つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

「勢命の法形」について

2024年05月02日 | 躰道
 「勢命の法形」を披露する壮年会員

 「勢命の法形」についての解説。
 躰道の創始者であります祝嶺正献最高師範は、旋、運、変、捻、転の五つの技を基本とする躰道を創始して59年が経過しました。そして躰道を万人のものとするために呼吸法を取り入れた「勢命の法形」を創作しました。当初、壮年会員の普及を目的に健康面を考慮した法形を創作しようと試みました。
 
 勢命の法形の創作の基本には中国拳法の所作を参考にしております。躰道の勢命の法形には、体気九法という九つの呼吸法を採り入れております。体軸に角度を持たせることにより氣が移動していくことを理解させております。その理念の基となったのが、植物の樹木の生態を基準にして形成しております。
 
 昭和49年、祝嶺正献最高師範は、躰道の法形を創作した中で唯一「勢命の法形」を、茨城県の鹿島神宮において奉納演武をしております。躰道を会員に普及していこうとの強い現れがありました。

    全日本躰道選手権大会の競技種目として壮年法形競技を誕生させて広く披露していきました。
 
 祝嶺正献最高師範が、躰道の中で最高にして最大の法形となったと言及しているのがこの「勢命の法形」であります。裏の部分である後半は、所作が左右反対で行いますが、これは人間の機能を高めるための鍛錬法が盛り込まれており、躰道の理念を表現しているものです。
 
 特別演武は、壮年会員の風格のある重厚性を表現する「勢命の法形」であった。観客から万雷の拍手で演武を賞賛された出演者たち笑顔を見せて満足な顔であった。
 天国の祝嶺正献最高師範も特別演武「勢命の法形」を喜んでいることだろう。


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(記録)護身術の指導

2024年04月24日 | 躰道

 護身術の指導

 志木市スポーツフェスティバルの躰道セミナーは、谷鐡太郎先生によるストレッチ講習でした。

 セミナーの最後に女性のための護身術を実施しました。男性から両手を掴まれた女性は指の付け根に力を入れて手を返すと相手は力を入れてくるので反対の手を上方へ返すといとも簡単に男性をひっくり返すことが出来ます。
 

 はじめは半信半疑であった女性達は、指導されるとおりに所作を行なうと力の強い男性をたたみの上に転がして護身術を体感していました。何回か試みるとすぐに慣れていました。
 
 今回のセミナーに参加した人達は、体の柔軟性の大切さと護身術の醍醐味を味わって、とても参考になったと感想を述べていました。

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山田竜也先生について

2024年02月27日 | 躰道
    音楽家の山田竜也先生

 音楽家の山田竜也先生と池袋でお会いして懇親のひとときを過ごしました。ランチは中華料理店の天府酒家で、多田廣士さん(躰道指導者)も同席しました。

 山田竜也先生は、躰道に関する音楽を沢山作曲してくれた方です。「躰道ひとすじ」、「躰道賛歌」、「躰道行進曲」、「勢命の法形の曲」など素晴らしい音楽を提供してくれました。

 躰道創始者・祝嶺正献最高師範との親しい交流のなか音楽が作曲されました。第10回全日本躰道選手権大会(昭和51年)でのエピソード。
 東京体育館で実施され観客は3階席まで満席となり、7400名の人が試合を見守っておりました。
 開会式の入場行進は、山田竜也先生の指揮するオーケストラによる「躰道行進曲」です。全国から選出された選手たちは威風堂々入場してきて、開会式に臨みました。
 来賓席には全国から集まった各躰道協会会長や躰道師範ら150名が臨席しておりました。躰道創始者・祝嶺正献最高師範の力強いスピーチが今でも甦ります。

 躰道の良き時代を山田竜也先生と一緒に懐古した一日でありました。
 (2015年3月15日)

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高橋福位さんについて

2024年02月26日 | 躰道
 高橋福位さんについて

 躰道の親しい友人である高橋福位さんが私の事務所に訪れてくれました。
 高橋さんは、帝京大学で躰道部に所属していて、全日本躰道選手権大会では法形競技でチャンピオンになった人です。

 演武する法形は華麗にして重厚さがあり、後宙返りなどの高度な技も表現するテクニックを持っている。躰道の会員から憧れの選手として目標にされていました。

 卒業後は、法政大学躰道部の監督として指導に当たり、全国学生優勝大会で優勝に導いたほどで指導者としても功績を発揮しておりました。
 人の話を真剣に聞くことにとても長けた人です。

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全国範士等躰道演武大会

2024年01月22日 | 躰道
 全国範士等躰道演武大会が中央区スポーツセンター武道場で開催されました。

 躰道の指導者たちの演武披露であり、全国から26名が参加していました。
 中野哲爾6段「変体の法形」が最優秀賞、金子智一6段「運体の法形」で優秀賞を獲得しました。二人は拓殖大学躰道部の出身であり、現在は中野哲爾教士は船橋己錬館道場、千葉大学監督として、金子智一教士は多摩東村山道場、拓殖大学監督として指導をしております。二人とも躰道の正統な理念と実技を指導しており実績を残しております。

 創作演武の部に出場した萩原利克6段は「勢命の法形」を披露して、最後に躰道の指導者は90歳になってもこの大会に出場してほしいと熱いメッセージを送っておりました。

 範士特別演武の部では、奥山安雪8段は「仁制の法形」を披露しました。いつもながら素晴らしい演武でした。
 田中勇悦8段は「創作指導法」を説明して、大学の躰道部員たちによる団体運足の操法を披露して発表をしておりました。

 祝嶺正献最高師範の写真と道着及び躰道の紋章も飾られており、審査員には宮城県で活動をしている志摩制基師範もおりました。


祝嶺正献最高師範と道着と躰道紋章


志摩制基範士は審査を担当


田中通悦8段範士による「創作指導法」

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躰道教士・中野哲爾先生について

2023年12月28日 | 躰道
 中野哲爾先生と(整骨院日月)

 船橋市の整骨院「日月」(中野哲爾院長)で硬くなった身体をほぐしてもらいました。柔道整復師による一時間の施術でとても柔らかく軽くなって良かったです。

 拓殖大学に在学中から筑波大学でコーチ学を学び、指導中に教え子たちがケガなどをした時にすぐ対応できるように柔道整復師の資格も取得して整骨院を開業しています。

 中野哲爾先生は躰道6段教士の資格を取得している指導者であります。現在船橋市で躰道の己錬館道場で多くの会員の指導をしています。また千葉大学躰道部の創部以来、監督として学生たちの指導も担当しています。躰道創始者・祝嶺正献最高師範の正統な理念と実技を伝承する素晴らしき指導者です。多くの後輩たちから慕われております。

 個人でも躰道の全日本躰道選手権大会や各種全国優勝大会にも出場して多くの優勝実績を重ねております。また4年ごとに開催される世界躰道選手権大会では個人法形競技で4連覇という偉業を成し遂げております。

 ランチをしながら躰道の指導方法について懇談をしました。
 指導をするポイントとして躰道の審査項目に基づいて徹底的に基本技を習得するようにしている。これからも日本躰道協会の指導担当として躰道の普及発展に尽力をしていくようであり、大いに期待されております。(2018年3月9日記)


躰道範士大会で優勝した中野哲爾師範


千葉大学躰道部の中野哲爾監督






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祝嶺正献最高師範の生誕98年

2023年12月09日 | 躰道
 12月9日は躰道の創始者であります祝嶺正献最高師範の生誕98年です。

 大正14年(1925年)12月9日。沖縄本島、山原(やんばる)の山脈を西に背負ったこの有銘地方では、12月の雷雨は珍しくない。尚質王の妃真鍋樽(まなんだる 1649~1668)を始祖とし、3百年の由緒ある家歴をもつ祝嶺家の頭領である春栄はすでに40歳、まだ男児がなかった。「男子を授け給え、わが国土に益する子を授け給え」(拳風夙夜より)
 
 1933年(昭和8年)、9歳のときに佐渡山安恒氏に初めて空手を学ぶ 
 1937年(昭和12年)、岸本祖孝氏に師事する
 1953年(昭和28年)、玄制流空手道を創始する
 1964年(昭和39年)、「新空手道教範」上梓
 1965年(昭和40年)、躰道を集大成し、1月23日に発表。同時に日本躰道協会、躰道本院を設立。日本躰道協会会長、日本躰道本院宗家・最高師範に就任する
 1983年(昭和58年)、世界躰道連盟設立、同連盟総監就任
 2001年(平成13年)11月26日、静岡県伊東市の躰道本院「岳雲荘」にて没す。享年76歳。
 
 祝嶺正献最高師範には数々の人間離れした伝説の事実があります。
「瓦34枚割り」 テレビの生放送で試割りの実演を依頼されていた祝嶺正献最高師範は、瓦の枚数を何枚にするか制作サイドから相談され、「何枚でも良い」と答えた。「34枚ありますが全部ですか」と念を押された上で重ねて承諾。リハーサルなし、生放送のテレビカメラの前で、34枚積み上げた瓦(祝嶺の腰を越える高さ)を、左半身猫足立ち帆立構えからの右手刀一撃で全て割ったのです。


恩師・佐渡山安恒師範と再会(昭和48年4月4日)


瓦34枚割り
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志摩制基さんについて

2023年12月08日 | 躰道
 志摩制基さん

 宮城県石巻市には、自分と最も親しい志摩喜代一さんがいます。宮城水産高校時代はラグビーをクラブ活動としてやっていました。夜は日和山にある石巻道場において躰道を習っておりました。
 
 自分が昭和45年からショーボンド建設仙台支店に赴任していたときには、東北大学と東北学院大学に躰道部を創部して学生たちを指導していました。そして毎週土曜日には、仙台から石巻まで車で行って、石巻道場で躰道を指導していました。その道場は、石巻出身の境一成先生が後進のために建設した道場でありました。当時、三浦照雄さんや和田さんなどが指導者として活躍をしていました。自分が石巻道場に行くようになり、志摩さんと出会いました。当時は茶帯の2級位でありました。
 
 猪苗代で行われていた東京国際大学(当時は国際商科大学)躰道部の合宿に志摩さんが参加したときは、一日のうち半分は練習時間という厳しい合宿であったが、根を上げることもなく合宿練習についてきました。その後一週間は汗が出なかったほど体を絞っていた。とのエピソードがあります。

 その後、志摩さんは黒帯となると指導者として頭角を現してきた。全日本躰道選手権大会にも出場して優秀な成績を実績として残しています。東京で開催される指導者研修会には毎回参加していました。東北新幹線はまだ開通していない頃で、土曜日の夜行列車に乗り、上野の駅には早朝に到着して、研修会に臨んでいました。その内、宮城県を代表する指導者となり、第一回東北地区躰道優勝大会の開催に尽力しておりました。その後、毎年東北大会が継続して開催しているのは志摩さんの献身的な努力の賜物であります。

 そのように躰道の正統な実技と崇高な理念を真摯に学んでいる姿を見ていた躰道創始者の祝嶺正献最高師範は、志摩さんに「志摩制基」の武道名を贈呈しました。躰道では唯一志摩さんだけが祝嶺最高師範から武道名を貰っています。躰道を会員に指導して、会員から慕われていること。祝嶺最高師範から正統な実技を習得していること。躰道の理念を正しく理解して後進に指導をしている志摩さんの活動を評価して「志摩制基」としての武道名を与えたものであります。
 
 祝嶺正献先生は、次代の指導者として認証したものであります。躰道に関しても自分の利益のためにするのではなく、会員や社会やそして世のためになる姿勢で進んでいる姿は多くの人から尊敬されています。躰道についても理念的にも創始者である祝嶺正献先生の考えをよく理解しているトップの第一人者であります。
 
 現在は、宮城県や東北地区を実技の普及と組織の発展に尽力して活躍をしています。日本躰道協会の発展にも貢献をしております。今では、祝嶺正献最高師範の考えを実践している最もトップにいる人と言って間違いない素晴らしい人その人が志摩制基さんであります。


志摩制基さん(石巻市の日和山にて)


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祝嶺正献最高師範のお墓参り

2023年11月25日 | 躰道
 躰道の恩師であります祝嶺正献最高師範のお墓参りに行ってきました。

 特急踊り子号で伊東駅に着くと長女である齋藤育代さんが出迎えてくれておりました。お墓は伊東市の高台にあり相模湾や伊東市街が眼下に見渡せます。

 お墓を清掃して、花を手向けてから祝嶺正献最高師範に対して近況を報告しました。亡くなってもう22年が経過しておりますが墓前に立つと生前の想い出が次々に甦ってきます。生前親しく交流をしていて今も尊敬をしていると語る不弁会会長の森陽一郎先生についての報告もしておきました。
 祝嶺家のお墓には、祝嶺正献最高師範の「死生観」及び「躰道五条訓」が掲示されております。とても立派なお墓です。

 お墓参りをした後には手打ちそばの美味しいお店「手打庵」で食事をしながら躰道のことについていろいろとお話が出来ました。
 伊東の松川の散歩道から海に出て初島や船を眺めながら伊東駅まで散策をしました。帰路は特急サフィール踊り子号に乗車し、快適なひとときを過ごしました。


祝嶺正献最高師範の立派なお墓

 
 躰道五条訓             祝嶺正献最高師範の「死生観」


おそば処「手打庵」の鴨せいろ
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東京大学、15連覇達成!

2023年10月08日 | 躰道
 第56回全国学生躰道優勝大会は東京武道館で開催されました。

 総合優勝は東京大学(山際真穂監督)で15連覇を達成しました。創部23年となり、現在躰道部員数は66名おり、団体競技の部には男女ともすべての種目に出場して、優勝と第2位を全種目で入賞をしました。

 総合2位となったのでは創部6年目の慶應義塾大学(良本真基監督)です。部員数は68名で奮闘しました。団体競技では東京大学とは接戦でしたが、個人競技で入賞できなかったことが、東京大学に引き離されてしまいました。来年の大会では総合優勝も目標に精進してくることでしょう。

 3位は北海道大学(湊宏司監督)、4位は千葉大学(中野哲爾監督)でした。

 孤軍奮闘していたのは、新潟医療福祉大学(涌井貴志監督)の二選手です。男子個人実戦競技で優勝・岩橋翔馬選手、準優勝・杉山優二郎選手となり、仲間同士が決勝戦で対戦するというドラマを魅せてくれました。

 女子では、村上海月選手(倉敷芸術科学大学)です。女子個人法形競技で第2位、女子個人実戦競技では第3位という立派な成績でした。躰道は福山市で北村幸三師範の指導を受けて15年精進してきました。今後の活躍が期待される選手です。

 大会が終了すると、各大学は集合記念写真を撮っていました。
 
 昼の休憩時間には、facebookで交流のある千葉大学、拓殖大学、北里大学十和田の選手たちのいる席に行って交歓をしてきました。皆さんとても明るく元気に応対してくれました。

 若い選手たちが溌剌と競技に臨んでいる姿を観ているととても頼もしさを感じてきます。


東京大学の15連覇達成集合記念写真


個人実戦、優勝・2位の新潟医療福祉大学の二人


祝嶺正献最高師範と躰道紋章


東京武道館(足立区・綾瀬)



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最高師範杯

2023年08月01日 | 躰道

 全国社会人躰道優勝大会では、「最高師範杯」という名誉な賞があります。
 これは躰道創始者・祝嶺正献最高師範が創設した賞であります。

 躰道を修行している社会人は、実技はもとより躰道の理念を理解して人格的にも優れた人に与えらえるとの趣旨のもと毎大会ごとに選手の中から一人選出されるものです。

 躰道創始者・祝嶺正献最高師範の生前中は、最高師範自らが選考をしておりました。

 自分も全国社会人優勝大会には、第1回大会から第5回大会まで選手として出場をしておりました。この「最高師範杯」を、第1回大会、第2回大会、第3回大会、第5回大会と4回受賞しました。誠に栄誉なことであります。

 大会当日、会場には「最高師範杯カップ」展示されておりました。
 歴代受賞者のリボンがカップに吊るされておりました。
 私の名前が記されていたリボンが4本吊るされてありました。

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土井慈功さんについて

2023年07月13日 | 躰道

 土井慈功さんとお会いしました。土井さんは建設省在勤中に躰道を修練しておりました。一緒に躰道を修練したことで、今でも親しく交流しています。 

 現在は億萬山妙知庵の住職として元気に活動しております。

 お話は躰道創始者である「祝嶺正献最高師範」について多く語っておりました。またその思い出についても文書に綴って頂きました。

 現在、躰道創始者・祝嶺正献最高師範についてのエピソード等は編纂しているのでとても参考になっております。

 


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霞会事務局運営の思い出と躰道(5)

2023年06月23日 | 躰道
【TIU Sparks – グローバルに活躍するTIU Alumni】 に掲載されたものです。

(5)学生時代から修練していた「躰道」について社会人となっても継続しています。

 大学在学中に修練をしていた「躰道」も、卒業後も継続して鍛錬するとともに指導を担当しておりました。 そして、躰道の大会には機会あるごとに選手として出場をしていきました。

 全日本選手権大会では連続して優勝をしました。全国社会人大会では東京国際大学のゼッケンを背中につけて出場し、優勝とともに栄誉ある「最高師範杯」を何回も獲得しました。全国の躰道指導者が集まる全国範士競技会でも個人の部、団体の部で優勝を果たしました。日米親善大会では選手を代表して宣誓を担当したこともありました。

 海外で活躍をしている同窓生として、躰道部出身の内田光信氏(商学部4期卒)がおります。卒業後、アメリカに渡り、ネブラスカ州の大学を卒業すると、ジョージア州アトランタで「NAC」という会社を創り、日本とアメリカの企業のコンサルタントをしており、多くの政財界の人たちと交流を広げました。
 東京国際大学の理念に基づいて、世界に羽ばたいて活躍している同窓生の内田光信氏です。また、内田光信氏はアメリカ躰道協会会長として数千人の会員に躰道の理念と実技を指導しております。
 私もアトランタには、アメリカ躰道大会と世界親善躰道大会の時の二回訪れて選手として出場をしております。(完)


内田光信氏(アメリカ躰道協会会長)と
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(思い出)モダンダンスと躰道

2023年04月30日 | 躰道
 モダンダンス会員に躰道を指導する

 モダンダンスを習っている生徒達に「躰道」を教えました。

 正田千鶴モダンダンススタジオの25名の生徒たちが中野体育館の武道場に集合しました。躰道を知っているものは2名しかいませんでした。ほとんどの人がが始めて聞いて、初めて躰道に接しました。

 躰道の意味から歴史の説明をしました。創始者の祝嶺正献先生の概要について話をしました。

 礼法・構え、基本五技、旋陰の法形までを指導しました。皆さんの覚えが早いので、よく観察しているとダンスで振り付けをいつも学んでいる習性があることに気がつきました。

 小学校5年生から60歳までのメンバーが一生懸命に習っていました。真剣な眼差しで指導を受けています。基本に基づいて二人一組で攻防の稽古をしたときはさらに興味が増したようです。法形の順序も素早く習得して本日の研修は終了しました。

 モダンダンスの指導者である正田千鶴先生、宮本舞先生の意向は、モダンダンスの中に武道の要素が取り入れられないかとの発案でありました。

 宮本奈緒美先生が躰道に関わっていた関係で、今回指導者として招聘されました。モダンダンスと躰道の融合が大きな飛躍のポイントになればいいと考えております。躰道は、各分野と共有することの出来る理念を持っています。(2007年10月7日)

 モダンダンスの会員に躰道を指導したら、そのときの模様を感想文にまとめて郵送されてきました。なかなか参考になるコメントもありましたので記載します。
 ①舞踊も躰道も体を動かす原理は同じで、共通することばかりで逆に驚きました。躰道が創始された年が、私の生まれた年と同じだったので感慨深いものがありました。(О)
 ②躰道は最初なんか怖いイメージがありましたが、すごくやって楽しかったし、またやりたいと思いました。(F)
 ③沖縄空手がベースだというのをはじめて知りました。基本技や法形に自然の現象をあてはめたり、動き方を形として言葉であてはめてあるのが印象的でした。(K)
 ④軌道点、軌道線に従って動くという普段自由に動くダンスと違い最初は戸惑いましたが、体の中心はしっかりとあるところがダンスと一緒だなと思いました。(I)
 ⑤最初は踊りに関係あるのかなぁと思いながらやっていたけれど、午後にレパートリーをやったら躰道の先生が言っていたことが出てきたので体を動かすことには何かしら共通点があるんだなと実感しました。(K)
 ⑥躰道の練習をしてすごく強くなったと思いました。バレエもうまくなったと思いました。(K)
 ⑦合気道と違った動きで足の運びとか手の動きが多い。技と体重移動がわからなかった。男性の法形は力強い感じでダンスに役立てそうだった。最近どう踊っていいかわからなかった。躰道を練習して吹っ切れた。何か心がすっきりした。これからダンスに生かしていきたいと思いました。(T)
 ⑧初めて躰道という武道を見てそして練習してすごく楽しかったです。空手とは違って気合の掛け声を2回しかやらないということがわかりました。(K)
 ⑨躰道はキリッとしていてとても格好良かった。いろいろな技をやったので始めは難しかったけれども、慣れると楽しくなってきました。(N)
 躰道はやったことがなかったけれども楽しく出来た。いろんな技が練習できてよかった。最後に池内先生が演武した勢命の法形はとても迫力があった。(K)
 ⑩私ははじめて躰道をやったけれども、説明が分りやすくて楽しく出来ました。いろいろな技がとても楽しく出来ました。(K)

 感想文を読んでいるといろいろのことが分り参考になります。


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宮城の本田勝博さんと門馬史和さん

2023年03月18日 | 躰道
 本田勝博さん(左)と門馬史和さん(BumB東京スポーツ文化館)

 サラリーマン時代(ショーボンド建設)に宮城県仙台市にある支店に赴任しておりました。宮城県で躰道の修練をしている志摩制基さんはじめ多くの躰道の仲間たちと知り合いとなって現在に至っています。長い間交流が続いており有難いことと喜んでおります。

 全日本躰道選手権大会の会場で、本田勝博さん(宮城県理事長)と門馬史和さん(女川町出身)と久しぶりに会いました。
◆本田勝博さんは、現在宮城県躰道協会の理事長として県内の団体と会員をまとめている代表者であります。仙台に赴任した時には、毎週土曜日は石巻まで出かけて躰道の指導を担当していました。その時に本田勝博さんとは知り合いそれ以来親しく交流をしています。その後も大会や演武会等で石巻を訪問すると本田勝博さんは笑顔で迎えてくれます。当時の躰道の稽古の思い出話やその後の宮城県のことの情報を交換しました。現在の宮城県の躰道の基礎を築いたメンバーの一人が本田勝博さんであります。祝嶺正献最高師範から直接指導を受けたことにより、本田勝博さんは会社でも躰道の理念を生かして仕事で貢献をしていました。今は勇退して社会の地域の発展の為に尽力をしています。

◆門馬史和さんは、8歳から躰道を学んでいました。父親の門馬玉昇さんが熱心で練習日には女川町から石巻の道場まで車で送迎してくれました。少年部のときから稽古熱心であり、頭角を現して常に大会では優勝および入賞経験多数の実績があります。東北福祉大学躰道部時代には率先して部活動をリードしておりました。特に法形の演武では観客を魅了するほど素晴らしい実技を披露しておりました。志摩制基八段範士の尊父様の葬儀に参列をしたとき、帰りは石巻から仙台駅まで快く車で送っていただいたことがよみがえります。門馬史和さんは現在会社の札幌支店長として赴任しております。結婚して男の子にも恵まれました。そのお子さんが生まれること待ち望んでいたのが父親の門馬玉昇さんでありました。2011年3月11日のお昼前に女川町から札幌の家に電話があり「孫が生まれたら4月になったら札幌に会いに行くから」と元気な声でした。それから数時間後の2時46分に東日本大震災は発生して、門馬玉昇さん(74歳)は津波に呑み込まれて帰らぬ人となってしまいました。
 門馬玉昇さんは、女川町で行政の仕事をしていて、定年で勇退した後も地域の区長として老人の介護等の世話役として尽力していました。躰道でも女川町躰道協会を設立して組織拡大を図っておりました。宮城県躰道協会の三代目の理事長として尽力をした方です。震災の時には老人たちを避難させることに奔走しておりましたが、そこに津波が押し寄せて瓦礫の下敷きとなり、2週間後に発見をされました。それはお孫さんが生まれた二日後でありました。そのお孫さんは門馬玉昇さんの生まれ変わりであると家族たちは話しています。
 この事は、門馬史和さんと同じ会社の部下であり、そして今では漫才で活躍している人気のサンドイッチマン・伊達みきおさんのブログでも掲載されていました。(2011年11月)




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