つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

映画「アバター」興行収入世界一

2010年01月31日 | 芸能
(スポニチより)
革新的3D映画「アバター」あっさり興収世界一
米映画「アバター」の全世界興行収入が25日、18億5500万ドル(約1670億円)に達し、97年公開「タイタニック」を抜いて史上最高額を記録した。
ジェームズ・キャメロン監督(55)は「タイタニック」で1年半かけて樹立した記録を、わずか39日間で自ら更新。
2月2日には第82回米アカデミー賞の各部門候補作が発表されるが、大量ノミネートは確実だ。

世界的な景気低迷で更新はしばらく無理かとみられた「タイタニック」の興収記録(18億4000万ドル)が13年ぶりに破られた。
現在約110の国・地域で公開されており、日本でも1カ月で70億円を突破した。

当時、人気沸騰昇中だったレオナルド・ディカプリオ(35)を主演に据え、物語の知名度もあった「タイタニック」に対して、「アバター」は全くのオリジナル作品。
主演はオーストラリア出身のサム・ワーシントン(33)で、名前で観客を呼び込めるほどではない。
キャメロン監督がこの作品のために私財を投じて開発した3Dカメラによる革新的な映像で客足を伸ばしている。
ホームシアター時代にあって、劇場で特殊メガネをかけないと体感できないのが特徴。

公開当初は、青いエイリアンのようなビジュアルが不評で、業界内にはヒットを危ぶむ声もあった。
しかし洋画関係者は口々に「あの立体映像を体験した観客から、口コミで広がるタイタニックのときと同じ現象が見られた」と指摘する。

すでに第67回ゴールデングローブ賞で作品、監督と2部門を制覇。
3月7日(日本時間同6日)に開催されるアカデミー賞でも大量受賞が期待される。
オスカーの数でも「タイタニック」の同賞史上最多11部門を超えられるか、注目だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相次ぐ百貨店の閉館

2010年01月30日 | 経済
                 年内の閉館を決定した有楽町西武

阪急が京都・河原町店を閉鎖へ(産経新聞より)
エイチ・ツー・オーリテイリングは28日、傘下の阪急阪神百貨店の「四条河原町阪急」(京都市下京区)の営業を今秋に終了すると発表した。
同店は1976年に開店し、阪急電鉄・河原町駅のターミナルに立地。
阪急百貨店の京都での旗艦店だった。
若者向けのファッション用品を中心にした品ぞろえが特徴。
2009年3月期の売上高は56億1400万円だった。

ただ、景気低迷に加え、近隣の大型百貨店や専門店との競合も激化し、赤字に陥っていた。売り場面積が約8900平方メートルと、一般的な大手百貨店の半分以下と小さく、H2Oリテイリングでは「競争の厳しい都市中心部で事業を継続することは困難と判断した」と説明している。
H2Oは、高島屋と2011年までに経営統合することで合意している。
同店が高島屋の京都店と隣接していることも影響したとみられる。

百貨店業界では、セブン&アイ・ホールディングスが27日に西武有楽町店(東京都千代田区)を今年末で閉店すると発表したばかり。
百貨店の不況の深刻化で、店舗リストラの動きが一段と加速しそうだ。

(1月30日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンプレイ・宮畑豊会長

2010年01月29日 | 友人
             宮畑豊トレーニングセンターサンプレイ会長  

サンプレイの宮畑豊会長を久し振りに訪れました。
電話で連絡をしていたので御徒町のサンプレイに行くと外出先から戻られてきました。とても温かく向かい入れてくれました。
ジャパンヘルスに勤務していた時にトレーニングに関していろいろと指導を頂いておりました。
宮畑豊会長は、トレーニングセンターサンプレイの代表取締役をはじめ、東京学芸大学講師、東京YMCA社会体育専門学校講師、江戸川大学総合福祉専門学校講師としても活躍しています。
1941年、鹿児島県奄美大島生まれ。
中学・高校で柔道の県大会優勝。
19才の時、脊髄分離症で1年間の寝たきり生活を経験。医者から「運動は無理」と診断を受ける。「自分で何とかするしかない」と決意し様々な試みの中でボディビルと出会う。
全日本ボディビルコンテストで25回の連続入賞、1981年 NABAロンドン大会・ミスターユニバース ミドル級4位、ほか輝かしい記録を打ち立てる。
その後指導者となってからも、その独自のウェイトトレーニング理論は、プロ、アマを通じて信仰者が多い。
1998年に始まった埼玉県三郷市のシルバー元気塾で高齢者の筋肉トレーニングを指導。画期的な成果を挙げNHKを始めマスコミに取り上げられる。
現在トレーニングセンター「サンプレイ」主宰。
指導歴として多数の芸能人、相撲力士、プロ野球人がいる。
サンプレイの会員の中でもボディビルコンテストの入賞者は毎年多く、その栄誉は燦然と輝いています。

現在の新しく広いトレーニングセンターの移設に関しても先見の明があり、これからのトレーニングについての構想を考慮するならばここがいいと長年目標をおいていて実施されるところまできております。
宮畑豊会長は、ボディビル界ではトップをいく指導者として評価をされていますが、各界に幅広い人脈を持っている人です。
サンプレイには、大相撲の力士やプロ野球の選手がトレーニングに通ってきて、宮畑豊会長やインストラクターの指導を受けております。

また、出色なものでは、宮畑豊会長が自ら歌手としてキングレコードよりCDを発売しております。
おやじの拳骨(げんこつ)」と「ふたり連れ」のCDを宮畑会長の署名入りで贈呈されました。この歌を聴いてまたビックリ。普段会話をしているときの会長の低い声とは異なった素晴らしい歌声が流れてきました。
 飾らずへこまず 高ぶらず 死んだ親父の 口癖を 倅に今は 言い聞かす
親子三代に亘っての歌詞が綴られておりました。
原題は「拳骨(げんこつ)」でしたが、宮畑会長が「おやじの」を前に付けた方がいいと提案して題名が決定したようです。
今では有線放送では上位にランクされているヒット曲となっています。
奄美大島の黒糖焼酎の酒の名がこれまた「おやじの拳骨」となって販売されておりました。

宮畑豊会長に久し振りに会ってお話を伺っていて感じたことは、常に新しいことを考えており、そして実践しているということです。つまり夢を現実に叶えているということを実証しております。
忘れかけていた真実一路の精神を与えてくれたようです。
元気を頂いたことは事実です。とても清々しい一日となりました。

(1月29日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

校名入り手焼きせんべい

2010年01月28日 | 日記
                   東京国際大学校名入り手焼きせんべい

新春の集いの時に、参加者に東京国際大学より和風の袋が贈呈されました。
袋の中には、校名入りの高級手焼きせんべいが5枚入っていました。
これはなかなか良いアイディアであると大学に聞いてみました。
長谷川良成事務局長は「この校名入りのせんべいはとても好評です。TIUアメリカ校の20周年記念のときに持っていきアメリカの関係者に贈ったらとても興味を示してくれて喜んでいました」と話しておりました。

大学が地元川越市の老舗せんべい屋である「小萩堂」とコラボレーションして生産したもの。高級手焼きせんべいなので、一枚一枚とても美味しく仕上がっている。
校名とTIUマークは手焼きしたせんべいの上に食用インクを使用して印刷をするとのこと。

◆ありきたりのものでは印象が薄く、贈り先様の反応は期待薄かもしれません。
でも、メッセージの入ったおせんべいなら、注目されること間違いなし!
名詞の代わりやご挨拶に使えば一度で覚えていただけますし、各種引き出物としてお贈りすれば皆様のよい記念となり、話題に事欠かないことでしょう。
「インパクトは抜群です!」と小萩堂では述べていました。

◎印刷せんべいの小萩堂の問合せ先
住所 埼玉県川越市宮元町54-1
電話 049-225-3118
HPアドレス⇒ http://www.kohagido.jp/

(1月28日記)

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藍旗賞受賞者 石田祐介さんについて

2010年01月27日 | 日記
                   藍旗賞受賞挨拶をする石田祐介さん

藍旗会(東京国際大学体育会OB会・齋藤佳邦会長)は、藍旗賞授与式を開催した。
毎年、霞会(東京国際大学同窓会)新春の集いの席上で披露されている。

今年は、硬式野球部第37期OBの石田祐介さんが授賞した。
石田祐介さんは2005年東京国際大学卒業後、日産自動車に入社、同時に同社硬式野球部に所属。
日産自動車硬式野球部は、1959年創部、関東の強豪として激戦区の神奈川県代表として都市対抗野球大会優勝2回、日本選手権大会優勝と輝かしい実績を持ち多くのプロ野球選手も多数輩出する社会人野球のトップチーム。

石田祐介さんはそのチームのエースとして、2009年の都市対抗野球ではベスト4、社会人野球日本選手権大会では決勝に進みJR九州と熱闘を繰り広げた。
日産自動車硬式野球部は2009年のシーズン終了をもって休部となり、その長い歴史は幕を閉じた。

しかしながらアマチュア野球界にその名を轟かせた日産自動車硬式野球部の大黒柱として活躍し、チームの躍進に貢献してきた石田祐介さんは、藍旗賞に授賞するに値すると表彰された。

石田祐介さんは、これから住友金属鹿島硬式野球部に所属して現役を継続することとなっています。健闘を祈念します。

(1月27日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霞会(東京国際大学同窓会)新春の集い

2010年01月26日 | 日記
              東京国際大学校歌を作詞作曲した家永勝先生(中央)

霞会(東京国際大学同窓会)の新春の集いが、ホテルグランドパレスにて開催された。
当ホテルには同窓生の友光弘さんが勤務しており、いろいろと配慮して頂いています。

新春の集いの司会は、こちらも同窓生の高橋佳子さんでエス・オー・プロモーションに所属しているMCの方です。
来賓を代表して倉田信金子教育団理事長より挨拶があった。特に東京国際大学の運営について構想を話していました。
懇親会の中では、藍旗会(体育会OB会・齋藤佳邦会長)による藍旗賞授与式が行なわれた。今年度の受賞者は、バドミントン部OBの山口雄介さんと硬式野球部OBの石田祐介さんの二人であった。
その後、大学のリポート映像が放映された。
参加者たちは久し振りの再会や初めて会う人たちが名刺交換をして歓談をしておりました。
お楽しみ抽選会では、大学関係者、同窓会員、各支部から提供された景品が参加者へ渡されていった。
最後は、校歌斉唱。
この新春の集いには毎回出席している家永勝先生がステージに登壇した。
家永勝先生は、東京国際大学校歌を作詞・作曲された方で、同窓生や現役生に愛唱されています。
家永勝先生を囲んで金子勝教授と三宅ヨシロウ前会長が先導して、会場の全員での校歌斉唱となって高らかに響き渡った。
富田直美副会長の力強い閉会の挨拶でお開きとなった。

(1月26日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京都庁の建物

2010年01月25日 | 名所
                      東京都庁舎の建物

新宿に存在する東京都庁舎は、高さ243m、奥行き44m(第一本庁舎)と、高さに対して奥行きが短いので、通常の超高層ビルで採用している柔構造型の「ラーメン構造」では、地震などの力が加わった場合の曲げ変形が大きすぎて、十分な強さを確保できない。
そこで、少数の巨大な柱と梁に力を集中させ、地震や風圧などの外力に耐える強さをもった剛構造型の「スーパーストラクチャー工法」を採用しています。
具体的には、厚さ最大80mmの鉄板で1m角の箱型鉄柱を作り、この鉄柱4本を一組として4隅に立て、コア部の柱相互をK型ブレースで結び、1辺が6.4mの「スーパー柱」を構成します。
このスーパー柱を東西に各4本、均等な間隔(19.2m)で左右対称に4角形を形勢するように配置しました。
さらに、10階ごとに設けた1フロア分の高さをもつ「スーパー梁」で各スーパー梁を結ぶことで、建物の十分な強度とねばりを確保しています。
また、このスーパーストラクチャー構造のもうひとつの大きな利点をして、建物内部に柱のない、レイアウトの自在性に富んだ、居住性の高い大空間を得ることができました。

(1月22日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮田章司師匠 売り声で伝える江戸風情(3)

2010年01月24日 | 文化
             あま酒の天野屋の天野寿美子女将と宮田章司師匠(神田祭)

●人との付き合いを学ぶ
最近は教育委員会からもお呼びがかかる。子供やお母さんたちに、人との付き合い方について話してほしいと頼まれるのだ。確かに、物売りは今風にいえばコミュニケーション。空襲で校舎が焼けたこともあって、ほとんど学校に行かなかったあたしが今になって学校に呼ばれるのだから、不思議なものだ。

今のところ100種類ほどがレパートリーだが、あたしは売り声の職人になりたい。いい売り声を作りながら、たくさんのことを伝えていきたい。ちなみに売り声の中でもバナナのたたき売り、唐辛子、ガマの油など、商品の来歴を面白く語るものは、現代でいえばラップだ。実際に、請われれば売り声をラップ風にやることもある。

◇朝は納豆、昼間は薬・・・下町に響く庶民の暮らし
江戸風情を醸し出す物売り声を聞くには、宮田章司師匠の出演している演芸場に行けば聞けます。
宮田章司師匠の江戸物売り声出演予定
2月中席 池袋演芸場   昼の部
2月下席 浅草演芸ホール 夜の部

(1月24日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮田章司師匠 売り声で伝える江戸風情(2)

2010年01月23日 | 社会
               弟子の宮田陽と昇と出演する宮田章司師匠(深川江戸資料館劇場)

●楽しみな「音」探し
売り声を芸にし始めたのは15年ほど前だ。大道芸の大家で、バナナのたたき売りなどの口上をやっていた坂野比呂志さんに病床に呼ばれ「オレの芸を継いでくれ」と頼まれた。その時は漫才師だったあたしの、江戸弁を見込んでのことだろう。しかし同じ芸だけをやっていたのでは、坂野さんを超えられない。そこで思いついたのが、幼いころから聞いていた売り声だ。始めたら、はまってしまった。

何が売られていたかは調べれば分かるが、江戸の「音」は残っていない。それを探すのがまず面白い。自分で声を出してみる。高い声や低い声を試しながら、お客さんが買いたくなるような、テンポやアクセント、リズムを探る。例えば梅雨時の青梅売り。「あおうめやー、カリカリッ」。少し硬い梅の歯触りを、シャキシャキとした江戸弁で語る。

売り声の世界をちょっと掘り下げると、これまたいろいろと分かる。例えばこうもり傘の張替え屋はあたしが子供のころもよく来ていたが、では、こうもり傘を日本に持ち込んだのは誰か? 答えは勝海舟。また水団には、第2次大戦中のもののない時代に食べたものというイメージがあるが、色町で普及したという。花街の客が小腹がすいた時、江戸弁でいうところの、腹の「虫おさえ」に食したのだ。

近年は、子守歌にも詳しくなった。各地にある子守歌の言葉は、本当にいい。子守歌を歌ったのは母親だけでなく、子守を仕事にした子供だ。この子らはきっと、飴売りの声を、毎日楽しみに待っていたことだろう。売り声も子守歌も、いってみれば労働歌。私がやっているのは、結局は労働歌なのだと思う。(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮田章司師匠 売り声で伝える江戸風情(1)

2010年01月22日 | 文化
                   和風漫談家・物売り声の宮田章司師匠

日本経済新聞の最終面の文化欄に和風漫談家・物売り声の宮田章司師匠の随筆が掲載されていた。(1月21日付け)
宮田章司師匠には、群馬県の万場の鯉のぼりまつりのときに初めて会い、その後交流を続けていて、私が豊島区で研修会を主宰して活動している時に講師としてお招きして担当して頂いたことがある。
早速、宮田章司師匠へ電話を掛けてブログ掲載の了承を得たところ快く応諾の返事を頂いた。
     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇
江戸の下町は、本当に便利なところだった。抜けた髪の毛から灰まで何でも買い取りにきてくれたので、ゴミが出なかった。食べ物から生活用品まで何でも売りにきてくれた。その「売り声」で時間も季節も分かった。
東京の足立区千住に生まれ、浅草を庭にして育ったあたしは典型的な江戸っ子。江戸時代から昭和初期まで盛んに聞こえた、下町の売り声を掘り起こし、寄席などで披露している。江戸の売り声を舞台芸にしているのは、あたし一人だ。

●起源は室町時代の京都
下町で、朝一番に響くのは納豆屋やアサリ屋の声だ。「なっと、なっとぉーなっと。なっとーみそまめ~」という感じ。昼間は薬屋や飴屋、そしてさまざまな修理屋さん。履物、傘、刃物、竈(かまど)、樽、土瓶の弦などあらゆる物の修理や目立ての職人が、いろいろな売り声と共にやってきた。流し易者もいた。
夕方になると、鰯屋や豆腐屋の出番だ。食べ物ではほかにも刺し身にソバ、うどんにおでんといろいろ売りに来て、夜食にも困らなかった。
季節別にいえば、春は桜草、夏は朝顔や金魚に水売り。「しゃっこーい、しゃっこい」と、いかにも冷たそうに、砂糖などを少し加えたおいしい水を売りに来る。秋はコオロギやスズムシ。冬は、あたしが子供のころは年末のクワイ売りが楽しみだった。これが来ると「もういくつ寝るとお正月」だったからだ。
こうした売り声をざっと見るだけで、下町の暮らしが分かる。ファーストフードとデリバリーとリサイクルが究極まで発達した社会。売る方も買う方も決して裕福ではない庶民で、その日一日、必要な分だけ物や金を手に入れて生きていた。
これら売り声のルーツは室町時代の京都といわれる。それが江戸に伝わり、江戸ならではの売り声が生まれた。しかし、第2次大戦を境に減っていく。昭和40年ごろまでは一部残っていたが、今や売り声は、廃品回収でも焼き芋でも、録音を流すものばかりだ。(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祝嶺和子さんの葬儀に参列

2010年01月21日 | 躰道
                      祝嶺和子さんの葬儀祭壇

暦では大寒のこの日は伊豆の伊東市は春のような4月の暖かさでありました。
梅の花が咲き、河津桜は蕾をふくまらせてピンクに咲き出していました。
祝嶺和子さんの葬儀に参列してきました。会場はアイ・ホール伊東。

お棺の中には、微笑んでいるような若々しい祝嶺和子さんが今にも起き出しそうな様子で横たわっておりました。
顔の色つやがとてもよく、口紅の赤さが生きているような姿を表しておりました。
遺影は写真ではなく、液晶テレビ画面に写っていた。
私がお別れの挨拶をしていると画面の祝嶺和子さんが動いて話しかけるような仕草をしているように見えました。

戒名は「春照妙和信女位」
読経住職は、浄土真宗大谷派慶誓寺の泉智慶氏であり、新潟県で躰道の指導者として活躍している方でした。
読経は、はっきりとした口調で心に感動を与えてくれる素晴らしいものでありました。

躰道関係者は、青森県から沖縄県に至るまで全国各地に在住する人が集めっておりました。
特に板山昌司範士の山梨県の関係者は20名も参列して葬儀に協力しておりました。
故人に寄せられた生花の中には、アメリカ躰道協会やフランス躰道協会から贈られたものもありました。
葬儀の終了時には、中島章皓葬儀委員長は故人との思い出を話し、喪主である長男の祝嶺修身さんは、祝嶺正献最高師範の創始した「玄制流空手道」と「躰道」の理念と実技を祝嶺家の兄妹たちで守っていきますと挨拶がありました。
葬儀会場では、来場者たちに目配り心配りをして対応している葛西隆さんの心細かい配慮がとても印象に残りました。

伊東市営火葬場で荼毘に伏されお骨となって伊豆高原の自宅へと戻っていきました。
祝嶺和子様のご冥福を祈ってまいりました。

(1月21日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祝嶺和子さんの訃報

2010年01月19日 | 躰道

祝嶺和子様の訃報が届きました。
病気療養中のところ、17日早朝に亡くなりました。
躰道の創始者であります祝嶺正献最高師範夫人として、長年躰道の普及と発展に側面から尽力して頂いた人です。
初代宗家である祝嶺正献最高師範が8年前に逝去した後は、躰道の第二代宗家として尽力して頂きました。
私も1965年に大学に入学した時から躰道の修行の道をスタートさせ、今日の45年間にはいろいろと祝嶺和子様にはお世話になり、多くの想い出がありました。

和子奥様が陶芸体験をしたいとの要望で、水野道浩さんの案内で岐阜県多治見の陶芸作家さんの工房を一緒に訪れたこと。
躰道壮年倶楽部の会合で講演を担当して頂き、祝嶺正献最高師範との出会いから現在に至るまでのお話を詳細にしてくれましたこと。
いつも躰道会員のことを見守って頂きました。

和子様は、沖縄県出身で戦争中のひめゆり部隊の一員でありましたが、生命を落とすことなく後世を過ごしてきました。
東京に来てからは厚生省の援護局に勤務して、沖縄での戦争体験に基づき亡くなった仲間たちの生存中の情報についての生き証人としての重要な任務を行なっておりました。

また一人躰道の創始の経緯を知っている人が亡くなってしまいました。

(1月19日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青葉城天守台からの展望

2010年01月18日 | 名所
                        青葉城天守台から仙台市街を望む

仙台城天守台からは仙台の市街地が一望でき、その日は天気が良く遠く太平洋の海が眺められた。
伊達政宗公もここから、かつての仙台城下を眺めていたことだろう。

天守台には、『荒城の月』(滝廉太郎作曲)の作詞者を偲び土井晩翠の碑が建っている。
土井晩翠は明治4年、仙台市に生まれた。
旧制第二高等学校(東北大学の前身校)から東京帝国大学英文科を卒業。
のちに二高の英語教師となる。
英語の発音は「仙台弁」の訛りが強かったと伝えられている。
二高を定年退職後は名誉教授として、教育にも大きく貢献した。

天守台の下には、さとう宗幸が歌う「青葉城恋歌」にもでてくる広瀬川が流れている。
広瀬川は仙台市のシンボルとして親しまれている四季の光や風、音、匂いがあり親しまれている川である。

(1月18日記)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仙台藩62万石の居城跡

2010年01月17日 | 名所
                             仙台城脇櫓

仙台藩62万石の居城跡。
400年以上前、伊達政宗公が天然の要害である青葉城に築いた城・仙台城。
青葉山に位置することから、一般に青葉城と呼ばれている。
この城は、本丸に建物は残っていないが、長い歴史が刻まれた石垣と、戦後復興された仙台城脇櫓が往時の城の姿を偲ばせている。
天守台には、颯爽と馬にまたがる姿の政宗公騎馬像が建ち、仙台の街を見下ろしている。

仙台城脇櫓の手前の五色沼は、日本フィギュアスケート発祥の地となっている。
明治23年頃、外国人たちが凍った五色沼を滑り始め、後にその指導を受けた旧制第二高等学校の生徒たちが、日本で初めてフィギュアスケートをはじめ、彼らによりフィギュアスケートは日本に広く普及した。

(1月17日記)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タマミヤで安達定幸グループの懇親会

2010年01月16日 | 日記
                 安達定幸さんとタマミヤ親方の伊藤靖明さんら

仙台プラザで開催された「KICK OFF 2010」の本編とパーティーが終了した後、安達定幸さん・岸吉彦さんグループのメンバーが定禅寺通りの「タマミヤ」に集まって懇親会を開催した。
タマミヤは、自家焙煎炭焼き珈琲店「珈巣多夢(かすたむ)」から30メートルのところにある。

タマミヤの伊藤靖明親方は、仙台でも早くからアットメールを導入して、メール会員を集めてお店の情報をケータイメールで発信して集客をして売上を上げてきた。
活用成功事例集にも取上げられ、DVDにも掲載された名物店である。
プロ野球の東北楽天イーグルスの選手たちもよく来店するタマミヤです。
お店の壁には有名人の色紙がたくさん掲示してありました。
「TAMAMIYA タマミヤ」仙台市青葉区国分町3-1-3残間・米屋ビル2F
TEL022-215-8558 HPアドレス http://www.just.st/739579
この日もサービス満点で振舞ってくれた。

懇親会のメンバーは、東京都、神奈川県、長野県、愛知県、三重県、京都府、大阪府、兵庫県、和歌山県、岡山県、福岡県、熊本県等から集まった50名。
安達定幸グループ特別セミナーは、昨年名古屋と大阪で開催しているので、遠方でも馴染みの人が多く、情報交換も楽しい雰囲気で盛り上がっていった。
気がつけば、12時を過ぎて日付も変わって解散となった。

(1月16日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする