つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

震災被害を受ける前の石巻漁港

2011年06月29日 | 日記
                            震災前の石巻漁港

この写真は今年の1月11日に写した写真です。
宮城県石巻市の石巻漁港
漁港の場内をかもめが優雅に歩いている。
親友の志摩喜代一さんが勤務している石巻漁港まで訪ねたときの写真。

3月11日に東日本大震災が発生して、石巻漁港も大きな被害を受けた。
あれから100日を経過している。
漁港は海水に浸かり、漁港内の海の中には瓦礫が沈んでいて船が近づける状態ではない。
復興までに数年はかかると関係者は語っている。
漁港関係者は、石巻市内の商工会議所の一室を借用して書類整理等に汗を流して復興の早い日が来る事を祈念している。

石巻市街も瓦礫の整理が進んでいない。
梅雨の雨と猛暑の繰り返しで被災地は苦慮している。
街中は悪臭がひどくなってきている。
市民が一日でも早く元の生活に戻れる事を願うばかりだ。

(6月29日記)
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駒澤里香選手について

2011年06月28日 | 躰道
                      埼玉県躰道優勝大会で準優勝を果たした駒澤里香選手

入間市武道館で開催された埼玉県躰道優勝大会に志木市の駒澤里香選手(中学2年生)が出場して、よく健闘して準優勝を果たした。
駒澤里香選手が出場した級位法形競技の部は他の選手たちは大学生の躰道部員たち。
31名の選手が出場した。
準決勝まで、3対0、3対0、2対1で勝ち進んでいった。
そして決勝戦では、惜しくも敗れたが、見事な準優勝であった。

駒澤里香選手は、小学校5年生から志木市の躰道協会に入会して、練習日にはほとんど休むことなく、稽古に励んできた。
日頃の練習の成果が大会で発揮された。
本人も準優勝を果たした事を喜んでいたが、同じく躰道の稽古をしている母親の駒澤峰子さんも娘の準優勝を心から喜んでいた。

(6月28日記)
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天野屋の氷あま酒

2011年06月27日 | インターネット
                       夏の人気食品「氷あま酒」(天野屋)

神田明神前の天野屋では「あま酒」が有名である。
あま酒の季語は夏である。

天野屋では、夏の期間に冷たいもののメニューを追加している。
その中でも人気なメニューが「氷あま酒」である。

共同購入クーポンの「アットシェア」で掲載することとなった。
7月12日から15日までアットシェアに掲載して、クーポンの利用期間は7月15日から2ヶ月間である。
通常価格500円のところ250円のクーポンを出すこととなった。
一人で5枚までクーポンが購入できる。

クーポンを購入するにはアットシェアの登録が必要である。
◆登録方法 
アットシェア公式サイト⇒ http://at-sha.jp/?com=rf&agid=99255
簡単に登録できる。今から登録しておくと、アットシェアの情報が毎日送信されてくる。
7月12日からの天野屋氷あま酒の掲載により、美味しい氷あま酒が250円で食することができる。
どうぞお楽しみしてください。

(6月27日記)
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祝嶺正献先生の空手の師匠・佐渡山安恒先生

2011年06月26日 | 躰道
                     佐渡山安恒先生(左)と祝嶺正献先生

祝嶺正献先生は沖縄県恩名村の佐渡山安恒先生を訪問した。
昭和48年3月のことである。祝嶺正献先生に同行して沖縄に行った。28歳の時であった。

祝嶺先生は、佐渡山安恒先生から8歳のときから空手の指導を受けていた。
跳躍力を向上させるために仏桑花を飛び越す訓練をした。
最初は低いので飛ぶことが出来るが、仏桑花の成長は早い。
どんどん成長していく高さに跳躍力が追いついていけない。
佐渡山安恒先生は、祝嶺先生に空手の指導に跳躍力のアップを取り入れた。
仏桑花のお陰で祝嶺先生も跳躍力と空手の実技も上達していった。

それから40年後の再会であった。
佐渡山安恒先生は、病床の身であった。
祝嶺先生が佐渡山先生に声を掛けると、起き上がって「春範(しゅんぱん)!」と云って目を輝かせて見つめていた。
春範とは、祝嶺先生の本名である。
佐渡山安恒先生の鋭い眼光の中には、弟子の春範が尋ねてきてくれた驚きと喜びが表れていた。
祝嶺先生の近況を聞きながら、遠い訓練時代のときを思い出しているようだった。
祝嶺先生も空手の師匠・佐渡山安恒先生に会えた喜びを感じていた。

このときに撮影をした貴重な写真である。

(6月26日記)

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埼玉・熊谷で39・3度 6月史上最高記録を更新 

2011年06月25日 | 日記
                              猛暑の空様子

(産経ニュースから)
梅雨前線に向かって南から暖かく湿った空気が流れ込んだため24日、列島各地で午前中から気温が上昇。気象庁によると、埼玉県熊谷市で午後0時57分に気温39・3度を記録した。

同庁によると、国内の6月の最高気温記録はこれまで、静岡市で1991年6月27日に観測された38・3度で、20年ぶりに記録を更新した。
群馬県高崎市でも午後0時35分に39・0度を観測し、静岡の記録を大幅に上回った。

気象庁は、熱中症に厳重に警戒するよう呼び掛けた。

同庁によると、正午前までに群馬県伊勢崎市で38・2度、兵庫県豊岡市で35・9度、三重県尾鷲市で35・8度、山梨県大月市で35・5度と、午前中から各地で猛暑日となった。


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志木市選手の活躍

2011年06月24日 | 躰道
                      志木市の選手と関係者たち(入間市武道館)

埼玉県躰道大会には、志木市で練習を積んでいる会員も選手として出場した。
◆少年少女法形競技の部では、優勝は松井瑶希選手、2位が松澤沙季選手、3位が走井啓朗選手、4位には松澤範明選手が入りすべて独占入賞を果たした。

◆級位法形競技の部では、大学生の選手がほとんどの中で、中学2年生の駒澤里香選手があれよあれよと勝ち進み、なんと決勝戦まで進出していた。決勝戦では惜しくも敗れたが、立派な準優勝を勝ち取った。駒澤里香選手にとっては大会に出場して初めての準優勝であった。

◆壮年法形競技の部では、優勝は逃したものの、2位に宮本靖弘選手が健闘した。3位は駒澤峰子選手が入り、4位は山田勝仁選手であった。この種目は毎回志木市の会員が入賞を果たしている。

◆団体実戦競技の部には、志木市から前田賢二選手が混成チームに入って健闘していた。

日頃、稽古日に出席して練習をしている者が大会等でも好成績を挙げていることをみても、日頃の精進の積み重ねが結果として表れていることが分かる。

夏から秋に開催される各種大会(全国少年少女優勝大会、全国社会人優勝大会)に向けて稽古に励んでほしいと期待する。

(6月24日記)
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谷鐡太郎範士による追悼演武

2011年06月23日 | 躰道
         谷鐡太郎範士の追悼演武は石塚健寿教士が唄う「躰道ひとすじ」とともに行われた

入間市武道館で開催された埼玉県躰道優勝大会開会式に引き続いて、3月に亡くなられた埼玉県理事長の酒田訓明六段教士の追悼演武が行われた。

石塚健寿教士が道着姿で「躰道ひとすじ」を唄い、その曲に合わせて谷鐡太郎八段範士が、酒田教士の追悼演武として古流の型「公相君(クーシャンクー)」を演武披露した。
埼玉県大会の来賓席では、酒田訓明教士の奥様である幸子夫人が酒田さんの遺影とともに演武を見守っていた。
大会に参加した選手たちは、なかなか古流の型を見る機会がないので、真剣に谷範士の演武を魅入っていた。

谷範士は74歳となった今でも躰道着を着用して稽古に研鑽するとともに正統な躰道の実技を後進に指導している。祝嶺正献最高師範の創始した躰道をきちんと伝承していこうと常に考えている人です。
大会会長としての挨拶の中で「祝嶺正献最高師範が一番嫌ったのがエゴを出す人である。祝嶺最高師範の教えを忘れて、自己本位の「エゴ」を出して悦に入っている者は、躰道の発展を阻害している大きな要因となっている」と語っていた。

谷鐵太郎先生は、範士や教士の称号を得た人でも、躰道着を着て稽古に精進している人が少ないことを憂慮している。祝嶺最高師範の諭した正統なる実技と理念を伝承することが基本になくてはならない。
範士の中には祝嶺正献最高師範の創作した素晴らしい躰道の実技や法形がありながら、理解しないで勝手に躰道の法形の解釈を変えて左右反対に指導したり、法形を練習もしないし人前で演じたこともない者が審判を担当したり、審査をしている状態では、日頃一生懸命に練習をしている会員に対して迷惑な事である。
そのような人たちは自分の犯している行為に気がついていない。

(6月23日記)
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酒田訓明さん追悼

2011年06月22日 | 躰道
                   酒田訓明さんの遺影と幸子夫人(入間市武道館)

埼玉県躰道協会の三代目理事長の酒田訓明さんは3月11日に亡くなられました。70歳でした。
亡くなられた数時間後に未曾有の東日本大震災が発生しました。

酒田六段教士さんは躰道の発展のためによく尽力してくれました。
全日本大会などでは会場の設営などを率先して指揮をとっていました。
谷鐡太郎師範に師事してからどこへ行くのも谷先生に献身的に同行していました。

祝嶺正献最高師範も酒田さんの行動と人を思いやる気持ちをとても評価しておりました。
埼玉県躰道優勝大会が開催された入間市武道館には、酒田さんの遺影が飾られ、奥様の幸子夫人が臨席していました。
谷鐡太郎八段範士は、酒田さんの功績を讃えて追悼演武をしました。
開会式に引き続いて行われた追悼演武に参加者全員が魅入っておりました。

酒田訓明さんの肉体は亡くなられても、追悼演武に象徴されるようにいつもみんなから慕われている間は精神はまだ存在していることとなります。

(6月22日記)

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宮本靖弘選手は準優勝(埼玉県躰道優勝大会)

2011年06月21日 | 躰道
                      壮年法形競技で準優勝した宮本靖弘選手(右)

第36回埼玉県躰道優勝大会が入間市武道館で開催された。
志木市躰道協会のメンバーも参加した。
壮年法形競技では、宮本靖弘選手が準決勝戦では、同じ志木市の駒澤峰子選手と対戦し、接戦であったが、勝ち進んで決勝戦まで進んだ。

高校時代の同級生である尾谷長彦氏へメールで情報を伝える。
「頑張ってください」と激励のメールが届く。
尾谷長彦氏は東京国際大学時代の同期生であり、初代の同窓会会長に就任していた。
志木市に宮本靖弘氏が入会してきた時に、東京国際大学の話をしたら、大阪の高校時代の同級生で仲の良い仲間が尾谷長彦氏であると話が出た。
不思議な縁である。躰道を通して高校時代の同級生と大学時代の同級生が同一人物であった。

宮本靖弘選手は、決勝戦では二連覇している芝波田邦博選手と対戦した。
今大会では、自分の演武をすることに集中したと心境を語っていた。
落ち着いた演武で活命の法形を演じた。
勝敗はわずかな差で惜敗、準優勝となった。
また、尾谷氏へメールで報告をすると「宮本靖弘氏が準優勝をしたのも皆様のご指導の賜です」と返信があった。
躰道の稽古も休まず参加して着実に力に付けてきた。
入賞実績も重ねてきて、試合の出場が楽しみになってきたところ。
益々精進して躰道の極意に邁進してほしい。

(6月21日記)
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志木市躰道協会のメンバー

2011年06月19日 | 躰道
                            志木市躰道協会の会員たち

埼玉県志木市で躰道の稽古をしている会員達。
少年部は幼稚園児から中学生まで、基本から法形まで練習をしている。
壮年部は、主に呼吸法を主体とした訓練をしている。
勢命の法形を最初に習得すると、活命の法形、延命の法形と進んでいく。
黒帯の有段者も多く誕生しており、今では後進の指導を担当している人もいる。

稽古は、志木市民体育館の柔道場を使用している。
毎週日曜日の午前9時から12時と水曜日の午後6時から9時まで。
道場に入る時から礼儀正しく、正座をして挨拶をしてから入る。
子供たちの声も最初は小さかったが、慣れてくると大きな声で道場へ入ってくる。

練習は、ランニング、準備運動、ストレッチ体操等で体を柔軟にしていく。
整列をして、躰道五条訓を唱和し、指導者へ挨拶をしてから稽古に入る。
まず、志木市躰道協会では「勢命の法形」の表と裏を全員で行う。子供達も一緒にやっている。呼吸の仕方を学んでいる。
続いて、筋トレ、基本鍛錬、運足や操体練習で体全体の動きをトライしていく。
後半は、クラスごとに別れて、法形の練習に進んでいく。

会員の目標は、昇級昇段審査会を受審すること。競技大会に出場して自己の研鑽した状況を把握して省みる絶好の機会である。
埼玉県躰道優勝大会に出場することを目標に稽古に励んでいる。

(6月19日記)

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東京都庁からの展望

2011年06月18日 | 日記
                         東京都庁北展望室からの展望

東京都庁展望室は、『北展望室』と『南展望室』の2箇所で、それぞれ1階にある専用エレベーターで登ります。
展望室のつくりは同じですが、営業時間や展望室内の飲食施設、売店が異なります。
カフェ&バーとテーマショップがあり、深夜まで営業している『北展望室』がメイン的な
存在となっています。
北・南とも、それぞれの展望室内をぐるっと一周する形で360度の眺望を楽しめます。
北東方向に隣接して並び立つ新宿超高層ビル群は、都庁ならではの風景。
晴れた冬の日などは、東京オペラシィの後ろに、富士山がくっきりとわかるなど、素晴らしい景色が広がります。
2003~2004年に実施された展望室内リニューアルにより、北展望室にはカフェ&バー『Bar T.R.N La TERRAZZA by Sabatini』と、「天空楽園」をテーマにした物販店『博品館 TOY PARK 都庁店』、南展望室にはカフェ『TOKYO CAFE 202』がオープンし、デートスポットとして利用しやすくなりました。
深夜23:00まで営業している北展望室(第2・4月曜日は南展望室が深夜営業)は、地上202mのダイナミックな夜景スポット。
DoCoMoタワーが目印の南東方向では、六本木ヒルズや東京タワー、レインボーブリッジなどを。
南西方向では、新宿パークタワーの奥に横浜ランドマークタワーを望めることも。
ベストスポット 南展望室の南西方向にあるソファや、北展望室『博品館』近くのイスに座りながらの眺望。
周辺の見所 新宿NSビル、ホテルパークハイアット、東京オペラシティほか

※北展望室から東側を見ると、京王プラザホテル、新宿センタービルやその間には東京モード学園のユニークな建物が展望できる。
東京モード学園のビルは繭の形をしており、ユニークな建物としてミシュランのガイドブックでは東京の名所に井の頭公園とともに星を獲得していて紹介されている。

(6月18日記)
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志木市スポーツフェスティバル(躰道)

2011年06月15日 | スポーツ
                    志木市スポーツフェスティバル「躰道教室」

志木市と志木市体育協会が運営する「志木市スポーツフェスティバル」が開催された。
開会式では全員で準備運動の指導を受け体をほぐしていた。
その後、各種目が公開されて一般の人も多く参加していた。
午後から柔道場では、「躰道教室」が開催された。
準備運動をした後、畳の線を活用して移動鍛錬を試みた。
後半は、少年部と壮年部に分かれての指導が行われた。

壮年部は呼吸を活用した「勢命の法形」を教室の中に組み入れていた。
礼法所作、座り方、構え方等を学んだ後は、呼吸法を訓練する。
普段は意識しない呼吸も意識をして行う呼吸となると勝手が違う。
その呼吸法を取り入れて、勢命の法形を順番に学んでいく。
ほとんどの人が理解力も早く、一生懸命に学んでおり、ほとんど習得していった。

フェスティバルで躰道教室に参加して興味を持った人は、本格的に躰道の練習に参加してくる。
会員募集には大きな効果があった。

(6月15日記)
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古葉監督「秋にもう一度」

2011年06月14日 | スポーツ
             慶応大学との準決勝戦の前に応援席に挨拶する監督選手たち(神宮球場)

(日本経済新聞 スポーツ面 コラムより)

 古葉監督「秋にもう一度」
 東京国際大、選手活かす采配光る

慶大に逆転負けしたが、一塁側の東京国際大応援席から「古葉さ~ん、ありがとう」も声が飛んだ。
初出場の東京国際大の4強入りは古葉竹識監督の手腕によるところが大きい。

3点を入れた三回は2人のバント安打、ヒットエンドランを成功させた。
勝ち越しを狙った八回の無死一塁では二盗だ。
プロ野球で日本一3度、百戦錬磨の名将は「バンド安打は人工芝の特徴を生かしたし、
二盗は慶大守備陣を見ての判断」とすべてサイン通りに選手が動いたことを明かした。
2番手の鈴木は今大会初登板とは思えない投球だった。

古葉監督は
「でもね、勝ってなんぼです。珍しい内野の失策、ミスが出て足を引っ張った。勝ちたい、いいプレーをしようという気持ちが強すぎた。いつものプレーをしないといけないんですよ」
と言った。
 
東京国際大は埼玉県坂戸市に2面のグランドなど充実した施設を持ち、
4年目の指揮官は選手を競わせて強化を図っている。
秋にもう一度、神宮に来たい」。
春の戦いは終わったが、全国制覇は始まったばかりなのだろう。

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倉原政雄さんについて

2011年06月13日 | 日記
                    野球部の試合速報を操作する倉原政雄さん(神宮球場)

東京国際大学硬式野球部OBに倉原政雄さんがいる。
霞球会(東京国際大学硬式野球部OB会)のホームページ管理者である。
硬式野球部のリーグ戦、オープン戦、今回の全日本大学野球選手権大会での記録をはじめあらゆる情報が掲載されている。
よくもここまできめ細かく記載されているものであると感心してしまう。

神宮球場に東京国際大学野球部の応援に行ったときに、倉原政雄さんを見つけた。
観覧席の最上段に陣取り、パソコンを前にして逐次記録を入力している。
そばでは、試合の模様をビデオに撮り、インターネットに配信している。
球場に来れない人たちにリアルタイムに情報を送っている。
一人ひとりの打者の記録や投手の状況も詳しく掲載している。

陽射し除けに帽子をかぶり、さらにタオルを頭からかけて暑さを凌いでいる。
その姿からみても自分の置かれている立場の責任感の強さが伺える。
誰でもが出来ることではない。

古葉竹識監督の采配の下、試合に臨む選手達も頑張っているが、その状況をパソコンに入力してリアルタイムにインターネット配信までしている倉原政雄さんの献身的な努力に敬意を表したい。

◆霞球会のホームページアドレス⇒ http://think.bf1.jp/tiu/

(6月13日記)
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伊藤和雄投手(東京国際大学野球部)

2011年06月12日 | スポーツ
                    東京国際大学エース・伊藤和雄投手(4年)

東京国際大学野球部が神宮球場で開催されている「全日本大学野球選手権大会」で快進撃を続けている。
その立役者が、エースである伊藤和雄投手(4年)の健闘があげられる。

伊藤和雄投手は、坂戸西高校から入学し、硬式野球部へ入部した。
古葉竹識監督が就任したその年である。
春季リーグ戦でも活躍して、優勝に導いた。

全日本大学野球選手権大会では、一回戦の龍谷大学では、162球で完投した。
9回を終了して同点。延長戦に入ってからはタイブレーク方式で展開。
一死満塁の状況から攻撃を開始するもの。
東京国際大学は相手投手の暴投で1点得点。
その裏に伊藤投手はショートゴロ併殺打に仕留め、辛くも勝利した。

二回戦は東京情報大学と対戦して1対1の同点で延長戦に入る。
同点の9回一死二塁、一打サヨナラの場面でエース伊藤和雄投手をリリーフに送った。
ピンチを連続三振でしのぎ、10回に2点勝ち越すとその裏も3、4番打者から連続三振。
古葉竹識監督は「伊藤しかいない。必ず抑えてくれる思った。腕の振り、下半身の使い方、球のキレ。今までで一番よかった」また二戦ともタイブレークで勝利したことで「何かウチらのために用意してくれた制度みたいだ」と話していた。

三回戦は日本体育大学と接戦。伊藤和雄投手は1対0で166球投げ完投完封で勝利した。ベスト4となり、準決勝戦へコマを進めた。
調子はいい方ではなかった。7四球を出している。
1回1死2、3塁。2回1死満塁。3回無死満塁。4回2死2塁。5回1死1塁からセンター越え2塁打。しかし、内外野の鮮やかな中継プレーで本塁タッチアウト。そして9回2死満塁のピンチに渾身の投球は三振に仕留めてゲームセット。
古葉竹識監督は「ウチのチームはそんなに打てる打線ではないから、投手を含めてしっかり守るしかない。普段の練習の成果がでた。当たり前のプレー当たり前にやる」の大方針の下、1球の大切さ、ワンプレーの重要さを口酸っぱく説いてきた。

準決勝戦は慶應義塾大学で先発登板した。1点リードで迎えた3回に失策から2点を失い逆転され、鈴木投手にリリーフを仰ぎ降板した。

(6月12日記)

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