永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(829)

2010年10月01日 | Weblog
2010.10/1  829

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(6)

弁の君はつづけて、

「身を棄て難く思ふかぎりは、程々につけてまかで散り、昔の古き筋なる人も、多く見奉り棄てたるあたりに、まして今はしばしも立ちとまり難げにわび侍りて、おはしましし世にこそ、かぎりありて、かたほならむ御有様は、いとほしくもなど、古代なる御うるはしさに思しもとどこほりつれ」
――山里に朽ちるのが厭な侍女たちは、みなそれぞれに暇をとり、古くから縁故のある人も大方お側を去ったあとのお邸に、ましてや八の宮の亡き今は留まり難くたいそう困っております。八の宮御在世の間は、一定の格式があって、見苦しいご縁組はお気の毒だなどと、古風な几帳面さから御躊躇もなさったのですが――

「『今はかうまたたのみなき御身どもにて、いかにもいかにも世になびき給へらむを、あながちにそしり聞こえむ人は、かへりて物の心をも知らず、言ふかひなき事にてこそはあらめ、いかなる人か、いとかくて世をば過ぐしはて給ふべき、松の葉をすきてつとむる山伏だに、生ける身の棄て難さによりてこそ、仏の御教えをも、道々別れては行ひなすなれ』などやうのよからぬ事をきこえしらせ、若き御心どもみだれ給ひぬべきこと多く侍るめれど」
――(侍女の中には)「姫君方は、今ではこうして他に頼りどころもないお身の上で、どのように世間一般に従われましょうとも、それに強いて陰口申すような人は、却って世の中のことを知らず道理を知らない人でしょう。いったい誰がこんなひどい有様で一生をお過ごしになられる訳のものでしょうか。松の葉を食するという山伏でさえも、やはり生きる身の難しさに、仏の御教えさえも、別々の派を立てて修行するということですもの」などと、こんなとんでもない事を申し上げて、姫君たちの御心を乱れさせ申すことも多いのですが――

「たわむべくもものし給はず、中の宮をなむ、いかで人めかしくもあつかひなし奉らむ、と思ひ聞こえ給ふべかめる。かく山深く尋ねきこえさせ給ふめる御志の、年経て見奉り馴れ給へるけはひも、うとからず思ひきこえさせ給ひ」
――(大君は)戯れにもそのようなお考えはなく、ただ(中の宮)中の君だけには、何とか人並みにしてさしあげたいとお考えのようでございます。このような山深いところへお尋ねくださるあなた様の御厚意が、姫君方が長い間お見上げしなれた感じからも、親しくお思い申しておられ、疎ましくは思っておられない筈です――

 と、申し上げます。

では10/3に。