永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1160)

2012年09月27日 | Weblog
2012. 9/27    1160

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その68

「寺へ人やりたる程、かへりごと書く。言はまほしきこと多かれど、つつましくてただ、(歌)『のちにまたあひ見むことを思はなむこの世の夢に心まどはで』」
――(浮舟は)それを持たせて寺へ使いを出した間に、母君へのお返事を書きます。申し上げたいことは数々ありますが、遠慮されて、ただ、(歌)「夢のようにはかないこの世の恩愛に惑わずに、来世でお目にかかりましょう」――

「誦経の鐘の風につけて聞え来るを、つくづくと聞き臥し給ふ。(歌)『鐘の音絶ゆるひびきに音をそへてわが世つきぬと君に伝へよ』巻数持って来たるに書きつけて、『今宵はえ帰るまじ』と言へば、ものの枝に結ひつけて置きつ」
――念仏の鐘の音が風に乗って聞こえてきますのを、しみじみと聞いて横たわっておいでになり、(歌)「鐘の音の消えてゆく余韻に私の泣く声を添えて、私の命も終わりましたと母君に伝えてください」と寺から持ち帰った報告の、読経目録にこう書き添えましたが、使いは、「今宵はもう京へは帰れません」と言いますので、木の枝に結び付けておきました――

「乳母、『あやしく心ばしりのするかな。夢もさわがし、とのたまはせたりつ。宿直人、よくさぶらへ』と言はするを、苦しと聞き臥し給へり」
――乳母が「妙に胸騒ぎがすること。夢見も悪いと母君のお手紙にもありました。宿直の者は良く気をつけるように」と言わせているのを、浮舟は折も悪いと聞きながら寝ています――

「『物聞こし召さぬ、いとあやし。御湯漬け』などよろづに言ふを、さかしがるめれど、いと醜く老いなりて、われなくば、いづくにかあらむ、と思ひやり給ふも、いとあはれなり。世の中にえあり果つまじきさまを、ほのめかして言はむ、など思すに先づおどろかされあて先だつ涙を、つつみ給ひて、ものも言はれず」
――(乳母が)「お食事をなさらないのは、まことにいけません。湯漬けなど召し上げれ」などと言うのを浮舟は聞きながら、こう気を配って世話を焼いているけれども、醜く年老いてしまったこの乳母は、私が亡くなった後、一体どこへ行くのだろうと思いやると、まことに哀れでなりません。自分がこの世に生き長らえないことを、乳母にそれとなく言ってみようかと思われますが、きっと驚いて何よりも先に涙があふれてしまうだろうと思いますと、もう何も言えません――

「右近程近く臥すとて、『かくのみものを思ほせば、もの思ふ人の魂は、あくがるなるものなれば、夢もさわがしきならむかし。いづかたと思しさだまりて、いかにもいかにもおはしまさなむ』とうち歎く。萎えたる衣を顔に押し当てて、臥し給へりとなむ」
――右近がすぐお側で寝ませていただくと言って「このように物思いばかりなさっては、物思う人の魂は、さ迷い出ると申しますから、母君の御夢見もよくないのでございますよ。匂宮なり薫の君なり、どちらかお一人にお心を決められて、後はどうでも御運にお委かせなさいませ」と溜息をついています。浮舟は着馴れた衣を顔に押し当てて、臥せっておいでになったとか――

◆巻数(かんず)=経文や陀羅尼を読誦した名目や度数を記して僧侶から願主に贈る文書

◆五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】終わり。

では9/29に。