人の一部だけだけ。
2004年の第59回国連総会の一般演説で「法の支配はいま、世界中で危機に直面している」・・と訴え、イラクで続く民間人の殺害などを例に挙げて、弱者を守るための法の支配が無視されていると警告した。同氏は、2003年の総会演説で、米が明確な安保理決議なしにイラク戦争に踏み切ったことを厳しく批判し、「法を逸脱した武力行使が拡散するのではないか」と懸念を表明していたが、2004年の演説では、法の支配が各地で崩壊しているとの認識を表明したことになり、名指しこそしなかったものの、アナン国連事務総長の言葉は、危機をもたらした国・米国とブッシュ大統領を非難している事は誰にでも分かる。
asahi.com : ニュース特集 : イラク情勢:「法の支配」の重要性強調 国連総会でアナン氏演説↓
http://www2.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200409210353.html
2003年(平成15)年国連の場における日本の原口大使演説では以下のよう発言している。
”国連憲章の第1条は、国連の目的の一つが、国際的紛争の解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現することである旨規定している。58年経った今も、正義及び国際法の原則に従った紛争の解決が、国連の重要な役割であることに変化は全くありません。むしろ、グローバリゼーションの進展により国境を越える多様な国際的問題を解決する必要性がより一層高まっている現在、国連に課されたこの分野での任務はより一層重要なものになってきていると言えます。
しかし、環境・人権・貿易・投資など、各国の重大な国益が複雑に交錯する多くの問題について、諸国家は自らの行動の幅を狭める法的拘束力のある合意や決定に服することに躊躇しがちであります。 このような国際社会において法の支配を確立することは、重要ではあるが容易なことではありません。先ずできるだけ多くの国が参加する合意の枠組みの創設に努めることが必要となります。理想のみを追っても、受け入れる国が極く少数であれば実効性はありません。その意味で、最も普遍的なメンバーシップを持つ国連及びその関連機関において、十分な検討を行いメンバーの理解を得ながら進める法形成機能は非常に重要です。また安保理は国連憲章25条により、国際の平和と安全の維持の分野で加盟国を拘束する法的決定を行う権限を与えられており、特に冷戦後、ますます多くの重要な決定を行うようになってきています。 ”・・・・と。
本当に、平和を唱えるのは、簡単な事である。国ごとの文化、宗教、歴史、そして、経済的な利害の不一致もある。そのような中で、卑劣なテロリズムを根絶するため、世界が武力ではなく「法」を尊守して連携し、人として人の道を説く、国際的な安全を確保することが“地球人”としての最大のつとめと言え、現実の世界は、ますます、怪しく成っているのが実情ではないだろか。もうどうしようもない・・・確実に破滅の道へ進んでいる北朝鮮のような国もあるのだから・・・。
(画像は、炎上する世界貿易センタービル。Wikipediaより部分)
参考:
法の支配 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E3%81%AE%E6%94%AF%E9%85%8D
用語解説「法律編」NO4
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yogo-horitu4.htm
法治主義とは何か
http://www.nurs.or.jp/~academy/hogaku/c17.htm
「法の支配」と法治主義との異同
http://www.wat.co.jp/law/1-3a.htm
アメリカ同時多発テロ事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%8C%E6%99%82%E5%A4%9A%E7%99%BA%E3%83%86%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6
国連の場における演説 /外務省
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/e_un.html