2012. 9/23 1158
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その66
「かの、心のどかなるさまにて見む、と、行く末遠かるべきことをのたまひわたる人も、いかが思さむ、と、いとほし。憂きさまに言ひなす人もあらむこそ、思ひやりはづかしけれど、心浅く、けしからず人笑へならむを、聞かれたてまつらむよりは、など、思ひ続けて、歌『なげきわび身をば棄つともなきかげに浮名流さむことをこそ思へ』」
――(浮舟はまた一方では)あの、京へ引き取った上でのんびり逢おうと、末長く変わらぬ心を約束し続けられる薫の君も、私が死んだらどうお思いになるかしら、と思いますと、こちらも愛おしい。死後厭なうわさを言いふらす人もあろうと思うと、想像するのも恥かしいけれど、生きて居て、思慮の浅い不埒な女よ、と人の物笑いになるのを、あの方(薫)に聞かれるよりは、まだましかしら、などと思い続けながら、(歌)「悩み悶えて自殺するとしても、死後にいやな噂が広まるのが気になることよ」――
「親もいとこひしく、例はことに思ひ出でぬ兄弟の醜くやかなるも、こひし。宮の上を思ひ出できこゆるにも、すべて今ひとたびゆかしき人多かり」
――母君もひどく恋しく、日頃は思い出しもしない腹違いの兄弟姉妹たちの、醜い器量も恋しい。二条の院の宮の御方を思い出申し上げますにつけても、すべて今一度お目にかかりたい人が多いのでした――
「人は皆おのおのもの染めいそぎ、何やかやと言へど、耳にも入らず。夜となれば、人に見つけられず、出でて行くべき方を思ひ設けつつ、寝られぬままに、心地もあしく、皆違ひにたり。明けたてば、川の方を見やりつつ、羊の歩みよりも程なき心地す」
――侍女たちは引越しの準備で、染物などに熱中し、何やかやと言い合っていますが、それも耳に入らず、夜になりますと、浮舟は人も目にとまらぬよう抜け出していく道を思案しながら、眠れぬままに気分も悪く、全く正気でなくなってしまっています。夜が明けますと、宇治川の方を見やりながら、屠所に引かれていく羊の歩みよりも死に近づいているような心地になるのでした――
「宮は、いみじきことどもをのたまへり。今さらに、人や見む、と思へば、この御かへりごとをだに、思ふままにも書かず。(歌)『からをだに浮世の中にとどめずばいづこをはかと君もうらみむ』とのみ書きて出だしつ」
――匂宮は御邸に帰られてから、切切たる思いを書いて来られました。浮舟は今更お返事を書いて人に見られては大変だと思いますので、お心のままには書けず、(歌)「辛いこの世に亡骸さえ残さなかったならば、あなた様もどこを当てに私をお恨みになりましょうか」
とだけ認めて、お使いに持たせました――
では9/25に。
五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その66
「かの、心のどかなるさまにて見む、と、行く末遠かるべきことをのたまひわたる人も、いかが思さむ、と、いとほし。憂きさまに言ひなす人もあらむこそ、思ひやりはづかしけれど、心浅く、けしからず人笑へならむを、聞かれたてまつらむよりは、など、思ひ続けて、歌『なげきわび身をば棄つともなきかげに浮名流さむことをこそ思へ』」
――(浮舟はまた一方では)あの、京へ引き取った上でのんびり逢おうと、末長く変わらぬ心を約束し続けられる薫の君も、私が死んだらどうお思いになるかしら、と思いますと、こちらも愛おしい。死後厭なうわさを言いふらす人もあろうと思うと、想像するのも恥かしいけれど、生きて居て、思慮の浅い不埒な女よ、と人の物笑いになるのを、あの方(薫)に聞かれるよりは、まだましかしら、などと思い続けながら、(歌)「悩み悶えて自殺するとしても、死後にいやな噂が広まるのが気になることよ」――
「親もいとこひしく、例はことに思ひ出でぬ兄弟の醜くやかなるも、こひし。宮の上を思ひ出できこゆるにも、すべて今ひとたびゆかしき人多かり」
――母君もひどく恋しく、日頃は思い出しもしない腹違いの兄弟姉妹たちの、醜い器量も恋しい。二条の院の宮の御方を思い出申し上げますにつけても、すべて今一度お目にかかりたい人が多いのでした――
「人は皆おのおのもの染めいそぎ、何やかやと言へど、耳にも入らず。夜となれば、人に見つけられず、出でて行くべき方を思ひ設けつつ、寝られぬままに、心地もあしく、皆違ひにたり。明けたてば、川の方を見やりつつ、羊の歩みよりも程なき心地す」
――侍女たちは引越しの準備で、染物などに熱中し、何やかやと言い合っていますが、それも耳に入らず、夜になりますと、浮舟は人も目にとまらぬよう抜け出していく道を思案しながら、眠れぬままに気分も悪く、全く正気でなくなってしまっています。夜が明けますと、宇治川の方を見やりながら、屠所に引かれていく羊の歩みよりも死に近づいているような心地になるのでした――
「宮は、いみじきことどもをのたまへり。今さらに、人や見む、と思へば、この御かへりごとをだに、思ふままにも書かず。(歌)『からをだに浮世の中にとどめずばいづこをはかと君もうらみむ』とのみ書きて出だしつ」
――匂宮は御邸に帰られてから、切切たる思いを書いて来られました。浮舟は今更お返事を書いて人に見られては大変だと思いますので、お心のままには書けず、(歌)「辛いこの世に亡骸さえ残さなかったならば、あなた様もどこを当てに私をお恨みになりましょうか」
とだけ認めて、お使いに持たせました――
では9/25に。