2010.8/7 801回
四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(20)
「明けぬ夜の心地ながら、九月にもなりぬ。野山の気色、まして袖の時雨をもよほしがちに、ともすればあらほひ落つる木の葉の音も、水の響きも、涙の滝もひとつもののやうにくれ惑ひて、かうてはいかでか、限りあらむ御命も、しばしめぐらひ給はむ、と、さぶらふ人々は心細く、いみじくなぐさめ聞こえつつ思ひまどふ」
――(姫君たちには)闇に暮れ惑う気持ちのまま、やがて九月になってしまいました。宇治の野山の景色も寂しげで、それだけでも涙を誘うことが多くて、木の葉が争って落葉する音も、川瀬の音も、姫君たちの流す涙と区別ができないほどで、心が暗く乱れておいでになります。こんなことではどうして御寿命がしばしの間でもお続きになれるでしょうか、と、お仕えする人々は心細く、精一杯お慰め申しながら途方にくれるのでした――
「ここにも念仏の僧さぶらひて、おはしましし方は、仏を形見に見奉りつつ、時々参り仕うまつりし人々の、御忌に籠りたる限りは、あはれに行ひて過ぐす」
――山寺と同じようにこの山荘にも念仏の僧たちが詰めていて、何かの折毎にお出入りしていました人々で、八の宮の中陰に籠っていました人だけは、八の宮のおられたお部屋で仏像を形見として拝しながら、しんみりと勤行などをしながら日を過ごしております――
「兵部卿の宮よりも、度々とぶらひ聞こえ給ふ。さやうの御返りなど、聞こえむ心地もし給はず。おぼつかなければ、中納言にはかうもあらざなるを、われをばなほ思ひ放ち給へるなめり、と、うらめしく思す」
――兵部卿の宮(匂宮)からも、度々お見舞いをお寄こしになります。姫君たちはとてもお返事申し上げる気持にもなれません。匂宮は、姫君たちからのお返事が一向にありませんのが気懸りで、(お心の中で)「中納言(薫)には、こうも素気無くなされはしまいに、やはり私のことなどお心に留めていらっしゃらないようだ」と恨めしくお思いになるのでした――
実は匂宮は、紅葉の頃に漢詩などをお作りになろうと宇治にお出かけのお積りでいらしたのに、八の宮の急なご逝去のため、この辺りへのお遊びには不都合な時節となりましたので、宇治へは断念せざるを得ず、まことに残念な思いでいらっしゃるのでした。
「御忌もはてぬ。限りあれば涙も隙もや、と思しやりて、いと多く書きつづけ給へり。時雨がちなる夕つかた」
――八の宮の四十九日忌も終わりました。ものには限度というものがあるので、そろそろ姫君たちの悲しみも少しは薄らいだであろうか、と、匂宮は思われて、いつもよりもお言葉を多く連ねてお文をお書きになります。それは時雨がちな夕暮れのことでした――
では8/9に。
四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(20)
「明けぬ夜の心地ながら、九月にもなりぬ。野山の気色、まして袖の時雨をもよほしがちに、ともすればあらほひ落つる木の葉の音も、水の響きも、涙の滝もひとつもののやうにくれ惑ひて、かうてはいかでか、限りあらむ御命も、しばしめぐらひ給はむ、と、さぶらふ人々は心細く、いみじくなぐさめ聞こえつつ思ひまどふ」
――(姫君たちには)闇に暮れ惑う気持ちのまま、やがて九月になってしまいました。宇治の野山の景色も寂しげで、それだけでも涙を誘うことが多くて、木の葉が争って落葉する音も、川瀬の音も、姫君たちの流す涙と区別ができないほどで、心が暗く乱れておいでになります。こんなことではどうして御寿命がしばしの間でもお続きになれるでしょうか、と、お仕えする人々は心細く、精一杯お慰め申しながら途方にくれるのでした――
「ここにも念仏の僧さぶらひて、おはしましし方は、仏を形見に見奉りつつ、時々参り仕うまつりし人々の、御忌に籠りたる限りは、あはれに行ひて過ぐす」
――山寺と同じようにこの山荘にも念仏の僧たちが詰めていて、何かの折毎にお出入りしていました人々で、八の宮の中陰に籠っていました人だけは、八の宮のおられたお部屋で仏像を形見として拝しながら、しんみりと勤行などをしながら日を過ごしております――
「兵部卿の宮よりも、度々とぶらひ聞こえ給ふ。さやうの御返りなど、聞こえむ心地もし給はず。おぼつかなければ、中納言にはかうもあらざなるを、われをばなほ思ひ放ち給へるなめり、と、うらめしく思す」
――兵部卿の宮(匂宮)からも、度々お見舞いをお寄こしになります。姫君たちはとてもお返事申し上げる気持にもなれません。匂宮は、姫君たちからのお返事が一向にありませんのが気懸りで、(お心の中で)「中納言(薫)には、こうも素気無くなされはしまいに、やはり私のことなどお心に留めていらっしゃらないようだ」と恨めしくお思いになるのでした――
実は匂宮は、紅葉の頃に漢詩などをお作りになろうと宇治にお出かけのお積りでいらしたのに、八の宮の急なご逝去のため、この辺りへのお遊びには不都合な時節となりましたので、宇治へは断念せざるを得ず、まことに残念な思いでいらっしゃるのでした。
「御忌もはてぬ。限りあれば涙も隙もや、と思しやりて、いと多く書きつづけ給へり。時雨がちなる夕つかた」
――八の宮の四十九日忌も終わりました。ものには限度というものがあるので、そろそろ姫君たちの悲しみも少しは薄らいだであろうか、と、匂宮は思われて、いつもよりもお言葉を多く連ねてお文をお書きになります。それは時雨がちな夕暮れのことでした――
では8/9に。