永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(802)

2010年08月09日 | Weblog
2010.8/9  802回

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(21)

 匂宮からのお手紙には、

「(歌)『をじかなく秋の山里いかならむ小萩がつゆのかかるゆふぐれ』ただ今の空の気色を、おぼし知らぬ顔ならむも、あまり心づきなくこそあるべけれ。枯れゆく野辺もわきてながめらるる頃になむ」
――(歌)「萩の露がふりかかるこのような夕暮れは、鹿の鳴く秋の山里で、どのようにお過ごしでしょうか。さぞ涙にぬれておいででしょう」今のこの風情をお解しにならずにお返事がありませんのは、いかにも不似合いというものでしょう。暮れて行く野末も、ひとしおうら悲しく眺められるこの頃でございます――

 と書かれてあったようです。お手紙をご覧になった大君(おおいぎみ)は、

「『げに、いとあまり思ひしらぬやうにて、たびたびになりぬるを、なほ聞こえ給へ』など、中の宮を、例の、そそのかして、書かせ奉り給ふ」
――「ごもっともな仰り方でございます。ものの情けも弁えないようなことが度かさなってもいかがかと存じますから、やはりご返事を申し上げなさい」と、中の君に例のように促されてお返事をお書かせになります――


「今日までながらへて、硯など近く引き寄せて見るべきものとやは思ひし、心憂くも過ぎにける日数かな、と思すに、またかきくもり、もの見えぬ心地し給へば、押しやりて、
『なほえこそ書き侍るまじけれ。やうやうかう起き居られなどし侍るが、げに限りありけるにこそ、と覚ゆるも、うとましう心憂くて』と、らうたげなるさまに泣きしほれておはするも、いと心ぐるし」
――(中の君はお心の中で)「今日まで生き長らえて、硯などを引きよせて、このようなお返事を書きますなどとは、一体思ったでしょうか。心ならずも日数ばかりは過ぎていくものよ」とお思いになりますと、胸がいっぱいになって物も見えぬ心地がしますので、硯を押しのけて、「とても書けそうにもありません。ようやくこうして起きていられるようになりましたが、なるほど悲しみも時が経てば薄れていくものなのかと、われとわが身が疎ましく思われて」と、愛らしく泣きぬれていらっしゃるご様子は、見るからにお気の毒です――

 夕暮れの頃、京から来た匂宮のお使いが、宵を少し過ぎて着いたことですので、「これから京へ戻るのは難しいでしょうから、お泊まりください」と伝えさせましたが、「(お返事を頂いて)折り返しすぐ京へ戻ります」と、たいそう急いでいる風です。

◆中の宮=原本にはこのとおりに書かれている。中の君のこと。

では8/11に。