◆撮影:2013年7月16日、八ヶ岳(大同心ルンゼ)
(オヤマノエンドウ)
2013年10月20日(日)
『クラッシックを聴く』
<造詣が深いわけではない>
僕の60年余りの人生において、一般的な歌謡曲以外の音楽は無縁であったと言っても過言ではない。なかでも、クラッシック音楽は中学時代に授業で聞かされたくらいであったゆえ、クラッシックに造詣が深いわけではない。ところが、ここ二年余りの間、我が日々の生活の中でクラッシック曲がラジカセより流れない日が無かったのではないだろうか。
2010年11月10日に上さんの長兄が亡くなった。それは僅か63歳での悲しみ溢れる別れであったのだが、兄さんはクラシックを中心にレコードやCDを数多保有していて、その中から形見分けとして、ラジカセで聴くことが可能なCDを2011年3月ころに幾らかを頂戴することとなった。それを切っ掛けとして、僕はクラッシックや歌曲を聴き始めた。もっとも僕と違って上さんはクラッシックはじめ、様々な曲や歌詞を器用に口ずさむのだが、それはTJ家のDNAなのだろう。またそれ以降暫くして、娘婿が親元に残っていた、今、聴き手が居ないCD(クラシック)を持ってきてくれ、今その枚数は60~70枚くらいに達している。
ところで、商いを営む僕は、テレビを見ながら食事をするのが常であった。朝食時も昼食時も、夕食時もそうであったのだが、一昨年の春ごろより、食事の時間にクラッシックを聴き始めて以降、テレビを観ることが殆ど無くなった。かと言って曲や作曲者の想いを理解して聴けているのかといえばけっしてそうではない。義兄から頂戴したCDには、ミニ解説書が入っているものが多数あるのだが、娘婿から頂戴したものには解説書がまったく添えられていない。また、音楽の基礎意識が絶対的に不足している僕は、例えば、「変ロ長調」や「Scherzo」などという言葉が、如何なることなのかも理解できていないという有様なのだから。
滑落事故後、一ヶ月余り聴くことがなかったのだが、体調が戻り始めた数日前よりまた聴き始めた。今朝、食事時に楽しんだのは、「ヨハネス・ブラームス作曲 交響曲 第1番 ハ短調 作品68」だ。今朝はその中でも、第一楽章「Un poco sostenuto ? Allegro」を繰り返し聴いたのだが、導入部に「ダン、ダン、ダン…」という打楽器らしき音が聴こえてくる。しかし、その打楽器が如何なるそれなのかが分からないというのも現実である。