2012. 5/9 1104
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その12
「この右近、もの折るとて、『かくて渡らせ給ひなば、とみにしもえ帰りわたらせ給はじを、殿は、この司召の程過ぎて、つひたちごろには必ずおはしましなむ、と、昨日の御使も申しけり。御文にはいかが聞こえさせ給へりけむ』と言へど、答へもせず、いともの思ひたるけしきなり」
――この右近は、縫いものに折目をつけながら、「こうしてあなた様がお出かけになりましては、急にはお帰りになれないでございましょう。大将殿は、この度の司召のことが終わったならば、来月の初めごろにはきっとお出ましになりますと、昨日のお使いの者も申しておりました。御文には何とございましたか」と言いますが、返事もなく、女君(浮舟)はひどく物思いにふけっている様子です――
「『折しもはひ隠れさせ給へるやうならむが、見ぐるしさ』と言へば、向かひたる人、『それは、かくなむわたりぬる、と、御消息聞こえさせ給へらむこそよからめ。軽々しう、いかでかは、音なくてははひ隠れさせ給はむ。御もの詣でののちは、やがてわたりおはしましねかし。かくて心ほそきやうなれど、心にまかせて、安らかなる御住まひにならひて、なかなか旅心地すべしや』など言ふ」
――(右近が)「殿がおいでになる折も折、逃げ隠れなさったように見えますのは、ちょっと具合がよろしくないわ」と言いますと、向かいに座っている別の女房が、「それでは、こういう訳で、石山へ出かけましたと、お手紙を差し上げておかれた方がよいでしょう。ご身分柄、軽率に無断で隠れておしまいになるようで具合が悪いでしょう。御参詣の後は、すぐにこちらへお帰りになりますように。ここは心細いでしょうが、気楽なお住いに馴れてこられたでしょう。京の御家のほうが、旅先のような落ち着かぬ心地がするようでございますね」などと言っています――
「またあるは、『なほしばし、かくて待ちきこえさせ給はむぞ、のどやかに、さまよかるべき。京へなど迎へたてまつらせ給へらむのち、おだしくて親にも見えたてまつらせ給へかし。このおとどのいと急にものし給ひて、にはかにかう聞こえなし給ふなめりかし。昔も今も、ものねんじしてのどかなる人こそ、さいはひ見はて給ふなれ』など言ふなり」
――また他の女房が「やはり、当分このままで大将をお待ち申されるのが、穏かで人前にもよいのではないでしょうか。いずれ京へお迎え取りくださいましょうから、その時になって、ゆっくりと御両親さまにお会いなさいませ。この乳母殿がたいそうせっかちでいらっしゃるので、こんなに急に物詣でをお勧めになるのでしょう。昔も今も、辛抱強くて、気長な人が、ついにはお幸せになると申しますよ」というのが聞こえます――
「右近『などて、このままをとどめたてまつらずなりにけむ。老ひぬる人は、むつかしき心のあるにこそ』とにくむは、乳母やうの人をそしるなめり。げににくき者ありきかし、と思し出づるも、夢の心地ぞする」
――右近が「どうしてあの乳母をお引き留めしなかったのでしょう。とにかく年寄りは取り扱いにくうございますね」と、嫌そうに言っている人は乳母のことのようで、そういえば、なるほど二条院のあの時、邪魔立てしたきつい女が居たっけ、と匂宮はお思い出しになるにつけても、夢のようなお気持がするのでした――
では5/11に。
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その12
「この右近、もの折るとて、『かくて渡らせ給ひなば、とみにしもえ帰りわたらせ給はじを、殿は、この司召の程過ぎて、つひたちごろには必ずおはしましなむ、と、昨日の御使も申しけり。御文にはいかが聞こえさせ給へりけむ』と言へど、答へもせず、いともの思ひたるけしきなり」
――この右近は、縫いものに折目をつけながら、「こうしてあなた様がお出かけになりましては、急にはお帰りになれないでございましょう。大将殿は、この度の司召のことが終わったならば、来月の初めごろにはきっとお出ましになりますと、昨日のお使いの者も申しておりました。御文には何とございましたか」と言いますが、返事もなく、女君(浮舟)はひどく物思いにふけっている様子です――
「『折しもはひ隠れさせ給へるやうならむが、見ぐるしさ』と言へば、向かひたる人、『それは、かくなむわたりぬる、と、御消息聞こえさせ給へらむこそよからめ。軽々しう、いかでかは、音なくてははひ隠れさせ給はむ。御もの詣でののちは、やがてわたりおはしましねかし。かくて心ほそきやうなれど、心にまかせて、安らかなる御住まひにならひて、なかなか旅心地すべしや』など言ふ」
――(右近が)「殿がおいでになる折も折、逃げ隠れなさったように見えますのは、ちょっと具合がよろしくないわ」と言いますと、向かいに座っている別の女房が、「それでは、こういう訳で、石山へ出かけましたと、お手紙を差し上げておかれた方がよいでしょう。ご身分柄、軽率に無断で隠れておしまいになるようで具合が悪いでしょう。御参詣の後は、すぐにこちらへお帰りになりますように。ここは心細いでしょうが、気楽なお住いに馴れてこられたでしょう。京の御家のほうが、旅先のような落ち着かぬ心地がするようでございますね」などと言っています――
「またあるは、『なほしばし、かくて待ちきこえさせ給はむぞ、のどやかに、さまよかるべき。京へなど迎へたてまつらせ給へらむのち、おだしくて親にも見えたてまつらせ給へかし。このおとどのいと急にものし給ひて、にはかにかう聞こえなし給ふなめりかし。昔も今も、ものねんじしてのどかなる人こそ、さいはひ見はて給ふなれ』など言ふなり」
――また他の女房が「やはり、当分このままで大将をお待ち申されるのが、穏かで人前にもよいのではないでしょうか。いずれ京へお迎え取りくださいましょうから、その時になって、ゆっくりと御両親さまにお会いなさいませ。この乳母殿がたいそうせっかちでいらっしゃるので、こんなに急に物詣でをお勧めになるのでしょう。昔も今も、辛抱強くて、気長な人が、ついにはお幸せになると申しますよ」というのが聞こえます――
「右近『などて、このままをとどめたてまつらずなりにけむ。老ひぬる人は、むつかしき心のあるにこそ』とにくむは、乳母やうの人をそしるなめり。げににくき者ありきかし、と思し出づるも、夢の心地ぞする」
――右近が「どうしてあの乳母をお引き留めしなかったのでしょう。とにかく年寄りは取り扱いにくうございますね」と、嫌そうに言っている人は乳母のことのようで、そういえば、なるほど二条院のあの時、邪魔立てしたきつい女が居たっけ、と匂宮はお思い出しになるにつけても、夢のようなお気持がするのでした――
では5/11に。