平成の三十年間が始まったのは
1989年一月八日
同じ年の六月四日に
中国の民主化の魁としての意味を持つ
歴史に残る天安門事件が発生し
同じ年の11月八日には
冷戦構造の象徴となっていた
ベルリンの壁が
偶発的に機能しなくなった
日本に於いてバブル崩壊の機序
となる不動産融資に対する総量規制が
10月の閣議で決定され
翌年四月一日の施行
と定められている
そして
90年の一月になると
バブル経済が
膨張から収縮へと反転する
ことを既に悟っていた
海外資本を操る投資家連中が
株式市場の大発会で
こぞって手じまいする行動をとり
大暴落するという変化
を引き起こす事態を生んだ
実際にバブル経済を反転させる変化
の予兆を確認したのは
四月中旬を過ぎたあたりのこと
その後も土地神話に対する信仰は
95年頃まで根強く続き
値下がりしていた資産の評価が
まだら状態で推移しつづけ
一向に定まらないという状況
をそれからも暫くの間
頑迷に続けられていた
というそのことが
バブル崩壊の疵
を避け難くより大きなもの
へと押し上げることとなってゆく
国内ではバブルが崩壊したことに
誰も気付かず
二年経った91年を迎えた頃
霞が関と永田町周辺では
おろおろ歩くだけの
指導体制の面々の姿
が観察される時代がつづき
マスメディアが
不作為の三年という呼称
を奉って揶揄していたものだった
バブル経済を煽っていた
当時経済評論家
と呼ばれていた大勢の人たちは
あれほど喧しかった鳴り
を一斉に潜めてしまい
さながら貝のように沈黙し
海底の砂の下へと
その身を潜め
表舞台から消え去った
その姿は
現在のリフレ推進派の沈黙ぶり
と実によく似ていた
90年8月のイラクによるクェート侵攻
をきっかけとして91年一月に始まった
湾岸戦争はアメリカを頂点とする
多国籍軍を勝利させたが
2001年の9.11
へとやがて繋がることとなり
米軍にアフガニスタンでの作戦
「テロとの戦い」を標榜する展開
を経て
2003年のイラク戦争へと
繋がってゆく
アメリカによる報復戦だったものが
イラクに対する
大義なき戦争へと発展し
世界中から批判を受けてから
大量破壊兵器のイラクによる実戦配備
という
偽りの情報を
都合よく真に受けた
ということが
後に発覚することとなる
米ソ間の冷戦構造が終結したのは
同じ年の1989年
マルタ島での洋上会談の後だった
眼前の敵が突然消失したことに
卒然と気付いた当時のアメリカは
国防予算を増やす理由
を作り出す必要に迫られ
独裁政権を保持していたイラク
という名の産油国を唆し
クェートへの軍事侵攻を促した
これにより新たな敵が
眼前へと登場することとなり
軍産複合体制にとって
まさしく
勿怪の幸いという僥倖を
好機ととらえることを許し
軍事予算の膨張継続を図る
ための理由とした
その背後には
CIAによるフセインへの示唆
と使嗾
があったとする疑いを
当時から既に
消し難く残している
これら一連の過去の経過というものが
イスラム教徒同士の対立を
意図的に企てテロ組織に
宗教的な装いで登場した
イスラム原理主義運動主義者
らをIS(イスラミックステート)の建国
へと後に駆り立てさせることとなる
軍産複合体制の復権
を図ったパクスアメリカーナ
の温存を狙った力に基づく世界支配
という願望に裏づけられたその欲求が
テロによる国際秩序に対する攻撃
を加速させ
中東で宗派間の対立を煽る行為を利用し
世界全体を不穏な空気で
イラク戦争後に
統治者を失った中東諸国に
ISの野望を跋扈させる
という経過を短期間で導いた
その背後にあって
経済体制を成り立たせていた
石油の利権に纏わる資本の力学
が夙にドルの属性となっていた
過剰流動性を最大化させることとなり
ドル余り現象を導いて
日本に大量のドルを押し付け
買い取った大量の円資本で
土地神話を利用することにより
不動産価格と株価の上昇を
同時に加速する
という投資力学に基づいた
莫大な資産の積み上げ
を日本市場を舞台として
行い
その勢いでバブル経済を
急速に膨張させる変化
を引き起こすこととなる
85年秋のプラザ合意後
に始まった理由なき円高
と当時しきりにそう呼ばれていた
円買いトレンドには
過剰流動性の優良な仕向け先
としての日本市場が位置づけられていた
というのがその背後の理由
として密かに設けられていた
バブル崩壊を予期していた
海外の投資家勢力一同が
90年一月の大発会で
売り逃げを一気に図った
というのも
背景を知るに及べば
なるほどと頷ける
問題はこの間の消息について
いまだに無知であり続けている
公的機関の当事者たちのもつ
頑ななその相変わらずの無能ぶり
がアベノミクスに蹉跌
となる結末
をこれから与える
可能性を強めることだろう
問題認識能力の欠陥は
日本に失われた三十年という
不毛な期間を押し付けただけでなく
環境投資と教育投資から
有効需要を生み出せないよう
長期間仕向けてきた
という点で極めて有害な記録
を平成という時代
を通じて残している
問題認識能力の喪失が
有効需要の創出を阻ませた
ということになる
それが平成という時代
を通じて一貫して見られた
共通のしるし
過去の失敗に学ぶ
ということが
学習能力を取り戻す
きっかけとなることを
改めて庶幾う
1989年一月八日
同じ年の六月四日に
中国の民主化の魁としての意味を持つ
歴史に残る天安門事件が発生し
同じ年の11月八日には
冷戦構造の象徴となっていた
ベルリンの壁が
偶発的に機能しなくなった
日本に於いてバブル崩壊の機序
となる不動産融資に対する総量規制が
10月の閣議で決定され
翌年四月一日の施行
と定められている
そして
90年の一月になると
バブル経済が
膨張から収縮へと反転する
ことを既に悟っていた
海外資本を操る投資家連中が
株式市場の大発会で
こぞって手じまいする行動をとり
大暴落するという変化
を引き起こす事態を生んだ
実際にバブル経済を反転させる変化
の予兆を確認したのは
四月中旬を過ぎたあたりのこと
その後も土地神話に対する信仰は
95年頃まで根強く続き
値下がりしていた資産の評価が
まだら状態で推移しつづけ
一向に定まらないという状況
をそれからも暫くの間
頑迷に続けられていた
というそのことが
バブル崩壊の疵
を避け難くより大きなもの
へと押し上げることとなってゆく
国内ではバブルが崩壊したことに
誰も気付かず
二年経った91年を迎えた頃
霞が関と永田町周辺では
おろおろ歩くだけの
指導体制の面々の姿
が観察される時代がつづき
マスメディアが
不作為の三年という呼称
を奉って揶揄していたものだった
バブル経済を煽っていた
当時経済評論家
と呼ばれていた大勢の人たちは
あれほど喧しかった鳴り
を一斉に潜めてしまい
さながら貝のように沈黙し
海底の砂の下へと
その身を潜め
表舞台から消え去った
その姿は
現在のリフレ推進派の沈黙ぶり
と実によく似ていた
90年8月のイラクによるクェート侵攻
をきっかけとして91年一月に始まった
湾岸戦争はアメリカを頂点とする
多国籍軍を勝利させたが
2001年の9.11
へとやがて繋がることとなり
米軍にアフガニスタンでの作戦
「テロとの戦い」を標榜する展開
を経て
2003年のイラク戦争へと
繋がってゆく
アメリカによる報復戦だったものが
イラクに対する
大義なき戦争へと発展し
世界中から批判を受けてから
大量破壊兵器のイラクによる実戦配備
という
偽りの情報を
都合よく真に受けた
ということが
後に発覚することとなる
米ソ間の冷戦構造が終結したのは
同じ年の1989年
マルタ島での洋上会談の後だった
眼前の敵が突然消失したことに
卒然と気付いた当時のアメリカは
国防予算を増やす理由
を作り出す必要に迫られ
独裁政権を保持していたイラク
という名の産油国を唆し
クェートへの軍事侵攻を促した
これにより新たな敵が
眼前へと登場することとなり
軍産複合体制にとって
まさしく
勿怪の幸いという僥倖を
好機ととらえることを許し
軍事予算の膨張継続を図る
ための理由とした
その背後には
CIAによるフセインへの示唆
と使嗾
があったとする疑いを
当時から既に
消し難く残している
これら一連の過去の経過というものが
イスラム教徒同士の対立を
意図的に企てテロ組織に
宗教的な装いで登場した
イスラム原理主義運動主義者
らをIS(イスラミックステート)の建国
へと後に駆り立てさせることとなる
軍産複合体制の復権
を図ったパクスアメリカーナ
の温存を狙った力に基づく世界支配
という願望に裏づけられたその欲求が
テロによる国際秩序に対する攻撃
を加速させ
中東で宗派間の対立を煽る行為を利用し
世界全体を不穏な空気で
イラク戦争後に
統治者を失った中東諸国に
ISの野望を跋扈させる
という経過を短期間で導いた
その背後にあって
経済体制を成り立たせていた
石油の利権に纏わる資本の力学
が夙にドルの属性となっていた
過剰流動性を最大化させることとなり
ドル余り現象を導いて
日本に大量のドルを押し付け
買い取った大量の円資本で
土地神話を利用することにより
不動産価格と株価の上昇を
同時に加速する
という投資力学に基づいた
莫大な資産の積み上げ
を日本市場を舞台として
行い
その勢いでバブル経済を
急速に膨張させる変化
を引き起こすこととなる
85年秋のプラザ合意後
に始まった理由なき円高
と当時しきりにそう呼ばれていた
円買いトレンドには
過剰流動性の優良な仕向け先
としての日本市場が位置づけられていた
というのがその背後の理由
として密かに設けられていた
バブル崩壊を予期していた
海外の投資家勢力一同が
90年一月の大発会で
売り逃げを一気に図った
というのも
背景を知るに及べば
なるほどと頷ける
問題はこの間の消息について
いまだに無知であり続けている
公的機関の当事者たちのもつ
頑ななその相変わらずの無能ぶり
がアベノミクスに蹉跌
となる結末
をこれから与える
可能性を強めることだろう
問題認識能力の欠陥は
日本に失われた三十年という
不毛な期間を押し付けただけでなく
環境投資と教育投資から
有効需要を生み出せないよう
長期間仕向けてきた
という点で極めて有害な記録
を平成という時代
を通じて残している
問題認識能力の喪失が
有効需要の創出を阻ませた
ということになる
それが平成という時代
を通じて一貫して見られた
共通のしるし
過去の失敗に学ぶ
ということが
学習能力を取り戻す
きっかけとなることを
改めて庶幾う