2012. 12/9 1188
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その28
「四十九日のわざなどせさせ給ふにも、いかなりけむことにかは、と思せば、とてもかくても罪得まじきことなれば、いと忍びて、かの律師の寺にてなむせさせ給ひける。六十僧の布施など、おほきに掟てられたり。母君も来居て、ことども添へたり。宮よりは、右近がもとに、白銀の壺に黄金入れて賜へり。人見とがむばかりおほきなるわざは、えし給はず、右近が志にてしたりければ、心知らぬ人は、『いかでかくなむ』など言ひける」
――四十九日の法事をおさせになるにも、薫はいったい浮舟はどうしたというのだろうか、もしかして生きているのではないか、とお思いになりますが、どのみち法事は罪になることではないので、ごく内輪に、例の律師(もとの阿闇梨)のお寺でお営みになります。法会に参列する六十人の僧たちへの御布施などを立派に仰せつけられます。浮舟の母君もその席に来ておりましたので、直その上に、追善のことをあれこれ加えるのでした。匂宮からは右近の許に、白銀(しろがね)の壺に黄金(こがね)を入れて賜わります。人が見咎めるほどの派手なことをなさるわけにはいきませんので、右近の志としてお供えしましたので、事情をしらない人々は、「どうしてこんな見事なものを」などと言っています――
「殿の人ども、むつまじきかぎりあまた賜へり。『あやしく、音もせざりつる人のはてを、かくあつかはせ給ふ、誰ならむ』と、今おどろく人の多かるに、常陸の守来て、心もなくあるじがり居るなむ、あやしと人々見ける」
――薫の家来たちは、親しいものばかり大勢お貸しになりました。「不思議なこともあるものだ、今まで聞いた事もない人の四十九日を、こんなに丁寧になさるとは…、いったい誰なんだろう」と、今になって驚く人が多いのに、常陸の守が来て、思慮もなく主人顔に振る舞っているのを、妙な事だと皆思っています――
「少将の子生ませて、いかめしきことせさせむ、とまどひ、家のうちになきものは少なく、唐土新羅のかざりをもしつべきに、かぎりあれば、いとあやしかりけり」
――常陸の介は、娘に少将の子を産ませて、盛大な祝いをさせようと大騒ぎし、邸内にこれといって無いものは稀なほど、唐土新羅(もろこししらぎ)つまり支那、朝鮮の舶来の装飾をしたい位なのに、その方は身分柄そう大した物もそろわず、粗末でした――
「この御法事の、忍びたるやうに思したれど、けはひこよなきを見るに、生きたらましかば、わが身にならぶべくもあらぬ、人の御宿世なりけり、と思ふ」
――(薫が催す)このご法事が、人目に立たぬようにと考慮されていましたが、この上なく立派であるのを見て、常陸の介は、浮舟がもし生きていたなら、自分とは比較にならぬその御運勢であったのだ、と思うのでした――
「宮の上も誦経し給ひ、七僧の前のこともせさせ給ひけり。今なむ、かかる人持給へりけり、と帝まで聞こし召して、おろかにもあらざりける人を、宮にかしこまりきこえて、隠しおき給へりけるを、いとほしと思しける」
――中の君もお布施を寄せられ、七僧への饗応もなさるのでした。今となって薫が浮舟と言う愛人を持っておられたのだということが帝の御耳にも達し、並々の愛情でもなかった人なのに、女二の宮に御遠慮申して、隠しておかれたことを、気の毒にお思いなされたのでした――
◆七僧(しちそう)=七僧は、講師、読師、呪願三禮唄師散華堂達を言い、四十九日にその法会がある。
では12/11に。
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その28
「四十九日のわざなどせさせ給ふにも、いかなりけむことにかは、と思せば、とてもかくても罪得まじきことなれば、いと忍びて、かの律師の寺にてなむせさせ給ひける。六十僧の布施など、おほきに掟てられたり。母君も来居て、ことども添へたり。宮よりは、右近がもとに、白銀の壺に黄金入れて賜へり。人見とがむばかりおほきなるわざは、えし給はず、右近が志にてしたりければ、心知らぬ人は、『いかでかくなむ』など言ひける」
――四十九日の法事をおさせになるにも、薫はいったい浮舟はどうしたというのだろうか、もしかして生きているのではないか、とお思いになりますが、どのみち法事は罪になることではないので、ごく内輪に、例の律師(もとの阿闇梨)のお寺でお営みになります。法会に参列する六十人の僧たちへの御布施などを立派に仰せつけられます。浮舟の母君もその席に来ておりましたので、直その上に、追善のことをあれこれ加えるのでした。匂宮からは右近の許に、白銀(しろがね)の壺に黄金(こがね)を入れて賜わります。人が見咎めるほどの派手なことをなさるわけにはいきませんので、右近の志としてお供えしましたので、事情をしらない人々は、「どうしてこんな見事なものを」などと言っています――
「殿の人ども、むつまじきかぎりあまた賜へり。『あやしく、音もせざりつる人のはてを、かくあつかはせ給ふ、誰ならむ』と、今おどろく人の多かるに、常陸の守来て、心もなくあるじがり居るなむ、あやしと人々見ける」
――薫の家来たちは、親しいものばかり大勢お貸しになりました。「不思議なこともあるものだ、今まで聞いた事もない人の四十九日を、こんなに丁寧になさるとは…、いったい誰なんだろう」と、今になって驚く人が多いのに、常陸の守が来て、思慮もなく主人顔に振る舞っているのを、妙な事だと皆思っています――
「少将の子生ませて、いかめしきことせさせむ、とまどひ、家のうちになきものは少なく、唐土新羅のかざりをもしつべきに、かぎりあれば、いとあやしかりけり」
――常陸の介は、娘に少将の子を産ませて、盛大な祝いをさせようと大騒ぎし、邸内にこれといって無いものは稀なほど、唐土新羅(もろこししらぎ)つまり支那、朝鮮の舶来の装飾をしたい位なのに、その方は身分柄そう大した物もそろわず、粗末でした――
「この御法事の、忍びたるやうに思したれど、けはひこよなきを見るに、生きたらましかば、わが身にならぶべくもあらぬ、人の御宿世なりけり、と思ふ」
――(薫が催す)このご法事が、人目に立たぬようにと考慮されていましたが、この上なく立派であるのを見て、常陸の介は、浮舟がもし生きていたなら、自分とは比較にならぬその御運勢であったのだ、と思うのでした――
「宮の上も誦経し給ひ、七僧の前のこともせさせ給ひけり。今なむ、かかる人持給へりけり、と帝まで聞こし召して、おろかにもあらざりける人を、宮にかしこまりきこえて、隠しおき給へりけるを、いとほしと思しける」
――中の君もお布施を寄せられ、七僧への饗応もなさるのでした。今となって薫が浮舟と言う愛人を持っておられたのだということが帝の御耳にも達し、並々の愛情でもなかった人なのに、女二の宮に御遠慮申して、隠しておかれたことを、気の毒にお思いなされたのでした――
◆七僧(しちそう)=七僧は、講師、読師、呪願三禮唄師散華堂達を言い、四十九日にその法会がある。
では12/11に。