山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

生駒山系縦走路・私市駅~生駒山頂~暗峠~高安山(今日こそは必ずや高安山の土を踏もう)

2019年01月24日 | 山野歩
生駒山頂

2019年01月13日(日)
『生駒山系縦走路』
<私市駅~生駒山頂~暗峠~高安山>
[コースタイム]
[京阪・私市駅]6:53→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→7:34[ピトンの小屋]→(さえずりの路)→(つつじの小路)→8:00[展望デッキ]8:06→[やまびこ広場]→(まつかぜの路) →8:48[飯盛霊園・境界鞍部]→[飯盛霊園内]9:10→9:27[ビオトープ田原の里山・車止め]→9:48[堂尾池]→10:14[むろいけ園地入口]→(湿生花園)→10:31(新池展望広場・大休止)10:46→11:11[阪奈道路]→(産業廃棄物処理場&農地)→[農地終了地点]→(カントリークラブ横)→11:46[龍王神・祠(小休止)]11:53→12:17[くさか園地生駒縦走歩道分岐地点]→[くさか園地バイオトイレ]→[辻子谷ハイキングコース北出合]→13:22[生駒山頂(遊園地内)]→13:58[暗峠]→[大原山]→[鳴川峠]→15:07[鐘の鳴る展望台(小休止)]15:17→[十三峠]→[平群分岐]→[立石越ハイキング道分岐]→16:47[高安山]→(おおみちハイキング道)→17:45[信貴山口駅]
<今日こそは必ずや高安山の土を踏もう>
「今日こそは必ずや高安山の土を踏もう」と思ってやって来た生駒山系縦走路。
前回よりもスタート時刻を1時間余り早くした私市駅。
それより間も無く通る“星の里いわふね”の磐船街道に設置してある道路情報表示板に2℃とあった。
かなり寒い筈だが、只管歩いていると寒気は感じない。
“さえずりの路”と“つつじの小路”を懸命に上り、“展望デッキ”でヤッケともう一枚上着を脱ぎ、
冬山用下着を含めて2枚のみでゴール地点の“信貴山口駅”まで歩き続けた。
朝方は全天雲に覆われていたが、漸次青空が拡がり晴れやかな天気となった。
“むろいけ園地”の“湿生花園”よりホンの僅かの距離だが細い上り道になる。
この道を上るときに僕の後から来られた男性から声が掛かり、
“新池展望広場”への分岐地点で別れるまでに少しの間言葉を交わした。そのときにお袋の顔が我が脳裏に蘇ったのだ。
それはその方が、大阪大空襲の話をされたからなのだが、後で考えると何ゆえ大阪大空襲の話になったのかは覚えていない。
大阪大空襲について、大正15年生まれの僕のお袋がいつの日にか話してくれたことがあるのだが、
今僕が覚えているのは
「大阪市内の某病院で事務員として働くときに、大阪大空襲に遭い、そのとき焼け残ったのは病院だけで、周辺は亡くなった方でいっぱいやった」のみだ。
併しだ、「更新に行かなあかんのや」と言いつつ運転免許証(昭和14年6月)を見せてくださった、僕よりも10歳も年配の男性は、
当時6歳の時の大空襲の様子を鮮明に覚えておられる様子であった。
79歳のその男性に「何でそんなに元気なんですか?」と僕が問うと、
「仕事やと思う」「昨年、重たい物を持っているときに転けて大腿部分を骨折してしまい45日間入院してた」
「リハリビを兼ねてこうして歩きにやって来るんや」
「細かい仕事は出来んようになったんで、息子に任せて私は配達を担当してる」等と答えた。
大東市で工場を経営しておられるとのことであった。
必ずや高安山に辿り着きたいと思い、あまり休むことなく只管歩いて“辻子谷ハイキングコース北出合”にやって来たときに出会った中高年の男性に話し掛けられる。
「僕はこれから高安山へ行く予定です」と話すと、「私も高安山に一緒に行きたい」と仰る。
「僕は歩くのが遅いですがよろしいですか?」と問うと、「ええですよ」との返事があり、彼の希望で高安山まで御一緒する。
昭和20年生まれで奈良に住いを構える堺というその方は、僕よりも遥かに健脚であった。
「以前はトレッキングポールを使っていたが、その後身体を鍛えて今は使う必要がなくなった」と話された。
僕と違って堺さんは、山の話、俗界の話と話が途切れることがない程に話題が多く雄弁な方で、信貴山口駅から電車に乗り、布施駅で握手をして別れるまで終始喋り続けた。
前方に“鐘の鳴る展望台”が見えたとき、「あそこで5分程一休みします」と言うと、「7分位時間がほしいのですが」と仰った。
“鐘の鳴る展望台”のベンチに坐ると堺さんは、ザックよりカップ麺とテルモスを取り出しお湯を注いだ。お昼をまだ食べていないという様子であった。
僕は“新池展望広場”で菓子パンを1個食していたが、残っていたもう1個を食した。
嘗て一度高安山まで歩いたことがあると言い、所々で「此処覚えている」と何度か仰った堺さんが感激したのは、
日没が近づいた“おおみちハイキング道”を下るときであった。
それは、西方に沈まんとする入日の後光が造り出した情景で、夕陽も至極美しかったが、右手の樹林帯が紅く染まった景観は殊の外美しかった。
それは天より我々のみに授けられたもののように思えた。
後になってその景観をカメラに収めなかったことを後悔したのだが、連れがあるとつい写真を撮るのを忘れてしまうのが常だ。
そういえば、高安山山頂の写真も無かった。今日の僕の脚はこむら返りが生じることはなく、その兆候さえなかった。不思議だった。

(写真上・阪奈道路)
コメント
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