こ と の 端

散文でロジックを
環境 経済 エネルギー 電気 教育 などの "E" に関するちょっと気になったこと

浅 慮 の 果

2016-04-24 07:16:46 | Weblog
国際的規模へと達した

不安要因の複合

が市場の意識を方向づけ

リスク評価が定まると

日本のローカル通貨である



の価値は

無条件で

高められる


基軸通貨のドルがその信用力を失うと

価値を減らした成分は

安全資産だと見做されている円

へとその時単純に移動する

リーマンショックはその典型


資本を操る側の都合次第で

円ドル相場は志向性のベクトルを

為替市場で変えようとする


ユーロは姿を変えた

間接的なドル

という背景をその価値の内部に秘めている

ユーロはEUが誕生したとき

新たに創設された

地域限定の共通通貨

この時を境にして

ドル資本は

国際金融資本へと

その名を変えた


EUには

共同体が持つ

固有の政治的脆弱性

が残されている

ユーロの通貨価値は

強い変動要因の見えない作用



いつも

脅かされていなければならなくなった


英国がEU経済圏から離脱するなら

その影響は

ドル経済圏全域へと

直ちに及ぶ


日本市場はドルを補完する機能を付与され

ガス抜きの調整弁

としての役割を担っている

このため

なにかしらの変動要因が

どこかで俄かに高まると

決まって

円高外貨安

という状況が繰り返し

為替市場へと訪れる


ドル経済圏の拡大は

ドルの発行量を高め

アメリカの経済を刺激し

国際経済の規模を押し広げ

得た利益を再投資する

という循環を効率的に生み出す

何処かの国の経済成長率が高いとき

当該市場が生み出した収益は

最終的に

元のドル

へと戻される

この資本が生み出す

配当益に直結するポテンシャルの高さが

市場経済をこれまで

力強く牽引してきた


国際金融資本が調達したドルが

世界中の市場へと遍く行きわたり

ドル余り現象となって

信用不安を却って早く導いた

というのがそのリーマンショック

が引き起こした緊急事態

これが更にギリシャ危機を経て

EUエリアを中心とする

不安定要因の厚みを増した


ドルを大量に余らせる経過を生んだのは

アメリカが即日実施した

金本位制からの一方的離脱

がその起源

ドルショックと呼ばれるこの変動が

巡り巡って

リーマンショックへと繋がっていき

中国大陸から大量のドルを

集中的に

短期間で回収することを急がせた


価値を裏付ける基準となっていた

絶対量という制限のある金を捨て

ドルの通貨価値を

新たに支えるようになったのが

地下資源

この時から基軸通貨の供給量は

制限のない青天井状態となり

経済規模の世界的急拡大が

資本主義経済を優越させ

計画経済を相対化して

91年のソ連崩壊へと繋がった

ドルショックから起算して

丸二十年後のことだった


こうして石油ドル本位制

と呼ばれる枠組みへの変更が

現在の国際経済の行方

を決定的なものにした


市場主義で統一された国際経済は

いま

大きな規模の

デフレの渦

へと巻き込まれようとしている

落下する螺旋が描く

下向きの回転を

引き起こす事態

を市場主義経済は既に迎えている


アメリカのローカル通貨であったドルが

あらゆる通貨交換を決定づける

機軸

となったということが

世界中の富を

北米大陸へと誘導するための

手段として

見えない力を発揮し

それが世界規模の貧困化を生みだしながら

資本の論理で経済を自ら追い詰め

インフレからデフレ

へと世界中を引き込もうとしている


ドルに過剰流動性という不可分の属性

が必然的に備わったのは

金本位制を見限って

通貨価値の裏付けを

石油へと移した

あの時

即ち

ドルショック

から始まったこと


エネルギー資源を必要とする国のすべて



アメリカのローカル通貨

であるドルを買わなければ

経済成長の実現を急ぐことが

できなくなった


エネルギーの安全保障は

国家存立の 要

地下資源が不在なら

経済成長を目指すどころか

暮らしを成り立たせる熱源さえ

手に入れることはできない


こうして世界中の国家が

地下資源を輸入するために

アメリカのドルを買い求め

自国通貨をドル資本の言い値で売り

高いドルを買わされてきた


ドルの発行権を有するアメリカは

変動相場制を採用したことで

基軸通貨を有利な条件で売るようになり

さして使い道のない

貧しい国の価値の低い通貨と交換し

その国の市場を

一時的に

豊かにしたかと思わせながら

回収した利益で再投資を繰り返す

波を形成し

ドル経済圏の拡大を図る行為を中心に

高い価値を具備するようになったドルの供給事業



利益を得る権能を国際金融資本に与えつつ

市場を提供した国の経済から

流動性の厚みを奪い

自らの権益を太らせながら

再投資を重ねて利益を増やすことを

国際金融資本に許し

石油消費国のすべてを

緩慢な貧困化へと引きずり込み

それを同時進行させるための

黒幕敵存在

となるよう背後で誘導し

利益を濃縮する行為を

放置放任する姿勢を

一向に崩さない


ありとあらゆる地域の国家が

それがあれば何でも買える

便利な通貨

ドルを買い求めるようになり

アメリカはドルの価値が勝手に高まる事態を

抑制せざるを得なくなっていったのだった


世界中で一斉に募り始めたドル高の嵐

を避けようとして

アメリカはG5に諮って

ドル売りの一斉協調介入へと踏み込んだ

85年秋のことである


このプラザ合意というものが

ドル売りを急がせ

日本市場にバブル経済を押し付けた

先進諸国がドルを売って得たその通貨が

円であったからである


理由のないと言われ続けてきた異常な円高は

この時から起きている

総ての変化には理由がある

思考回路を劣化させていた日本の指導者たちは

変化の意味を特定することが最近まで

何一つできていなかった


日本市場へ上陸したドル資産はその後

円資産となることを目指し

不動産市場で土地神話を生み出すことなり

最終的に

そこで生じたバブルを

針の一刺しで崩壊させた


これが通貨メカニズムに作用して

発生させた膨らんだ泡

を日本市場から消し去った


当時この経済的変化の意味を察知した

とする事例はなく

経済評論家と呼ばれていた一群が

土地取引が活発化するだろう

という情報を

こぞって発信していた時代であった


バブルを潰したたった一つの原因は

不動産融資に対する総量規制だったのだが

その事実に当時の経済人たちは

誰一人気づかなかった


経済変動をまったく認識しsていなかった指導者たちは

事態の急変に驚いたものの

どうすることもできなかった

その期間のことを

後に

不作為の三年

と呼ぶようになったのである

この初動対策を永く等閑にしていた

ということが

直後の失われた十年へと繋がり

その後の経済政策を悉く誤らせることになる

原因となったという経過の愚かさが

それを倍の二十年へと拡大させた


絶対に値下がりしない

というフレコミの土地神話が

投資を投機へと導いた時代があった

銀行は不動産向けの融資を拡大させる目的で

所謂ノンバンクを多数設立して

過剰な融資競争を85年の暮れから

90年春にかけて

わき目も振らず熱心に行っていた


土地という資産があれば

それを寝かせておくだけのことで

プレミア付きのインフレ効果で

土地の価格は

勝手にどんどん上昇していたからだった


不動産融資の総量規制は

この土地を買うための資本供給に

上限を設けさせ

新規の仕入れをすることを

不可能にした


そこで手持ちの土地を売る必要が俄かに生じ

売り物が増え

プレミア効果が剥離して

価値の上昇圧力が反転した

という経緯


価値の上昇が低下したことで

保有資産が利益を生まずに

損失の源泉となり

過大な在庫負担を抱え込んでいた

投機目的の中間業者が

投げ売り競争へと突入し

その段階になってはじめて

バブルが崩壊したその事実に

知識階級が遅れて漸く気が付いた


これが93年までに

日本市場で起きていたことのあらまし

持っているだけで高まっていた遺産価値は

180度反転してしまい

時の経過と共に

資産だったものは

負債総額を膨らませるだけのお荷物

となってしまったのである

この段階になって初めて

世間とマスメディアは

バブル経済が崩壊したことに

同意した


教科書に載っていないバブル崩壊に遭遇し

どうすることもできなかった指導者たちは

それ以降の経済政策を

悉く誤った

問題の全容を見なければ

所期の成果など到底得られない

誰にでもすぐ分かることである


5%への消費増税が始まったのは

その頃のことだった

問題が見えていないとき

不毛な展開が

こうして産み落とされることになる


デフレ経済を導いた

その濫觴を辿ってゆくと

アメリカによる

金本位制からの一方的離脱

の年へと辿りつく


世界経済は

ドルショック以降

信用経済を成り立たせて

資本の論理から上限を取り除いたのだったが

インフレ経済の膨張圧力を高め

成長の行き詰りを却って速める

という皮肉な経過を自ら引き寄せ

デフレ経済へとその後突入する

契機となるよう機能した


マクロ経済の定点観測者にとっては

自明のことであったとしても

ミクロ経済のエコノミストすべてにとっては

姿かたちのまったく見えない

難問中の難問だったようである

バブル経済の発生機序と

崩壊過程を正しく説明できる人は

いまでも数少ない


経済認識能力の不在

というこの現状を引き寄せたのは

学力重視の高等教育に他ならない

知識の意味を教える時間を省いて

知識の量的拡大にのみ特化した

事象の変化を知ることはできても

それを生み出した経緯へと遡り

対応するための方法を割り出す

ということは

できない

つまり

有効解など得られる訳がない

という破滅的状況へと

陥っていた


表層的で安直な理解

の上で実施されてきた

これまでの経済政策の一切は

必然的に

失敗する定めにあった


これがアベノミクスでも

遠からず失敗が確定する

としてきたその唯一の理由


学力頼みの高等教育が

盲いたる知識人の再生産

に寄与し

止まらない温暖化と

それが生む有効需要の喪失

という連綿たる

これまでの一連の不毛な経過が

経済成長をマイナス方向へと

強い力で引き込んでいる


企業のトップがコンプライアンスに欠け

多方面で謝罪会見を行っている

近来よく見られるようになった

愚かなるその姿のありさまは

いうまでもなく

教育の場

に於ける質の劣化が

その起源


沈降する螺旋形のメカニズム

を成り立たせている

背後の事情を知る者は

決して少なくない

だが

システムを変えるためには

尚相当の時間が必要だ
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