青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

森閑と 歴史伝える 大伽藍。

2022年10月20日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(信仰の道に立つ@本宮集落・念法寺)

本宮集落にある念法寺の大伽藍。本宮集落の「本宮」とは、この寺のはす向かいにある立藏神社がかつては立山の雄山神社の本宮とされたことによるもの。この本宮集落と対岸の芦峅寺の集落は、立山信仰の信徒が住む信仰に篤い土地で、立山開山の祖と言われた佐伯有頼(さえきありより)の出身地でもある。富山地方鉄道の祖でもある富山電鐵の創始者・佐伯宗義も、雄山神社の神職を務める家の後継者として、立山は芦峅寺の集落に生まれています。

大伽藍の裏に回ると、小さなお堂と親鸞聖人の像があった。親鸞聖人と言えば浄土真宗の開祖。北陸地方は浄土真宗の信仰の強い地域として有名ですが、北陸への布教の広がりは、室町時代に後継の蓮如上人によって行われたそうです。立山信仰は山岳信仰と仏教信仰のハイブリッドとも言われ、浄土真宗の思想も大きな影響を与えていて、例えば称名滝の「称名」というのは浄土真宗の「南無阿弥陀仏」という題目を唱えながら祈りを捧げる「称名念仏」から取られていますし、室堂に繋がる「弥陀ヶ原」なんてのも阿弥陀如来がその地名の起源だったりします。

森閑とした念法寺の境内。
信仰の山を降りて行く地鉄の電車の輪音が、束の間の静寂を破ります。

 

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思い出は 森に還りて 終着駅。

2022年10月18日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(ススキ揺れる、秋の坂道@横江~千垣間)

雨の中、霞む山肌をバックに立山への道を登って行く60形。ススキの草むらを分けて、やっとこ列車がハマる構図を探り出す。雨で濡れた草を掻き分けて作った構図で、腰から下はビショビショに。古びた架線柱、連続したカーブの登り坂はいかにも立山線の山線区間という感じがする。こうも雨が降ると車輪の空転も気になりそうなコンディション。運転士氏も慎重に、速度を落としての山登り。

秋雨を 集めて早し 常願寺川。雨のせいで大濁りに濁った川の水が岩を嚙んで流れて行く。千垣の芳見橋から、定番アングルの千垣橋梁。この時期、新緑も青葉もなく、紅葉でもなく雪でもない景色なので、何だか中途半端な風景だなあ。そして千垣橋梁、以前と比べて川を渡るケーブルが横に入って構図が狭くなったような気がする。

霧に煙る幽玄の粟巣野。現在の本宮~立山間には何も駅がなく、電車はえっちらおっちら与四兵衛山と常願寺川に挟まれた狭い桟道を登って行きますが、かつてはこの区間に芦峅寺(あしくらじ)と粟巣野(あわすの)の二つの駅がありました。芦峅寺の駅は、付近にあった立山炭鉱の積み出しの為に作られた鉱山駅で、富山県のホームページにその内容が詳しく書かれていますが、産炭量も少なく質も悪くというポンコツ鉱山であったらしい。それにしても岩峅寺と芦峅寺に使われる「峅(クラ)」って漢字、日本だとここでしか使っているのを見た事がない不思議な漢字だ。「谷間」を表す文字らしいが、その由来は謎。元々「弁」の字は「分ける、分かつ」というような意味を持って「辨」と書かれていたようなのだが、そこから「谷間=山を分かつ」という意味で「峅」という文字が出来たのかもしれない。知らんけど。

芦峅寺の駅は車窓から僅かに見る事しか出来ませんが、粟巣野の駅は本宮から立山へ向かう県道の上から俯瞰する事が出来ます。森に囲まれて電力施設が残された小さな平地が、かつての粟巣野駅の跡。現在の立山駅が千寿ケ原駅として開業する前までは、暫定的に立山線の終点となっていました。こんな道もないような場所でよく終点駅の役割を果たしていたなあと思うのだけど、千寿ケ原駅が出来た後もほぼ無利用の状態で30年ほど営業していたというのだから、地鉄ってホント物持ちがいい会社だな・・・と感心してしまうのであります。

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「中抜き」が 少し寂しい 京阪色。

2022年10月16日 10時00分00秒 | 富山地方鉄道

(物憂げな朝@岩峅寺駅構外)

降り続く雨の中、立山線の岩峅寺止まりでやって来た1307レが折り返し作業。この作業は、岩峅寺駅南側の踏切を支障しての作業。岩峅寺折り返しの列車は、逆線出発は行わずに一旦駅南側の本線にに引き上げてから富山方面行きのホームに出発列車を据え付けます。ちなみに岩峅寺の駅、一番駅舎に近い立山行きホームが2番線で、1番線は立山線の電鉄富山方面行き。3番が上滝線の折り返しホームで、4番が通常時は未使用。この「駅舎から順に並ばない」番線の付け方は寺田とか電鉄黒部もそうなんですが、それがなぜなのかはよく分かりません。

地鉄の10033F。京阪電車時代の塗装に塗り直され、二階建てのダブルデッカー車両を挟み込み地鉄御自慢の観光列車「ダブルデッカーエキスプレス」として活躍していました。が、コロナ禍による急激な観光需要の落ち込み、そして特急列車全運休の減量ダイヤの施行。3連で運用される平日朝の上滝線の輸送力列車としての登板も、西武から後継のNRAが投入されたためお役御免。現在は中間車を取り外して、ローカル輸送の一員になってしまいました。

ついこの間まで、華やかに立山観光・黒部観光を彩っていたダブルデッカーエキスプレス。北陸新幹線の金沢開業に合わせ、観光需要の取り込みに躍起となった富山地鉄が京阪を拝み倒して導入した車両だそうですが・・・コロナ前にはインバウンド需要を大きく取り込み、アルペンルートへ向かう海外勢の足として活躍していたDDE。国内需要だけでは決して叩き出せない収益をもたらした観光需要がコロナで途絶えた訳ですが、海外勢の観光需要も、この秋から制限なしの海外客受け入れが復活するそうで。果たして需要は戻るのかどうか。

ガラガラの車内から外を眺めれば、岩峅寺のチャームポイントでもある「日本海みそ」の大看板。

♪雨がざあざあ 降る朝は 
♪立山線の 景色も寒く
♪京阪の車内は ガーラガラ
♪ちょっと寂しい 2両だけ
♪恋しいな ダブルデッカー
♪あーあ地鉄の 2階建て車両

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雨の日は 駅のアロマが 薫り立ち。

2022年10月14日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(雨は強く激しく@横江駅)

台風由来の雨は止む気配もなく、むしろ激しさを増して降り続いていた。ほぼ土砂降りと言ってもいい横江の駅、思わず足元を長靴に履き替えて駅前に出る。結局、この日は最後まで長靴を脱ぐことは出来なかったですね。横江のイメージも自分の中では「雨の駅」なので、暗い朝に濡れそぼる古い木造駅舎、というまた情感たっぷりな雰囲気を味わう事が出来ました。

駅の待合室のベンチに座って、降りやまない雨の空を見上げる。横江の駅に限らないんだけど、こう古い木造の駅って独特の木の湿った匂いと言うか、防腐用に染み込ませてるクレオソートが溶けだしてるのか、少しのカビ臭さとホコリ臭さと合いまったような「古い木造駅っぽい匂い」としか言いようのない独特の匂いがしますよね。雨の日は特にそれが強く薫り立つというか、もうこれは木造駅舎が醸し出すアロマみたいなもので。

思えば、初めて訪れた頃の横江駅は、もう少し荒廃していてみすぼらしかった記憶がある。その時と比べれば、今も建物こそそのままですけど、入口の引き戸周りが修繕されていますし、駅の看板は掛け替えられたし、入口の蛍光灯も取り換えられたりと地道な補修はされているのですよね。そして何より、駅前にきれいな水洗トイレが出来て、パークアンドライド用の駐車場が整備されたのが特筆出来る所。駅の近くの尖山(とがりやま)に向かうハイカーにも合わせて整備されたものらしいですが、しっかりと地に足を付けた形での駅の利用促進に向けた取り組みは続いているようです。

駅舎の瓦屋根とトタンに打ち付ける雨の音は激しいまま。
立山行きの16010形が、車輪の音も雨音にかき消されて静かに横江の駅に入って来ました。

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立山は 雨にしっとり 濡れてこそ。

2022年10月12日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(雨音は 雷鳥の調べ@本宮駅)

台風由来の秋雨は止む事なく降り続き、本宮の集落を濡らす。千垣より先、常願寺川の鉄橋を渡ってからは、線路の勾配やカーブもきつくなり、山岳路線の趣が増します。終点の立山は観光客の乗り換え需要に特化した駅であり、沿線に集落と民家が立ち並ぶのもこの辺りまで。以前は本宮止まりの列車も何本かあったように、日常の足として地鉄を利用する乗客の利用も同様にこの辺りまで、という事になります。

大雨で濁り、増水した真川の鉄橋を渡るKB301。立山線に関しては、個人的には撮りに来る時に割と雨がちで、天気には恵まれない印象がある。思えば、最初に来た秋の日から雨だったんだよなあ。という事で、自分のPCの写真フォルダには、立山線の雨の写真がたくさん残っているのだが、今回も割と湿度の高いカットを多く持ち帰ることになりそうだ。

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