今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

プライバシーデー

2006-09-28 | 記念日
今日(9月28日)は「プライバシーデー」
1964(昭和39)年、三島由紀夫の小説『宴のあと』でプライバシーを侵害されたとしてモデルとされた有田八郎元外務大臣が作者と発行元の新潮社を訴えていた裁判で、東京地裁がプライバシー侵害を認め、三島由紀夫に損害賠償を命じる判決を出した。これが日本でプライバシーが争点となった初めての裁判であった。
1961(昭和36)年、3月15日、東京都知事選に出馬して敗れた元外務大臣有田八郎は、三島由紀夫の小説『宴のあと』をプライバシー侵害で告訴。『宴のあと』は1960(昭和35)年1月から「中央公論」に連載された小説を新潮社が12月に出版した。中央公論は、単行本の出版を自主的に中止した(有田八郎側の)ため、訴えられなかった。小説の粗筋は、「料亭の女将と元外相で革新政党顧問の野口が結婚。野口の東京都知事選出馬のため、料亭を抵当に入れて資金をつくったものの、料亭を経営していた妻の前歴をあばく怪文書がばらまかれたため野口は選挙に敗れ、2人は離婚する。・・・」といったもの。これに対し、有田氏は、「1959(昭和39)年の都知事選に社会党から出た私と前妻(料亭の経営者)の私生活に関するのぞきみにすぎず、納得できない」・・として、訴えたもの。裁判では、「表現の自由」と「私生活をみだりに明かされない権利」という論点で進められたが、東京地方裁判所は、1964(昭和39)年9月28日、プライバシー権を認めて、原告勝訴を判決(プライバシー侵害と認定)、賠償支払いを命じた。その後、訴訟中に有田が死去。1966(昭和36)年11月28日、東京高裁での控訴審で有田の遺族と三島側の和解が成立した。
プライバシー(Privacy) とは、「他人の干渉を許さない。各個人の私生活上の自由」(広 辞苑)のことである。つまり、個人の私生活に関する事柄(私事)、およびそれが他から隠されており干渉されない状態を要求する権利(私事権)をいう。
プライバシーの起源としては、アメリカのウォーレン&ブランダイス(S.D.Warren&L.D.Brandeis)が、1890(明治23)年に発表した論文『The Right to Privacy』(プライバシーの権利)の中で「the right to be let alone」(「そのままにしておかれる権利」)の尊重の必要性を初めて力説したことに始まるらしく、これは、古典的プライバシー権というらしい。
この古典的プライバシー権では、表現の自由や報道の自由、知る権利といった他の人権との抵触が問題となる。
わが国で、プライバシーという言葉が急速に有名になったのがこの「『宴のあと』事件」判決(東京地判昭和39年9月28日)である。
「宴のあと」事件第一審判決 →http://www.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/10-1.html
 この事件では、三島由紀夫の小説『宴のあと』が、プライバシーを侵害したとして、原告有田八郎氏が、三島由紀夫氏と出版元の新潮社を被告として提起した民事訴訟である。この事件判決は、「私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利」としてのプライバシーの権利を承認した。そして、プライバシーの侵害による不法行為の成立要件として『宴のあと』事件判決は、(一)公開された内容が私生活の事実またはそれらしく受けとられるおそれのある事柄であること(二)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められること(三)一般の人々に未だ知られない事柄であること。その他、被害者が公開により不快、不安の念を覚えることを挙げているほか、表現の自由とプライバシーの関係、公人とプライバシーの関係などについても判断を下している。
つまり、「たとえ文学の名の下であってもプライバシー権の侵害は許されない」という趣旨の判決を下したものであり、このほかにも、近年においては、柳美里の小説『石に泳ぐ魚』の登場人物のモデルとなった女性が出版の差し止めを訴えた民事訴訟や、田中真紀子の長女の離婚を記事にした雑誌『週刊文春』がプライバシー侵害と訴えられ、東京地方裁判所が異例の出版差し止め決定をした事件などが注目を集めた。
これにたいして、近年では、情報化社会の進展に伴い、情報を大量に蓄積、処理することができるコンピュータが発達するにつれて、プライバシー権の見解も変化し、単に私生活をみだりに「知られない権利」としてだけでなく「自己に関する情報の流れをコントロールする権利」つまり、「自己情報コントロール権」と定義されるようになり、公法による保護もなされるようになっている。
日本国憲法の三大基本原理として挙げられているものが、基本的人権の尊重・国民主権(主権在民)・平和主義(戦争の放棄)である。そして、この三大原理の根底にあるのは、「個人の尊重」「個人の尊厳」という個人の尊厳の原理である。基本的人権の尊重とは、個人が有する人権を尊重することをいい、自由主義のあらわれでもある。当初は、国家権力による自由の抑圧から国民を解放するところに重要な意味があった。基本的人権は、単に「人権」「基本権」とも呼ばれ、特に第3章で具体的に列挙されている。かかる列挙されている権利が憲法上保障されている人権であるが、明文で規定されている権利を超えて判例上認められている人権も存在する(「「知る権利」プライバシーの権利など)。 プライバシーについて、日本国憲法には明文規定はないが、憲法上、いかなる規定を根拠にすべきかとなると、憲法第13条(個人の尊重)の規定をよりどころとしている。しかし、憲法に明文の規定がないため、その解釈は、それを解釈する立場によって、かなり違ったものとなってくる。
そして、以下参考の「情報化時代のプライバシー」で述べられているようにもしかすると本来はプライバシー権よりも優先されるべき、より基本的な人権や高い公共の利益がないがしろにされているということになっているのかもしれないのである。
たとえば、「プライバシー権」を主張し、住民基本台帳の整備や、国勢調査などに対しても、徹底して、反対している人達がいる。これらも、公共の利益と個人のプライバシーをどのように調整すればよいのか。
「プライバシー権」と「表現の自由」又、「公共の利益」などは、その本来の性格からいって競合、時には背反するものである。これは、プライバシー権の尊重と表現の自由をどの辺で折り合いをつけるかという調整の問題でもある。もし調整を認めないで、少しでも報道の自由や表現の自由を制限しかねない可能性があるとヒステリックにこれに反対するというのでは、プライバシー権を互いに尊重しあう成熟した市民社会はいつまでたっても実現できないだろう。 プライバシー権を主張するにあたって極めて重要なことは、情報主体者がどこまで権利を譲れるのか、あるいは放棄できるのかを、社会の調和の観点から慎重に考えることなのである。
一度、この機会に情報化時代のプライバシーを読んで、考えてみて欲しいものである。
(画像は、Amazon.co.jp: 「宴のあと」: 本: 三島 由紀夫)
参考:
プライバシー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%82%B7%E3%83%BC
我が国におけるプライバシーの権利の生成及びその保障
http://www.hogen.org/research/paper/jp/index.html
情報化時代のプライバシー
http://www.glocom.ac.jp/project/chijo/2003_01/2003_01_04.html
個人情報と住基ネットを考えるサイト
http://tantei.web.infoseek.co.jp/kojin/index.html
文学とプライバシー/柳美里 著『石に泳ぐ魚』最高裁判決─
http://www.glocom.ac.jp/project/chijo/2002_11/2002_11_24.html
セコムトラストシステムズのよくわかる情報セキュリティ用語辞典/
http://www.secomtrust.net/secword/privacy.html
憲法学習用基本判決集(『宴の後』事件 。『石に泳ぐ魚』事件。ほか)
http://www.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/hanrei-top.html
日本国憲法
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95
「プライバシーに配慮した国勢調査」の矛盾 -
http://blogs.itmedia.co.jp/sunada/2005/10/post_0d82.html
国勢調査が分かる
http://www.ringo.sakura.ne.jp/~kokusei/motomeru.html