つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

東日本大震災支援(2)

2011年04月30日 | 日記

今回の東北行を終え、私個人のルールではありますが、決めたことがあります。
それは、今後、私は被災地の方々へ「頑張ってください」という言葉は使わない、ということです。女川の病院や、避難所となっている石巻の渡波小学校でその言葉が出かけたとき、被災者の方の表情が一瞬曇ったのを見て、私は咄嗟に言葉を呑み込みました。迂闊に口から出てこようとする、その場をつなぐための力の宿らぬ言葉がどれだけ被災者の方たちに嫌な思いをさせるか。そんな言葉なら、ない方がずっと良いと感じました。言葉が出てこなければ、それが事実。たとえかける言葉が見つからなくても、そのことをとがめる人は、おそらく被災地にはいないと思います。
私は、ついこの前までは、被災地の方たちには、とことんまで頑張ってほしいと思っていましたし、今でもそう思っています。でも、だからこそ、その気持ちを心の中に留め、己のパワーにするべきだと感じました。

移動中、成澤氏から「震災後、被災地では知らない人同士でもあいさつを交わすようになった」と言う話を聞きました。実際に、信号の動かなくなった交差点での譲り合いはもちろんのこと、ごくごく普通に道を行き交う人々が「こんにちは」と声をかけたり、会釈をしたり。お互いの事情を知らぬからこそ、ほんの少しずつ心配りをして、無意識のうちにお互いが少しでも気持ちよく過ごせるようにしている場面が被災地の至る所で見られました。そんな強さや優しさ、温かさに触れられたことで、自分にとって今回の東北行は非常に得るものの大きいものとなりました。もちろん、被災者ではない自分は、絶望的なまでの居場所のなさを痛感し通しでしたが、それでも、最終的には自分が励まされ、仲間とその家族に明るい報せを伝えて帰ってくることができました。
このような自己完結の結果に対して、様々は批判もあるかもしれませんが、私自身は、気持ちの整理をつけるための、被災地入りであったので、恥ずかしく思うところはありません。

実際に被災地に行ってわかったことは、「知っている」ことと「理解する」ことの違い。端的に言えば、理解することに意味なんてないのかもしれない。それくらい理解の範疇を超えた光景の連続でした。そのこともあって、言葉は悪いかもしれませんが、私は現在、非常にスッキリした気分でいます。いま焦っても、いま気負っても。つまりは覚悟が決まったという意味です。
女川で働く工藤氏はこう言っていました。

「何かできることを、と気負わないでください。もちろん無理をしている部分もあるだろうけど、被災した人たちは結構強いです。今ではなく、長期的に何かできることが最高だと思います」

5年、10年。もしかしたら、20年。
心が共にあるならば、一緒に歩んでいくことはできるでしょう。
自分には家族のように大切な仲間たちが宮城にいます。その「家族」のためにもまず、自分自身が強くいなければならない。だからこそ、笑う時には笑い、楽しむときにはとことん楽しむ。そうして心を健全に保とうと思います。それがわずかながら、ほんのわずかながらの復興の力となるのだと信じています。
そして今、私は

「東北の人たちに負けるわけにはいかん」
そんな内なる闘いを独り勝手に繰り広げています。

若鍋聡志

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東日本大震災支援(1)

2011年04月29日 | 日記
一般社会法人SPUTNIKの若鍋聡志さんからメールが届いた。
(SPUTNIK International Japan メールマガジン 特別号から)
日頃よりSPUTNIK INTTERNATIONALに篤いご支援、ご協力をいただき誠にありがとうございます。

少し時間はさかのぼりますが、4月2日、塩釜在住の成澤氏にご協力をいただき、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県の女川町に行くことができました。
今回の東北行は私の個人的事情によるものであり、目にしたものも、ごくごく一部に過ぎませんが、今後の復興支援に関わろうとしている方たちにとって少しでも役に立てばと思い、ここにご報告させていただきます。
なお、被災地へ向かうにあたり、株式会社サンライズの若鍋竜太、池内健一郎両氏から復興支援金(10万円)をお預かりいたしました。この場を借りて心よりお礼を申し上げます。こちらの支援金は、成澤氏に預け、被災地で役立ててもらうことになっています。成澤氏からは、若鍋氏、池内氏に対し、支援金の使途詳細が報告される事になっています。

今回の東北行は仙台市東部に位置する仙台塩釜港から、七ヶ浜町、塩釜市、石巻市を抜け、女川町まで。ここでは女川に関する話だけをさせていただきますが、被災地はどこも大変な状況であるということを予めご理解いただきたいと思います。

今回、私は現地入りする前に、「無力だけを感じて帰る事は絶対にしない」と心に決めていました。しかし、私が女川町で観た光景は、自身の無力どうこうを問うレベルのものではありませんでした。女川町には、港(であった所)からすぐのところに15mほどの高台があり、ここから町を一望できます。
私は、この高台から見た光景を一生忘れることはないでしょう。

各種メディアで伝え聞いていた「壊滅」と、目の前にあった「壊滅」の温度差はあまりにも大きく、「町ごとなくなっている」という冗談めいた物言いしかあてはめることのできない空しさを痛感しました。現地の状況などはネットを含めたあらゆるメディアで目にしていると思いますが、実際に現地に降り立ってみると、(極端な物言いですが)例えばこの状況を見て一切の支援活動から手を引くという人がいてもおかしくないと思いました。それくらい、どこから手を付けたら良いのかが全くわからない。ここにかつて町があり、人々の生活があったことをイメージすることは極めて困難な作業でした。
町全体に漂う異様な雰囲気、自身を襲う奇妙な雰囲気。おさまることのなかった鳥肌は、今にして思えば、当たり前のように聞こえている生活の音が消えていることで、ある種のパニック状態に陥っていたのだと思います。こんな経験はしたことがありませんし、二度と経験したくはありません。

信じられない光景は眼下に広がるだけではなく、高台の上にある女川町立病院にも及んでいます。驚いたことに、高台の上にある病院の一階部分まで津波の被害を受けており、さらに、今まで見たこともないような力がここでも働いているのです。遠くにある海面が自分のいる高台の上まで来ていたというのは間違いのない事実ですが、それを受け入れることは到底できませんでした。
4月26日現在、女川町では、亡くなられた方、行方が分からない方を合わせて約1300名。町そのものの人口が1万人に満たないことを考えると、その割合はかなりのものですが、正直なところ、よくそれだけの被害でおさまった、というのが素直は印象です。

何とも言えない気分のところに追い打ちをかけたのは、壁が落ち、骨組みだけという状態になってしまったにもかかわらず、そのビルの掃除していた人の姿。詳しい事情をうかがい知ることはできませんでしたが、私はそれを見て一瞬、「掃除してもどうにもならないのに…」と思ってしまいました。もしかしたら、ご本人たちも掃除をすることの意味なんてわかっていないのかもしれません。それだけに、その姿は見ていて非常に苦しいものでしたが、とにかく何かをしていないと落ち着かない、一歩でも前に進まなければいけない…そんな思いの表れであったのだろうと思います。
女川入りする前に、女川町立病院で働く工藤氏が
「とにかく女川を見に来て、何ができるかを考えてほしい」
そう言っていた意味が良くわかりました。(つづく)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ネット利用、2時間以上増えた」―スマートフォンユーザーの4割超に

2011年04月28日 | インターネット

スマートフォンの魅力
NHN Japanが実施した調査で、スマートフォンユーザーのネット利用時間がフィーチャーフォン時代に比べて大幅に増えていることが分かった。
4割超が「ネットの利用時間が2時間以上増えた」と回答している。

スマートフォンを選んだ理由について所有者に聞くと、全体では「新しいものに対する好奇心」が59.8%で最多となり、これに「スペックが高くPC代わりに使いたいから」が55.0%で続いた。
20代の男女、30代の男女という4グループに分けて見ると、20代男性は見た目や周辺機器に「おしゃれなイメージ」があるからという回答が48.0%、30代女性では「スペックが高くPC代わりに使いたいから」という回答が65.0%と、他のグループに比べて高い傾向が見られた。

スマートフォン所有者にスマートフォンの魅力について聞くと、全体では「外出先でネットを楽しめる」が66.6%、「アプリが充実している」が64.0%で上位を占めている。
一般の携帯電話を利用していたときと比べ、スマートフォントの接触時間がどのように変化したかを聞くと、どのグループでも「大きく増えた(2時間以上)」という回答が最も多く、全体では42.2%。「増えた(1時間程度)」が全体で27.5%となり、これに続いた。

スマートフォンの非所有者に、一般の携帯電話で行うことを聞くと、多く挙げられたのは「メール」で94.7%。
第2位は「通話」で76.1%となった。
男女年代別に見ると、20代女性のみ「Twitter、mixiなどのSNS」が36.0%と突出。
また「調べもの(Web検索を利用)」という回答が60.0%と、男性や30代女性と比べて多い傾向が見られた。

これに対して、スマートフォン利用者がスマートフォンでよく行うことに関しては、「メール」「調べもの(Web検索を利用)」がともに77.8%、「通話」が54.0%、「アプリをダウンロード」が59.3%など、一般の携帯電話の様に通話とメールに偏ることなく、さまざまな用途で使われている様子がうかがえる結果となった。
特に20代女性では「ゲーム」が50.0%、「Twitter、mixiなどのSNS」が48.0%と、娯楽用途が他のグループと比較して多く挙げられている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

竹下ひろみさんは豊島区議会議員に当選3期目!

2011年04月27日 | 日記
                  小池ゆりこ衆議院議員から当選を祝福される竹下ひろみさん(左)

豊島区議会議員選挙では、竹下ひろみさんが第5位(2,460票)で3期目の当選を果たした。
豊島区は定数36名のところ53名の候補者が出馬した。
今回の選挙はなかなか苦戦を強いられていた。車を降りて歩きながら多くの人と接しながら、辻つじで遊説を行った。

長野県で生まれ育ち、上京後帝京大学で学ぶ。
竹下友康氏と結婚。現在義父母、義妹、夫、三男一女の9人家族。
生涯豊島!ひとりひとりの幸せを大切にする街。安全・安心なまちづくり。子供たちの未来に豊かな環境を!をモットーに訴えてきた。

豊島区議会総務委員会委員長、防災調査特別委員に就任。この度の東日本大震災での教訓を生かして防災対策への活動に力を入れる。
地元選出の衆議院議員である自由民主党の小池ゆりこ総務会長がバックアップしていた。開票当日も深夜でありながら当選確実から10分後には竹下ひろみ選挙事務所に訪れて当選のお祝いに駆けつけていた。

ヤンキー先生こと義家弘介参議院議員は、16歳の時、里子としてひろみさんの長野県の実家に受け入れてもらった。当時どこにも行き場のなかった弘介氏を、ひろみさんは姉として優しく受け入れてくれた人。と語っている。

当選3期目は重要で責任のあるポジションとなる。
竹下ひろみ議員は、子育て、教育、医療・福祉、産業振興、行政システム、交通、地域再生をスローガンに邁進することを区民に誓った。
支援してくれた皆様に感謝し、初心を忘れず、元気に活動していくことを祈念しています。

(4月27日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アットシェアとビジネス本

2011年04月25日 | インターネット
                      鎌田博次著のビジネス本がヒット売上げしている

ビジネス本「なぜ、あのお店はいつも「常連さん」でいっぱいなのか?」(すばる舎リンケージ 1,575円)というタイトルでヒットしている。
携帯メール配信サービスとして販促であるアットメールの成功事例をまとめたもの。
アットメールは、ケータイ3キャリア(docomo、au、softbank)の公式サイトになっており、37,000件のユーザーと530万人のメール会員を集めて国内最大の実績を継続している。

運営しているシーツー株式会社は、この度共同購入クーポン「アットシェア」をリリースした。
アットシェアは、お店のこだわりの逸品のプレミアムクーポンを広告費0円で新規客を集めるツール。これまでにプレミアムクーポンが数多く発行されてきた。
更に、他社に欠けていた顧客化ツールもリリースした。
顧客管理付きで、サービス券やポイントクーポンの配布ができ、ケータイ向けホームページの販促機能が付いて、多機能な顧客化ツールを使ったメールマーケティングと販売促進ができる。もちろんケータイ3キャリアの公式サイトにも掲載される。

商売繁盛には嬉しいフラッシュマーケティングからデータベースマーケティングができる優れものである。
アットシェアのクーポン情報を取得するには、下記から登録(無料)できる。
http://at-sha.jp/?com=rf&agid=99255
クーポン利用者も新規客から顧客化できるお店にもお得なアットシェアに注目が集まっている。

(4月25日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スカイツリーとアサヒビール

2011年04月24日 | 日記
                      東京スカイツリーとアサヒビール本社(吾妻橋から)

浅草へ行くといろいろの場所から東京スカイツリーが高く大きく見える。
隅田川に架かる吾妻橋から見ると墨田区役所アサヒビールの高層ビルの間に東京スカイツリーが見える。
アサヒビールは、黄金のオフィスビルと炎のモニュメントが象徴するビルがある。
墨田区役所はモダンな高層階のビルである。
その二つでも絵になるところに今度は二つのビルの間に世界一の電波搭となった東京スカイツリーが並んだ。
墨田公園を隅田川沿いに行くと、今度は東京スカイツリーがアサヒビールの黄金のガラスに反射して映る。
二本の東京スカイツリーが見えるスポットがある。
水上バスも東京スカイツリーが高くなりアサヒビールのガラスに映るようになった頃から、乗船場を出帆した船は100メートルほど上流に進んで乗船客にガラスに映る場所まで行ってから、ゆっくりと隅田川を下っていった。

浅草には日本人の観光客はいるものの、東日本大震災後は外国人の観光客はほとんどいなくなっていた。
浅草寺の仲見世の地元の人は、「仲見世でキャッチボールができる」と言っていた。
その位観光客が少なくなったことを話していた。

(4月24日記)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天野屋の「あま酒」がテレビで紹介

2011年04月23日 | 日記
               TBSテレビ「はなまるマーケット」に出演した天野屋店主・天野亀太郎さん

神田明神前の天野屋のあま酒がテレビで紹介された。
TBSテレビの朝の番組「はなまるマーケット」で、日本の伝統 発酵食品を取り上げた。
糀を利用している「あま酒」は、砂糖などの甘味料は一切使用していない。
糀を発酵させて出来上がるあま酒は甘い。
天野屋店主の天野亀太郎さんはわかりやすく説明をしていた。

<発酵食品の良さとは・・・>
■保存性に優れている
■栄養が豊富に含まれている
■独特の旨みや風味がある

◆天野屋 こちらは江戸時代から続く甘酒の老舗です。
☆甘酒 400円
☆冷やし甘酒 450円

◆天野屋
東京都千代田区外神田2-18-15
TEL 03-3251-7911
【営業時間】平日10:00~18:00
祭日・日曜日10:00~17:00
【定休日】4月3週目~12月1週目の各日曜日及び夏期休業日
お話をしていただいた方:店主・天野亀太郎さん
麹とは、蒸した米などに麹菌というカビの一種を繁殖させたものです。
本格的な甘酒は、この麹と蒸した米とお湯だけで作られています。

(4月23日記)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天野屋茶屋

2011年04月22日 | 日記
                             神田明神前の「天野屋おやすみ処茶店」

神田明神前にあま酒を販売している「天野屋」がある。
売店の横にはおやすみ処の茶屋があり喫茶が楽しめる。
その入り口がとても風情がある。
江戸時代のお店を髣髴とさせる雰囲気が醸し出されている。

入り口なら時代劇の撮影にも活用できそうである。
お店の中もとても落ち着けて、都会の喧騒から引き離してくれる。
甘さけ、あんみつ、くずもちなどの甘味も揃っている。

クラシックな時計や古美術品も展示してある。
店主の趣味の収集品である。
神田明神に行くと必ず立ち寄るのが天野屋の茶店である。

(4月22日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

劇団若獅子「一本刀土俵入」公演

2011年04月21日 | 演芸
                        劇団若獅子カーテンコール(浅草公会堂)

劇団若獅子陽春公演が浅草公会堂で開催された。
今回は新国劇の島田正吾の当たり役「一本刀土俵入」を笠原章が演じた。
長谷川伸原作、田中林輔演出の「一本刀土俵入」
十年前に取手の宿は
安孫子屋で情を受けたあの姐はんに
一目逢いてえ
逢ってお礼を申してえ

空腹で足元もよろめく相撲の取的・駒形茂兵衛(笠原章)と安孫子屋の二階から声をかけた酌婦・お蔦(市川亀治郎
島田正吾の駒形茂兵衛のきめの細かい演技が思い出される。
「あぁ!思い出した」の名場面では、亀治郎がメリハリの利いた台詞で芝居を盛り上げる。

その他、市川亀治郎の「舞踊 保名」と澤田正二郎立案に拠る「殺陣 田村」が演じられた。

観客席には、新国劇や劇団若獅子の常連客の他に、市川亀治郎のファンであろうと思われる若い女性が多かった。
カーテンコールでは笠原章、市川亀治郎が観客にお礼の挨拶をしていた。
3月11日の東日本大震災後の公演であったので開催も危ぶまれたが、思い切って公演に踏み切ってよかったとスピーチがあった。

(4月21日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京メトロ田原町駅ホームの「家紋」展示

2011年04月20日 | 芸能
                  新国劇創立者澤田正二郎の家紋「柳に蛙」(田原町駅ホーム)

新国劇のファンである荒井陽一さんから教えていただいた。
荒井陽一さんは戦前から新国劇を観劇している老舗のファンである。
新国劇の芝居について、いつどこの劇場で公演された演目のあの役をやった役者の演技がよかった。と次から次へと事例が出てくる生き字引の人です。

東京メトロ浅草線の田原町駅ホームに歌舞伎や演劇界で貢献した人の家紋が展示してある。
ホームの一番上野よりのところに新国劇の創立者である澤田正二郎の家紋が展示してある。
新国劇の原点となっている柳に蛙の家紋となっている。
蛙が柳の枝につかまろうとして何回も飛び上がっていることを象徴している。
芝居の世界も精進に精進を重ねて演技の向上を図っていくことを意味している。

浅草は演劇人や演芸人が修練していく場所として貢献してきた場所である。

(4月20日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立石「やなぎや」での懇談会

2011年04月19日 | 日記
                        やなぎやの福原恵子女将と新国劇愛好者

新国劇の愛好者が集まって懇談会を開いた。
立石在住の佐藤守男さんが馴染みにしている蕎麦廚「やなぎや」が会場。
新国劇に関しては生き字引である赤上正夫さんと荒井陽一さんも参加。

新国劇の創立者である澤田正二郎、その後の二枚看板である島田正吾、辰巳柳太郎に関する思い出の話が次から次へと出てくる。
佐藤さんは貴重な話なので記録にまとめて資料を編纂したいと希望を語っていた。

このお店「やなぎや」の雰囲気がとてもいい。
落ち着いた風情のある部屋、トイレがとても綺麗なところもいいものだ。
女将の福原恵子さんがとても気配りをしてくれる。
参加者の4人とも福原恵子女将の心意気を気に入っていた。

美味しい食事をしながら、新国劇のことを語れるひとときをもてることは素晴らしい。
赤上さんや荒井さん、そして佐藤さんの頭脳の中は昔のことをしっかりと記憶しているので感心をするほどだ。
戦前から新国劇を観劇している赤上さんや荒井さんは90歳になってもしっかりしている。何かを持っている人たちは頭脳明晰である。

(4月19日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「あぁ上野駅」の記念碑

2011年04月18日 | 日記
                         「あぁ上野駅」の記念碑(上野駅)

上野駅を出て通りに面したガードのところに「あぁ上野駅」の記念碑がある。
昭和30年代に東北地方の中学校を卒業して東京へ集団就職をしてきた人たちの歌である。
井沢八郎が唄って大ヒットした。
集団就職列車で上野駅に到着して出発するところの当時の写真をモチーフにした記念碑がある。

孫の大樹君と凌也君も話を聞きながらしみじみと記念碑の写真を見ていた。

(4月18日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幻の神田祭ガイドブック

2011年04月16日 | 神田祭
                       幻となった平成23年神田祭公式ガイドブック

神田明神前の「天野屋」さんへ立ち寄った。
天野史子さんから「幻の神田祭ガイドブック」を頂いた。

神田祭の本祭りは二年ごとに開催され今年が本祭りであった。
毎回天野屋さんの神輿(天星睦)に参加しているので、今年も楽しみにしていた。
3月11日に発生した東日本大震災で警察官が多数東北地方の救援活動に出かけて、神田祭の警備が困難なこともあり、神田神社では「本祭り」を中止することとなった。

毎回素晴らしい神田祭公式ガイドブックが発行される。
今回のガイドブックの中には一枚の案内が差し挟まれていた。
「大震災発生時、本書版下は既に完成し6万部の印刷に入る段階でした。
その後、まもなく神田祭の中止が検討され、最後まで一縷の望みのもと制作を進めて参りましたが、甚大な震災被害が明らかになるに及び神田祭の斎行は断念することとなりました。
この本はいわば「幻の神田祭ガイドブック」となりましたが、本書を手にとってご覧頂いた皆様には、江戸時代より度重なる自然災害に負けることなく継承されてきた江戸っ子の心意気と神田祭に対する情熱などについて本書を通してご理解頂ければ幸いです」

義捐金として一冊300円ご協力願います。
東日本大震災被災地復旧支援
平成23年「神田祭」ガイドブック
~災害に負けない祭りの心意気~

目次を見ると「平成23年 神田大明神御祭禮」と大きな見出しとなっており、
「伝統を次の時代へ」神田神社宮司 大鳥居信史
氏子町会神輿神霊入れ、神幸祭行列立て、巡行路、氏子町会神輿宮入・渡御マップ、例大祭、献茶式、神田明神トピックス等々が並んでいる。

幻となった神田祭公式ガイドブックを見て、感慨ひとしおである。
いい機会なのでゆっくりと神田祭ガイドブックを読んで伝統と歴史を紐解いてみたい。

(4月16日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

C2リーダー研修会で発表

2011年04月15日 | 日記
             4月のリーダー研修会でアットシェアについて発表する(ガレリア東京)

シーツー株式会社では毎月リーダー研修会を開催している。
4月のリーダー研修会はガレリア東京で開催された。
アットシェアがリリースした月でもあったので、日比谷の紅鹿舎のアットシェアについてのプロセスを話す機会があった。
アットシェアはプレミアムなクーポンを格安な価格で販売する共同購入クーポンのこと。

この日は全国から集まった多数のリーダー達に、なぜ紅鹿舎のクーポンがプレミアムなのかについて発表をした。
元祖ピザトースト発祥の地として多くのメディアに取り上げられていること。
テレビ番組の「シルシルミチル」「めざにゅー」「似て非なるもの」等多数に出演をしている。
雑誌にも多く掲載されている。
と、云うことで、元祖ピザトーストと飲み物セットが通常1,200円なのが50%offの600円のプレミアムクーポンとして発売された。

話題の新規集客システム「アットシェア」のご案内のチラシを披露したところ多くの方がこの資料を求めにきていた。
リーダー研修会の中で発表したので、終了後は多数のリーダー達から声を掛けられ、アットシェアについてのプロセスを尋ねられた。
とても貴重な体験をしたことを喜んでいる。

(4月15日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池袋の公園の桜

2011年04月14日 | 日記
                     池袋のサンシャインビル近くの公園の桜

池袋のサンシャシン60ビルの南側に小さな公園がある。
東京メトロの東池袋駅を利用するときに公園の脇を通って行く。
今はその公園の中にある桜の花が満開となっていて、多くの人が公園の中に入ってきて、ケータイのカメラで桜の花を撮影している。

普段気がついていない桜の木も、花が咲くと桜の存在を確認する。
桜の花は、東日本大震災とは関係なく春となると全国各地で咲き乱れる。
東北地方はこれから桜の季節を迎える。
被災者もひととき桜の花を眺めて、復興の仕事の手を休めてよいだろう。

(4月14日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする