今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

満洲事変が勃発した日

2006-09-18 | 歴史
1931(昭和6)年の今日(9月18日)は、「満洲事変」が勃発した日である。
満州事変の発端は、1931(昭和6)年9月18日夜半、奉天(現在の瀋陽)郊外にある柳条湖で起きた南満州鉄道(満鉄)の線路爆破事件であった。
これは、満州(現中国東北部)への武力進攻を計画していた関東軍大日本帝国陸軍)参謀石原莞爾らの謀略によるものであった。内閣は直ちに事変の不拡大方針を決めたが、関東軍の中国進攻は拡大を続けた。
元老西園寺公望の秘書である原田熊雄は、事変を知った若槻礼次郎首相の動揺、またその後の内閣、宮中などの動静を克明に記している。
この記録については、以下参考の「4-1 満洲事変 | 史料にみる日本の近代」[原田熊雄日記](国会図書館蔵)を見られるとよい。
陸軍軍縮と西園寺公 [1] 第11回(ハ)~(ヘ) [原田熊雄日記]  → テキスト版
兎に角、この柳条湖事件を機に関東軍は中国を攻撃、政府の不拡大方針を尻目に戦線を拡大する。事態の打開を企図した民政党と野党政友会の「協力内閣」構想は、思惑が交錯してかえって政局の紛糾を招いた。その結果若槻内閣は瓦解し、幣原喜重郎外相による協調外交は挫折した。翌年日本は関東軍の樹立した傀儡(かいらい)国家「満州国」(建国1932=昭和6年3月)を承認し、1933(昭和8)年国際連盟を脱退、国際社会の中で孤立を深めていった。以後、益々日本軍部は発言力を強め、日中戦争(1937年=昭和12年から)へと突入していく事になるのである。そのため、、「満洲事変」の勃発をもって、いわゆる十五年戦争の始まりとする説があるが、「満州事変」(1931=昭和6年 ~)自体は塘沽協定(1933年)で終了しており、日中戦争と連続しているわけではない。
当時、石原莞爾と石橋湛山 とでは、その立場、世界観が全く違っていた。満州事変を策謀していた関東軍の参謀石原莞爾が武力解決を重視していたのに対して、石橋湛山 は、満州放棄を主張するなど、日本の軍国化に抵抗し続けた自由主義者であった。その2人が、期せずして、日米決戦必至とみる「予測」を同じようにたてていたという。満州事変前の1931(昭和6)年5月、石原莞爾は、満州問題が日米対決を生むことを見通し、「米国は、状況によりては、露英の武力的反対を予期せざるべからず」と書き、「満蒙問題は対支問題にあらずして対米問題なり」とまで言っており、アメリカ撃破の覚悟がなくてはならぬというのが「石原私見」であったという。それに対し、湛山 は1920(大正9)年、すでに「日米衝突の危険」について「一朝誤て日支に火が付けば、その火は直ちに米国に延焼すべきや、殆ど疑いを容れない」、「アメリカは極東の軍国主義を打倒せんと日本討伐軍を起こすだろう」・・・と警鐘を鳴らしていたという。(朝日クロニクル・「週刊20世紀」より)歴史は、2人の予測がほぼ正しかったことを証明している。そして、結果的には、不幸にも日本は焦土と化してしまった。そこには、満州の武力支配を貫き、国際連盟の脱退に至る前の内田康哉外相(斎藤実内閣)の「我国民は(満州国承認)のためには、挙国一致、国を焦土にしてもこの主張を徹することにおいては一歩も譲らない」と発言しているような、誤った思想が原因している。一体、国を焦土にしても守らねばならないものは、何だったのか?国を焦土から、守ることを第一義とすべき立場のもののこのような情緒的な思考が本当に国を焦土にしてしまったといえるだろう。第二次世界大戦では、アメリカにすでに敗北しており、もう、これ以上戦争をせず、降伏をし戦争を終結せよと、本土を焼け野原にして「警告」をされているにも拘わらず、それを、無視し、広島、長崎に原爆を落とされる最後の最後まで、本土決戦を主張していた当時の軍部の人達の誤った判断は、とても許すわけには行かないだろう。
私は、絵葉書のコレクションもしていたので、私のHP「よーさんの我楽多部屋」の企画催事室では満州に関係する絵葉書の企画をしていたが、それらをバックナンバーで見れるようにしている。興味があれば、以下で見てください。
「No1-2-2南満州鉄道」と「No1-2-3満州事変と満州国」↓
http://www.geocities.jp/yousan02/backnum-1-2.htm
(画像はコレクションの絵葉書より満鉄本社)
参考:
4-1 満洲事変 | 史料にみる日本の近代
http://www.ndl.go.jp/modern/cha4/description01.html
満州事変 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E5%A4%89
「よーさんの我楽多部屋」企画催事室での満州に関係する絵葉書の企画バックナンバー
http://www.geocities.jp/yousan02/backnum-1-2.htm
石橋湛山 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%A9%8B%E6%B9%9B%E5%B1%B1
西園寺公望 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%9C%92%E5%AF%BA%E5%85%AC%E6%9C%9B
原田 熊雄 / クリック 20世紀
http://www.c20.jp/p/hkumao.html
内田康哉 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E5%BA%B7%E5%93%89