2020年09月20日(日)
『山野逍遥』
<ほしだ園地>
[京阪・私市駅] → [星の里いわふね] → (かわぞいの路) → [ピトンの小屋] → [星のブランコ] → [やまびこ広場] → [展望デッキ] → [星のブランコ] → [ピトンの小屋] → (かわぞいの路) → [京阪・私市駅]
<星のブランコ>
9月に入った頃、娘夫婦が仕事から離れられる次の日曜日に、家族で私市に行こうという話が持ち上がった。
ところが、降雨の予報で残念ながら中止となる。
その後、如何なる経緯で、僕が孫三人を連れて、山に行くことになったのかは覚えていないのだが、
その場所を“ほしだ園地”にしようと決めたのは僕であった。
それは、J太郎は過去に、まだ幼いときに、“くろんど園地”と“ほしだ園地”には、
合わせて十数回行っているのだが、“星のブランコ”を渡ったのは一回のみ、
またK子も、“くろんど園地”には三回くらい行っているのだが、“ほしだ園地”には行っていない筈ゆえ、
山に行くのが初めてのH子は兎も角、“星のブランコ”の高所より、緑に包まれた景観を三人に見せてやりたいと思ったからだ。
上さんと娘にお弁当を作って貰って、9時前に我が家をスタートして帰宅したのは16時前頃だっただろうか。
家を出たときより、僕が担ぐ筈だったザックを5年生のJ太郎が背負い、
J太郎が担ぐ筈だったリュックサックを3年生のK子が背負い歩き続けた。
なかでも、J太郎が担いでいるザックには、4人分の弁当と二本のスポーツドリンク、医療品、備品などが入っている。
その上に、僕が使う予定だったトレッキングポールと傘も入っているので、
しっかりとした重量だった筈なのだが、最後まで「重たい」という言葉を発することはなかった。
また、学校のクラス中で背丈順に並ぶと前から三人目だというあまり大きくないK子のリュックサックには、
冷たい麦茶が入った大きな保温性水筒始め、三人分のカッパや手拭き、着替えなどが入っていた。
このリュックサックは本来ならJ太郎が担ぐ予定ゆえ、
これまたK子にはそれなりの重量になっていた筈なのだが、何も言うことなく終始背負い歩き続けた。
そしてだ、保育園年長組のH子も「抱っこ!」と言うことなくよく歩いたし、星のブランコも怖がらずに渡ったのには感心するばかりであった。
三人の歩みはしっかりとした歩みであったが、しかし僕は、背中に何にも背負っていないにもかかわらず、
3人について行くだけで精一杯で、H子の面倒を見る余裕なんてなかった。
前を歩く三人を見ながら、4日前の霊仙山山行の疲れがまだ残っているのかも知れないなんて考えていた。
やまびこ広場で弁当にするとき、「吊橋が見える展望台があるよ!」と言うと、
昼食後「展望台に行こうよ!」とK子が言う。
しかし動くのが嫌だった僕が、「あそこを右の方へ上って行けば、直ぐに着くよ!」とK子に伝えると、
三人は僕を置いて展望台へと向かった。
往路でも遊んだのだが、帰りも、ピトンの小屋前のクライミングウォール横の子供用の人工壁で暫くの間、三人は遊んだ。
また連休だからだろうか、ハイキングを愉しむ人も多く、
ピトンの小屋横には杵屋が車両を持ち込み、杵屋キッチンを開店していた。孫三人は其処でかき氷や白玉善哉を愉しんだ。
孫三人に連れられての“ほしだ園地”は花を愉しむどころではなかった。
シュウカイドウやハギなどが眼に留まったが、立ち止まることさえなかった。
『山野逍遥』
<ほしだ園地>
[京阪・私市駅] → [星の里いわふね] → (かわぞいの路) → [ピトンの小屋] → [星のブランコ] → [やまびこ広場] → [展望デッキ] → [星のブランコ] → [ピトンの小屋] → (かわぞいの路) → [京阪・私市駅]
<星のブランコ>
9月に入った頃、娘夫婦が仕事から離れられる次の日曜日に、家族で私市に行こうという話が持ち上がった。
ところが、降雨の予報で残念ながら中止となる。
その後、如何なる経緯で、僕が孫三人を連れて、山に行くことになったのかは覚えていないのだが、
その場所を“ほしだ園地”にしようと決めたのは僕であった。
それは、J太郎は過去に、まだ幼いときに、“くろんど園地”と“ほしだ園地”には、
合わせて十数回行っているのだが、“星のブランコ”を渡ったのは一回のみ、
またK子も、“くろんど園地”には三回くらい行っているのだが、“ほしだ園地”には行っていない筈ゆえ、
山に行くのが初めてのH子は兎も角、“星のブランコ”の高所より、緑に包まれた景観を三人に見せてやりたいと思ったからだ。
上さんと娘にお弁当を作って貰って、9時前に我が家をスタートして帰宅したのは16時前頃だっただろうか。
家を出たときより、僕が担ぐ筈だったザックを5年生のJ太郎が背負い、
J太郎が担ぐ筈だったリュックサックを3年生のK子が背負い歩き続けた。
なかでも、J太郎が担いでいるザックには、4人分の弁当と二本のスポーツドリンク、医療品、備品などが入っている。
その上に、僕が使う予定だったトレッキングポールと傘も入っているので、
しっかりとした重量だった筈なのだが、最後まで「重たい」という言葉を発することはなかった。
また、学校のクラス中で背丈順に並ぶと前から三人目だというあまり大きくないK子のリュックサックには、
冷たい麦茶が入った大きな保温性水筒始め、三人分のカッパや手拭き、着替えなどが入っていた。
このリュックサックは本来ならJ太郎が担ぐ予定ゆえ、
これまたK子にはそれなりの重量になっていた筈なのだが、何も言うことなく終始背負い歩き続けた。
そしてだ、保育園年長組のH子も「抱っこ!」と言うことなくよく歩いたし、星のブランコも怖がらずに渡ったのには感心するばかりであった。
三人の歩みはしっかりとした歩みであったが、しかし僕は、背中に何にも背負っていないにもかかわらず、
3人について行くだけで精一杯で、H子の面倒を見る余裕なんてなかった。
前を歩く三人を見ながら、4日前の霊仙山山行の疲れがまだ残っているのかも知れないなんて考えていた。
やまびこ広場で弁当にするとき、「吊橋が見える展望台があるよ!」と言うと、
昼食後「展望台に行こうよ!」とK子が言う。
しかし動くのが嫌だった僕が、「あそこを右の方へ上って行けば、直ぐに着くよ!」とK子に伝えると、
三人は僕を置いて展望台へと向かった。
往路でも遊んだのだが、帰りも、ピトンの小屋前のクライミングウォール横の子供用の人工壁で暫くの間、三人は遊んだ。
また連休だからだろうか、ハイキングを愉しむ人も多く、
ピトンの小屋横には杵屋が車両を持ち込み、杵屋キッチンを開店していた。孫三人は其処でかき氷や白玉善哉を愉しんだ。
孫三人に連れられての“ほしだ園地”は花を愉しむどころではなかった。
シュウカイドウやハギなどが眼に留まったが、立ち止まることさえなかった。