つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

片岡珠子作「江戸の四季」

2023年06月30日 | 芸術
    片岡珠子作「江戸の四季」

    池袋のサンシャインシティに陶板壁画があります。
 作者は文化勲章受章者の片岡珠子画伯です。「江戸の四季」のテーマでありとても迫力のある作品です。以前は地下一階の受付のところに展示されていましたが、今は一階の外部に作品を移転して展示してあります。乙女ロードに面しております。

    片岡珠子画伯はその型破りな構成と大胆な色使いから、一部の人々からその画風は「ゲテモノ」とまで呼ばれて思い悩むが、小林古径は「ゲテモノと本物は紙一重の差だ… あなたの絵を絶対に変えてはいけない…」と励ました。

 片岡球子は自身の信念に従った創作を続け、やがて従来の日本画の概念を揺るがすような力強い表現を確立しました。「面構(つらがまえ)」・「富士山」シリーズでは特に高い評価を受けております。
   
 また歌舞伎役者の四代目中村雀右衛門と交流があり、有名な助六の揚巻の打掛の墨絵も手がけています。

 1976年(昭和51年)勲三等瑞宝章を受章。1982年(昭和57年)には日本芸術院会員に選ばれ、1986年(昭和61年)には文化功労者として顕彰された。1989年(平成元年)には文化勲章を受章しています。
2008年(平成20年)1月16日103歳没。



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原敬首相の襲撃現場

2023年06月29日 | 歴史

 原敬首相の襲撃現場

 東京駅の丸の内南改札ホールに原敬首相の襲撃現場が記録されています。  床にポイントで示されており、すぐそばの壁には襲撃の模様が掲示されています。
 
 1921年11月4日。原敬首相は、立憲政友会の大会に向かうため、東京駅の改札口へと向かう途中、右翼の青年に暗殺される。
 原敬が首相になってから行った財閥などに利益を誘導するような政策、普通選挙法への反対、ロシアによる日本人約700人を含む住民虐殺事件「尼港(にこう)事件」への対応などに不満があったと伝えられる。
 
 原敬は1856年盛岡藩で生まれた。首相になった際には「平民宰相」と呼ばれるが両親は武士の家柄。成人後に分家して平民籍になっている。
 新聞社や外務省への勤務を経て、1900年に立憲政友会に入党。1918年には、米騒動で辞任に追い込まれた寺内内閣が総辞職。
 立憲政友会の党首として首相に任命されるという、日本で初の本格的な政党内閣を組閣する。

 

 

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北村西望「平和祈念像」

2023年06月28日 | 芸術
 北村西望「平和祈念像」(井の頭自然文化園)

 彫刻家・北村西望は、長崎市の依頼を受け「平和祈念像」を制作するため、東京都の承諾を得て井の頭自然文化園内にアトリエを建てました。

 この園の彫刻館に長崎の平和祈念像の原型があります。
 アトリエの高さギリギリの9.7mの像を自身が考案した「石膏直付け法」を用いて制作をしました。

 やはりそばで見るととても迫力があります。


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モニュメントと清水門

2023年06月27日 | 文化
 国際平和都市宣言の祈念モニュメントと清水門

 千代田区は、国際平和都市宣言を提唱して、平和祈念のモニュメントを建立している。モニュメントの台座の中にはタイムカプセルが納めてある。
 このタイムカプセルは千代田区制100周年(2047年)に開かれる。

 千代田区役所の前方に清水門が見える。江戸城の中でも城門として形を整えている風格のある清水門である。牛ヶ淵と清水濠の間を通って城門を入っていくと北の丸公園に行きつく。

 清水門は、寛永元年(1624)助役大名浅野長晟建立の典型的な枡形門。破風の中は銅板が張られ、青海波(せいかいは)が刻まれている。これは、かつての江戸城天守と同じ作りです。

 鯱には葵の門がある。雁木坂(石の階段)は他の門には無く江戸時代の形を残しています。昭和36年重要文化財に指定、解体修理と渡櫓の復元を行う。
 清水門の第一の門(高麗門)、第ニの門(渡櫓門)。

 都心の中にこんなに時代を感じさせるところがあるのかと感慨深くなります。


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明治8年開局の郵便局

2023年06月26日 | 歴史
 明治8年開局の「日高郵便局」

 武蔵高萩の犬竹一浩さん(TAMCのメンバー)の家を訪問しました。

 広大な土地に蔵造りの土蔵もあり、樹齢400年の欅の大木もある由緒ある犬竹家であります。

 通りに面したところに「日高郵便局」があったとのこと。今は営業をしていないが、明治8年建設されたものであるという。郵便制度がスタートしたのが明治5年であるので、かなり早い時期に開局した郵便局であります。当時は高萩村であったため、「高萩郵便局」として営業しており、昭和30年代まで開局していたという。
 高萩村が日高市と合併してからは、名称を「日高郵便局」として現在まで残してあります。このことは最近埼玉新聞でも紹介されていました。

 武蔵高萩には、清水の次郎長、山県有朋、山岡鉄舟も滞在したようである。犬竹家にも滞在したというから歴史のある家柄であります。

 武蔵高萩駅は天皇陛下が利用したということで東京駅と同格にあるという。当時の写真と満開の桜に囲まれた駅舎の絵が構内に飾ってありました。とても品格のある駅に見えてきました。

 犬竹一浩さんのお陰で、新たな土地と歴史を垣間見ることが出来ました。


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純米大吟醸「獺祭(だっさい)」について

2023年06月25日 | 経済
 「獺祭」を広めた斉藤明日美さん

 酔うため 売るための酒ではなく 味わう酒を求めて  純米大吟醸磨き二割三分「獺祭(だっさい)」を世界中に広めた斉藤明日美さんのセミナーに参加しました。

 斉藤明日美さんは大学はオーストラリアで学び卒業をして帰国後、コンピューター関係の会社に勤務したが、縁があって旭酒造の桜井社長に誘われて入社しました。広報・海外営業担当課長としてニュヨークはじめ17ケ国で「獺祭パーティー」などを企画して広めてきました。

 5年間に12億円の売り上げが107億円(16年)まで上昇し、社員も35名から200名に増えるところまできました。テレビ番組「カンブリア宮殿」でも詳しく紹介されていました。

 広報からみた獺祭の成功の道 まずやってみる 無駄を省きやるとなったら徹底的にやる 王道を狙うことが成功へつながった。

 「獺祭」は山田錦を23%まで精米をして純米大吟醸として製造に成功した。社会とともに生きる方針を立て、各種企業とのタイアップをして広めた。
 日本橋の金魚アクアリウム、渋谷ヒカリエのファッションショー、有楽町阪急メンズ館の007、銀座ユニクロ、カンヌ映画祭などでも広報の機会を得ました。

 斉藤明日美さんが若い女性としてここまで成功したのは、寛容な桜井社長(現会長)の存在が大きいとまとめていました。セミナー終了後、獺祭を試飲しましたがとても美味しい味わうことが出来ました。
 素晴らしい獺祭セミナーに心地よく酔いました。


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箱根登山電車のあじさい

2023年06月24日 | 日記
 箱根に来ました。

 箱根登山電車は、箱根湯本から強羅まで走っています。
 かなり急な登り坂をゆっくりと走って行きます。
 山の勾配があるので途中スイッチバックするところが3ヶ所あります。

 箱根は外国人の観光客も多く見られます。
 箱根登山電車の沿線には今が見頃なあじさいの花が色とりどり咲いており観光客の目を楽しませてくれます。

 大平台の駅近辺があじさいの花が密集していますので、写真を撮っている人たちが多くおります。

 登山電車の乗客たちもあじさいの花を見ると歓声をあげて盛り上がっていました。

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霞会事務局運営の思い出と躰道(5)

2023年06月23日 | 躰道
【TIU Sparks – グローバルに活躍するTIU Alumni】 に掲載されたものです。

(5)学生時代から修練していた「躰道」について社会人となっても継続しています。

 大学在学中に修練をしていた「躰道」も、卒業後も継続して鍛錬するとともに指導を担当しておりました。 そして、躰道の大会には機会あるごとに選手として出場をしていきました。

 全日本選手権大会では連続して優勝をしました。全国社会人大会では東京国際大学のゼッケンを背中につけて出場し、優勝とともに栄誉ある「最高師範杯」を何回も獲得しました。全国の躰道指導者が集まる全国範士競技会でも個人の部、団体の部で優勝を果たしました。日米親善大会では選手を代表して宣誓を担当したこともありました。

 海外で活躍をしている同窓生として、躰道部出身の内田光信氏(商学部4期卒)がおります。卒業後、アメリカに渡り、ネブラスカ州の大学を卒業すると、ジョージア州アトランタで「NAC」という会社を創り、日本とアメリカの企業のコンサルタントをしており、多くの政財界の人たちと交流を広げました。
 東京国際大学の理念に基づいて、世界に羽ばたいて活躍している同窓生の内田光信氏です。また、内田光信氏はアメリカ躰道協会会長として数千人の会員に躰道の理念と実技を指導しております。
 私もアトランタには、アメリカ躰道大会と世界親善躰道大会の時の二回訪れて選手として出場をしております。(完)


内田光信氏(アメリカ躰道協会会長)と
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霞会事務局運営の思い出と躰道(4)

2023年06月22日 | TIU
【TIU Sparks – グローバルに活躍するTIU Alumni】 に掲載されたものです。

(4)ミステリー作家、横山秀夫氏(商11期卒)の講演会には800名の方が来場され大盛況でした。

 霞会の主な行事として、6月には定例総会、講演会、懇親会があります。なかでも講演会は講師が同窓生が担当することもあり毎回好評であります。
 ミステリー作家として活躍している横山秀夫氏(商11期卒)の講演会には800名の方が来場して大盛況でありました。
 
 1月には新春の集いが開催されております。
 アトラクションでは、紙切り芸の林家正楽師匠、江戸物売り声の宮田章司師匠など有名演芸人に出演をしてもらいました。また全国の支部や会員から提供された景品が当たる抽選会では盛り上がったものです。

 全国支部長会議は全国の支部が持ち回りで毎年主管して開催をしておりました。会議の後は懇親会となり交流の場となり、また翌日は主管県支部による観光案内なども実施しておりました。

 毎年、春と秋にはゴルフコンペがあり、時には大学側と合同開催する大コンペも由緒ある霞が関カンツリーカントリーで開催したこともありました。

 体育会OB会(藍旗会)とは定期的に交流会を開催して活動の互助体制をしておりました。また霞会正副会長と大学学部長、職員幹部との定期懇談会も開催して情報交換をしておりました。(続く)

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霞会事務局運営の思い出と躰道(3)

2023年06月21日 | TIU
【TIU Sparks – グローバルに活躍するTIU Alumni】 に掲載されたものです。

(3)霞会の支部会は、当時は北海道と大阪の2支部だけでした。
 私が事務局に就任した時には、霞会の支部会は北海道と大阪支部の二支部しかありませんでした。


 同窓会役員会(常任幹事会)では、事務局も設置できたことであり、全国に支部を創っていくこととなりました。各県に在住する卒期の早い人に連絡をして現地に赴き説明会を開催して、支部設立総会の開催についての打合せを次々にしてきました。

 日程と会場が決定すると同窓会本部で支部設立総会開催案内および出欠の返信ハガキを作成して支部の在住者へ発送をしました。そして同窓会支部が全国に続々と設立していきました。

 その時の活動は、毎週のように土日は現地に出張して打合せを行い、そして支部設立総会と懇親会の当日にも出席して、霞会の活動について参加者に報告をして回りました。
 ほとんど休日もなく活動をしていた時でありました。現在の各地での支部会の活動ぶりを見ていると楽しくなってきます。

 最近では、霞会シンガポール支部が世界各地で活躍する同窓会員の活躍ぶりをまとめてホームページを作成して広報をしております。霞会員の活躍ぶりを知ることは喜びに感じております。(続く)
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霞会事務局運営の思い出と躰道(2)

2023年06月20日 | TIU
【TIU Sparks – グローバルに活躍するTIU Alumni】 に掲載されたものです。

(2)霞会報の継続発行は、同窓会員からの反響は大きかったです。
 いよいよ学生時代からお世話になった金子泰藏学長のそばで同窓会の仕事ができることに喜びを感じておりました。


 金子泰藏学長とは、大学の第1期生として入学したこともあり、卒業後も手紙などで現況報告をすると必ず返信の書簡を貰いました。
 躰道に関しても創始者である祝嶺正献最高師範とも意気投合して親しく交流をしており、全日本躰道選手権大会の行われた東京体育館にも観覧に来てくれました。
 私の結婚式にも来賓として出席いただき過分なるスピーチを頂きました。

 そのような金子泰藏学長でありましたが、私が霞会事務局を担当する早々に、突如、急逝されました。その日は会議が3つも実施されハードなスケジュールでもあったとのことでした。
 金子学長は80才の時でした。事務局長としての最初の仕事が青山葬儀場で挙行された葬儀告別式の参列となりました。

 当時、大学のTIUニュースも同窓会報も作成が中断しているときでした。日本躰道協会時代に会報の作成及び編集に携わっていたものですから、同窓会員に対して、大学の創学者である金子泰藏学長の訃報を知らせなくていけないと考慮して、同窓会報を作成して全会員に発送をしました。以後、年2回~4回の定期発刊となりました。

 同窓会報で金子泰藏学長の訃報を掲載したことを知った大学も中断していたTIUニュースをこの機会に再発刊しました。

 同窓会報は当初タブロイド4頁のモノクロ版でしたが、最終的にはカラー刷りの冊子スタイルと発展させました。同窓会報はその後「霞会報」と名称を変えていき、毎号全国各地で活躍する同窓会員の模様を取材して採り入れていきました。
 その反響はとても大きかったです。組織の普及発展を考慮した場合、会員に現況を広報するものとして霞会報の発行はとても必要なものでした。(続く)
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霞会事務局運営の思い出と躰道(1)

2023年06月19日 | TIU
【TIU Sparks – グローバルに活躍するTIU Alumni】 に掲載されたものです。
 池内和彦さんは国際商科大学(現東京国際大学)設立時の商学部第一期生です。卒業後、株式会社ショーボンド建設、日本躰道協会本部に勤務された後、1987年東京国際大学(霞会)初代事務局長に就任され、2006年までの18年間、ご活躍されました。当時の霞会活動の活動や霞会事務局立ち上げ時の関係者皆さん方のご苦労などをお聞きしました。
 また、学生時代から修練されていた「躰道」についても社会人となっても継続されており、世界躰道選手権大会 全日本躰道選手権大会 各種大会に出場して数々の実績を残されています。 
 最近は、ブログ「つれづれなるままに」掲載 5000日(閲覧数 550万回)やTAMC(東京アマチュア・マジシャンズ・クラブ)会員として、2004年より16年間(マジック出演 300回)、各種イベント、ボランティア活動なども積極的に行っていらっしゃいます。 (編集者 落合雅治)

(1)校名が国際商科大学から東京国際大学となった1985年に、初代霞会(東京国際大学同窓会)事務局長に就任。
 1969年、大学を卒業後、ショーボンド建設株式会社に就職をして東京および仙台で勤務していました。3年後、学生時代に修練をしていた躰道の本部となる東京の日本躰道協会へ転職して、組織拡充運営と実技指導者の専任として従事するようになり、全国の組織拡大と指導のために走りまわりました。
 1980年、ボランティアとして霞会の常任幹事に就任して運営に携わっておりました。当時、同窓会費は永久会費として1万円を卒業生から任意に徴収しておりました。同期の三宅ヨシロウ常任幹事の提案により「同窓会費を学生が授業料を支払う時に預かり金として1万円ずつ徴収した方が良い」となり、大学側に折衝して承認されてから、同窓会費積立金は潤沢になり幅広い運営と活動ができるようになりました。
 1985年に校名が国際商科大学から東京国際大学となるとともに新しく金子泰藏記念図書館が建設されました。「今まで図書室のあった管理棟2階の二部屋が空くので、同窓会で使用しませんか?」と金子泰藏学長より打診があり、同窓会役員会で検討して受け入れることなりました。事務室は提供されるが、専属の事務員が欲しいと協議した結果、日本躰道協会で組織運営に携わってきてノウハウを持っている池内和彦に専任として担当してほしいと当時の金子光男会長より打診がありました。同窓会役員会、臨時総会を経て、私は42才の時に、常任幹事から初代事務局長として就任することとなりました。それまでは、学生課の贄田課長が役員会からの要請で、パートの女性を雇って机と電話1台で同窓会運営を手伝っていました。専任の事務局長を招聘する時の給与対応も十分に配慮されていました。(続く)

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マジック教室(6月その2)

2023年06月18日 | マジック
 6月2回目のマジック教室は4名が参加しました。

 連絡事項として、「TAMCマジック発表会」は10月22日(日)午後2時から有楽町朝日ホールで開催される案内がありました。
 新書「カード・マジック宝石箱」のお知らせでは、著者がTAMCの名誉会員である氣賀康夫氏であること。出版社は泉文堂である。カードマジックに興味のある方には参考となる本ですと紹介されました。

 「袋たまご」の作品についての演技と解説がありました。

 研修内容は、カードの基本技法の復習です。
 (1)ブレーク (2)嘘の切り方1(カット) (3)嘘の切り方2(シャッフル) (4)グライド (5)ダブルリフト (6)コントロール (7)パーム (8)フォース (9)フォールスカウント (10)エルムズリカウント 
 カードマジックを行う時の基本技法ですので、覚えておくと役に立つと理解してとても参考になったようです。

 その後、エルムズリカウントの応用を習得しました。カードの表面を4枚数えて、裏返しにしても4枚同じ色のものが出現する。今度は裏の色の異なる別のカードにしても表面は同じカードが4枚、裏返しにしても同じ色のカードが4枚となる摩訶不思議なカードマジックです。
 最初は戸惑いますが、慣れてくると出来るようになります。

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地獄の門の考える人

2023年06月17日 | 芸術
地獄の門の「考える人」

 上野公園の一角に国立西洋美術館があります。その中庭にオーギュスト・ロダン(1840年~1917年)作の地獄の門ブロンズが設置されています。

 地獄の門の中央には「詩作にふけるダンテ」に代わり、《考える人》が置かれています。以後、ロダンは終生この大作の制作に取り組み、彼の多くの独立した作品が《地獄の門》に関連して生み出されました。タンパンの中央に坐って墜ち行く人々を凝視する男は《考える人》である。

 その《考える人》だけを採り上げたブロンズ像が中庭の反対側にあります。上野公園に行くと必ず国立西洋美術館の中庭に寄ることにしています。いつ観てもロダンの《考える人》は見飽きない芸術である。


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上野の「黒門」

2023年06月16日 | 名所

鳥取藩池田家の「上野の黒門」

    江戸時代、因幡(いなば)・伯耆(ほうき)32万石を治めた大名が、鳥取藩池田家(因州池田家)。徳川家とも姻戚関係にあり、江戸の地でも権勢を振るっていました。

    現在の帝国劇場のところに池田藩の上屋敷があり、江戸城に向かって正面に黒門がありました。上野恩賜公園、東京国立博物館構内に昭和29年に修復修理され屋外展示施設として移築現存するのが旧因州池田屋敷表門。

    東大の赤門(加賀藩・前田家屋敷門)に対して、堂々たる風格から「上野の黒門」と呼ばれています。

 国の重要文化財に指定されています。門番の詰所が左右両方にあるところは珍しく由緒のある名残です。

 池田家の家紋は「揚羽蝶」ですが、黒門の瓦には「菊の紋章」が掲げてあります。

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