つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

歌舞伎座

2007年08月31日 | 芸能
                   ライトアップされた歌舞伎座

東京の東銀座に「歌舞伎座」がある。
日本を代表する伝統芸能文化の歌舞伎。
海外でも公演され多くの人から評価されている。

歌舞伎座には、外国人観光客がよく訪れる。
日本に来たのだから、本場の歌舞伎を鑑賞してみようとの思いからだろう。
歌舞伎鑑賞の入場料は高いけど、一幕鑑賞というシステムもあり、今では1200円で歌舞伎を堪能できる。
歌舞伎ファンや時間の取れない人たちがよく利用している。

歌舞伎座の建物が日本的なものなので、よく記念に写真を撮っている人がいる。
観光で東京に来た人。外国人も日本人も歌舞伎座の建物の前でカメラやケータイで写真を撮っている。

また、歌舞伎座は東京の観光名所でもあるため、待ち合わせ場所に利用している人も多い。目安となる場所として便利なのだろう。
歌舞伎は一般の人には難しくて近寄りがたいかもしれないが、外国人も鑑賞する日本の伝統芸能を一度は観ていてもいいと思います。

(8月31日記 池内和彦)
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澤田正二郎物語

2007年08月29日 | 芸能
               劇団若獅子公演「澤田正二郎物語」ポスター

劇団若獅子結成20周年記念公演『澤田正二郎物語 ―遥かなり新国劇―』の案内です。
新国劇の創設者である澤田正二郎の物語です。

新国劇については、澤田亡きあとは島田正吾と辰巳柳太郎が二人座長として全国で公演を続けてきて、多くの人たちから人気を得ていた劇団である。
その新国劇も昭和62年9月に劇団を解散することとなった。
その後、新国劇の精神を継承していこうと残された劇団員たちが立ち上がって結成されたのが劇団若獅子である。

私は、竹早高校の先輩である緒形拳さんが新国劇に入団して以来、毎回観劇を重ねてきた。
そして新国劇後援会にも入会して応援をしてきた。
劇団解散後も新たにスタートした劇団若獅子に対しても結成以来、後援会員として応援をすると共に劇団員とも親しく交流をしている。

今公演は結成二十周年記念公演として9月に三越劇場で開催される。
澤田正二郎役は劇団若獅子代表の笠原章が演じる。
劇中劇として「大菩薩峠」、「白野弁十郎」がある。
特別出演として朝丘雪路、清水彰、大出俊、奈良富士子が参加する。
その他、若獅子の南條瑞江、御影伸介、桂広行ほか全劇団員が出演。

会 場  三越劇場(日本橋三越本店 本館6階)
入場料  6,000円(全席指定)

9月
16日(日)   11時30分 ・ 4時
17日(月・祝) 11時30分 ・ 4時
18日(火)    1時
19日(水)    1時
20日(木)    1時
21日(金)    11時30分 ・ 4時

問合せ先 劇団若獅子事務所 TEL&FAX 03-3356-9875

(8月30日記 池内和彦)


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森口康秀さんのこと

2007年08月27日 | 友人
           写真展でイスラエル大使に説明する森口康秀さん(右)

私の大学の同窓生で森口康秀さんがいます。
彼は紛争地報道写真家として世界中を駆け巡り活躍しております。
世界のどこにいるか分からないのですが、時々レポート「TTL取材日記」のメールが届いた時には森口さんの行動が分かりホッとします。

8月27日は森口康秀さんの誕生日です。
お祝いメッセージをメールで送信したら、下記の如くすぐ返信がありました。

“誕生日のメッセージありがとうございます!!
 現在ポーランドの(昨年建てた)ウッドハウスに滞在中です。

 思い起こせば、初めて池内さんにお会いしたのは一回目の写真展、
 私はまだ20代でしたね。
 今日でなんと40歳ですよ!!!
 必ずしも“全力疾走”の人生ではありませんが、
 色々な人に助けられながら今に至っています。
 最近は私と同職種を目指す学生たちの手助けができれば、
 と道しるべを示そうと色々努力しております。

 今後とも人生、大学の先輩としてお付き合いよろしくお願いいたします。
 森口康秀より(ポーランドから)”

素晴らしい人物であり、人のやらないことに挑戦している森口康秀さん。
紛争地の模様を映像にまとめて、母校では国際教養の授業を担当して学生に教えています。
授業の最初に防毒マスクや戦場での参考品などを回覧するものだから、平和な日本で過ごしている学生達は興味を示して話に聞き入っております。
私の主宰する勉強会でも講師を担当していただき講演をしてもらった事があります。
思い出せば、森口康秀さんから事務局に一本の電話があり、森口さんの第一回目の写真展に行ったことがきっかけとなり、十数年となる長い年月を交流しています。
世界各地で益々の活躍を祈念しております。

 (8月28日記 池内和彦)




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高円寺阿波おどり

2007年08月26日 | 社会
                      高円寺阿波おどり

東京の夏の風物詩となった高円寺阿波おどりが行われた。

高円寺阿波おどりは、昭和32年に町おこしの一環として始まりました。
当初の名称は「高円寺ばか踊り」! 
その後、幾度か存続の危機を迎えながらも地元関係者の努力によって、今では120万人もの見物客を動員する大きな祭りに育ちました。
当日は高円寺駅南北商店街、および高南通りに設置された9カ所の演舞場で、約170の「連」(団体)、約10,000人の踊り手がお囃子に合わせて踊ります。

本場の徳島に続いて日本で二番目の大きなイベントに成長しています。
今回は、51回目を数えます。
真夏の暑さの中、汗をかきながら一生懸命に踊る姿は共感を得ます。
“踊る阿保ッに! 見る阿保ッ! どうせ阿保ッなら、踊らなソン、ソン”

(8月27日記 池内和彦)
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浅草サンバカーニバル

2007年08月26日 | 社会
                     浅草サンバカーニバル

夏の終わりに浅草ではサンバカーニバルが行われた。
早いものでフェスティバルが始まってから今年で27回目を迎えた。
当初は、日本の歴史と文化を代表する浅草で、南米のサンバが通用するのかと危惧する声もあったが、回を重ねるうちに見事に融合してしまった。

頭や背中に色鮮やかな羽根飾りを付けたダンサーが4600人参加している。
そのカーニバルを見に来る観衆は50万人と多い。
浅草の夏は、7月の隅田川花火と8月のサンバカーニバルで盛り上がった。

(8月26日記 池内和彦)
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日比谷公園(4)

2007年08月24日 | 社会
                   日比谷公園のソーラー時計

ソーラー時計の中の十字形のパネルの中には太陽電池が組み入れられていて、太陽の光を受けて電気に変えて時計の針を動かしています。

このソーラー時計は、東京都が「文化のデザイン」事業の一環として、「時代の要請にマッチしたもの」との考えで設置したものです。
設置は1983年3月。

(8月24日記 池内和彦)
               
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日比谷公園(3)

2007年08月23日 | 社会
                  日比谷公園の「思い出ベンチ」

この思い出ベンチには、金婚式を迎えた両親に贈った言葉が綴られていた。

“ほんまに ありがとう 生んで 育ててくれて”

ここまで温かく見守って育ててくれた両親に対しての感謝の気持ちがあふれる。
その思い出ベンチにはどれだけ沢山の人たちが利用しただろうか。
その時にこのコメントを読んだ人も多いだろう。
そしてどんな気持ちでベンチに座って時を過ごしていたのだろうか。

(8月23日記 池内和彦)
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日比谷公園(2)

2007年08月21日 | 社会
                日比谷公園内にある京橋の欄干柱

この石柱は、明治8年に築造された京橋の欄干柱で、大正11年架け替えの際に、日比谷公園内に移されたもの。

(8月22日記 池内和彦)
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夏の日比谷公園

2007年08月20日 | 社会
                    日比谷公園の雲形の池

夏の日比谷公園を散策した。
雲形の池がある。
中央には鶴の噴水があり、口から上空に涼を噴き出している。
蝉がゆく夏を惜しんで体いっぱいのエネルギーを使って鳴いている。
あずま屋の軒下には、小鳥の巣があり、親鳥が餌を運んでいる。

雲形の池の畔には、大きな石灯篭が建っている。
また、京橋が建て替えられたときに残った欄干が記念に設置されている。
その隣には、レストラン松本楼が木立の中にある。
カレーライスが美味しいと評判である。
松本楼は、日比谷公園の歴史を見守ってきた。

公園の中央広場の大噴水は清掃中であった。
その周りにあるベンチは、記念の言葉が刻んである。
設置のときにベンチを有料募集として、思い出の言葉を記念にしているユニークなアイディアである。
両親の金婚式祝い、結婚記念、退職記念等々の印としている人が多い。

日比谷公園を霞門交差点を渡ると霞ヶ関の官庁街となる。
目の前は厚生労働省の大きな建物が見える。
今話題の社会保険庁も入っている。
出勤してくる職員たちは、ネクタイをつけないクールビズスタイル。
今週も暑い日が続くことだろう。

(8月21日記 池内和彦)
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「出口のない海」と作者・横山秀夫氏

2007年08月19日 | 友人
                  横山秀夫作「出口のない海」

横山秀夫作(東京国際大学躰道部OB)の小説「出口のない海」の映画が、19日にテレビ朝日で放映された。

甲子園優勝投手が肩の故障のために大学では満足に投げられなかった青年が、
太平洋戦争で海軍の人間魚雷「回天」に乗船して突撃する模様が描かれております。

「高校野球(中高等野球)」と「人間魚雷」を結びつけたものが、横山秀夫氏のなかにあった。

横山氏が群馬県の上毛新聞社の記者時代のこと。
夏の全国高校野球の「群馬県大会」を取材したときに、横山秀夫記者の名前入りの記事を新聞に掲載したところ、読者からの記事に対する反響が大きくて、その時に記者を超越した物書きとしての大きな喜びを感じた。
そのことが切っ掛けとなり、横山氏は、上毛新聞社を退職して、小説家の道を選んだ。

彼が大学の「躰道部」にいた現役のときに、躰道の創始者である祝嶺正献最高師範から術技と理論を多く学んでいた。
その時に、
祝嶺正献先生も、海軍に入り、人間魚雷に乗船して米軍の戦艦に体当たり作戦の訓練をしていたことを知る。
出航は、昭和20年8月17日の予定であった。
2日違いで、九死に一生を得た祝嶺正献先生は、戦後、無人島で独自に空手を修練して新技を編み出し、21世紀の新しい武道として「躰道」を創始してその後全国の大学に指導して普及してきた。

横山氏は学生時代に、祝嶺正献先生の生い立ちをよく聞いていた。
この小説「出口のない海」を読んでいると、上記二点について参考になる点が多くある。そして重なるところが十分にある。
横山氏が小説を創作するときに参考になったことと思う。

(8月20日記 池内和彦)
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「人間失格」表紙変えたら売上増

2007年08月19日 | 経済
                 太宰治「人間失格」(集英社文庫)

太宰治の代表作「人間失格」の表紙を、漫画「DEATH NOTE(デスノート)」で知られる人気漫画家、小畑健さんのイラストにした集英社文庫の新装版が6月末の発行以来、約1か月半で7万5000部、古典的文学作品としては異例の売れ行きとなっている。

「恥の多い生涯を送ってきました」という文章で知られる「人間失格」は、太宰が自殺する1948年(昭和23年)に発表された自伝的小説。
生きることの苦悩を見つめた小説には若い世代のファンが多く、52年初版の新潮文庫は602万5000部と夏目漱石「こころ」と並ぶ大ベストセラー。
90年初版の集英社文庫でも40万部を超えている。

従来の表紙は抽象画だったが、編集部は、「いかにも名作」という路線からの脱却を目指して小畑さんに表紙絵を依頼。
新装版は、「デスノート」の主人公・月(ライト)を思わせる学生服姿の男の子が不敵な顔で座るデザインとなった。
(読売新聞)
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京都 五山送り火

2007年08月17日 | 社会
                     京都の大文字焼き

8月16日京都の夏の夜空をいろどる大文字五山送り火
祇園祭とともに京都の夏を代表する風物詩の一つである。
この送り火としては東山如意ケ嶽の「大文字」がもっともよく知られ、それゆえ送り火の代名詞のごとくいわれているが、そのほかに金閣寺大北山(大文字山)の「左大文字」、松ヶ崎西山(万灯籠山)・東山(大黒天山)の「妙法」、西賀茂船山の「船形」、及び嵯峨曼荼羅山の「鳥居形」があり、これらが、同夜相前後して点火され、これを大文字五山送り火とよんでいる。

まず、送り火そのものは、ふたたび冥府にかえる精霊を送るという意味をもつ宗教的行事であるが、これが一般庶民も含めた年中行事として定着するようになるのは室町から江戸時代以後のことであるといわれている。
現在の五山の送り火は山において点火されるという精霊送りの形態をとっている。

私の大学の友人である勝山嘉彦氏が毎年「左大文字」に参加している。
彼からNHKテレビで中継されるから観てほしいとのメールが入った。
京都の五山送り火は、盆で戻ってきた先祖の霊があの世に戻るために道しるべの役目をする。

午後8時より、大文字から点火されていく。
京都の市街の明かりは落とされて、送り火に注目する。
5分おきに、東山から順番に点火されていく。
テレビでは、五山のそれぞれの送り火を25台のカメラで中継していたので、よく観れたし解説に基づいてじっくりと鑑賞できた。

送り火を準備する方は大変である。
50キロもある大松明を麓から山へと運ぶ担当者はベテランが行い、その役目は名誉なことであるという。
また、点火の号令をかける担当者も用意周到に実行している模様がよく分かった。

京都は、四季折々いつ訪問しても風情があるし、独特の歴史と日本の文化を感じることができる。
京都の夏の風物詩として、五山送り火、祇園祭、鴨川の床などがあげられる。
京都へ行くといつもお世話になっている勝山嘉彦さん、ありがとうございました。

(8月18日記 池内和彦)
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40・9度 史上最高気温

2007年08月17日 | 社会

多治見と熊谷で40・9度…74年ぶり国内最高気温。
8月16日、岐阜県多治見市で午後2時20分、埼玉県熊谷市で午後2時42分に、観測史上最高の40・9度を記録した。
1933年(昭和8年)7月に山形市で観測した40・8度を74年ぶりに更新した。また、全国924地点のうち、25地点で観測史上最高気温を更新した。
気象庁によると、16日は多治見市、熊谷市のほか、埼玉県越谷市(40・4度)、群馬県館林市(40・3度)、岐阜県美濃市(40・0度)で40度以上を観測。館林市は15日に続き2日連続で40度以上だった。(読売新聞)


「暑いですね」というのが挨拶の言葉となったこの夏。
確かに暑い日が続いている。
日本での最高気温の記録は山形市であると覚えていたが、記録が更新された。
多治見市と熊谷市が同時に記録更新をした。

地球温暖化現象の結果であり、北極の氷も解け始めているとのこと。
20年もすると水没する海岸地帯が多く出ると予測されている。
ウオーターフロントは大変である。
ディズニーランドも水没して、そこには二つのディズニーシーが出来るなどとの笑い話も出てくるほどだ。

暑い日には、熱中症にならないように水分の補給が大切である。
スポーツなどで汗を多く出す場合は特に必要である。
水を飲むときには少々の塩分を一緒に摂るといいようだ。
汗をかいたからビールで水分補給するというのは間違いのようだ。
アルコールは尿の量を多くして体の水分を失うから注意が必要である。

暑い夏を乗り切るには、自分の体調に十分気を付けていこう。

(8月17日記 池内和彦)

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桑田真澄投手の残したもの

2007年08月16日 | スポーツ
                パイレーツの桑田真澄投手(夕刊フジ)

パイレーツは、桑田真澄投手(39)に戦力外通告をした。
桑田投手は、野球人生の夢を大リーグに設定して夢を果たした。
しっかりした考え方や真摯な姿勢が多くの人から共感を得ていた。

一生懸命にプレーすることからファールフライを取りに行って大きな怪我もした。
療養期間中、リハビリに努力した。
ジャイアンツ球場の外野の芝生はランニングのため剥げて桑田ロードができるまでになっていた。

怪我を克服して、またマウンドに立って活躍した。
復帰の時にマウンドに膝まづき投げれる喜びを表現した姿が印象に残る。
常に夢を追い続けた結果、野球人生の最後をパイレーツのマイナー契約であった。
オープン戦では審判と接触して怪我をした。
それでもリハビリを続けて、ついには6月に大リーグに昇格してマウンドに立った。
夢の大リーグで投げられる喜びを語った。
コントロールの良さは抜群である。

戦力外通告を受けた桑田投手は「今後のことについてはわからない。こういうことは野球にはつきものである。今はただ、僕にチャンスをくれたパイレーツにお礼を言いたい。本当に感謝している。みなさんのおかげだ」と話している。

桑田投手は控えめな言動の中にも、彼自身の人生哲学がみえてくる。
日本の武士道精神を持っているプロ野球選手である。
今後は、後進の選手を育成する指導者となっていくだろう。
今後の活躍を期待します。

(8月16日記 池内和彦)

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甲子園の高校野球が熱い!

2007年08月10日 | スポーツ
            甲子園球場で17三振を奪った仙台育英高の佐藤投手(共同)

立秋は8月8日。
暑中から残暑お見舞い申し上げます。となった。
しかし、毎日30度以上の暑い日が続いている。
甲子園でも高校野球の熱い戦いが繰りひろげられている。

昨年の夏の甲子園の高校野球の熱戦は、日本中を沸かせた。
早稲田実業の斉藤投手と駒大苫小牧の田中投手の投げ合い。
決勝戦の再試合も38年振りで盛り上がった。
その後の二人も大学とプロ野球で活躍を続けている。

今年もヒーローが出現するだろう。
9日には、仙台育英対智弁和歌山の強豪校の戦いが行われた。
強力打線を誇る智弁和歌山に対する仙台育英の佐藤投手は17三振を奪った。
最速投球は154キロ。
これは凄い!

甲子園に出場してくる高校は、各地区の予選を勝ち抜いてきての名誉な参加である。
日本における高校野球のすそ野の広がりが大きいことが分かる。
今年もどんなドラマが甲子園で繰り広げられるのか楽しみである。
気温も高く暑い日中に熱戦を続ける高校球児たちにエールを送りたい。

(8月10日記 池内和彦)

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