2012. 5/15 1107
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その15
「いと細やかになよなよと装束きて、香のかうばしきことも劣らず。近う寄りて、御衣どもも脱ぎ、馴れ顔にうち臥し給へれば、『例の御座にこそ』など言へど、ものものたまはず。御衾まゐりて、寝つる人々起して、すこし退きて皆寝ぬ」
――絹ずれもしなやかな装束をお召しになり、香の芳しさも薫にたいそう似ていらっしゃる。匂宮は浮舟のお側に寄って、お召し物を脱ぎ、物慣れたご様子で横におなりになりますので、右近は、「どうぞいつもの御座所に、おいでになってください」などと申し上げますが、何もおっしゃらない。それで、御夜着をお掛けして、側に寝ていた女房たちを起して、一同は少し引き下がった場所で皆寝入ってしまいました――
「御供の人など、例の、ここには知らぬなたひにて、『あはれなる夜のおはしましざまかな。かかる御ありさまを御覧じ知らぬよ』など、さかしらがる人もあれど、『あなかま、たまへ。夜声は、ささめくしもぞかしがましき』など言ひつつ寝ぬ」
――薫のお供の人々は、いつもこちらではお構いをしませんので、なおさら人違いとは気が付かずに、『こんな夜更けに、よくまあ、お出かけ遊ばしましたこと。これほどまでのお心を姫君はお分かりにならないなんて』などと、利口ぶって言う女房に、右近は『静かになさい。夜はひそひそ声がかえって喧しい』などと言って寝てしまいました――
「女君は、あらぬ人なりけり、と思ふに、あさましういみじけれど、声をだにせさせ給はず。いとつつましかりしところにてだに、わりなかりし御心なれば、ひたぶるにあさまし」
――女君(浮舟)は、この御方は薫大将ではないと気が付いて、予想もしていなかったことと驚きますが、匂宮は浮舟にお声を立てさせないようになさる。いつぞやの二条院でさえも、あたりを憚ることなく御無理を押し通した御方であってみれば、今は全く話のほかというものです――
「はじめよりあらぬ人と知りたらば、いささかいふかひもあるべきを、夢の心地するに、やうやう、その折のつらかりし、年月ごろ思ひわたるさまのたまふに、この宮と知りぬ」
――初めから別の人と分かっていたならば、少しは何とか手立ても講じられましたでしょうに、ただ夢路をさまよう心地でおりますと、匂宮が、あの時の辛かったこと、それ以来慕い続けていたことなどをおっしゃいますので、匂宮だと浮舟は気が付いたのでした――
「いよいよはづかしく、かの上の御ことなど思ふに、またたけきことなければ、かぎりなう泣く。宮もなかなかにて、たはやすく逢ひ見ざらむことなどを思すに、泣き給ふ」
――(浮舟は)ますます恥かしく、匂宮の正妻(中の君)のことなどを思いますものの、今はどうしようもなくて、ただとめどもなく涙を流すのでした。匂宮もなまじ逢ったのが却って辛いことになりそうだとの御思いで、今後は容易にはお逢いできないことをお思いなって、こちらも泣いていらっしゃる――
◆御衾(ふすま)まゐりて=御夜着をお掛けして
では5/17に。
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その15
「いと細やかになよなよと装束きて、香のかうばしきことも劣らず。近う寄りて、御衣どもも脱ぎ、馴れ顔にうち臥し給へれば、『例の御座にこそ』など言へど、ものものたまはず。御衾まゐりて、寝つる人々起して、すこし退きて皆寝ぬ」
――絹ずれもしなやかな装束をお召しになり、香の芳しさも薫にたいそう似ていらっしゃる。匂宮は浮舟のお側に寄って、お召し物を脱ぎ、物慣れたご様子で横におなりになりますので、右近は、「どうぞいつもの御座所に、おいでになってください」などと申し上げますが、何もおっしゃらない。それで、御夜着をお掛けして、側に寝ていた女房たちを起して、一同は少し引き下がった場所で皆寝入ってしまいました――
「御供の人など、例の、ここには知らぬなたひにて、『あはれなる夜のおはしましざまかな。かかる御ありさまを御覧じ知らぬよ』など、さかしらがる人もあれど、『あなかま、たまへ。夜声は、ささめくしもぞかしがましき』など言ひつつ寝ぬ」
――薫のお供の人々は、いつもこちらではお構いをしませんので、なおさら人違いとは気が付かずに、『こんな夜更けに、よくまあ、お出かけ遊ばしましたこと。これほどまでのお心を姫君はお分かりにならないなんて』などと、利口ぶって言う女房に、右近は『静かになさい。夜はひそひそ声がかえって喧しい』などと言って寝てしまいました――
「女君は、あらぬ人なりけり、と思ふに、あさましういみじけれど、声をだにせさせ給はず。いとつつましかりしところにてだに、わりなかりし御心なれば、ひたぶるにあさまし」
――女君(浮舟)は、この御方は薫大将ではないと気が付いて、予想もしていなかったことと驚きますが、匂宮は浮舟にお声を立てさせないようになさる。いつぞやの二条院でさえも、あたりを憚ることなく御無理を押し通した御方であってみれば、今は全く話のほかというものです――
「はじめよりあらぬ人と知りたらば、いささかいふかひもあるべきを、夢の心地するに、やうやう、その折のつらかりし、年月ごろ思ひわたるさまのたまふに、この宮と知りぬ」
――初めから別の人と分かっていたならば、少しは何とか手立ても講じられましたでしょうに、ただ夢路をさまよう心地でおりますと、匂宮が、あの時の辛かったこと、それ以来慕い続けていたことなどをおっしゃいますので、匂宮だと浮舟は気が付いたのでした――
「いよいよはづかしく、かの上の御ことなど思ふに、またたけきことなければ、かぎりなう泣く。宮もなかなかにて、たはやすく逢ひ見ざらむことなどを思すに、泣き給ふ」
――(浮舟は)ますます恥かしく、匂宮の正妻(中の君)のことなどを思いますものの、今はどうしようもなくて、ただとめどもなく涙を流すのでした。匂宮もなまじ逢ったのが却って辛いことになりそうだとの御思いで、今後は容易にはお逢いできないことをお思いなって、こちらも泣いていらっしゃる――
◆御衾(ふすま)まゐりて=御夜着をお掛けして
では5/17に。