今日(9月7日)は、「CMソングの日」
1951(昭和26)年、のこの日(9月7日)、ラジオ放送で日本初の歌を使ったCM ソングがオンエアされた(小西六提供)。
日本初のラジオ放送は、1925(昭和大正14)年3月22日午前9時30分、社団法人東京放送局(JOAK:現在のNHK東京放送局:略称AK)が東京・芝浦の東京高等工芸学校(千葉大学工学部の前身)内に設けた仮送信所から発した京田武男アナウンサーによる第一声「アーアーアー、聞こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。こんにち只今より放送を開始致します」であった。それから、26年が経過し、敗戦から6年経過した1951(昭和26)年のこの年、日本の放送と広告は、新しい時代に入った。民間ラジオがスタートしたのである。口火を切ったのは9月1日午前6時30分。名古屋のCBC中部日本放送である。正午には、大阪の新日本放送(NJB,現毎日放送)もスタートした。CBCの「服飾講座」は、初めてのスポンサー提供番組となった。(名古屋の6洋品店が提供)。CBCとNJBの冗談ウエスタンでは、初のコマーシャルソングが流れた。
灰田勝彦 )が歌う「僕はアマチュアカメラマン」。提供は、小西六写真工業(現在のコニカ)の「さくらフイルム」の宣伝のためにつくられたCMだった。コニカ(Konica)は、かつての日本の写真用フィルムメーカーの大手企業。2003年同業のミノルタとの株式交換により、現在はコニカミノルタホールディングスとなっている。この年「ぼくは特急の機関車で」に大ヒットを飛ばした三木鶏郎の作詞・作曲で、ラジオという電波に乗った初のCMソングである。このような中、東京は出遅れた。ラジオ東京(TBS)の開局は12月25日の事であった。全国で6番目。大新聞の寄り合い所帯だった事もあり資金集めに苦労したからである。大手銀行は、電波は抵当にならないと融資を断ったという。昔から、銀行は、お堅いだけで、人を見る目、世の中を読む目を持っていなかったんだよね。昔から、担保を取って担保の何割かのお金を貸すだけのところだったのだよ。小西六提供の「僕はアマチュアカメラマン」は、日本初のコマーシャルソングだ。
民放第一声で新番組を始めたいという小西六が30分の番組枠を買い、三木鶏郎に委嘱した。鶏郎は、NHKでは出来ないものは何かと考え、コマーシャルソングを提案。そしてこれをヒットさせるために、あえて会社名、商品名(さくらフィルム)を入れず、アマチュアカメラマンがカメラを持って一度は失敗することを読み込んでコミックソングとして作曲したという。
この時代は、番組を提供すること自体が、放送広告の中心であった。そのため、今の時代のように番組の途中に沢山にCMを入れなくても、番組の最初や最後に入る提供社名だけでも、十分な宣伝効果があったようだ。CMソング第 1 号のこの曲も、提供社名にインパクトを与えるBGMのような役割で放映されたようだ。そのためその歌詞には企業名も商品名も入れる必要はなかったのである。この曲は「冗談ウエスタン」の番組テーマソングのあと、灰田勝彦の明るい歌声で歌われた。歌のなかに社名や商品名は入っていなかったものの、親しみやすい歌詞とメロディでたちまちお茶の間に浸透し、放送後、まもなく大流行した。そして、「僕はアマチュアカメラマン。僕が写真を撮るとみんなピンボケだ」というこの曲の歌詞は、「うちの店のカメラが全部ピンボケみたいに聞こえる」と、カメラ屋からクレームが来たほど人々の耳に馴染み、認知度をあげていったという。放送開始前には銀行も融資しなかったラジオ放送だが、スタートするとそんな心配は吹き飛び、番組提供やCMの申し込みが殺到した。それまで、印刷媒体ばかりが対象だった広告部にラジオ係りを儲ける企業も続出したという。そして、スポットCMを1週刊流す予定だった会社が3日で商品を売り切ったためCMを途中で中止した事もあったという。
因みに、日本初のテレビCMは、日本の民放テレビである日本テレビが開局の日の1953年8月28日に放送したものである。服部時計店(精工舎)の提供による正午の時報だったが、放送の不慣れからフィルムを裏返しにかけてしまったため、3秒ほどで中止されたと言われる。(参考・「時の家庭科」セイコーのテレビCM)
コマーシャルソングは、コマーシャルで使われる歌で、コマソン、CMソングとも呼ばれる。現在のコマーシャルソングは、次の2つに大分される。商品名や商品の特徴を連呼する歌詞の、純粋な意味でのコマーシャルソング。 歌詞に商品名のない曲はこれをイメージソングとも言う。 そういう分類からいくと、小西六提供の「僕はアマチュアカメラマン」はどちらかと言うとイメージソングの部類に入るが、少し違うよね。
三木鶏郎は、その後、ミツワ石鹸の「ワ、ワ、ワ、輪が三つ」、松下電器産業の 「明るいナショナル」三共 ルルの「くしゃみ3回ルル3錠」など、今でも記憶に残るCMソングを数多く手がけている。
1980年代以降、レコード会社が歌手を売り込むためにコマーシャルを利用する、いわゆるタイアップ曲(レコード会社とコマーシャル企業のタイアップ)が増えてきた。この場合、商品のイメージと曲とが大きくかけ離れていることも少なくない。最近、 日本の音楽市場では、タイアップがついていないと曲はヒットしないと言われているそうだ。レコード店に並べられているCDにも、「○○のテーマ曲です」などという表示のされているものがたくさんあるという。
民放で流れているようなCMが、NHKで流れることはありえない。ただイメージソングはNHK紅白歌合戦で歌われることもある。企業広告を放送しないNHKも、公共広告機構(Japan Ad Council = AC)の会員企業であり、2000年にはNHKとの共同による啓発キャンペーンとして公共広告を放送した実績がある。最初に放送されたのはAC制作の「捨てる世紀」 とNHK制作の「地球の声~環境汚染」。この活動は現在も継続中である。なお、NHKでのオンエアの場合、最後のロゴは「公共放送 NHK」に差し替えられるか、その部分をカットして、そのまま次の番組が放映される。
CMの放送されなかった日としては、1989年(昭和64年・平成元年)1月7日、8日昭和天皇崩御のため、各放送局の取り決め事項で、服喪期間中の派手な歌舞音曲を控えるという観点から全ての民間放送は通常放送・CMは一切自粛した。また大喪の礼が開かれた2月24日も儀式開催中はCMを一切中止していた。
1995年1月17日の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)発生当時も、同日と翌18日の近畿地方の民間放送局はCMを自粛していた。全国ネット放送が行われていた時間帯、他地区がCMを放送する中で近畿地方はフィラー映像で震災発生当時の映像や大阪ガス、関西電力などからの震災発生時の対応指示の告知などに差し替えられていた。また、その後もしばらくは中野浩一と増田明美演ずるAC公共広告機構の「空き缶ポイ捨て禁止」CMが継続的に流され、企業が商品やサービスのプロモーションを目的として制作したCMはほぼ全面的に自粛となっていた。
CMソングには面白い曲が多いが、静岡民謡として有名なちゃっきり節は、静岡鉄道の前身である静岡電気鉄道が、1927年(昭和2年)に、狐ヶ崎遊園地の開園を記念して、沿線のPRのために作った歌だったのだね~。(狐ヶ崎駅も参照)。
わが地元兵庫県にも面白いCMがあるよ。その中でも一番面白いのは神戸の隣・明石市はタコで有名であるが、明石淡路フェリー株式会社のCMソング「たこフェリー音頭」が面白いよ。
明石のたこを ご存知ですか
たこはたこでも たこフェリー
明石と岩屋を 行ったり来たり
朝から晩まで 行ったり来たり
明石名物たこフェリー
この歌を、河内音頭のリズムの乗せて軽快に歌っているのは、ご存知、河内家 菊水丸 さん。面白いよ!
「たこフェリー音頭」はここで聞けるので、ちょっと聴いてみては・・↓
http://www.taco-ferry.com/tacof_ondo.html
又、私の住んでいる神戸市・環境局のごみと資源・分別徹底キャンペーンソング「♪♪ワケトンがんばるデー ♪♪」も面白いよ。
ふるさと神戸に帰ったら
あかんやん あかんやん これはあかんやん
街に残された まぜこごみ
町がムチャクチャ きたないやんか
「なんでやねん!」
ワケトン ワケトン がんばるデ
ワケトン みんなの あいことば
ごみはトコトン 分けトン 知っトントン!
「♪♪ワケトンがんばるデー ♪♪」はここで聞ける。↓
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/24/bunbetu/song/song1.html
神戸市はごみの分別を徹底しトンネン!!・・・ここで、ちょっと神戸市の代わりにCM入れトコ・・・。(^0^)
もう、神戸弁丸出しの歌ヤンカ・・。昔から神戸弁は「トントン」言葉といわテンネン。何をしゃべっても最後に「トントン」がついトンネン。それにもう一つ多いのが「ヤン」「ネン」。浜っ子のことばやからちょっと言葉は汚いネン。昔から大阪の会社へ就職した時、大阪の人から、神戸便を笑われたので、それ以来神戸便は使わないようにしているが・・・。
丁度、このブログを書くのでNET上を検索していたら、以下参考に記載の「47都道府県ローカルソングの調べ」を見つけた。ネット上で聴ける日本全国のローカルソングのリンク集だが、この中にCMソングも沢山入ってる。覗いてみると、先に私が案内したCMソングもちゃんと此処に含まれているよ。他のも何曲かあったのですべて視聴してみたが本当に面白いものばかり・・・よくこんなページ作ってくれたとここで感謝しておこう。きっと皆さんもここでも貴方の知らない地元の面白い歌が見つかるのではないかな。一度覗いて見ては・・・。今の世の中、マニア向けの歌はあっても、昔のような大衆の歌が少なくなくなってしまった。子どもまでが口ずさんでいるような流行のCMってそんな現代の大衆歌といえるかもしれないね。CMって、本当に面白いよ・・・。
47都道府県ローカルソングの調べ →http://k-z-y.hp.infoseek.co.jp/yama/t-song.html
(画像は神戸市・環境局のキャラクター「ワケトン」。同HPより)
参考:
ラジオ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%AA
大瀧詠一さんと、トリロー先生の話を
http://www.1101.com/toriro/
これを知っておくと三木鶏郎が分かる
http://www.1101.com/toriro/subwin/sub_002-07.html
時の家庭科ページ
http://www.kodomo-seiko.com/classroom/class/kateika/kateika0012.html
コマーシャルソング - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/CM%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%82%B0
コニカミノルタホールディングス
http://konicaminolta.jp/
広告景気年表:1951年
http://www.dentsu.co.jp/trendbox/adnenpyo/r1951.htm
民放テレビの開局
http://www.1101.com/toriro/subwin/sub_002-07.html
三木鶏郎資料館
http://www.mikitoriro.jp/
「ヒット曲とタイアップ曲」
http://www.bus.kindai.ac.jp/kawamura/03semi/semi3/suganuma/suganuma0715.html
1951(昭和26)年、のこの日(9月7日)、ラジオ放送で日本初の歌を使ったCM ソングがオンエアされた(小西六提供)。
日本初のラジオ放送は、1925(昭和大正14)年3月22日午前9時30分、社団法人東京放送局(JOAK:現在のNHK東京放送局:略称AK)が東京・芝浦の東京高等工芸学校(千葉大学工学部の前身)内に設けた仮送信所から発した京田武男アナウンサーによる第一声「アーアーアー、聞こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。こんにち只今より放送を開始致します」であった。それから、26年が経過し、敗戦から6年経過した1951(昭和26)年のこの年、日本の放送と広告は、新しい時代に入った。民間ラジオがスタートしたのである。口火を切ったのは9月1日午前6時30分。名古屋のCBC中部日本放送である。正午には、大阪の新日本放送(NJB,現毎日放送)もスタートした。CBCの「服飾講座」は、初めてのスポンサー提供番組となった。(名古屋の6洋品店が提供)。CBCとNJBの冗談ウエスタンでは、初のコマーシャルソングが流れた。
灰田勝彦 )が歌う「僕はアマチュアカメラマン」。提供は、小西六写真工業(現在のコニカ)の「さくらフイルム」の宣伝のためにつくられたCMだった。コニカ(Konica)は、かつての日本の写真用フィルムメーカーの大手企業。2003年同業のミノルタとの株式交換により、現在はコニカミノルタホールディングスとなっている。この年「ぼくは特急の機関車で」に大ヒットを飛ばした三木鶏郎の作詞・作曲で、ラジオという電波に乗った初のCMソングである。このような中、東京は出遅れた。ラジオ東京(TBS)の開局は12月25日の事であった。全国で6番目。大新聞の寄り合い所帯だった事もあり資金集めに苦労したからである。大手銀行は、電波は抵当にならないと融資を断ったという。昔から、銀行は、お堅いだけで、人を見る目、世の中を読む目を持っていなかったんだよね。昔から、担保を取って担保の何割かのお金を貸すだけのところだったのだよ。小西六提供の「僕はアマチュアカメラマン」は、日本初のコマーシャルソングだ。
民放第一声で新番組を始めたいという小西六が30分の番組枠を買い、三木鶏郎に委嘱した。鶏郎は、NHKでは出来ないものは何かと考え、コマーシャルソングを提案。そしてこれをヒットさせるために、あえて会社名、商品名(さくらフィルム)を入れず、アマチュアカメラマンがカメラを持って一度は失敗することを読み込んでコミックソングとして作曲したという。
この時代は、番組を提供すること自体が、放送広告の中心であった。そのため、今の時代のように番組の途中に沢山にCMを入れなくても、番組の最初や最後に入る提供社名だけでも、十分な宣伝効果があったようだ。CMソング第 1 号のこの曲も、提供社名にインパクトを与えるBGMのような役割で放映されたようだ。そのためその歌詞には企業名も商品名も入れる必要はなかったのである。この曲は「冗談ウエスタン」の番組テーマソングのあと、灰田勝彦の明るい歌声で歌われた。歌のなかに社名や商品名は入っていなかったものの、親しみやすい歌詞とメロディでたちまちお茶の間に浸透し、放送後、まもなく大流行した。そして、「僕はアマチュアカメラマン。僕が写真を撮るとみんなピンボケだ」というこの曲の歌詞は、「うちの店のカメラが全部ピンボケみたいに聞こえる」と、カメラ屋からクレームが来たほど人々の耳に馴染み、認知度をあげていったという。放送開始前には銀行も融資しなかったラジオ放送だが、スタートするとそんな心配は吹き飛び、番組提供やCMの申し込みが殺到した。それまで、印刷媒体ばかりが対象だった広告部にラジオ係りを儲ける企業も続出したという。そして、スポットCMを1週刊流す予定だった会社が3日で商品を売り切ったためCMを途中で中止した事もあったという。
因みに、日本初のテレビCMは、日本の民放テレビである日本テレビが開局の日の1953年8月28日に放送したものである。服部時計店(精工舎)の提供による正午の時報だったが、放送の不慣れからフィルムを裏返しにかけてしまったため、3秒ほどで中止されたと言われる。(参考・「時の家庭科」セイコーのテレビCM)
コマーシャルソングは、コマーシャルで使われる歌で、コマソン、CMソングとも呼ばれる。現在のコマーシャルソングは、次の2つに大分される。商品名や商品の特徴を連呼する歌詞の、純粋な意味でのコマーシャルソング。 歌詞に商品名のない曲はこれをイメージソングとも言う。 そういう分類からいくと、小西六提供の「僕はアマチュアカメラマン」はどちらかと言うとイメージソングの部類に入るが、少し違うよね。
三木鶏郎は、その後、ミツワ石鹸の「ワ、ワ、ワ、輪が三つ」、松下電器産業の 「明るいナショナル」三共 ルルの「くしゃみ3回ルル3錠」など、今でも記憶に残るCMソングを数多く手がけている。
1980年代以降、レコード会社が歌手を売り込むためにコマーシャルを利用する、いわゆるタイアップ曲(レコード会社とコマーシャル企業のタイアップ)が増えてきた。この場合、商品のイメージと曲とが大きくかけ離れていることも少なくない。最近、 日本の音楽市場では、タイアップがついていないと曲はヒットしないと言われているそうだ。レコード店に並べられているCDにも、「○○のテーマ曲です」などという表示のされているものがたくさんあるという。
民放で流れているようなCMが、NHKで流れることはありえない。ただイメージソングはNHK紅白歌合戦で歌われることもある。企業広告を放送しないNHKも、公共広告機構(Japan Ad Council = AC)の会員企業であり、2000年にはNHKとの共同による啓発キャンペーンとして公共広告を放送した実績がある。最初に放送されたのはAC制作の「捨てる世紀」 とNHK制作の「地球の声~環境汚染」。この活動は現在も継続中である。なお、NHKでのオンエアの場合、最後のロゴは「公共放送 NHK」に差し替えられるか、その部分をカットして、そのまま次の番組が放映される。
CMの放送されなかった日としては、1989年(昭和64年・平成元年)1月7日、8日昭和天皇崩御のため、各放送局の取り決め事項で、服喪期間中の派手な歌舞音曲を控えるという観点から全ての民間放送は通常放送・CMは一切自粛した。また大喪の礼が開かれた2月24日も儀式開催中はCMを一切中止していた。
1995年1月17日の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)発生当時も、同日と翌18日の近畿地方の民間放送局はCMを自粛していた。全国ネット放送が行われていた時間帯、他地区がCMを放送する中で近畿地方はフィラー映像で震災発生当時の映像や大阪ガス、関西電力などからの震災発生時の対応指示の告知などに差し替えられていた。また、その後もしばらくは中野浩一と増田明美演ずるAC公共広告機構の「空き缶ポイ捨て禁止」CMが継続的に流され、企業が商品やサービスのプロモーションを目的として制作したCMはほぼ全面的に自粛となっていた。
CMソングには面白い曲が多いが、静岡民謡として有名なちゃっきり節は、静岡鉄道の前身である静岡電気鉄道が、1927年(昭和2年)に、狐ヶ崎遊園地の開園を記念して、沿線のPRのために作った歌だったのだね~。(狐ヶ崎駅も参照)。
わが地元兵庫県にも面白いCMがあるよ。その中でも一番面白いのは神戸の隣・明石市はタコで有名であるが、明石淡路フェリー株式会社のCMソング「たこフェリー音頭」が面白いよ。
明石のたこを ご存知ですか
たこはたこでも たこフェリー
明石と岩屋を 行ったり来たり
朝から晩まで 行ったり来たり
明石名物たこフェリー
この歌を、河内音頭のリズムの乗せて軽快に歌っているのは、ご存知、河内家 菊水丸 さん。面白いよ!
「たこフェリー音頭」はここで聞けるので、ちょっと聴いてみては・・↓
http://www.taco-ferry.com/tacof_ondo.html
又、私の住んでいる神戸市・環境局のごみと資源・分別徹底キャンペーンソング「♪♪ワケトンがんばるデー ♪♪」も面白いよ。
ふるさと神戸に帰ったら
あかんやん あかんやん これはあかんやん
街に残された まぜこごみ
町がムチャクチャ きたないやんか
「なんでやねん!」
ワケトン ワケトン がんばるデ
ワケトン みんなの あいことば
ごみはトコトン 分けトン 知っトントン!
「♪♪ワケトンがんばるデー ♪♪」はここで聞ける。↓
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/24/bunbetu/song/song1.html
神戸市はごみの分別を徹底しトンネン!!・・・ここで、ちょっと神戸市の代わりにCM入れトコ・・・。(^0^)
もう、神戸弁丸出しの歌ヤンカ・・。昔から神戸弁は「トントン」言葉といわテンネン。何をしゃべっても最後に「トントン」がついトンネン。それにもう一つ多いのが「ヤン」「ネン」。浜っ子のことばやからちょっと言葉は汚いネン。昔から大阪の会社へ就職した時、大阪の人から、神戸便を笑われたので、それ以来神戸便は使わないようにしているが・・・。
丁度、このブログを書くのでNET上を検索していたら、以下参考に記載の「47都道府県ローカルソングの調べ」を見つけた。ネット上で聴ける日本全国のローカルソングのリンク集だが、この中にCMソングも沢山入ってる。覗いてみると、先に私が案内したCMソングもちゃんと此処に含まれているよ。他のも何曲かあったのですべて視聴してみたが本当に面白いものばかり・・・よくこんなページ作ってくれたとここで感謝しておこう。きっと皆さんもここでも貴方の知らない地元の面白い歌が見つかるのではないかな。一度覗いて見ては・・・。今の世の中、マニア向けの歌はあっても、昔のような大衆の歌が少なくなくなってしまった。子どもまでが口ずさんでいるような流行のCMってそんな現代の大衆歌といえるかもしれないね。CMって、本当に面白いよ・・・。
47都道府県ローカルソングの調べ →http://k-z-y.hp.infoseek.co.jp/yama/t-song.html
(画像は神戸市・環境局のキャラクター「ワケトン」。同HPより)
参考:
ラジオ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%AA
大瀧詠一さんと、トリロー先生の話を
http://www.1101.com/toriro/
これを知っておくと三木鶏郎が分かる
http://www.1101.com/toriro/subwin/sub_002-07.html
時の家庭科ページ
http://www.kodomo-seiko.com/classroom/class/kateika/kateika0012.html
コマーシャルソング - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/CM%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%82%B0
コニカミノルタホールディングス
http://konicaminolta.jp/
広告景気年表:1951年
http://www.dentsu.co.jp/trendbox/adnenpyo/r1951.htm
民放テレビの開局
http://www.1101.com/toriro/subwin/sub_002-07.html
三木鶏郎資料館
http://www.mikitoriro.jp/
「ヒット曲とタイアップ曲」
http://www.bus.kindai.ac.jp/kawamura/03semi/semi3/suganuma/suganuma0715.html