書店に行くと必ず立ち寄るのが料理関連のコーナーだ。
初めは多少なりとも抵抗があったが、今ではまったくそういうことが無い。
それどころか、かなりの時間をかけて目を通している。
そんな中で、料理人野沢洋光著書「美味しい方程式の原点」を先日買い求めた。
料理の鉄人と言われる道場六三郎は、出汁を基本に様々な本を出しているが、
野沢洋光は、視点を素材そのものに置いているようだ。
著書のプロローグは「いきなりですが、ゆでただけの野菜を食べてみて下さい。」
そして「これが固有名詞の味です。」と繋げて来るぐらいだ。
筑前煮にしても、道場六三郎は基本だしと醤油・味醂の組合せで紹介しているのに対し、
野沢洋光は出汁をまったく使わない。
野菜類を一度霜降りにしてから調理するのだ。
なるほど実際作ってみると、今まで出汁を使わなければという感覚がまったく嘘のようだ。
素材からのうまみが重なりあって何ともいい味わいだ。
両者の料理を直接食べたことなどもちろん無いが、料理に対する愛情はそれぞれ変わらないだろう。
料理に限らず、何かつくるということは、作り手側の愛情や真剣さ次第なんだなぁと改めて感じる。
初めは多少なりとも抵抗があったが、今ではまったくそういうことが無い。
それどころか、かなりの時間をかけて目を通している。
そんな中で、料理人野沢洋光著書「美味しい方程式の原点」を先日買い求めた。
料理の鉄人と言われる道場六三郎は、出汁を基本に様々な本を出しているが、
野沢洋光は、視点を素材そのものに置いているようだ。
著書のプロローグは「いきなりですが、ゆでただけの野菜を食べてみて下さい。」
そして「これが固有名詞の味です。」と繋げて来るぐらいだ。
筑前煮にしても、道場六三郎は基本だしと醤油・味醂の組合せで紹介しているのに対し、
野沢洋光は出汁をまったく使わない。
野菜類を一度霜降りにしてから調理するのだ。
なるほど実際作ってみると、今まで出汁を使わなければという感覚がまったく嘘のようだ。
素材からのうまみが重なりあって何ともいい味わいだ。
両者の料理を直接食べたことなどもちろん無いが、料理に対する愛情はそれぞれ変わらないだろう。
料理に限らず、何かつくるということは、作り手側の愛情や真剣さ次第なんだなぁと改めて感じる。