永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(809)

2010年08月23日 | Weblog
2010.8/23  809

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(28)

「今は旅寝もすずろなる心地して、帰り給ふにも、『これや限りの』など宣ひしを、などか、さしもやはとうち頼みて、また見奉らずなりにけむ」
――今は、八の宮が亡くなられたこのお邸に泊まるのは憚られますので、お帰りになるにつけても、宮が「これが最後の対面になろうか」とおっしゃいました時には、まさかこのようにはなるまいと当て推量して、何故再びお逢いもせずに済ませてしまったのだろう――

 薫は悲しみが込み上げて来て、

「秋やはかはれる、あまたの日数も隔てぬ程に、おはしにけむ方も知らず、あへなきわざなりや。ことに例の人めいたる御しつらひなく、いと事そぎ給ふめりしかど、いともの清げにかき払ひあたりをかしくもてない給へりし御すまひも、大徳達出で入り、こなたかなたひきへだてつつ」
――あの時も今のような秋であった。あれからどれ程も日が経っていませんのに、八の宮は行方も知れずあの世に旅立ってしまわれた。何とはかない世の中であろう。この山荘も特別世間並みの御装飾はなさらず、しごく簡素にしておられ、さっぱりと手入れが行き届いて趣き深くお住いになっていらっしゃったけれど、今ではしきりに僧たちが出入りなさり、あちらこちらに間仕切りをして――

「御念誦の具どもなどぞ、変わらぬさまなれど、仏は皆かの寺に移し奉りてむとす、ときこゆるを、聞き給ふにも、かかるさまの人影などさへ絶えはてむ程、とまりて思ひ給はむ心地どもを、酌みきこえ給ふも、いと胸いたう思しつづけらる」
――お念仏の御調度類は昔のままですが、僧たちが「仏はみなあの山寺にお移し申しましょう」と申し上げているのを耳になさるにつけ、薫は、こうした僧たちの影などまで見えなくなったとき、あとにお残りになる姫君達のお気持が思いやられて、薫は胸が疼き、それからそれへと思い続けられるのでした――

 薫の供人が、

「『いたく暮れ侍りぬ』と申せば、ながめさして立ち給ふに、雁鳴きて渡る」
――「もう大分日が暮れて参りましたので」とお帰りを促される声に、薫がふとわれに返って、立ち上がられると、折から雁が鳴き渡って行くのでした――

(薫の歌)「秋霧のはれぬ雲居にいとどしくこの世をかりと言ひ知らすらむ」
――秋霧の晴れぬ空を眺めて胸も晴れやらぬのに、更に加えて仮のこの世を言い知らせるように、雁が鳴いて渡ることよ――

◆写真:夕暮れの宇治橋

では8/25に。