つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

皇居の二重橋

2007年11月30日 | 日記
                        皇居の二重橋

皇居の二重橋は、東京の観光名所となっている。
日本人も外国人もよくこの二重橋を訪れる。
皇居の中に入るには、手前の橋を通ってから、更に上の橋を通って行く。
二回橋を渡るのであるが上の橋の方を「二重橋」と呼んでいる。
一般の人でも、正月の1月2日と天皇誕生日の12月23日は二重橋を渡って皇居の新宮殿前の広場に入ることが出来る。

お堀の所には柳の木が並んで植えてある。
二重橋を正面から見るところは、一本の柳の木が根本から切ってある。
写真撮影のスポットとなっているところなので柳の木を切ったものである。

この二重橋から内堀通りまでは約300メートルほど距離があるので、車の走行の騒音もそんなに大きくは聞こえてこない。
日比谷通りに並ぶビルの建物もここからは小さく見える。
皇居外苑は松の木が沢山植えてある。
雪が降ると松の木の緑色と白い雪が程よいコントラストを醸し出す。
通路は細かい砂利石が敷かれている。
天皇陛下と皇后様の結婚式(昭和34年)の時に、祝賀パレードが行われた通路である。
当時は、馬車でのパレードであった。

皇居の二重橋前の外苑広場は、日本の歴史を思い出させるそれぞれの想いが詰まっている。

(11月30日記 池内和彦)
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司法書士に合格した酒井敦子さん

2007年11月29日 | 日記
                司法書士合格証書を持つ酒井敦子さん

私の知人の酒井敦子さんが今年度の司法書士試験に合格しました。
合格証書授与式が終了して早速「合格証書」を見せてもらいました。

        合 格 証 書
              酒井敦子
    平成19年度司法書士試験に
    合格したことを証する。
    平成19年10月30日
     法務大臣 鳩山邦夫

  と記されてありました。

この合格の日までに酒井さんは何回も司法書士試験にチャレンジをしたそうです。
試験は毎年一回のみ試行される。だからチャンスは年に一度だけ。

司法書士試験を受験する人は毎年3万人以上いるとのことです。
7月に筆記試験を行い、約800人が一次試験に合格する厳しさであります。
その後、2次試験として9月に試験官による口頭試問があります。
最終的な合格者の比率は2.7%という超難関の国家試験であります。
この「司法書士」の資格試験に合格したことはとても名誉なことであります。

酒井さんは、現在東京法務局で働いています。
合格証書を見せてもらった職場の同僚達は、自分のことのように酒井さんの合格を喜んでいました。
今後の酒井さんの活躍を期待し発展を祈念していきましょう。

(11月29日記 池内和彦)
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国会議事堂前のいちょう並木

2007年11月28日 | 日記
                    国会議事堂前のいちょう並木

国会近辺を散策してみた。
首相官邸や国会議事堂の警備体制は物々しいものである。
事故や事件が起きてからでは問題があるので検問が厳しいようだ。
国会議事堂前のいちょう並木が黄色く色づいていました。
黄金色の葉で覆われたいちょうの木は秋の真っ盛りを象徴しています。

小春日和の午後のひととき赤い観光バスが国会議事堂前を通っていきます。
2階建ての観光スカイバスで、2階席の天井はありません。
真上は上空です。2階からの展望は360度見渡せます。
外国人の観光客も多く乗っていました。

赤いバスが金色のいちょう並木を通過していくコントラストがいいですね。
猛暑の続いた今年の夏の影響で秋の紅葉の時期が遅れているようです。
これから都心でも紅葉の季節を迎えるときで人々の目を楽しませてくれます。
そろそろ神宮外苑のいちょう並木も見頃でしょう。

(11月28日記 池内和彦)
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朝鮮半島の行方と日本

2007年11月27日 | 政治
              講演を担当する伊豆見元教授(パレスホテル)

東京国際大学の公開講演会がパレスホテルで開催された。
会場には大学関係者や各社企業の人たちが800名集まった。
講師は、朝鮮半島問題ではテレビなどの出演も多い静岡県立大学教授の伊豆見元先生
演題は「朝鮮半島の行方と日本」のテーマで1時間半の話であった。

北朝鮮の今後の行方を中心に講演は進んでいった。
六ヶ国協議の展開や米国と北朝鮮のかけ引き、そして日本の拉致問題等々。
興味のある話が続いていった。
20年前に現在の朝鮮半島のことについて予想した人は誰もいなかった。
今後の20年先の朝鮮半島の展開を予想することは大変難しいことである。

北朝鮮の核問題は、2008年10月までに解決する。
その要因は、11月には米国大統領の選挙があるからそれまでに終了するだろう。
北朝鮮は原子力の平和利用を唱えている。
核兵器の放棄と引き換えに世界における地位と経済の確率を要求している。
この2点が解決しなければ北朝鮮は従わないだろう。

日本と北朝鮮の国交正常化については、
①拉致問題 ②核兵器の廃棄 ③ミサイル問題 の3点が全て解決をみないと進まないことである。
その対策として
①生存者の全員無事帰国→北朝鮮のうそを突き崩すこと。北朝鮮は真剣に臨んでいるかが問題である。
②核問題は、現在米国と北朝鮮で話を進めている。
③六ヶ国協議以外に話し合いを持つことが必要であろう。
北朝鮮の政策を変化させるには、日本が言っているだけでなく、交渉する必要がある。
米国と北朝鮮がやっているように、日本も取引をする必要があるだろうとまとめた。

朝鮮半島の問題は、日本から近い国でもあるので、政府をはじめ我々国民が真剣に取り組む必要を感じた講演であった。

(11月27日記 池内和彦)
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鬼子母神の駄菓子や

2007年11月26日 | 社会
                     鬼子母神の駄菓子や

豊島区に鬼子母神がある。
鬼子母神は家内安全の祈願をする所らしい。
鬼子母神境内には大銀杏の樹木がある。
もう一つ東京で一番古いと云われている駄菓子やがある。
この駄菓子やはテレビや雑誌でも数多く紹介されているユニークな存在である。

境内には鳩が沢山いる。
この駄菓子やで鳩豆やポップコーンなどを買うと、どこで見ていたのか木の上にいた鳩が地上に飛んでくる。
豆やコーンを蒔くとさらに多くの鳩が近寄ってくる。
一生懸命に豆を食べている鳩の様子を見ているととても面白い。
小さな子供も喜んで鳩に豆をやって戯れている。

(11月26日記 池内和彦)
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プロマジシャンのゆうきとも氏を囲んで

2007年11月25日 | TAMC
ゆうきとも氏を囲んで(桂園)

TAMCの11月第2例会は、特別講師にプロマジシャンのゆうきとも氏を迎えての研修会でした。
ゆうきとも氏は、1969年、岩手県生まれ。
観客の目と鼻の先で演じる「クロースアップマジック」、超能力現象を素材にして観客の心をコントロールする「メンタルマジック」の専門家であります。
1992年、「世界マジックシンポジウム」優勝。
2004年、厚川昌男賞受賞。洗練された話術とテクニック、慧眼をあわせ持つ気鋭のマジシャンであると評価されております。

研修会は、ロープマジック、カード当て、トランプマジックを披露してくれた後、現象を解説してくれました。
そのテクニックはさすが素晴らしいものがあります。
研修会終了後は、2次会として懇親会を桂園で開催しました。
過日、本屋で購入していたゆうきとも氏の著作本「一瞬で相手をリードするマジック心理学」を差し出して表紙裏にサインをしていただいた。
今度はゆうきとも氏がカバンから氣賀康夫さんの著作本を出して、隣に座った氣賀康夫さんにサインをしてもらっていました。

懇親会は和やかに進行していき、ゆうきとも氏のマジックに対する心構えと理念を伺うことが出来ました。
桂園の店の前で参加者皆でゆうきとも氏を囲んで記念写真を撮りお開きとなりました。
写真のゆうきとも氏は後列の右から4人目の赤色のブレザーを着用している方です。

(11月25日記 池内和彦)
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杉原仙五さんのこと

2007年11月24日 | 友人
                   杉原仙五さん(浅草六区)

杉原仙五さんは長年金子教育団の職員を務めていました。
教育団本部→東京国際大学→本部→一橋スクールオブビズネス→東京国際大学日本語学校の事務局長等を歴任してきました。
今は勇退して文化活動に専念しています。
海外にも友人や知人が多くいて、今でも交流を続けています。

杉原仙五さんへ案内を出すとほとんど参加してくれます。
私の主宰する研修会、劇団若獅子の観劇会、小口ゆいさんコンサート、マジック発表会等々・・・。
いろいろと興味を示して活動しています。
そして新たな発見も見出しております。
明るく楽しく過ごすことをモットーとしています。

大学の主催する公開講演会にも積極的に出席して講師の話を熱心に聴いております。
11月26日は、伊豆見元静岡県立大学教授による「朝鮮半島の行方と日本」のテーマによる講演会がパレスホテルで開催されます。
その会場にも杉原仙五さんの姿を見ることができるでしょう。

(11月24日記 池内和彦)
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英語に強い大学→東京国際大学

2007年11月23日 | 文化
                   東京国際大学のポスター

毎年11月23日は、東京国際大学では「学生英語弁論大会」が開催されている。
今年で第41回目を数える。
全日本金子杯・ウィラメット大学学長杯争奪と銘打っている。
予選を通過した、全国からの学生10名による英語弁論大会。
早稲田大学大隈杯、慶應義塾大学福澤杯、獨協大学天野杯と並ぶ“関東の4大タイトル”といわれる大会です。
大学の創学者である初代学長の金子泰藏先生が提唱して継続開催をしてきた。

金子泰藏学長は、創立時よりアメリカのオレゴン州にあるウィラメット大学と姉妹校提携をするなど意欲的に海外留学を推進してきた。
今ではウィラメット大学の隣接地に「東京国際大学アメリカ校」も開校して1年間を海外キャンパスで過ごすシステムも導入している。
大学4年間のうち、3年は日本で、あとの1年はアメリカでの学園生活を体験するものである。
この学習システムが好評で、全国各地より入学を希望する高校生が多くいる。

英語に強い大学」として評価を得ている東京国際大学である。

(11月23日記 池内和彦)
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呉越華さんのメゾ・ソプラノ・リサイタル

2007年11月22日 | 芸能
                呉越華さんのリサイタル(津田ホール)

メゾ・ソプラノ歌手の呉越華さんのリサイタルに行きました。
会場は千駄ヶ谷駅前の津田ホール。
毎年この会場でリサイタルを開催しています。
歌手にとってはとても音響がよく歌いやすいと評判のホールです。

全席自由席であったので、会場には少し早めに行って開場を待っていました。
女性の観客が多く、満席の状況でした。
私達グループは7名で前から5列目の席に座ることができました。
とても良い席で、呉越華さんの表情も手にとるように分る位置です。
今年は副題として日中国交正常化35周年記念を入れており、日本と中国の曲を選曲してありました。

司会はナレーターとして活躍しているベテランの福田純子さん。
しっとりと落ち着いた語り口で出演者を紹介していきます。
観客は、その進行の語り口に誘導されるようにステージを見守っています。
真っ赤なドレスにを着用した長身の呉越華さんが笑顔で登場してくると万雷の拍手が迎えます。
プログラムの第1部は、日本の叙情歌からスタート。
「平城山(ならやま)」、「初恋」、「落葉松(からまつ)」の3曲を日本語で歌いました。
ピアノ演奏は、東京芸術大学作曲科出身の腰塚賢二氏が担当しておりました。

中国の珍しい楽器である揚琴の演奏が披露されました。
女子十二楽坊の講師を務めており日本でも数多くの演奏を積み重ねている成燕絹さんが、日本古謡の「さくら」を揚琴独奏で演奏してくれました。

今度は黒いドレスに着替えた呉越華さんが中国の歌を力いっぱい披露してくれました。
「小河淌水(小川はせせらぎ)」、「瑪依拉(マイラ)」、「我愛你、中国(愛する中国よ」。
中国語での歌唱は抜群の上手さが光ります。
沖縄民謡の「島唄」、そして呉越華さんが作詞した「星(天人合一)ジュピター」より、で前半は終了しました。

第2部は、真っ白なウエディングドレスでの登場。
「母が教え給いし歌」(ドヴォルザーク)、「アベ・アリア」(シューベルト)、「ヴォカリーズ」(ラフマニノフ)を聴かせてくれました。
腰塚賢二氏がショパンの「幻想即興曲」をピアノ独奏で演奏してくれましたが、うっとりとするほど魅了する素晴らしい演奏でした。

最後はオペラの3曲。黒のロングドレスの呉越華さん。
カルメンより「ハバネラ」、トロヴァトーレより「炎は燃えて」、カヴァレリア・ルスティカーナより「ママも知るとおり」。
至福のひととき。呉越華さんに花束が沢山の人から贈呈されていました。

アンコールは今年人気の出た曲の「千の風にのって」。
そして最後は、会場の観客と一体となって「赤とんぼ」と「草原情歌」を合唱した。
呉越華さんが最初に中国語で歌い、後半の日本語の部分は全員で合唱となりました。
美しい人が歌うきれいなメゾソプラノの歌声は観客の心を癒してくれました。

(11月22日記 池内和彦)

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東京国際大学の同期会

2007年11月21日 | 友人
                    昭和40年会同期会参加者

国際商科大学(現東京国際大学)が設立されたのは昭和40年(1965年)だった。
第1期生として入学したのは198名。
その後、他大学への変更や途中退学をした人も出た。
進級が厳しく、留年をせざるを得なかった人もいた。

第1期生として卒業したのは約半数の115名であった。
本当に少ない卒業生であった。
第1期生の同期会は、卒業期ではなく入学期として名称は「昭和40年会」としている。
途中で退学した人も留年した人も含まれている。
だから対象者は198名である。

しかし、その中で逝去者は分っている人でも10名となった。
住所不明の人もずいぶん増えた。
約100名の住所判明者に同期会の開催案内をしたところ、欠席の連絡は42名であった。
コメントのあった人も、遠方のために欠席した人も、体調が悪くて出席できない人も思いは同じである。

当日会場となった「北の家族・新橋日比谷口店」に集まったのは、14名であった。
それぞれの近況報告や学園生活の思い出話などに花が咲き盛り上がって旧交を温めた。
年齢も60歳を超えたメンバーである為にこれから毎年開催することを決めた。

(11月21日記 池内和彦)
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森光子の放浪記

2007年11月20日 | 芸能
                     森光子の「放浪記」

芸術座での「放浪記」公演は、数多く記録している。
その芸術座がリニューアルしてシアタークリエとしてオープンした。
1月から3月までのロングラン公演となるのが森光子の「放浪記」である。
放浪記といえば森光子、森光子といえば放浪記と呼ばれるように認識されている。
芸人もここまで認識されれば本物である。

米寿を迎える年となっても、毎日体力維持のトレーニングを欠かさないという。
舞台で、布団の上でデングリ返しをする森光子の演技は本物である。
年齢よりもとても若く見えるのも、生きがいがあることと若い人たちとの交流があるのも要因であろう。

何事も継続して長く精進していけば望みは成就する。
辰巳柳太郎の「国定忠治」や山本安英の「夕鶴」の公演も「放浪記」に匹敵する回数を重ねている。
○○といえば「△△」である。と呼ばれる人は幸せである。
評価をするのは、本人ではなく一般の人たちなのであるから。

これから森光子の放浪記に相当する人は誰が出てくるだろうか。

(11月20日記 池内和彦)
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浅草の手形顕彰

2007年11月17日 | 文化
            島田正吾と辰巳柳太郎の手形顕彰(浅草公会堂)

浅草公会堂前に芸能人で実績のある人の手形が顕彰されている。
新国劇の発展に活躍した島田正吾辰巳柳太郎の手形が並んでいる。
昭和55年11月に顕彰されてここに設置された。

新国劇は澤田正二郎が設立して、昭和4年に亡くなった後を島田正吾と辰巳柳太郎が二人座長として昭和62年まで活動して看板を下ろした。
70年間の新国劇の歴史の幕を引いた。
新国劇にとっては浅草がとても縁のある土地であり、浅草公園劇場を定席の芝居小屋として使用していた。

その跡地には、新国劇の生き字引と云われた平野泰之さんが「沢正」という店を長年に亘り経営していた。その平野泰之さんも10月31日に天寿を全うして島田正吾・辰巳柳太郎両先生のいる世界へ逝ってしまった。

(11月17日記 池内和彦)
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皇居東御苑と竹橋

2007年11月16日 | 社会
                     皇居東御苑と竹橋

北の丸公園の南側には、皇居東御苑がある。
北桔橋門か竹橋のところなら平川門から中に入れる。
皇居東御苑は江戸城の本丸御殿と天守閣のあったところ。
忠臣蔵で有名な刃傷松の廊下跡もある。
江戸城の天守閣を復興させようと活動しているNPO法人もあるようだ。
御苑内は四季折々いつ行っても季節を感じさせてくれる風情がある。
都心とは感じないほどの静けさがあるところ。
竹橋は毎日新聞社と国立近代美術館を結ぶ橋。
地下鉄東西線が通っており竹橋駅があり、首都高速道路は環状線と池袋線が結ばれている。車の往来がいつも多いところ。渋滞することも度々ある。
竹橋と皇居東御苑方面を写してみた。

(11月16日記 池内和彦)

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北の丸公園

2007年11月15日 | 社会
                     北の丸公園と清水門

九段下から竹橋方面に行くと九段合同庁舎がある。
そこの最上階からの展望がいい。
空には雲ひとつ無い秋晴れの日。
北の丸公園の樹木は紅葉にはまだ早い。
手前の清水門から北の丸公園に続いている。
皇宮警察や第一機動隊、科学技術館がある。
少し行くと八角形の形をした日本武道館である。
千鳥ヶ淵は桜の木が並んでおり花見の頃は多くの人が集まってくる。
ボートに乗って周りを見るのもいい。
散策するにはとてもいい場所である。

(11月15日記 池内和彦)
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気仙沼大島の優ちゃん

2007年11月14日 | 友人
                 小松優ちゃんと母親の万里子さん

小松優ちゃん は、4月18日に生まれました。
今生後七ヶ月である。
宮城県気仙沼市の大島で小松武さんと万里子さんの初めての赤ちゃんとして誕生しました。
優ちゃんの両親はともに躰道4段練士取得の指導者であり、今では小学生たちに躰道を指導しています。
元気な親から生まれた優ちゃんは、すくすく大きく健やかに育っています。
今では寝返りも出来るようになり、立つこともあるという。
離乳食も食べるようになり、目が離せなくなったようです。
家の前に見える海を眺めながら自然豊かなところで育っています。
これからどのように育っていくのだろうか。
おじいさんやおばあさんも孫の優ちゃんの成長を目を細めて見守っています。
両親の背中を見て、躰道を始めるのもそう遠くないことだろう。

(11月14日記 池内和彦)
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