つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

観桜だより(その3)

2023年03月31日 | 池さんぽ
 今回は芝公園から出発しました。

 東照宮の境内の枝垂れ桜がきれいでした。
 芝公園の桜は多くあり、バックに赤と白の高い東京タワーが見えるので桜と一緒に写真を撮ると迫力があります。東京タワーの姿は整っていていつ見ても引き付けられます。

 そこから麻布十番を通って、六本木ヒルズ方面へ向かいます。さくら坂の桜はその名の通り見事でした。毛利公園の桜も満開を迎えており、多くの人が楽しんでおります。ベンチで寛いでいる人たちの会話は英語でした。

 続いて、ミッドタウン六本木へ行きました。ここの桜並木はまだ若木でありますが見事に満開の花を咲かせております。並木の桜の花の下をゆっくりと歩いていき観桜を楽しみました。
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観桜だより(その2)

2023年03月30日 | 池さんぽ
 半蔵門から桜田門の間は桜田濠となっております。
 雪が降ると墨絵の世界を表す美しいところです。

 桜田濠には大きな桜の木が見事に咲いており濠の中まで届くようです。
 桜田門から見ると国会議事堂の建物と憲政記念館の樹木がよく見えます。

 皇居では、春の乾通りの一般開放をしており、坂下門から乾門の間の桜の花を楽しむことが出来ました。宮内庁の建物の手前からは宮殿の建物が見えます。富士見櫓と桜のコラボは素晴らしいものです。道灌濠の桜がきれいに咲いております。乾門の近くの桜も満開です。

 恒例となっております皇居の乾通りの一般開放もコロナ禍の間は休止しておりましたが、今年からまた復活して実施されました。普段立ち入ることのできない場所なので春の桜と秋の紅葉時期には開放されるので行かれると良いでしょう。
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観桜だより(その1)

2023年03月29日 | 池さんぽ
 皇居の周りを歩きながら観桜の散歩をしました。

 九段下駅を出ると雨も止み傘をささなくてもよかった。牛が淵の桜を観ながら田安門に行くと満開の桜が迎えてくれます。そこには外国人の姿が多く見られました。

 千鳥ヶ淵緑道にはソメイヨシノやオオシマザクラなど約140本の桜があり、遊歩道を歩くと頭上に咲いており、桜のトンネルの中を歩いている感じを受けます。ボート場上の展望台からの景色がとても良いです。ボートと桜の花のコラボがとても良いです。

 半蔵濠と英国大使館の間は千鳥ヶ淵公園があり約130本の桜があります。枝垂れ桜は濃いピンク色をして咲き誇り目を引き付けます。濠の中へ流れ込むような桜はとてもダイナミックなものです。

 三宅坂の国立劇場の前庭には、駿河桜が見事の咲いております。駿河小町という名前の桜も咲いておりました。隣の最高裁判所の門前に咲いている桜も満開に見事に咲いておりました。
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思い出の写真「石井ふく子さん」

2023年03月28日 | 芸能

 石井ふく子さん(浅草ビューホテル)

 石井ふく子さんは、日本のプロデューサーであり、演劇の演出家でもあります。

 渡哲也氏主演の舞台を演出した時に、出演した中に上手い役者がおり、気になっていました。渡哲也氏に聞くと「新国劇の精神を継承している劇団若獅子の代表である笠原章氏である」と説明がありました。

 その後、石井ふく子氏は劇団若獅子の「宮本武蔵」3部作の演出を担当するようになりました。主演の宮本武蔵は笠原章氏が担当。

 テレビ番組「渡る世間は鬼ばかり」の演出を手掛けていた石井ふく子さんは、出演者を束ねて「石井組」と呼ばれていました。「宮本武蔵」公演にも石井組に所属する俳優、女優が助演出演をしておりました。

 浅草公会堂での「宮本武蔵」公演の終了後、浅草ビューホテルで打上げパーティーが開催されました。その時に石井ふく子さんとお話が出来、「宮本武蔵」公演の演出についてやエピソードをいろいろと披露してくれました。

 石井ふく子さんは、2022年に東京都名誉都民の称号を与えられております。


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真実の口

2023年03月27日 | 名所
    真実の口(ボッカ・デラ・べリタ)

    「真実の口」伊:Bocca della Verità(ボッカ・デラ・ベリタ))は、ローマにある石の彫刻であります。

    ローマのサンタ・マリア・イン・コスメディン教会の外壁、教会の正面柱廊の奥に飾られています。元々は下水溝のマンホールの蓋であったらしい。海神トリトーネの顔が刻まれています。手を口に入れると、偽りの心がある者はその手首を切り落とされる、あるいは手が抜けなくなるという伝説があります。

    映画『ローマの休日』では、グレゴリー・ペック扮するジョー(新聞記者)が真実の口に手を入れてこの伝説を再現してみせた。

 新人のオードリー・ヘップバーンは、撮影に緊張していました。監督とグレゴリー・ペックは、リラックスさせることを考えて、真実の口に手を入れて、手首を背広の袖に隠して手首を切り落とされた状態を見せた。
 ヘップバーンは、ビックリして驚いた。その後、背広の袖から手を出して無事であることを表わしておどけてみた。ビックリした後の笑い顔のヘップバーン。
   
 このシーンがとても強く印象に残っています。
 これは、グレゴリー・ペックの仕掛けたアドリブであり、とてもリアルなヘップバーンのリアクション映像となって残りました。自然の演技が表出された素晴らしいシーンでありました。
 それ以来、オードリー・ヘップバーンは緊張が解けて、映画の撮影が順調に進んでいったというエピソードが残っています。
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能勢裕里江さんのマジック

2023年03月26日 | TAMC
 TAMC(東京アマチュア・マジシャンズ・クラブ)の研修会は、能勢裕里江さんが担当をして行われました。
 会場は、港区芝にあるMシアターです。

 能勢裕里江さんは、スピリット百瀬さんの愛弟子で修練を重ねてきて、師匠の演技を継承されているマジシャンです。

 最初に演技を披露をしてくれました。シルクマジックの華麗な演技に魅了されました。四つ玉~八つ玉、ステッキが躍るダンシングケーン、コインとハンカチ、ロープマジックの神田祭、シルクとロープに続いて、トランプ投げの演技を見せていただきました。遠方に立てかけたキュウリ目掛けてトランプカードを投げ飛ばすとキュウリが真二つに切り裂かれていくのにはビックリしました。

 後半は、シルクとロープの二種目の研修指導です。とても丁寧に解説をしてくれましたのでよく理解できました。マジック演技をきれいに見せるポイントを教えてくれました。研修を受けていた人たちもとても参考になったと喜んでおりました。

 最後には9本リングの妙技を披露してくれました。
 流石に習練されている能勢裕里江さんのマジック演技と指導の素晴らしさに堪能できた研修会でした。
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(思い出)浅草手形顕彰

2023年03月25日 | 芸能
 島田正吾と辰巳柳太郎の手形顕彰(浅草公会堂)

 浅草公会堂前に芸能人で実績のある人の手形が顕彰されています。
 新国劇の発展に活躍した島田正吾辰巳柳太郎の手形が並んでいます。昭和55年11月に顕彰されてここに設置されました。

 新国劇は澤田正二郎が創立して、昭和4年に亡くなった後を島田正吾と辰巳柳太郎が二人座長として昭和62年まで活動していて70年間の新国劇の歴史の幕を引い看板を下ろしました。
 
 新国劇にとっては浅草がとても縁のある土地であり、浅草公園劇場を定席の芝居小屋として使用していました。

 その跡地には、新国劇の生き字引と云われた平野泰之さんが「沢正」という居酒屋を長年に亘り経営していました。
 その平野泰之さんも10月31日に天寿を全うして島田正吾・辰巳柳太郎両先生のいる世界へ逝ってしまった。(2007年11月17日)

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(思い出)緒形拳さんのこと

2023年03月24日 | 芸能
 島田正吾さんの95歳誕生会の緒形拳さん

 緒形拳さんのことでとても印象に残ることがありました。

  新国劇の師匠である「島田正吾先生95歳の誕生日パーティー」が開催された時のこと。名優といわれた緒形拳さんも島田正吾先生の前では、とても緊張している姿でありました。
 
 あまり話すことをしないシャイな緒形拳さんが、島田正吾先生との思い出を17分間にわたってスピーチしたこと。舞台「霧の音」の模様などを話した時のことがとても印象に残っています。

 この会場で、同窓生となる緒形拳さんと竹早高校のことや国広先生の思い出話をして、一緒に写真を撮ったが、背丈の高い人であることを認識しました。

 緒形拳さんが劇団若獅子公演「国定忠治」に特別出演をした時の打ち上げ会の席上でのこと。
 「緒形拳さんのことを私のブログに掲載して宜しいですか?」とお願いすると、「いいですよ。どうぞ使ってください」と快い返事を貰った。

 また「竹早高校の同窓会長になっていただけませんか」と無理なお願いもしてみたところ、緒形拳さんは笑顔で「仕事のスケジュールが2年先まで予定されている。引退したら考えてみよう」と話していました。

 もうその頃は肝臓がんが進行していて本人も自覚していたのだろう。そして役者には引退など無いことを十分に知っていての配慮であることを後で理解したものである。(2009年2月9日)

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緒形拳の手形顕彰

2023年03月23日 | 芸能
 緒形拳の手形顕彰(スターの広場)

 浅草公会堂の前にスターの広場があり、手形がたくさん展示してあります。
 19年度の手形顕彰者は、俳優では緒形拳でありました。

 緒形拳の解説には、このように記述したあった。
 俳優。昭和12年7月20日、東京都生まれ。本名・緒形明伸。
都立竹早高校卒。高校卒業後の昭和32年、新国劇の辰巳柳太郎の門を叩き、昭和33年に新国劇に入団、辰巳の付き人になる。
 
 昭和35年には、「遠い一つの道」でボクサー役に抜擢され、映画化された作品では、島田正吾と競演し、映画デビューを果たす。
 昭和40年にNHK大河ドラマ「太閤記」の主役に抜擢され、お茶の間の人気を独占。翌年のNHK大河ドラマ「源義経」で弁慶役を演じる。
 昭和43年に新国劇を退団、テレビに映画にと精力的に出演し、テレビでは「必殺仕掛人」シリーズの藤枝梅安役で好評を得る。
 
 昭和53年、野村芳太郎監督作品「鬼畜」に出演。その演技は秀逸でその年の男優賞を総なめにする。
 その後も、「復讐するは我にあり」(今村昌平監督)、「楢山節考」(今村昌平監督)に出演し、高い評価を得る。
 また、平成11年、池端俊策監督の「あつもの」でフランス・ベノデ映画祭グランプリ、平成18年モントリオール世界映画祭では「長い散歩」(奥田瑛二監督)でグランプリ他三冠受賞。
 平成12年紫綬褒章受賞。

 そのような素晴らしい緒形拳であるが、島田正吾の95歳誕生日パーティーに出席したときに、目の前でみた光景は、緒形拳は島田正吾の前では、とても緊張していた。まるで子供のようだった。島田正吾の話を真剣に聞き入れている緒形拳の姿がそこにあった。
 島田正吾が演じたひとり芝居「白野弁十郎」を継承して、ひとり舞台「白野」を継続的に演じている。

竹早高校の先輩である緒形拳さんのエピソードです。


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多摩湖を散策

2023年03月22日 | 池さんぽ
 天候に恵まれ春の陽気に誘われて多摩湖を散策してきました。

 多摩湖には吉祥寺に住んでいた頃、小学生、中学生の友達とよく遊びに来たところです。

 西武遊園地の大きな観覧車が見えるところから多摩湖畔を歩きました。
 ユキヤナギの白い花が満開で多摩湖との景観が素晴らしいです。

 多摩湖を外周する遊歩道は、西武球場までレオライナーと車道が並行して走っています。レオライナーの向こう側には西武園ゴルフ場が見えます。

 このところ気温が上昇してすっかり春の陽気となると共に樹木は色とりどりの花を咲かせて目を楽しませてくれます。花を見ながらの散策は良いものです。

 途中、食事のできる掬水亭がありましたので立ち寄りました。6階のレストランから眺める多摩湖の景観はとても素晴らしいものです。

 遊歩道は、ランニングをする人やサイクリングをする人もおり、ゆっくり歩いているところを追い抜いていきます。

 暫く行くと、眼前には大きな西武球場のドーム屋根が見えてきます。プロ野球の西武ライオンズの球場です。隣には狭山スキー場の大きな建物があります。
 プロ野球のシーズン開幕も迫り、球場も来場する人たちで賑わうことでしょう。
 西武球場駅前にはライオンズの全選手の顔写真が掲示されております。
 西武球場前駅から電車に乗り帰宅しました。
 本日の散歩は、徒歩15500歩でした。身体が軽くなり心地よいものです。
 
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彼岸のお墓参り

2023年03月21日 | 日記
 先祖が眠る小平霊園に行き、彼岸のお墓参りをしてきました。
 お墓を掃除して花を手向けて、線香を灯してから家族のことの報告をします。
 父や母など先祖の人たちとお話をすると気持ちがよくとてもすっきりします。

 天候に恵まれて雲一つなく素晴らしい日でした。
 霊園には、白いこぶしの花、ピンク色の桜やサクラソウがきれいに咲いておりました。

 
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音楽で世界旅行

2023年03月20日 | 芸能
 「心に平和の砦を築こう」とは、ユネスコ憲章の前文に書かれているスローガンです。
 豊島区制施行90周年記念事業の一環として、としま区民センター多目的ホールで「心に平和の砦を築こう~音楽で世界旅行~」コンサートが開催されました。

 城所信英さんの司会でプログラムは進行していきました。このイベントを当初より楽しみにしていた高野之夫豊島区長が2月に亡くなり残念でありましたが、高際みゆき副区長が90周年記念事業についての挨拶がありました。

 音楽を通じ文化の「違い」と「同じ」と「繋がり」伝えることができるコンサートです。

 出演者も世界6か国の子供から大人の人が参加しておりました。音楽も世界各国の演奏と歌が披露されていました。

 第1部は(戦争と平和)、第2部は(世界の音楽)に分かれて進行します。
 豊島区のユニットグループ「ハモローザ」は、さとうきび畑、さくら、Joyfullを見事に披露してくれました。

 フィナーレは、出演者全員で「We are the World」合唱して盛り上がっていました。
 とても素晴らしい音楽コンサートを鑑賞出来て良かったです。

 
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マジック教室(3月その2)

2023年03月19日 | マジック
 3月の第二マジック教室は5名が参加しました。

 最初はストロー2本を使用したものです。ストローを縦と横にして回転して絡ませていくが同じ色のストローを引っ張っていくと見事に外れてバラバラになる方法を習得しました。ストローマジックは皆さんすぐにマスターしておりました。

 続いての研修は、トランプカードを活用した「水と油」です。赤5枚黒5枚のカードを裏向きにして、1枚ずつ交互に重ねて10枚にするが、この10枚を表向きに広げると赤黒5枚ずつが別々になっている。
赤色を水として、黒色を油として進めていく。混ぜ合わせたものが別々になって分離している不思議さを学びました。

 最後に神田祭を披露しました。二本のロープに3枚のシルクを結びつける。更に左右のロープを1本ずつ選び3枚のシルクを結ぶ。その後ロープを左右に引くとシルクが上空に解き放される作品です。
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宮城の本田勝博さんと門馬史和さん

2023年03月18日 | 躰道
 本田勝博さん(左)と門馬史和さん(BumB東京スポーツ文化館)

 サラリーマン時代(ショーボンド建設)に宮城県仙台市にある支店に赴任しておりました。宮城県で躰道の修練をしている志摩制基さんはじめ多くの躰道の仲間たちと知り合いとなって現在に至っています。長い間交流が続いており有難いことと喜んでおります。

 全日本躰道選手権大会の会場で、本田勝博さん(宮城県理事長)と門馬史和さん(女川町出身)と久しぶりに会いました。
◆本田勝博さんは、現在宮城県躰道協会の理事長として県内の団体と会員をまとめている代表者であります。仙台に赴任した時には、毎週土曜日は石巻まで出かけて躰道の指導を担当していました。その時に本田勝博さんとは知り合いそれ以来親しく交流をしています。その後も大会や演武会等で石巻を訪問すると本田勝博さんは笑顔で迎えてくれます。当時の躰道の稽古の思い出話やその後の宮城県のことの情報を交換しました。現在の宮城県の躰道の基礎を築いたメンバーの一人が本田勝博さんであります。祝嶺正献最高師範から直接指導を受けたことにより、本田勝博さんは会社でも躰道の理念を生かして仕事で貢献をしていました。今は勇退して社会の地域の発展の為に尽力をしています。

◆門馬史和さんは、8歳から躰道を学んでいました。父親の門馬玉昇さんが熱心で練習日には女川町から石巻の道場まで車で送迎してくれました。少年部のときから稽古熱心であり、頭角を現して常に大会では優勝および入賞経験多数の実績があります。東北福祉大学躰道部時代には率先して部活動をリードしておりました。特に法形の演武では観客を魅了するほど素晴らしい実技を披露しておりました。志摩制基八段範士の尊父様の葬儀に参列をしたとき、帰りは石巻から仙台駅まで快く車で送っていただいたことがよみがえります。門馬史和さんは現在会社の札幌支店長として赴任しております。結婚して男の子にも恵まれました。そのお子さんが生まれること待ち望んでいたのが父親の門馬玉昇さんでありました。2011年3月11日のお昼前に女川町から札幌の家に電話があり「孫が生まれたら4月になったら札幌に会いに行くから」と元気な声でした。それから数時間後の2時46分に東日本大震災は発生して、門馬玉昇さん(74歳)は津波に呑み込まれて帰らぬ人となってしまいました。
 門馬玉昇さんは、女川町で行政の仕事をしていて、定年で勇退した後も地域の区長として老人の介護等の世話役として尽力していました。躰道でも女川町躰道協会を設立して組織拡大を図っておりました。宮城県躰道協会の三代目の理事長として尽力をした方です。震災の時には老人たちを避難させることに奔走しておりましたが、そこに津波が押し寄せて瓦礫の下敷きとなり、2週間後に発見をされました。それはお孫さんが生まれた二日後でありました。そのお孫さんは門馬玉昇さんの生まれ変わりであると家族たちは話しています。
 この事は、門馬史和さんと同じ会社の部下であり、そして今では漫才で活躍している人気のサンドイッチマン・伊達みきおさんのブログでも掲載されていました。(2011年11月)




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アルヴァル ヒューゴソンさんと懇談

2023年03月17日 | 躰道

  アルヴァル ヒューゴソンさんと懇談(オークレール)

 弘前に行った時に躰道の指導者でありますアルヴァル ヒューゴソンさんとお会いしました。

 ヒューゴソンさんは弘前大学で英語の講師をされています。躰道では日本躰道協会の役員として活躍しています。地元の弘前市では躰道の指導をして多くの会員たちを育成している素晴らしい指導者です。

 弘前アートホテルのティーラウンジ「オークレール」にて、懇談のひとときを過ごしました。やはり話題は躰道についてのこととなります。躰道創始者・祝嶺正献最高師範の想い出、日本躰道協会の運営、各種大会の運営などについて話題となりました。
 大会運営については、競技運営は若い人たちが率先して尽力しています。大会運営となると観客動員やOB師範への呼びかけ、大会終了後の報告と挨拶などを考慮してみると、祝嶺正献最高師範が生前話していたこと「躰道の競技大会を開催するのであれば多くの人に会場へ来てもらう方策を考えること。それが躰道を多く広報に繋がることで会員増強の目標となる」との理念に近づけることを再考する必要があるようです。

 全日本躰道選手権大会で昭和51年に千駄ヶ谷駅前の東京体育館で開催された時には、観客が3階席まで埋まり体育館事務局の人は「本日は7400名の入場者で、日本躰道協会は良く多くの人を集めましたね」と話していたことが思い出されました。

 その時、本部席とその後方の来賓席には150名の各躰道協会会長役員や師範たちで埋め尽くされていました。選手の入場行進は山田よしはる先生作曲による「躰道行進曲」がオーケストラの生演奏で会場内に響き渡りました。競技場は高台を設置して選手が見やすいように設営をされていました。

 そのようなことをヒューゴソンさんと話して、今後もこのような大会運営が出来ることを祈念している。となりました。(2018.7.2)

 (追伸)
 アルヴァル ヒューゴソンさんは、テレビ東京系列の1時間番組に出演をしました。
 「ワタシが日本に住む理由」というテーマで、経歴、躰道との出会い、祝嶺正献最高師範の理念、関場家のホームステイ、家族、料理つくり、行きつけのお店など詳しく紹介されていました。最後に日本人に要望することとして「もっと躰道を知ってほしい」とコメントをしていました。

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