青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

花弁舞い散る、記憶舞い戻る。

2024年04月20日 13時00分00秒 | 樽見鉄道

(桜の駅、賑わい@樽見鉄道・谷汲口駅)

名鉄谷汲線の廃線跡に、在りし日の憧憬を追う桜旅。少し廃線跡から離れ、根尾川を渡って樽見鉄道の谷汲口駅へ。岐阜県の西域を流れる根尾川の流域は、「根尾の淡墨(うすずみ)桜」で名高い桜の里。この時期は「桜ダイヤ」として日中の増便増車がかけられ、年で一番のお祭りムードになります。そして、花の便りに沸く樽見鉄道沿線でも随一の「花の駅」がこの谷汲口駅。根尾谷に春を告げる淡墨桜はエドヒガンの大きな一本桜ですが、この駅はソメイヨシノの系統。この時期、駅の周辺に植えられた桜が一斉に咲き誇り、普段は人影少ない簡素な造りのローカル線の駅に、多くの観光客が訪れます。

花曇りなのが少し残念ながら、時を今かと待ちわびたように、ときめく春を謳歌する谷汲口の桜。駅を望む北側の踏切からの定番構図。現在は第三セクターとして運営されている樽見鉄道ですが、元々は国鉄の樽見線として1956年(昭和31年)にこの谷汲口駅まで、二年後の1958年に美濃神海までが開業しました。この谷汲口の駅は、谷汲「口」というだけあって、旧谷汲村の中心からは3kmほど東に外れています。沿線住民の足・・・というよりは、国鉄の樽見線は本巣にある住友セメントの岐阜工場からのセメント輸送が主力の路線だったのですよね。どっちかと言えば、根尾川流域の住民は昔っから走っていて駅数も本数も多い名鉄谷汲線を利用していたらしいのですけど。

国鉄時代の樽見線は、昭和30年代に美濃神海(現:神海)まで開通しましたが、もともとさほど人口居住地を意識したルート取りをしていないこと、そして沿線住民は国鉄で大垣へ出るようなことはせず、名鉄電車で直接岐阜へ向かってしまうという流動の合わなさもあり、国鉄時代末期には特定地方交通線としての整理対象になりました。しかしながら、年間50万トンを超える大口のセメント輸送の収益は無視できませんで、三セク鉄道としての存続が決定。荷主の住友セメントと貨物専業の西濃鉄道が7割を保有する大株主となり、その他を地元の自治体が応分に持ち合うという珍しい形態で1984年(昭和59年)に「樽見鉄道」として再スタートします。新造されたレールバスに加え、国鉄からセメント輸送用のディーゼル機関車(DE10)と、多客対応用の旧型客車の払い下げを受け、朝の通勤時間帯や淡墨桜の開花時期などの繁忙期は、ディーゼル機関車による旧型客車の運転なんかが行われていました。そんな樽見鉄道の客レで使われていたオハフ33(樽見鉄道ではホハフ503)が、駅横の広場に保存されています。

桜の谷汲口駅に、大垣行きの単行NDCが到着。北側の踏切から望遠レンズでガッツリと定番構図をシュート。土曜日の朝、駅に群がるのは専ら花見客と我々のような鉄道マニアばかりで、実際の利用者は僅かでありました。名鉄谷汲線が廃止されて、旧谷汲村の中心市街地や谷汲山華厳寺への最寄り駅はここ谷汲口になってしまいましたが、現在は谷汲の街へ向かう揖斐川町のコミュバスは平日朝の1本のみが小学生の登校用に残されているだけ。とても公共交通として機能しているとは言えない状況で、谷汲に向かうには、養老鉄道の揖斐駅からのバスに頼るしかないのが現状です(それでも本数は相当少ない)。谷汲の町の人々は、実質クルマで送迎されない限り、通常ではこの駅を活用するのは難しい現状にありますが、今回のように桜のシーズンだけは、谷汲山行きのコミュバスが観桜対応で運転されているようでした。

桜の谷汲口を出る樽見行きのNDC。谷汲口の駅周辺は、普段は静かな里山風景・・・という感じの西濃の山村。駅の裏手の遠くに見える山はベンチカットされていますが、この辺りは石灰質の山が多く、揖斐川町と大野町にまたがる雁又山の東側は住友大阪セメントの岐阜工場で使われる石灰石を採掘している鉱山となっています。岐阜鉱山で採掘された石灰石は、根尾川の上をベルトコンベアーで渡り、工場に運び込まれて各種製品に加工されているそうです。住友大阪セメントの本巣駅からのセメントの鉄道での年間出荷量はピーク時には年間60万トンにも及び、発足後の樽見鉄道の収益の80%を占めるに至りましたが、鉄道貨物輸送の縮減の波に押される形で住友大阪セメントは2006年(平成18年)3月に鉄道輸送から撤退。旅客輸送専業となった樽見鉄道は、収益の大きな柱を失い苦境に陥ることとなります。現在は沿線の自治体の支援を得ながら旅客確保に努めてはいますが、少子高齢化と過疎化による将来的な見通しの悪さは、全国どこでも同じこと。

それだけに、この時期の淡墨桜を始めとする沿線の観桜輸送は、樽見鉄道の一番の稼ぎ時。大垣で折り返してきた樽見行きが、花の谷汲口を出ていく。車内には、多くの乗客が詰め込まれているのが分かります。樽見鉄道発足当時からのオリジナルカラーを纏ったハイモ330。樽見鉄道、どの車両も結構ラッピングが派手なのでなかなか撮り難しいのだけど、やっぱ樽見と言えばこの赤と水色のカラーリングですわなあ。余談ですが、子供の頃ちょこっとだけ鉄道模型(Nゲージ)をいじったことがあるのだけど、その時に買ってもらった模型がなぜか樽見鉄道のハイモ180だったのを思い出す。なぜ縁もゆかりもない樽見鉄道の車両だったのかはよく分からんのだが。その時の手持ちのNゲージは、スターターセットのしょっぱい円形のレイアウトと、ハイモ180とDD16と旧型客車と貨車が何両か・・・というどうしようもなく地味なラインナップだったのだが、今思えばそれってまごうかたなき発足当時の樽見鉄道だったのだな・・・と思ったり(笑)。今ならタキ1900を大人買いしてヤードに並べ、住友大阪セメント本巣工場からの出荷風景でも再現してやるのだが。

趣味の世界というもの、特に鉄道趣味は「子供の頃の原体験」みたいなものがその後の趣味嗜好に大きく影響を及ぼすものと思っておるのだけれど、今回私が樽見鉄道を訪れたのも、そんな子供の頃の原体験が頭の隅のどこかに埋もれていたからなのかもしれない。三つ子の魂百まで、雀百まで踊りを忘れず、じゃないけれどもね。そして、特に趣味になると余計に懐古的で未練がましく、いつも昔を懐かしみながら今を生きているような感覚がある。今を昔の思い出に透過させて谷汲口。今年もきれいに桜が舞い散る。クリスマスプレゼントで買ってもらった初めての鉄道模型、あの頃の思い出の中に、桜は咲いていただろうか。


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