2012. 5/25 1112
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その20
「右近、いかにせむ、殿なむおはする、と言ひたらむに、京にさばかりの人おはしおはせず、おのづから聞き通ひて、隠れなきこともこそあれ、と思ひて、この人々にも、ことに言ひ合はせず、かへりごと書く」
――右近は、さてどうしたものか。薫の君がお見えになっていますと言いましたなら、京で薫程の御方の在、不在は、母君も自然に伝え聞いていて、よくご承知のおそれもある、と思って、他の女房たちにも相談せずに、母君の北の方へお返事を書きます――
「『昨夜より穢れさせ給ひて、いとくちをしきことを思し歎くめりしに、今宵夢見さわがしく見えさせ給ひつれば、今日ばかりつつしませ給へ、とてなむ、物忌にて侍る。かへずがへすくちをしく、もののさまたげのやうに見たてまつりはべる』と書きて、人々に物など食はせてやりつ。尼君にも、『今日は物忌にて、わたり給はぬ』と言はせたり」
――お文には、「姫君は、昨夜より折悪しく、お身の穢れがはじまりまして、まことに残念なこととお嘆きになっていらっしゃいましたところ、夢見もよろしくございませんので、今日一日はお慎みくださいと申し上げまして、物忌をなさっていらっしゃいます。かえすがえすも口惜しく、なにやら邪魔立てするものがあるように存じます」と、したためて、迎えにきた人々には、物などを食べさせて帰してやります。弁の尼君にも「今日はあいにく物忌になりまして、石山へはお出かけになりません」と使いをだして言わせます――
「例はくらしがたくのみ、霞める山際をながめわび給ふに、暮れゆくはわびしくのみ思し焦らるる人にひかれたてまつりて、いとはかなう暮れぬ」
――(浮舟は)いつもはつれづれなままに、日をおくるばかりで、どうしようもなく霞む山際をながめておいででしたのに、今日は日が暮れるのがただただ辛いと、そればかり気に病んでおられる御方に惹かれ申して、一日は大そう早く過ぎていきました――
「まぎるることなくのどけき春の日に、見れども見れども飽かず、そのことぞと覚ゆる隈なく、愛敬づきなつかしくをかしげなり。さるは、かの対の御方には似おとりなり。大殿の君のさかりに匂ひ給へるあたりにては、こよなかるべき程の人を、たぐひなう思さるる程なれば、また知らずをかし、とのみ見給ふ」
――他に気のまぎれることもないのどかな春の日に、女はいくら見ても見飽きることのない容貌(みめかたち)で、これという欠点もなく、愛らしくやさしく美しい。そうはいっても、あの二条の中の君には、やや劣っている。まして夕霧の六の君の、今を盛りの美しさとは、比べものにならぬのに、今匂宮は、浮舟を格別のものを思いこんでいらっしゃるときですので、他には例えようもなく美しいとばかり、御覧になっています――
「女はまた、大将殿を、いときよげに、またかかる人あらむや、と見しかど、こまやかに匂ひ、きよらなることは、こよなくおはしけり、と見る」
――浮舟のほうではまた、薫の君をこれほど気品の高い方がおられるかしらと、思っていましたが、この匂宮のお顔色が艶やかに輝くようで、お美しいという点では、匂宮の方がずっと優れていらっしゃる、とお見上げするのでした――
では5/27に。
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その20
「右近、いかにせむ、殿なむおはする、と言ひたらむに、京にさばかりの人おはしおはせず、おのづから聞き通ひて、隠れなきこともこそあれ、と思ひて、この人々にも、ことに言ひ合はせず、かへりごと書く」
――右近は、さてどうしたものか。薫の君がお見えになっていますと言いましたなら、京で薫程の御方の在、不在は、母君も自然に伝え聞いていて、よくご承知のおそれもある、と思って、他の女房たちにも相談せずに、母君の北の方へお返事を書きます――
「『昨夜より穢れさせ給ひて、いとくちをしきことを思し歎くめりしに、今宵夢見さわがしく見えさせ給ひつれば、今日ばかりつつしませ給へ、とてなむ、物忌にて侍る。かへずがへすくちをしく、もののさまたげのやうに見たてまつりはべる』と書きて、人々に物など食はせてやりつ。尼君にも、『今日は物忌にて、わたり給はぬ』と言はせたり」
――お文には、「姫君は、昨夜より折悪しく、お身の穢れがはじまりまして、まことに残念なこととお嘆きになっていらっしゃいましたところ、夢見もよろしくございませんので、今日一日はお慎みくださいと申し上げまして、物忌をなさっていらっしゃいます。かえすがえすも口惜しく、なにやら邪魔立てするものがあるように存じます」と、したためて、迎えにきた人々には、物などを食べさせて帰してやります。弁の尼君にも「今日はあいにく物忌になりまして、石山へはお出かけになりません」と使いをだして言わせます――
「例はくらしがたくのみ、霞める山際をながめわび給ふに、暮れゆくはわびしくのみ思し焦らるる人にひかれたてまつりて、いとはかなう暮れぬ」
――(浮舟は)いつもはつれづれなままに、日をおくるばかりで、どうしようもなく霞む山際をながめておいででしたのに、今日は日が暮れるのがただただ辛いと、そればかり気に病んでおられる御方に惹かれ申して、一日は大そう早く過ぎていきました――
「まぎるることなくのどけき春の日に、見れども見れども飽かず、そのことぞと覚ゆる隈なく、愛敬づきなつかしくをかしげなり。さるは、かの対の御方には似おとりなり。大殿の君のさかりに匂ひ給へるあたりにては、こよなかるべき程の人を、たぐひなう思さるる程なれば、また知らずをかし、とのみ見給ふ」
――他に気のまぎれることもないのどかな春の日に、女はいくら見ても見飽きることのない容貌(みめかたち)で、これという欠点もなく、愛らしくやさしく美しい。そうはいっても、あの二条の中の君には、やや劣っている。まして夕霧の六の君の、今を盛りの美しさとは、比べものにならぬのに、今匂宮は、浮舟を格別のものを思いこんでいらっしゃるときですので、他には例えようもなく美しいとばかり、御覧になっています――
「女はまた、大将殿を、いときよげに、またかかる人あらむや、と見しかど、こまやかに匂ひ、きよらなることは、こよなくおはしけり、と見る」
――浮舟のほうではまた、薫の君をこれほど気品の高い方がおられるかしらと、思っていましたが、この匂宮のお顔色が艶やかに輝くようで、お美しいという点では、匂宮の方がずっと優れていらっしゃる、とお見上げするのでした――
では5/27に。