日々是好日

懐かしき過去、期待の未来を希んで!

母の命日、父の月命日、一統一族に感謝

2011年12月25日 | Weblog
 朝方から午後3時頃まで冬晴れのよい天気で、午前10時10分頃娘からメールが入りこれから伊豆へ出発するとの由、中京名古屋地方は雪が降るとの予報もあって、少しく心配した。午後5時頃になっても到着の連絡が入らないため、思い切って連絡してみた。そしたら既に到着していて、お掃除じ中とのことで一安心、後でゆっくり会話することとした。
 今日は母の81年目の命日である。父も同じ日の52年目の月命日である。明治大正昭和と3代に亘って、内田家の創設、維持、発展の歴史を顧みる時、大変な苦労であったことと追想するが、それも時代を超えた数々の奮闘努力の結果で、現代の誰もが回想も想像も困難であろう。父は米穀商を営み、次に旅館業それも陸海軍諸官衙指定旅館の指定まで取得できて、多くの陸海軍の将官や佐官が宿泊された盛業中のことどもを、今以てはっきり記憶している。戦時中終盤から戦後に至るまで牧場も経営して、それは内田家の最盛期であって、長養舎牧場、内田牛乳店は中々の好評で盛業を極めた次第であった。中々良くやったものだと驚き、且つは感謝の思いが一杯である。それにしても偉いことだと、今にして命日の都度、つくづく思う。当時の一家一族、取分け家長の苦労を偲んで、感慨が止まない次第である。
 僅か半世紀後の現在、文明開化も良いことであるが、科学万能の時代にも関わらず、却って人心が荒廃して止まるところを知らず、全く以て国の独立自尊さえも不如意の時代となってしまった。残念至極だが止むを得まい。それにしても昔の人は、とても偉かったことと思う。
 今週中、家内外を片ずけ、就中お勝手を特に綺麗にして、後はやる事無しで、午后は一少時間の午睡を試みた。夕頃から曇りとなったので、急ぎ屋上の干し物を取り込み、お笑い番組の笑点を、二人で30分程観賞できて、保健衛生上大変良かった一日と思う。