今日のことあれこれと・・・

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世界3大海難事故となった洞爺丸転覆の日。「台風襲来の特異日」でもある。

2006-09-26 | 歴史
今日(9月26日)は、世界3大海難事故となった洞爺丸転覆の日。「台風襲来の特異日」でもある。
1954(昭和29)年の「洞爺丸台風」で青函連絡船洞爺丸が転覆したのも、1958(昭和33)年の「狩野川台風」が伊豆・関東地方に来襲したのもこの日だった。又、1959(昭和34)年、後に「伊勢湾台風」と呼ばれるようになった台風15号が紀伊半島に上陸し、明治以来最大の被害を齎(もたら)したのもこの日であった。
特異日(とくいび)とは、気象学的な理由は不明だが統計的に、毎年その日には特定の天気が現われる傾向が強いことをいい、特異日は日本だけでなく外国でも認められており、英語でシンギュラリティ(Singurality)と言うそうだ。厄日とは異なるもので、厄日は暦の上から言われるもので、特に農業上の注意を喚起するもので、例えば二百十日・二百二十日などが台風襲来の多い日として、よく知られるが、ここでいう特異日とは無関係とのこと。実際、過去の統計を見ると8月末と9月中旬の台風襲来の山にはさまれ、二百十日頃の台風襲来は非常に少なく、二百二十日の方が警戒をする必要があるようだ。
前に二百十日の日のことについて、私のブログ今日(9月1日)は、「二百十日」を書いたので、興味のある人は、見てください。
ここで言う特異日の例としては、「寒の戻りの特異日」(4月6日)。「晴れの特異日 」(6月1日 、11月3日 )。「雨の特異日」(6月28日。東京では53%の確率で雨が降る )。 「猛暑の特異日」(8月18日 )。「台風襲来の特異日」(統計上、台風襲来の回数が多い日。9月17日 、9月26日 )となっている。
「台風襲来の特異日」(「9月17日 )も、1945(昭和20)年 枕崎台風 が西日本の各地を襲来し、死者行方不明3758人 もの被害を齎しているが、今年も、丁度この頃台風13号が九州方面へ来襲した。
洞爺丸台風は、1954(昭和29)4年9月26日に来襲し、函館港沖で・洞爺丸を座礁転覆させ、岩内町では3,300戸を焼失させる大火を引き起こすなど、北海道を中心に多数の犠牲者を出した台風である。台風番号は195415号、国際名はMARIE。1954年の15番目に発生した台風という意味で、普通は台風第15号と呼ばれるが、1954年は台風第2号と台風第10号が後の調査(事後解析)で台風勢力に達していなかったとされて台風のリストから外されているため、実際は13番目の台風になるそうである。
この台風15号(洞爺丸台風)は、100㎞以上の速度のままで日本海を一気に北上し、午後3時には早くも青森県の西海上に到達。この時台風の中心気圧は960mbと依然として大きな勢力のままであったが、100㎞以上もあった速度は一時的に速度を時速50キロ以下に落としたため、この思いもよらない減速が大きな悲劇を生むことになったという。 北上するスピードは、青森県沖からさらに遅くなり、巨大なエネルギーを蓄えたまま、北上、北海道を中心とする北日本では猛烈な暴風による被害が大きかった。最大風速は寿都で42.0メートル(最大瞬間風速53.2メートル)、室蘭で37.2メートル(55.0メートル)、留萌で35.2メートル(45.8メートル)に達したほか、各地で30メートル以上となったそうだ。そのため家屋の全半壊や倒木などの風害が顕著で、岩内町では大火があった。又、かってない暴風の凶器となって函館湾内の青函連絡船に襲いかかり、青函連絡船洞爺丸の遭難では、乗客、乗組員等1314人乗船)が北海道函館港において転覆し、159人は救助されたが、乗客1041人、乗組員73人、その他の者41人の計1155人が死亡するという犠牲者を出し、これは1912年の北大西洋における「タイタニック号」、1865年のミシシッピ川での「サルタナ号」の事故に次ぐ、世界海難史上3番目の規模になったという。また、台風が通過した西日本でも大きな被害が出ている。象庁は、1958(昭和33)年9月26日に東日本に上陸して伊豆半島狩野川流域に大水害を起こした台風第22号を、同年11月に「狩野川台風」と命名し、同時に1954(昭和29)年の台風第15号も、さかのぼって「洞爺丸台風」と命名した。
この台風の名前は沈没して大きな犠牲を出した洞爺丸の名前をつけて「洞爺丸台風」と命名されているが、実際には、この台風では、「洞爺丸」とともに、「十勝丸」、「日高丸」、「北見丸」、「第11青函丸」も函館港付近で転覆、沈没(乗組員計275人死亡)するなどして、全国では、1,130余隻もの船舶が被害をこうむったという。《以下参考の日本の重大海難(汽船洞爺丸遭難事件)_海難審判庁ホームページより》
事故後、強風の中を出航し、台風により航行不能となり、函館港停泊中に強風に襲われ、船を転覆させる事になった、洞爺丸の船長の出港判断だけではなく、運行を管理していた当時の国鉄の責任も厳しく追及されたが、それは、当然の事であろう。この事故をモチーフとしたものに水上勉の推理小説「飢餓海峡」(きがかいきょう)がある。この本は映画もされた。
しかし、台風王国日本の9月26日、今年は襲来がなかったが、要注意日だってことは覚えておこうよね。
(画慈雨は、「転覆した洞爺丸」以下参考の日本の重大海難(汽船洞爺丸遭難事件)_海難審判庁ホームページより)
参考:
台風-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E9%A2%A8
特異日 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E7%95%B0%E6%97%A5
日本の重大海難(汽船洞爺丸遭難事件)_海難審判庁ホームページ
http://www.mlit.go.jp/maia/08monoshiri/maiahist/20s/20s_toya.htm