今日(9月29日)は、「日中国交正常化の日」
1972(昭和47)年9月29日、日本国政府と中華人民共和国との間の国交正常化共同声明」(日中共同声明)の調印式が北京で行われ、田中角栄、周恩来両首相が署名した。
1972(昭和47)年は沖縄が本土に復帰した年である。この沖縄の本土復帰と同じ様に論ずるわけには行かないが、この「日中国交正常化」も日本にとってはこの年の大きな出来事であった。この年、7月5日自民党大会で総裁に指名された「角さん」こと、行動派の田中角栄首相が国民の期待に応えて、先ず最初にその決断力を生かしたのが、この日中国交正常化交渉であった。田中首相、大平正芳外相、二階堂官房長官ら日本政府代表団を乗せた日航特別機は9月25日、午前11時半、快晴の北京空港に到着。一行は出迎えの周恩来首相から固い握手で迎えられ、この後、田中、周両首相は儀礼隊を閲兵。その模様は日本にテレビで中継された。訪中3日目の27日夜、宿舎の迎賓館にいた田中首相は毛沢東主席の招待を周首相から告げられ、会談は、その日夜8時半から約1時間北京の毛主席の私邸で行われ、大平外相らも同席した。毛主席は「もう、喧嘩はすみましたか」などと上機嫌であり、田中首相が、中国侵略を謝罪しようとしたとき、毛主席は、「侵略の”助け”があったからこそ共産党の勝利を可能ならしめ、共産中国と日本の両首脳があいまみえるようになったのだ」と請けたという。(李志綏『毛沢東の私生活』分文芸春秋刊。週刊20世紀。アサヒクロニクルより抜粋)。29日、日本は、中華人民共和国を唯一の合法政府として日中共同声明に調印し戦後27年目にして日中の戦争状態に終止符が打たれた。日本は、このとき、それまで国交のあった中華民国(台湾)には断交を通告した。これによって日本と中華人民共和国とが国交を結ぶこととなった。そのため、これを日中「国交回復」とも言われる。
このことについては、1972(昭和47)年以前に、中華人民共和国という国家と日本の間に外交関係はなかったので、「国交回復」という表現は不正確であるとする見解もあるが、清や中華民国(台湾)と日本の間には国交が存在した時期もあり、中華人民共和国はこれらの国家の継承国家であるため、個々の政体ではなく中国という枠組みで捉えての国交回復ということである。
中国大陸に対する支配権を失った中華民国を中国を代表する国家として国交を結び、中国大陸を支配する中華人民共和国との間に国交がないという状況は正常とは言えないとし、より実態に即した外交関係に構築しなおすということで「正常化」という言い方は日本において広く受け入れられた。しかし「正常化」と表現することに対して、これはあくまで中華人民共和国側から見た主観的表現なので国交を新たに樹立した日本までがそれに拘束される必要は無い、とする意見もある。また中華人民共和国から見た場合としても現在の日台の非公式的関係の存在が果たして「正常」といえるのかどうかという問題もある。
当時、自民党内では、岸信介ー佐藤栄作ー福田赴夫と連なる新台湾派の力が強かったため、それだけに、国交回復の実践は田中内閣の新鮮さを際立たせたものではあるが・・・。
この「日中国交正常化」が行われた7ヶ月前の1972年2月、アメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソンが中華人民共和国を電撃訪問し世間をあっと言わせている。第2次世界大戦後の1949(昭和24)年に成立した共産主義政府である中華人民共和国(以下「中国」と表記)は、ソビエト連邦を筆頭にした共産陣営に属し、アメリカとは冷戦を背景に対峙する関係にあった。しかし、独裁者であるヨシフ・スターリンの死後登場したニキータ・フルシチョフ首相との間に巻き起こった中ソ対立で、これまで友好関係を維持してきた中ソ間にも不協和音が生じ、中国はソビエト連邦とは一定の距離を置く独自の路線を歩みつつあった。その頃、ヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官が水面下で中国政府との交渉を進め,ニクソン・毛沢東会談を用意した。
アメリカはそれまで蒋介石率いる中華民国を中国の正当な政府として、中国共産党政府(北京政府)を承認していなかったが、この訪問で米中共同声明を発表し、北京政府を事実上承認した。その後、ジミー・カーター政権時代の1979(昭和54)年1月にアメリカと中国の間でも国交が樹立されている。
1972年、厳冬の北京で、毛沢東、周恩来、ニクソン、キッシンジャーの四人の巨人が、世界構想や米中戦略関係、あるいは台湾やベトナム問題、日本、韓国、ソ連、インド等との関係について、いったい何を話し合ったのかを私などが知る由もないが、その会談後に行われた中国交正常化のための会談は、中国側が熱烈に希望し、日本側は経済的交流の増加に対し政治目的とは別に否応無く国交を回復したものであり、これによって政治的にはそれまでの台湾との友好の道が断たれたことになる。つまり、田中首相が積極的に国交を回復しようとしたものではなく、むしろ、中国の描いたシナリオに基づいて条約が調印された側面が大きいとの見方が一般的である。
後に、このときの「日中国交正常化」交渉を、田中首相が、本当の狙いは、日中米が手を組んで、当時のソ連に対抗することにあったと話しているといい。私も、そうであったろうと思う。しかし、そのために残された問題がる。そのことについては、以下を見ればよく分かるだろう。日中国交正常化・残された課題 ↓
http://t_links.at.infoseek.co.jp/shomondai/taiwan/kokko30.html
兎も角、1972年(昭和47年)の今日、 第二次大戦で断絶されていた日中の国交が回復された。そして、これを記念して2ヵ月後に「ランラン」と「カンカン」という名の二頭のジャイアントパンダが中国から日本に送られ、東京の上野動物園にて飼われることになる。これが引き金となってパンダブームが起こった。
日中国交正常化後、特に経済面では、日本、中国両国間の交流が飛躍的に発展して、いまや両国は経済的に高度な相互補完関係にあるといえる。しかしながら、一方で両国の国民の間には歴史認識や安全保障問題など主として政治の領域に属するもでは、なお互いへの不信感が存在していることも否めない事実であり、それは、、しばしば両国間の経済交流の発展を阻害する要因ともなっている。
それでも、2002年には、日本と中国が国交を正常化してから30周年を迎えたのを記念して、両国民が互いをより理解し合うため、それぞれの国において2002年を「日本年」・「中国年」とし、日中フォーラムの北京開催、中国フィルハーモニーの日本公演を始め、文化、経済、貿易、観光、教育、青少年交流等幅広い分野での事業が展開されている。そして、 2003年5月には、小泉総理と胡錦濤国家主席との間で、中国の新体制発足後、初の日中首脳会談(於サンクトペテルブルク)が行われた。しかし、2004年1月1日に行われた小泉総理の靖国神社参拝に対し、中国側は強い憤慨と強い非難の意を表明。同年3月には、中国人活動家7名が魚釣島に上陸するといった事件までが起こっている。そして、小泉首相の靖国神社参拝問題が原因で昨年4月以降日中首脳会談が行われていない状況が続いている。
今年の9月12日NHKの討論番組で、小泉首相退陣後の首相を継ぐ人と首相自身が推薦している安倍官房長官(9月20日自民党総裁選で自民党総裁となる)が「靖国神社参拝、問題で」”日中国交正常化の「やりとりは知らない」”と中国側論理を否定 するなど、中国を刺激するようなことを行っている(17日修正) 。
安倍官房長官:日中国交正常化「責任二分論は認識」--発言を修正 ↓
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20060918ddm002010006000c.html
靖国神社問題には様々な問題があり以下のような問題のあることも承知している。
中国、韓国との外交 ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%95%8F%E9%A1%8C#.E4.B8.AD.E5.9B.BD.E3.80.81.E9.9F.93.E5.9B.BD.E3.81.A8.E3.81.AE.E5.A4.96.E4.BA.A4そして、阿部氏の考え方も否定している訳けではないが、今、日中両国の経済の発展と交流は世界経済、とりわけアジア太平洋地域の経済の発展と安定に、きわめて重要な意味を持つている。両国がさらなる経済協力と文化交流を進めることは、単に日中両国民の友好にとどまらず、アジア太平洋地域の経済発展に不可欠の前提条件であるともいえる。
だから、政治的なことから、両国の首脳が会談できないといった最低の状況だけは回避し、靖国神社問題も話し合いの上で、穏便な解決を図ってもらいたいものである。
(画像は、2002年「日本年」日本側ロゴマーク。外務省HPより)
参考:
Category:日中関係 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%97%A5%E4%B8%AD%E9%96%A2%E4%BF%82
国交 - goo Wikipedia (ウィキペディア)
http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%B9%F1%B8%F2/detail.html?LINK=1&kind=epedia
毛沢東 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E6%B2%A2%E6%9D%B1
清 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85
日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明(外務省HP)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/nc_seimei.html
日中国交正常化交渉記録
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/%7Eworldjpn/documents/indices/JPCH/index2.html
日中国交正常化・残された課題
http://t_links.at.infoseek.co.jp/shomondai/taiwan/kokko30.html
ニクソン大統領の中国訪問 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%A8%AA%E5%95%8F
最近のトピックス・2002年「日本年」「中国年」~IT時代の日中交流~(外務省HP)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/culture/topics/2002_jcyear.html
2002年「日本年」「中国年」紹介ページ
http://www.kanlema.com/inpaku/events/chinayear/index.html
外務省: 最近の中国情勢と日中関係
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/kankei.html
アメリカの衰退と日中関係
http://tanakanews.com/f0420dollar.htm
Yahoo!ニュース - 日中関係
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/japan_china_relations/
asahi.com:朝日新聞 日中関係特集 ―ニュース特集―
http://www.asahi.com/special/050410/
日中国交復興 30周年記念 カンカン、ランランのお話
http://homepage2.nifty.com/isseim/panda/30/kankan.htm
1972(昭和47)年9月29日、日本国政府と中華人民共和国との間の国交正常化共同声明」(日中共同声明)の調印式が北京で行われ、田中角栄、周恩来両首相が署名した。
1972(昭和47)年は沖縄が本土に復帰した年である。この沖縄の本土復帰と同じ様に論ずるわけには行かないが、この「日中国交正常化」も日本にとってはこの年の大きな出来事であった。この年、7月5日自民党大会で総裁に指名された「角さん」こと、行動派の田中角栄首相が国民の期待に応えて、先ず最初にその決断力を生かしたのが、この日中国交正常化交渉であった。田中首相、大平正芳外相、二階堂官房長官ら日本政府代表団を乗せた日航特別機は9月25日、午前11時半、快晴の北京空港に到着。一行は出迎えの周恩来首相から固い握手で迎えられ、この後、田中、周両首相は儀礼隊を閲兵。その模様は日本にテレビで中継された。訪中3日目の27日夜、宿舎の迎賓館にいた田中首相は毛沢東主席の招待を周首相から告げられ、会談は、その日夜8時半から約1時間北京の毛主席の私邸で行われ、大平外相らも同席した。毛主席は「もう、喧嘩はすみましたか」などと上機嫌であり、田中首相が、中国侵略を謝罪しようとしたとき、毛主席は、「侵略の”助け”があったからこそ共産党の勝利を可能ならしめ、共産中国と日本の両首脳があいまみえるようになったのだ」と請けたという。(李志綏『毛沢東の私生活』分文芸春秋刊。週刊20世紀。アサヒクロニクルより抜粋)。29日、日本は、中華人民共和国を唯一の合法政府として日中共同声明に調印し戦後27年目にして日中の戦争状態に終止符が打たれた。日本は、このとき、それまで国交のあった中華民国(台湾)には断交を通告した。これによって日本と中華人民共和国とが国交を結ぶこととなった。そのため、これを日中「国交回復」とも言われる。
このことについては、1972(昭和47)年以前に、中華人民共和国という国家と日本の間に外交関係はなかったので、「国交回復」という表現は不正確であるとする見解もあるが、清や中華民国(台湾)と日本の間には国交が存在した時期もあり、中華人民共和国はこれらの国家の継承国家であるため、個々の政体ではなく中国という枠組みで捉えての国交回復ということである。
中国大陸に対する支配権を失った中華民国を中国を代表する国家として国交を結び、中国大陸を支配する中華人民共和国との間に国交がないという状況は正常とは言えないとし、より実態に即した外交関係に構築しなおすということで「正常化」という言い方は日本において広く受け入れられた。しかし「正常化」と表現することに対して、これはあくまで中華人民共和国側から見た主観的表現なので国交を新たに樹立した日本までがそれに拘束される必要は無い、とする意見もある。また中華人民共和国から見た場合としても現在の日台の非公式的関係の存在が果たして「正常」といえるのかどうかという問題もある。
当時、自民党内では、岸信介ー佐藤栄作ー福田赴夫と連なる新台湾派の力が強かったため、それだけに、国交回復の実践は田中内閣の新鮮さを際立たせたものではあるが・・・。
この「日中国交正常化」が行われた7ヶ月前の1972年2月、アメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソンが中華人民共和国を電撃訪問し世間をあっと言わせている。第2次世界大戦後の1949(昭和24)年に成立した共産主義政府である中華人民共和国(以下「中国」と表記)は、ソビエト連邦を筆頭にした共産陣営に属し、アメリカとは冷戦を背景に対峙する関係にあった。しかし、独裁者であるヨシフ・スターリンの死後登場したニキータ・フルシチョフ首相との間に巻き起こった中ソ対立で、これまで友好関係を維持してきた中ソ間にも不協和音が生じ、中国はソビエト連邦とは一定の距離を置く独自の路線を歩みつつあった。その頃、ヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官が水面下で中国政府との交渉を進め,ニクソン・毛沢東会談を用意した。
アメリカはそれまで蒋介石率いる中華民国を中国の正当な政府として、中国共産党政府(北京政府)を承認していなかったが、この訪問で米中共同声明を発表し、北京政府を事実上承認した。その後、ジミー・カーター政権時代の1979(昭和54)年1月にアメリカと中国の間でも国交が樹立されている。
1972年、厳冬の北京で、毛沢東、周恩来、ニクソン、キッシンジャーの四人の巨人が、世界構想や米中戦略関係、あるいは台湾やベトナム問題、日本、韓国、ソ連、インド等との関係について、いったい何を話し合ったのかを私などが知る由もないが、その会談後に行われた中国交正常化のための会談は、中国側が熱烈に希望し、日本側は経済的交流の増加に対し政治目的とは別に否応無く国交を回復したものであり、これによって政治的にはそれまでの台湾との友好の道が断たれたことになる。つまり、田中首相が積極的に国交を回復しようとしたものではなく、むしろ、中国の描いたシナリオに基づいて条約が調印された側面が大きいとの見方が一般的である。
後に、このときの「日中国交正常化」交渉を、田中首相が、本当の狙いは、日中米が手を組んで、当時のソ連に対抗することにあったと話しているといい。私も、そうであったろうと思う。しかし、そのために残された問題がる。そのことについては、以下を見ればよく分かるだろう。日中国交正常化・残された課題 ↓
http://t_links.at.infoseek.co.jp/shomondai/taiwan/kokko30.html
兎も角、1972年(昭和47年)の今日、 第二次大戦で断絶されていた日中の国交が回復された。そして、これを記念して2ヵ月後に「ランラン」と「カンカン」という名の二頭のジャイアントパンダが中国から日本に送られ、東京の上野動物園にて飼われることになる。これが引き金となってパンダブームが起こった。
日中国交正常化後、特に経済面では、日本、中国両国間の交流が飛躍的に発展して、いまや両国は経済的に高度な相互補完関係にあるといえる。しかしながら、一方で両国の国民の間には歴史認識や安全保障問題など主として政治の領域に属するもでは、なお互いへの不信感が存在していることも否めない事実であり、それは、、しばしば両国間の経済交流の発展を阻害する要因ともなっている。
それでも、2002年には、日本と中国が国交を正常化してから30周年を迎えたのを記念して、両国民が互いをより理解し合うため、それぞれの国において2002年を「日本年」・「中国年」とし、日中フォーラムの北京開催、中国フィルハーモニーの日本公演を始め、文化、経済、貿易、観光、教育、青少年交流等幅広い分野での事業が展開されている。そして、 2003年5月には、小泉総理と胡錦濤国家主席との間で、中国の新体制発足後、初の日中首脳会談(於サンクトペテルブルク)が行われた。しかし、2004年1月1日に行われた小泉総理の靖国神社参拝に対し、中国側は強い憤慨と強い非難の意を表明。同年3月には、中国人活動家7名が魚釣島に上陸するといった事件までが起こっている。そして、小泉首相の靖国神社参拝問題が原因で昨年4月以降日中首脳会談が行われていない状況が続いている。
今年の9月12日NHKの討論番組で、小泉首相退陣後の首相を継ぐ人と首相自身が推薦している安倍官房長官(9月20日自民党総裁選で自民党総裁となる)が「靖国神社参拝、問題で」”日中国交正常化の「やりとりは知らない」”と中国側論理を否定 するなど、中国を刺激するようなことを行っている(17日修正) 。
安倍官房長官:日中国交正常化「責任二分論は認識」--発言を修正 ↓
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20060918ddm002010006000c.html
靖国神社問題には様々な問題があり以下のような問題のあることも承知している。
中国、韓国との外交 ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%95%8F%E9%A1%8C#.E4.B8.AD.E5.9B.BD.E3.80.81.E9.9F.93.E5.9B.BD.E3.81.A8.E3.81.AE.E5.A4.96.E4.BA.A4そして、阿部氏の考え方も否定している訳けではないが、今、日中両国の経済の発展と交流は世界経済、とりわけアジア太平洋地域の経済の発展と安定に、きわめて重要な意味を持つている。両国がさらなる経済協力と文化交流を進めることは、単に日中両国民の友好にとどまらず、アジア太平洋地域の経済発展に不可欠の前提条件であるともいえる。
だから、政治的なことから、両国の首脳が会談できないといった最低の状況だけは回避し、靖国神社問題も話し合いの上で、穏便な解決を図ってもらいたいものである。
(画像は、2002年「日本年」日本側ロゴマーク。外務省HPより)
参考:
Category:日中関係 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%97%A5%E4%B8%AD%E9%96%A2%E4%BF%82
国交 - goo Wikipedia (ウィキペディア)
http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%B9%F1%B8%F2/detail.html?LINK=1&kind=epedia
毛沢東 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E6%B2%A2%E6%9D%B1
清 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85
日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明(外務省HP)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/nc_seimei.html
日中国交正常化交渉記録
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/%7Eworldjpn/documents/indices/JPCH/index2.html
日中国交正常化・残された課題
http://t_links.at.infoseek.co.jp/shomondai/taiwan/kokko30.html
ニクソン大統領の中国訪問 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%A8%AA%E5%95%8F
最近のトピックス・2002年「日本年」「中国年」~IT時代の日中交流~(外務省HP)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/culture/topics/2002_jcyear.html
2002年「日本年」「中国年」紹介ページ
http://www.kanlema.com/inpaku/events/chinayear/index.html
外務省: 最近の中国情勢と日中関係
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/kankei.html
アメリカの衰退と日中関係
http://tanakanews.com/f0420dollar.htm
Yahoo!ニュース - 日中関係
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/japan_china_relations/
asahi.com:朝日新聞 日中関係特集 ―ニュース特集―
http://www.asahi.com/special/050410/
日中国交復興 30周年記念 カンカン、ランランのお話
http://homepage2.nifty.com/isseim/panda/30/kankan.htm