永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(808)

2010年08月21日 | Weblog
2010.8/21  808

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(27)

 「この人は、かの大納言の御乳母子にて、父はこの姫君達の母北の方の、母方の叔父、左中弁にて失せにけるが子なりけり。年頃遠き国にあくがれ、母君もうせ給ひて後、かの殿には疎くなり、この宮には尋ね取りてあらせ給ふなりけり」
――この弁の君は、あの大納言(権大納言=故柏木)の乳母子(めのとご)です。父親はこちらの姫君達の母方の叔父にあたる人で、左中弁で亡くなった人でした。弁の君は長年遠国をめぐりあるいて、母も亡くなった後は、故柏木の父大臣のお邸とも疎遠になり、こちらの八の宮が引き取っておやりになったのでした――

「人もいとやむごとなからず、宮仕へなれにたれど、心地なからむものに宮もおぼして、姫君たちの御後見だつ人になし給へるなりけり」
――人柄がそれほど上品でもなく、宮仕えなどで人づれしてはいるものの、物の分からない人でもないと思われて、八の宮は姫君達の御後見役という形でかしづかせておいでになったのでした――

「昔の御事は、年頃かく朝夕見奉りなれ、心へだつるくまなく思ひ聞こゆる君達にも、一言うち出で聞こゆるついでなく、しのびこめたりけれど、中納言の君は、ふる人の問はず語り、皆例のことなれば、おしなべて淡々しうなどは言ひひろげずとも、いとはづかしげなめる御心どもには、聞き置き給へらむかし、とおしはからるるが、ねたくもいとほしくも覚ゆるにぞ、またもて離れてはやまじ、と、思ひ寄らるるつまにもなりぬべき」
――弁の君は昔の御事(女三宮と柏木との事件)は、明け暮れお側に仕えてお心安くしていただいている姫君達にも、ついぞ漏らすこともなく、胸一つに深く畳んでおいたのでした。けれども薫中納言にしてみれば、とかく老人の問わず語りはどこにでもよくある事なので、誰にでも軽々しく喋り散らしたりはしないにしても、あのたいそう気の置ける姫君達にはお話になって、もうご承知であろうとお思いになりますと、極り悪くも心苦しくもあって、それならば尚の事姫君たちを他人に譲るわけにはいかない、何としてでもわがものにと、これがまた思いを募らせる動機ともなるにちがいないのでした――

◆かの大納言の御乳母子(おんめのとご)=弁の君の母が柏木の乳母であった。=乳母子とは、つまり同じ乳で育った関係をいう。非常に強いきずなを持つ。

では8/23に。


源氏物語を読んできて(山寺の阿闇梨)

2010年08月21日 | Weblog
山寺(宇治山)の阿闍梨とは

 光源氏の異母弟「八宮」はもとより「薫君」も「宇治山の阿闍梨」を仏道の師として深く帰依していました。当時、宇治には山寺として知られた寺は三室戸寺のみで当寺の僧をモデルとして描いたのではないでしょうか。
 因みにやや時代が下りますが「宇治拾遺物語」には藤原一門の三室戸僧正隆明が名声高き僧として記されており、当寺が藤原期に有名寺院であったことが知れます。

写真:三室戸寺(みむろとじ)本殿