◆撮影:2012年9月16日、富士山頂にて
(浅間大社奥宮)
2012年10月8日(月)
『山野走』
<くろんど園地>
[私市駅]7:45:00→[すいれん池]→8:15:08[くろんど池]8:22:00→(くろんど池コースの道)→(さわわたりの路)→(そよかぜの路)→8:35:48[展望台]8:40:00→(管理道)→9:00:12[キャンプ場]9:06:00→(管理道)→(やまごえの路)→9:20:25[水舞台]9:24:00→9:31:14[草原広場]9:35:00→[すいれん池]→9:55:49[私市駅]
<義兄の穏やかな表情>
今朝、食堂兼居間に入るや否や、「ラズモフスキー第3番を流すね」と写真の義兄に声をかけつつラジカセの電源を入れた。流れ始めた曲は、弦楽四重奏曲 第9番 ハ長調 作品59の3の第四楽章だ。その曲を聴きつつ朝食を頂戴した。
写真の義兄は、2年前の11月に肺癌、胃癌により63歳で逝った。それから4ヶ月後、義兄が残した“兄さんの宝物”といっても過言ではない多くのクラシックのレコードやCDの中から僕はCDの一部を頂戴した。それ以降僕はそれまで無縁であった音楽(クラシック)を食事中に聴き始めた。それまではテレビを見ながら食事をするというのが常であったのだが、それ以降の生活のなかでまったくに近いくらいテレビを見なくなった。
今朝、“くろんど園地”森中を走るとき、我が脳裏に度々兄さんが現れた。それは2年前の10月、某宿泊施設における晩餐会の、痩せ細ってはいるがしかし、家族全員(総勢27名)が揃い、家族の姿を見て愉楽の時を過ごす穏やかな表情の兄さんの姿であった。微笑む兄さんを被写体に僕はシャッターを数回切った。その中から、左横顔の一枚の写真を上さんが選んでラジカセの右側に置いた。それ以降僕は、僕がクラシックを聴くとき、兄さんも必ず一緒に楽しんでくれているものと思っている。
至極ゆっくりであったが、また傍目には走っているように見えないかもしれないが、我が脳裏の何処かに居る兄さんに常に見られているような気がして僕は懸命に走り続けた。階段の上下行と草原広場へのコンクリート道の上り坂、そして休憩地点を除くすべての処で懸命に腕を振った。
キャンプ場の床机に腰を下ろし眩しいくらいの青空を見上げるとき、ピッピッピッ、チェッチェッチェッ、ピロピロピロピロ、ピリリピリリと、樹林の其処彼処に小鳥達の囀りがあったが姿はない。展望台で椅子に腰を掛けるとき、心地好い風が僕の熱い身体を叩いた。南方に浮かぶ絹雲は西から東へと流れているように見えるが、身体を叩く風は南からのようだ。遠景は霞み葛城の峰も明確に見えない。草原広場にて空を見上げると半月があった、青空中に浮かぶ淡い絹雲の向こうをゆっくりと静かに動いていた。
睡蓮池畔のニシキギの紅葉が始まろうとしていた。キャンプ場への路傍に紫色の花を咲かせていた樹木はセイヨウニンジンボクだろうか。キツネノゴマも露草もキンミズヒキもまだ残っていた。黒添池近くに紅紫色のイヌタデの群落があった。林中にキク科と思われる2種の白花があったのだが、拙い僕の知識ではその名称が分からない。
今日は “体育の日”でもあり“寒露”でもある。“寒露”とは二十四気の一つで、辞書を開くと「寒さで露が凍るの意で、晩秋から初冬にかけての露をいう」とあった。そういえば今朝駅へと向かうとき、一昨日より一時間近く遅い時刻にもかかわらずそれよりも寒気を感じた。