青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

憧憬の 春に桜が 咲き乱れ。

2024年04月17日 17時00分00秒 | 名古屋鉄道

(来ない列車を待つ桜@旧名鉄谷汲線・更地駅跡)

旧名鉄600V線区を辿る旅は、黒野から北へ。根尾川に沿って、谷汲へ向かう参詣鉄道の廃線跡を辿ります。根尾川沿いに開けた平野がやや狭まり、視界に山が近付きつつあるあたり。県道を少し折れた集落の路地裏に、ひっそりと一本のホームがありました。これが旧名鉄谷汲線・更地(さらぢ)駅跡。ここに駅があったことを示すかのように、ホームの傍らに立つ一本桜。谷汲線が現役だった頃は、春になるとこの一本桜とオールドタイマーの赤い電車の組み合わせを求めて、多くの鉄道ファンがこの駅を訪れたそうです。電車が来なくなってはや四半世紀弱、今年も春を迎え、今年も桜が咲き、そして駅のホームが静かに来ない電車を待っていました。

名鉄谷汲線の更地駅。何年か前、この駅で撮られた写真の数々に触れる機会があり、その雰囲気の素晴らしさが印象に残っていた駅です。それにしても、もう廃線になってから20年以上の時が流れているというのに、こうもはっきりと駅の遺構がそのままになっていることに驚く。今でも目を閉じれば、一両の赤い電車が山裾を回って走って来そうな、そんな雰囲気すらある。廃線跡は、レールこそ剥がされているものの、さりとて何かに転用される素振りもなく。路盤は草に覆われつつもその下にバラストを残し、そしてホームは白線を鮮やかに残したまま、大きな躯体物としてそこにあり続けていた。道路と路盤の境目の部分にはフェンスが立てられていて、一応公有地と私有地の境目くらいの区切りはついているのだが、放置?というならもう少し朽ち果ててる気もするし、少なくとも草刈り程度の最低限の管理はまだなされているのだろう。廃線跡によくある、駅があったことを示すような案内看板なども特にないのだが、見た目がまごうかたなき「駅」であったことを示しており、保存状態をして天然かつ絶妙、とも言える状態である。

レールが剝がされた路盤に彩りを添える菜の花。更地駅のホームの少し谷汲寄りには、おそらくキロポストだったと思われるコンクリートの標識がそのまま残されている。営業当時、黒野起点で更地駅が3.9kmの位置にあったことが記されているので、ペンキが剥げるまでは白地に黒い文字で「4」の表示がなされていたものと思われる。かつての更地駅は、ホームの上に市民プールの日よけのようなビニールの小さな屋根掛けと、駅を示す駅名票、そして駅の黒野寄りに「更地駅」という名鉄の駅看板があったそうな。「谷汲線 更地駅」で検索すると、あまたの先輩諸氏が撮影されたその当時の写真を見ることが出来ますが・・・やはり春に撮られた写真が多いですね。憧憬、といってもいいでしょう。それだけに、レールが現役の時に来てみたかったなという思いは訪れてなお一層強くなってしまったのは言うまでもない。谷汲線が廃線になったのは2001年(平成13年)のこと。21世紀まで、名古屋の近郊で夢のようなローカル私鉄の風景が楽しめた訳で・・・笠松競馬までは来てたけど、岐阜まで出て谷汲まで行けよ!とその頃の自分に伝えてあげたい気分だ。

誰も訪れることのない春の朝。何となく立ち去りがたく、別れがたく、いじましく駅の周りをグルグルと回ってしまう。当時の写真を改めて見返すと、桜の木がずいぶん大きくなったことが分かる。おそらく、現役当時は架線や車両に干渉しないよう、伸びた枝は適時剪定されて揃えられていたのだろう。正式に廃線となった後は、特に遮るものもない分、桜の木は思う存分に枝を伸ばすことが出来るようになった。桜の気持ちとしては、電車が来なくなったことがかえって良かったのかもしれない・・・けれど、この桜には、やっぱり赤い電車が必要だよね。そう思いませんか。


赤い電車を待ち続け、四半世紀の時が過ぎ。
桜咲く春、霞の朝も、まだかまだかと、待っている。


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