2012. 12/7 1187
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その27
「かしこには、常陸の守、立ちながら来て、『折しもかくて居給へること』など腹立つ。年ごろいづくになむおはするなど、ありのままにも知らせざりければ、はかなきさまにておはすらむ、と思ひ言ひけるを、京になど迎へ給ひてむのち、面目ありて、など知らせむ、と思ひける程に、かかれば、今は隠さむもあいなくて、ありしさま泣く泣く語る」
――母君のところには常陸の守がきて、穢れ(この穢れは娘のお産)に触れまいと立ったままで、「娘の出産の折も折、よくまあこうしてのんびりしていられるものよ」と腹立たしく言う。母君は常陸の介に浮舟が今までどこにおられるかなどとは、知らせていませんでしたので、さぞかし
落ちぶれているだろうと思ってもい、言いもしていたのですが、母君は浮舟が薫に京にでもお迎えくださって後に、「実はこのように立派な身の上になりまして…」と夫へ知らせようと思っているうちにこのようになってしましましたのでした。今は隠しても仕方がないことですので、これまでの事情を泣く泣く話します――
「大将殿の御文もとり出でて見すれば、よき人かしこくして、鄙び、ものめでする人にて、おどろき臆して、うち返しうち返し、『いとめでたき御さひはいを棄てて、亡せ給ひにける人かな。おのれも殿人にて、参り仕うまつれども、近く召し仕ひ給ふこともなく、いとけだかくおはする殿なり。若き者どものこと仰せらせたるは、たのもしきことになむ』など、よろこぶを見るにも、ましておはせましかば、と思ふに、ふし転びて泣かる」
――薫からの御手紙などを取り出して見せますと、常陸の介は貴人を尊んで、田舎風の、すぐに感心する質の人なので、薫の御文に驚き畏れて、繰り返し繰り返し御文を眺めて、「大そう結構な御幸運を捨てて、お亡くなりになった人もあるものよ。自分も家来としてご奉公申し上げているが、お近くに召されてお使いいただくこともなく、まことに気高くおいでになる殿だ。子供たちの事を仰せ下さったのは、まことに頼もしい」などと喜んでいるのを見るにつけても、ああ、
生きておいでだったらと思うと、母君は臥し転んで泣くのでした――
「守も今なむうち泣きける」
――常陸の介も今になって泣くのでした――
「さるは、おはせし世には、なかなかかかるたぐひの人しも、たづね給ふべきにしもあらずかし。わがあやまちにて失ひつるもいとほし、なぐさめむ、と思すよりなむ、人のそしり、ねんごろにたづねじ、と思しける」
――(薫は)しかし、もし浮舟が生きていたならば、おそらく常陸の介の子供たちのことなど、お心にかけようとはなさらなかったであろう。自分が捨て置いたばかりに、浮舟を死なせてしまったのも可哀そうなことだったと母君を慰めようとお思いになるので、世間でとやかく言う非難などは考えまいとなさるのでした――
では12/9に。
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その27
「かしこには、常陸の守、立ちながら来て、『折しもかくて居給へること』など腹立つ。年ごろいづくになむおはするなど、ありのままにも知らせざりければ、はかなきさまにておはすらむ、と思ひ言ひけるを、京になど迎へ給ひてむのち、面目ありて、など知らせむ、と思ひける程に、かかれば、今は隠さむもあいなくて、ありしさま泣く泣く語る」
――母君のところには常陸の守がきて、穢れ(この穢れは娘のお産)に触れまいと立ったままで、「娘の出産の折も折、よくまあこうしてのんびりしていられるものよ」と腹立たしく言う。母君は常陸の介に浮舟が今までどこにおられるかなどとは、知らせていませんでしたので、さぞかし
落ちぶれているだろうと思ってもい、言いもしていたのですが、母君は浮舟が薫に京にでもお迎えくださって後に、「実はこのように立派な身の上になりまして…」と夫へ知らせようと思っているうちにこのようになってしましましたのでした。今は隠しても仕方がないことですので、これまでの事情を泣く泣く話します――
「大将殿の御文もとり出でて見すれば、よき人かしこくして、鄙び、ものめでする人にて、おどろき臆して、うち返しうち返し、『いとめでたき御さひはいを棄てて、亡せ給ひにける人かな。おのれも殿人にて、参り仕うまつれども、近く召し仕ひ給ふこともなく、いとけだかくおはする殿なり。若き者どものこと仰せらせたるは、たのもしきことになむ』など、よろこぶを見るにも、ましておはせましかば、と思ふに、ふし転びて泣かる」
――薫からの御手紙などを取り出して見せますと、常陸の介は貴人を尊んで、田舎風の、すぐに感心する質の人なので、薫の御文に驚き畏れて、繰り返し繰り返し御文を眺めて、「大そう結構な御幸運を捨てて、お亡くなりになった人もあるものよ。自分も家来としてご奉公申し上げているが、お近くに召されてお使いいただくこともなく、まことに気高くおいでになる殿だ。子供たちの事を仰せ下さったのは、まことに頼もしい」などと喜んでいるのを見るにつけても、ああ、
生きておいでだったらと思うと、母君は臥し転んで泣くのでした――
「守も今なむうち泣きける」
――常陸の介も今になって泣くのでした――
「さるは、おはせし世には、なかなかかかるたぐひの人しも、たづね給ふべきにしもあらずかし。わがあやまちにて失ひつるもいとほし、なぐさめむ、と思すよりなむ、人のそしり、ねんごろにたづねじ、と思しける」
――(薫は)しかし、もし浮舟が生きていたならば、おそらく常陸の介の子供たちのことなど、お心にかけようとはなさらなかったであろう。自分が捨て置いたばかりに、浮舟を死なせてしまったのも可哀そうなことだったと母君を慰めようとお思いになるので、世間でとやかく言う非難などは考えまいとなさるのでした――
では12/9に。